3. 迷子

 女の子の年齢は三、四歳頃のようで、周りに大人はいない。淡いピンク色の長袖ワンピースに白い靴のブロンド髪は、開けてほしそうにノックを繰り返す。メアリーは心配になって声を掛けた。

「こんばんは。どうしたの」

 子供はメアリーを見ると「こんばんは」と挨拶した。メアリーが子供の目線に合わせてしゃがみ、再び「どうしたの」と尋ねる。すると子供はメアリーを見ながら話してくれた。

「あのね、お母さんがいなくて、お部屋を出たんだけど、お部屋も分からなくて、でもお父さんもお母さんもここに乗ってるの」

「お父さんやお母さんと一緒に列車に乗ったんじゃないの?」

「ううん。わたし寝てて、起きたら列車だったの」

「あら、そうなのね。お部屋のベッドは一つだった?」

「うん」

「お部屋にはしごはあった?」

「ううん」

となるとファーストクラスね、とメアリーは考えた。

「私の名前はメアリー。ちゃんとノックして入ろうとするなんて偉いね。あなたのお名前は?」

「わたしはカメリア」

「カメリアちゃんね、よろしく」

 メアリーが握手の手を出すと、カメリアは左手で指をしゃぶりながら右手を出してくれた。小さな手を振りすぎないように握手する。

「カメリアちゃんは何歳?」

 メアリーがゆっくりと聞くと、カメリアは親指と人差し指と中指を立てた。

「三歳ね。じゃあ一緒にお母さんを探そうか。行こう」

 メアリーはカメリアと手を繋いで歩き出す。しかし当ても無いので、メアリーは深夜にも関わらずL車にある客室のドアを片っ端から訪ねることにした。気合いを入れるために、胸辺りまで下ろしていた栗色の髪をポニーテールにまとめる。

 まずはメアリーの隣の客室をノックする。返事が無い。留守か就寝しているか空室のようだ。次にその右にあるメアリーの部屋から見て二つ隣の客室。ノックをするとオールバックヘアの白人男性が出てきた。「この子に見覚えが無いか」とメアリーが聞くが「無いね」とだけ答えてドアを閉められてしまった。メアリーは閉められる前にちらりと部屋を覗いてベッドが一つだけしかないことを確認し、L車輌のファーストクラスは残り四部屋だと確信した。だが四部屋ともカメリアの両親でも無ければ見覚えも無いと云い、中には「寝ていたのに、こんな時間にノックするなんて」と怒る人もいた。

 時刻は午前零時四十五分。怒られるのは当然だとメアリーは非礼を詫びたが、同時にどうやってカメリアの両親を探そうかと弱り果てた。

 視線を落とすとカメリアが不安そうにメアリーを見上げていた。

 廊下から見える窓の外は時折明かりがちらほらある程度で、トンネルの中のように暗く、不安気なメアリーの顔をくっきりと鏡のように映していた。

 とりあえず乗務員に伝えよう、とメアリーは決めた。もしかしたら親御さんと行き違いになっているかもしれないし、母親の方も乗務員づてに探しているかもと、希望を持って大股でラウンジ車輌へ歩く。ラウンジへ行くのは、メアリーがこの列車で確実に乗務員と会えると思っている場所がそこしか無かったのである。

 カメリアは指をしゃぶったままだったが、泣きもせず、メアリーの早足にも文句を云わず、小走りで黙ってついて来てくれていた。

 狭い廊下を幾人かとカメリアとの手を離さずなんとかすれ違いながら、あともう少しでラウンジという所でジェイミが前方から歩いてきた。

「やあ、どうしたんだい。その子は妹?」

 ジェイミはすぐにカメリアの存在に気付いてくれた。メアリーはジェイミにカメリアが親とはぐれた迷子であると告げ、ラウンジにそれらしい人がいなかったかと尋ねた。

「いや、ラウンジに夫婦らしき人はいなかったけどな。そうだ、今ラウンジは閉まっているから戻ってくる人で反応があるかどうかで確かめよう。君はラウンジ近くでカメリアと待っているんだ。俺はラウンジから出てきた人たちを追ってファーストクラスに入って行く人を見て、誰も入らなかった部屋を確かめてくる。もしかしたら行き違いになった母親が部屋で待っているかもしれないからな。いいね」

