第6話 景色は多色多様に 3
高台は地球の丸さがわかるぐらいには高くないけれども、それでも地球の上にいることがわかる高さだった。
宇宙の風が吹き、恒星の恩恵を受け、生命として立つ。僕は生きてるのだなと毎回この地に来る度に思う。
僕は彼女を誘導して、一番見晴らしのいい日陰の場所へと連れていく。歩きながらも横目で見える街並みと青空は鳥居に入った時に見えたあの光景と似たように美しかった。
「ここらへんだったか」
僕は立ち止まって、カバンを探り、デジカメを取り出した。
「何をするの?」
宇山はきょとんとした顔で首を横に傾げ尋ねる。
そうだった。ずっと説明するのを忘れていた。
「いや、うちの美術部の伝統でな。毎月二週目の土曜日はここにきて、ここから見える光景を撮るんだよ」
「なんのために?」
「いや、それはわからないな。僕が入部したときは先輩がいなかったし、伊之瀬先生も知らないって言ってたから。けど、多分だけど、先代はここから見える景色の変化が好きだったんじゃないかな。実際に、写真記録には街並みの変化がわかるように並べられてるから」
「なるほど」
会話を終えると、僕はデジカメの電源をONにして構えた。もちろん、構える必要なんて一切ない。ただ、雰囲気を醸し出したいだけだ。
僕は三回、シャッターのボタンを押した。
そして、取れたことを確認するためにギャラリーを開いた。写真は目に映る景色と同じように写っており、一卵性のような何の変化もない三枚だったが、僕にとってはどれも違う写真のように感じた。
僕はまた電源ボタンを押して、カバンにしまった。
「これで、終わり?」
彼女は尋ねる。
「まぁ、そうだな。終わりと言えば、終わりだ」
けど、僕だけならまだしも、彼女もせっかく上ってきたんだからここで降りるのはもったいないよな。
僕はまたカバンを探って、二冊のスケッチブックを取り出した。
「けど、まだ降りるのはもったいないからな。ちょっと、美術部として背景でも書いていこうぜ」
「わかった」
僕は一冊のスケッチブックと濃さが異なる鉛筆三本と消しゴムを差し出した。
彼女は優しくそれを受け取り、表紙をめくった。
「あそこにベンチがあるから、座って書くか」
二度頷く。
僕は少し空いたスペースに鉛筆二本と消しゴムを置く。そして、街並みを見た。よくよく凝視すればそれは誰かが創ったミニチュアのように感じ、米粒のように動く人々はそのミニチュアを見栄えさせるために生かしているように見えた。
僕はえんぴつを握り、無心になって書き始める。最後に聞こえた音は、彼女が動かした鉛筆の先が紙と摩擦する音だった。
気づけば、腹が鳴っていることに気がついた。そういえば、朝から何も食べてなかったんだな。そんなことを考えると没頭状態は解除され突如ペンを握る気が失せてしまった。
僕は腹をさすりながら、彼女を見た。僕はてっきりスケッチブックに向かって集中しているのだと思っていたが、そうではなく街並みを眺めていた。
むき出しにされた彼女の絵は町の骨格だけが描かれており、そこから細かくは描かれていなかった。どうして、先を描かないのだろうか。
だが、それと言って推測する気にもならず、僕は尋ねる。
「絵の続き描かないのか?」
「うん」
どうして、と言おう思ったが、何となく言う気にはなれなかった。
とりあえず、両者ペンを握ることをやめていたので、僕は「これから、どうしようか」と言った。
返答までは少しの間があった。まるで、ここから街並みに向かって大声でアナウンスするように彼女には遅れて聞こえたのかもしれない。
いつものように消えそうな声で言う。
「その...、お弁当作ってきた」
彼女は重いカバンから重箱のようなものを取り出し、僕に見せつけた。
僕はマジかよと言う言葉を口には出さず、胸にしまった。
「そのー、それは僕の分もある?」
彼女はうなずく。
「マジかよ」
なんということか、僕の分まで作ってきてくれたなんて。一体夏だというのに春というのはどういうことなのか。青春なのか、これが青春なのか。けど、空は青いから半分青春みたいなもんだよな。僕は論外な納得と喜びをかみしめ、彼女に感謝する。ありがてぇ。
「これお箸」
しかも、割りばしじゃなくて家庭用の箸、これはいいな。
僕は二人分のスケッチブックと鉛筆と消しごむを回収し、ベンチのスペースをできる限りに空けた。僕と彼女の間には大きな重箱が置かれる。まるで休戦協定の書類のようにそれは重々しく感じられた。彼女はゆっくりと蓋を開ける。見たところ、どうやら三段構成になっているみたいだ。
まず一番上は色とりどりに敷き詰められた、まるで和を象徴する食材で並んでいた。そして、二段目は西洋、言わば肉だとか、マッシュポテトだとか。とにかく、どれも美味しそうだった。そして、彼女は三段目の箱を僕に差し出す。
見たところ、それは二種類に分かれた米だった。左が十五穀米、右が多分炒飯だろうと思う。組み合わせはどうかとも思ったが、見た目の完璧さと匂い、なにより女子の手作り弁当と言うだけでそこらの雑草を煮たものを出されても食えるような気がした。女子のパワーってすげぇ!
