第5話 景色は多色多様に 2

 透明のパスポートは僕らを陽の国に入れることを許可した。

 そうして、また、暑い世界を僕らは歩き出した。


「宇山、無理はするなよ。やばいと思ったら、すぐ言え」


「うん」


 僕はとりあえず、自分の身よりは宇山の身が心配だった。従来、相原家は体が謎に強く、僕自身もその遺伝を受け継いでいるのか今までで一度も脱水症状、貧血に、熱射病、それら環境による健康被害を受けたことがなかった。そのことが体を強いということの証明付けには全くなりはしないが、とにかく僕はあついと言いながらも、自分の身をそれほど心配はしなくていいということはあるのだ。

 一方、彼女は。白い肌に、細い体つき、さらに滝のように流れるひとまとめの黒い髪を見たところ、おそらく外にはそれほど出てないのだろう。そして、今日は多分遠慮なく月最大の暑さ。この二つの要素は決していい組み合わせではない。例えるなら、アメリカとロシアぐらいの組み合わせだろう。だからこそ、僕は彼女を入念に丁寧に、この時期にスーパーで買ったソフトクリームを溶かさぬよう家まで運ぶように、扱わなければならない。だが、様子を見たところ今のところは心配はなさそうだ。

とりあえず、僕は先の見えぬ坂の先を向いて歩きだす。ただ、ひたすらに傾斜の負荷を受けながら。


 しばらくして、ようやく僕らは最後の坂の尻尾にたどり着いた。時間はどれくらいかかったのだろうか? 確認をしようと思ったが、暑さと、疲れと重さのせいか、全く時間のことなど関心がなくなってしまった。

 強い風が吹き出す。その風のせいか、僕らはようやく坂道を登れたのだと実感した。と言っても、僕は毎月上っているんだけどな。けど、彼女と上ったということはまたいつもとは違う妙な達成感がある。

 とりあえず、僕は労いの言葉を放す。


「お疲れさん。あとは、この鳥居を抜けて、階段を上ったら高台だ。高台までは木陰になってるから涼しいし、ゆっくり行こう」


 宇山は三度頷く。

 僕はそれを確認すると一度鳥居に入る前に頭を下げて、くぐった。

 中は僕らを迎えいれてくれているかのように見事な景色だった。僕は足の回転数を少し落としてその光景を見る。葉の間から漏れる光、それに照らされる苔、そんな光景を眺める小川。もし僕がこの景色を絵にして描くことができたのなら、その時こそは筆を捨てる時なのかもしれない。僕は未だに、こういった神秘的な景色を描くことができないのだ。けど、何となくだけど、僕には一生かかってもこのような世界は描くことができないのだなと思った。

 宇山も僕と同様に少し見惚れているのか立ち止まっていた。僕も足を止め彼女の視線先を見る。彼女にとってはこの景色はどのように映えるのだろうか。やはり、僕と同様に美しく神秘的な光景として見えるのだろうか。僕は少し彼女のレンズ越しの景色を見たくなった。彼女の抱える爆弾的な過去。それは不発弾などではなく爆発済みの過去で未だに彼女は後遺症を抱えている。そんな彼女はこの景色をどのようにとらえるのだろうか。もっと拡張的に言えば、彼女はこの世界をどのようにとらえているのか。やはり、醜く薄汚いと感じているのだろうか、それとも、曇り空のような見栄えのないように感じているのだろうか、それとも僕の思うこの光景のようにか。どうして、人は他人を理解することが難しいのか。どうして、人は他人の見る景色がわからないのだろうか。僕は思う。けど、それがわかってしまえば、世界は今よりもっと醜く、でも美しくなるような気がする。表も裏もなくなって、けど一体にはなれず、そんな世界になるような気がするのだ。だからそんな能力が全人類に備わらずとも、今のこの瞬間だけ僕はそれを欲した。


「ごめん、待たせた」


 宇山はいつのまにか隣で僕の顔を覗いていた。僕は少し驚きの声を出しながらも、笑いを見せた。

 まぁ、今彼女の見えている景色がどんなものであれ、今の僕ではどうにもできないのだ。だから、少しずつ時間をかけてでも、僕の愛しい日常を見せたいと思う。ただただ流動的に転がる日常を。


「いや全然待ってないから大丈夫だ。じゃあ、上るか」


「うん」


 少しだけ、ほんの少しだけ彼女の表情に変化があったような気がした。量子的レベルかも知れないけれども、思い込みなだけかもしれないけど、まぁ、変化したことにしておこう。

 風は吹き、木々は揺れる。それでも、木の葉は落ちることなく枝にしがみつく。何となく僕らに似てる、どうしてかそう感じた。

 僕らは膝を持ち上げながら、高台を目指す。あの坂道とは違ってどうしてか足は疲労を訴えることなく上がる。

 高台までは後、700m。看板が声を出さないで、そうアナウンスをした。

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