「いいわ、そうしましょう。カメリア、ラウンジの近くで待ってましょうね」

 こくり、とカメリアは頷いた。

 ラウンジへ行くまでにも何人かとすれ違ったが、カメリアの両親らしき人はいなかった。ラウンジの近くで待っていても出てくる人はカメリアに目もくれず、乗務員に話しをしても「迷子の情報は無い。持ち場を離れる訳にはいかないので申し訳ないが、しばらく見ていてくれ」と云われるだけだった。

 どうしてカメリアの両親は探してないのかしらと考えていたら、カメリアは立っているのが疲れたと訴えてきたので、メアリーはカメリアを抱きかかえた。子供をだっこするなんて何年ぶりになるかな。メアリーの心に幼い頃の光景が浮かんだ。自分も子供だったけれど、自分以上に小さい妹を一生懸命抱きかかえたあの時のぬくもりを、メアリーはカメリアの温かさで感じていた。

 カメリアはだっこされて安心したのか、指をしゃぶったまま今にも寝そうになっている。そこにジェイミが現れた。

「誰も入らなかった部屋を見てきたよ」

「ああ、ジェイ、ありがとう」

「ファーストクラスで入らなかったのは三つ。JとLとNの一つずつだけだ。どうする、全部に当たってみるかい?」

「いいえ、もう一時だから寝ている可能性もあるし、怒声を浴びてこの子が泣いちゃうと可哀想だわ。そうね、ちょっと考えてみる」

 メアリーはこれまでの情報を思い返してみた。

 まずカメリアの両親は子供がいなくなったことに気付いていない。次にラウンジを使用せず、ずっと空室か就寝中の部屋がある。そしてカメリアは「お父さんもお母さんもこの列車に乗っている」と云ったのに、カメリアが起きた部屋にはベッドが一つしかなかった。カレドニアン・スリーパーは五歳未満の子供は親と一緒のベッドで寝るよう推奨しているけれど、三人家族なら夫婦それぞれが寝られる二人分のベッドが用意された二段ベッドの部屋を用意するんじゃないかしら。夫婦で別の部屋にしたのかしら、ファーストクラスで、まさか。だとすると、残る可能性は――。

「分かったわ」

「本当かい、メアリー」

 ジェイミは目を見開いて驚いている。メアリーはジェイミのリアクションを無視して、早口で問う。

「ところでジェイ、どうしてラウンジが閉められたの?」

「それは今から貸し切りのイベントが始まるらしくて、乗務員が客をみんな出しちまったのさ。そんなことより、この眠り姫を早く親元に届けないと。きっと心配している。早速君が分かったという部屋へ行こう」

 ジェイミがカメリアを抱きかかえる。カメリアの青い目は半分ほどしか開いていない。今にも眠り落ちそうだ。

「いいえ、行くのは客室じゃないわ」

「どういうことだい」

 ジェイミはあからさまに眉をしかめる。列車はトンネルに入ったようで、窓は蛍光灯の光で等間隔に明るくなる。窓に背を向けているジェイミの顔が時々逆光となって見えにくいが、この子のことはどうでもいいのかと云いたげに眉を互い違いに上げているのがメアリーにも分かった。

「カメリアの部屋に心当たりはあるけれど、今訪ねても意味がないの。さあラウンジへ行きましょう」

「なぜだ? だって閉まっているだろ」

 ジェイミは慌ててメアリーの進路を塞ぐ。メアリーは落ち着いて話す。

「ラウンジが閉まっているのには理由があるのよ。じゃあ分かったわ、私の考えにはまだ推測があるから、もしジェイが知っていることだったら答えてほしいんだけど、乗客の中に英語が不慣れな人がいなかった? 例えばフランス人とか」

 ジェイミは今なぜそんなことを聞くのかが分からなかったけれど、メアリーの真っ直ぐでまばたきもしないライトブラウンの瞳に根負けして、答えた。

「フランス人のご婦人ならいたよ。英語が分からないようだったから俺が通訳した。それが何か、いや、もしかして」

「そう。カメリアはフランス人なのよ」

 当の本人であるカメリアはジェイミの肩でスースーと寝息を立てていた。

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