僕は手を合掌して、「いただきます」とできるだけ彼女に聞こえる声で言い、その思いと同じぐらいに強く彼女への感謝を表した。その際には宇山は気にしなくていいと言ってそっぽを向いていた。
早速、食にとりかかった。まずは、一段目の煮豆から食べる。
僕は豆一粒に対して無駄なほどに咀嚼を繰り返す。
そして、これを食べて最初にわかったのはこれらの料理にはきっとかなりの時間と手間がかかったはずだということだ。多分、この煮豆にせよ、隣の漬物にせよ、肉にせよ、米にせよ。間違いなく量的にも味付け的にもかなりの時間をかけて作ったはずだった。そんなことを思うと僕は非常に申し訳ない気持ちとありがたい気持ちが混在して複雑な感情になった。
しかし、箸は止めない。そんなことは二の次だというように僕は食した。
基本的に僕はよく食べる分類に分けられる。と言うよりも、多く食べることが可であるといったほうがいいかもしれない。つまり、出された量以上のものは食べないだけであって、出されたものはどれだけ量が多かろうと満足して食べるのだ。
僕は咀嚼しながらも彼女を見る。彼女も箸を動かしていたようで少し口の中を動かしながら、街並みを見ている。さきほどから、よく見ているが、何かあるのか?
僕は噛み切った食材を飲み込み、口に何も入ってないことを確認してから口を開いた。
「町になにかあるのか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど。でも、見てると心が軽くなる感じがして」
多分だけど、あの絵といい、彼女はこの光景の中を、街自体を好んでいないのだろうと思う。あれほど散々にして忙しくした街の生活に対して。だから、ここから見える光景にその本質と対比して少し見惚れたのかもしれない。僕は咳ばらいをしてから声を発した。
「遠くから見ればたいていのものは美しく見える」
彼女は僕の言葉に対して疑問を持つように顔を向ける。
「それ、あなたの言葉?」
「僕がそんな名言を考えられるわけないだろ。これは村上春樹作品にでてくるセリフだよ」
「どういう意味なの?」
「そのままの意味だ。遠くから見ればたいていのものは美しいんだよ。例えば、人もそうだし、ここから見える街並みもそうだ。あの飛んでる飛行機だって美しい」
でもな。僕は一言否定文を入れて語り続ける。
「実態はあまりきれいなものではない。例えば、あそこに見える米粒みたいな人にだってどこかしら人間として汚い性格を持ち合わせているかもしれない、あそこの米粒はもっとひどいもんを持ち合わせてるかもしれない。さらに、あそこのパン屋の隣にシャッターが閉まった建物があるだろ、あそこは仲のいい夫婦が花屋を経営していてな、誰から見ても幸せに見える家庭だった。けど、一年前に妻のほうが宗教にのめり込んだらしく破産したらしい。それで、妻はその宗教団体の幹部に、そして夫は首をつって死んだ。さらにむごいのが夫の残したい金もすべて貢ぐために使われたということだ。これはほんの一例に過ぎないかもしれないが、それでも遠くから見た美しいものの実態なんか大抵がきれいなものではないんだよ」
だから、僕は力説する。
「だからこそ、根を詰めないで、アンテナを張らないで、遠くから見るように生きるのが正解なのかもしれない。でもな、例外はある。それは本当に信頼できる人間に対してはそんなことをしなくていいということだ。僕は本当に信頼できる人間に対してだけ本当の自分をぶち当ててやればいいと思う。お前の真の性格と言うべきものはどんなものかは知らない。けど、僕はたとえどんな性格を持ってようとも信頼できる人間にならいくらでも受けとめ、それに応じるつもりだ。だから、徐々にでいいから少しでも僕を信用してくれたらいい。僕は既に美術部と言う時点でお前を信用しているから」
僕は話し終えるとジョグを取り出し、のどを潤した。今思えば、僕は一体なにを言ってるのだ、一体何の話をしているのだ。論理破綻や気持ち悪いセリフに対して、急に夏の暑さのせいにしたくなった。だが、頭はのぼせておらず、いたって正常のように感じる。
僕はやけになって箸を進めた。おいしいと感じながらも、後悔に味覚を支配されて変な味に感じる。それでも、僕は箸を進めた。本当に彼女の弁当はうまいのだ。僕は少し顔を赤くしながらも、彼女の分を配慮して胃を少しずつ膨らませていく。彼女は今、どのような顔をしているのかはわからない。いや、わからないというよりは確認したくない。
夏の木陰の中、僕は食事に没頭し、彼女は何かを思う。
奇妙なものだと思う。それでも、僕は誰かの泣き声が止むまでは何も触れないでおこうと思った。
遠方からは昼のお知らせが届いた。午後はより暑くなるので気を付けてくださいと、まったく、そう思いながら僕は箸をおいて、彼女の背中を優しくさすった。それがいつまで続いていたのかはわからない。けど、時間は暑さと共に伸びている気がして、どうでもいいように感じた。
七月の空、美しき街並み、その実態、そして彼女。僕の目に映る景色は一体何色でどのような形をしているのだろうか。わからない、けれどもすべてを一括りにしてそれを多色多様と呼んでも間違いはないと思った。
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