第8話 突如訪れたる美術部存続の危機

月曜日は基本的にエンジンが掛からない。いくら鍵をひねってみてもそうだし、いくらいいガソリンを入れてもそうだ。

しかし、今日の月曜日、この相原には見事なまでにエンジンがかかったのだ。理由はきっと、今日から彼女が編入してくるからだろう。


朝はいつもと同じ光景の中に呑まれていった。起床後の洗面所、そして食卓に並べられた朝食、家族との談話、そして登校。もし、いつもと違うとすれば、普段は静かな月曜の朝の教室が今日はやけに騒がしい事であろう。


「おい、知ってるか相原」


僕はいつものように眠たそうな顔でぼーっとしていると、隣席の橿原が声をかけてきた。


「なにが?」

「編入生だよ、編入生。今日から来るらしいぜ」


あぁ、やけに騒がしい理由はやはりそういうことだったのか。


「知ってるよ」

「なっ、情報過疎のお前がこの事を知ってるとは」

「情報過疎とは失礼な、僕は常に過剰に情報を得ないだけで、一般人並みには知ってるつもりだ」


まぁ、今回のことは例外だがな。


「ほう、そうか。じゃあ、編入生の顔は知ってるか?」

「それも、知ってるな」

「えー、お前どうしちまったんだよ。いつもは他人には大して興味を持たないくせに」

「ほっとけ」


僕らがこうして会話をしているうちに、前方のドアが開いた。担任教諭と宇山が入ってきたのだ。


「ほら、お前ら静かにしろ」


その一言で、教室の騒ぎは半分以上静まりかえった。僕らも会話をやめ、前を向く。


「まぁ、既に知ってる人もいるかもしれんが、今日からうちのクラスに新しいクラスメートが増える」


紹介お願いしますねと教諭は宇山に言って、一歩下がる。


「宇山綾乃です。色々とあってこの時期に編入しました。よろしくお願いします」


その後、宇山は一礼をする。

辺りを見渡すと、男子の大半は指を組み合わせて、お祈りの形をしていた。一部からは「ありがたやぁ」とか、「この余力だけで、後六十年は生きれる」なんて声が聞こえた。てか、余力だけで六十年ってどんだけだよ。

また、女子からも悪い声は聞こえず、「モデルさんみたーい」とか、「顔入れ替えてもらおっかな」なんて声が聞こえる。てか、最後、最後のセリフ怖いよ。

まぁ、何にせよ、良くも悪くもうちのクラスで良かったと心から思う。大して妬むやつもいないし、かと言って男は女に対してシャイだし。


「じゃあ、あそこの空いてる席に座ってもらっていいかな?」


 教諭は指示をする。

 そういえば、空いてる席はどこだっけな。僕は前方辺りを見渡した。しかし、空席は見当たらなかった。

宇山は歩く。ちょうど僕の席の近くに来て、少し目が合った。それからして、また宇山は歩き出した。僕はその姿を追いかけていたので、宇山がどこに行くのかを見た。彼女がたどり着いた場所はちょうど僕の後ろの席だった。

あぁ、そう言えば後ろの席空いてたな。

僕は改めて席の近さを実感し、前を向いた。

 その際には橿原が僕の耳に手を当て、「良かったな、プリント渡す時さりげなく手を触れるぞ」と言った。どんだけお前ウブなんだよ、小学生か! そうツッコミたくなる衝動を抑えて、僕は「アホか」と言って、軽く奴の頭を叩いた。

 そんなこんなしてるうちに朝のホームルームは終え、また教室は再燃化した。

男子は誰一人彼女に近づかないで、ただただ眺めているだけだったが、女子は好奇心を抑えきれなかったのか彼女の席に近づいた。


「ねぇ、宇山さん、どこから来たの?」

「宇山さん、モデルさんとかやってた?」

「宇山さんの肌とか髪すごく綺麗。何をしたらこうなるの?」

「宇山さんの目、私のと取り替えていい?」


とにかく、質問攻めだった。後、相変わらず最後のセリフ言ってる奴怖いからね。

まぁ、受け入れてくれるようで何よりと思っていたが、よく見れば宇山は僕に目でSOSの発信をしていた。たしかに、いきなりこう言う会話はきついよな。

僕は席が近いにもかかわらず、わざわざ立ちあがり、女子達に彼女を分かってもらえるよう紹介をした。


「改めて、彼女は宇山綾乃という。彼女はとても優しく、少し涙脆く、寡黙な点があり、料理がとにかく上手い。特に僕は彼女の煮豆とマッシュポテトが好きで、もう一度作って欲しいレベルだ。いや、ほんと煮豆とかすごいぞ。噛んだらな煮汁が出てくるんだ、煮汁が。最初は小籠包かよと思ったよ。また、マッシュポテトも上手い。丁度いい塩加減に、ジャガイモの食感をほのかに感じる潰し具合。それからだな‥」


紹介を一段落終えると、女子達は蔑むような目で僕を見ており、「キモっ!」という言葉だけ残して去っていった。あぁ、待て! まだ、紹介は終わってないぞ。僕は女子達にそう付け加えようと思ったが、ふと我に返って、立ち止まった。

おっと、危ない。また、長く語ってしまうところだった。僕はふと一息をついて、安堵した。

隣を見ると、橿原までもが「お前、彼女のなんなの‥?」と言って、見下した目で見ていた。あれ、語りすぎたか‥。

とりあえず、誤魔化す言葉もなかったので、『まるで将棋だな』というセリフで一括りしておくことにする。便利だな、この言葉。

改めて宇山を見ると少し震えながら、顔を赤くして顰めていた。


「話しすぎ」


その一言で僕は言い訳する気もなくなった。僕は頭を下げて、小さくも大きくもなく、丁度いい具合の声音で「すんませんでしたぁ!」と、謝罪した。

その後、僕のあだ名は変質者になったが、なんとか昼休みまでには江口が誤解を解いてくれたおかげで、変質者から保護者にグレードアップした。おい、あだ名自体が消えてないぞ。

そんなこんなで彼女の学校生活は僕のあだ名と同時に始まりを奏でた。



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