第4話 景色は多色多様に 1

 相原の二週目の土曜の朝は早い。

 休日の八時起き、デジカメのセット、運動靴の準備、その他適当なアイテムの詰め込み、未だに慣れないルーティンをこなして、部屋を出る。

 休日のため家族はまだ寝ているので、起こさぬようこっそり部屋を出て、あたかも泥棒のように廊下を歩く。

 静かなリビング、日が差し込む窓、元気なサボテン。僕はそれらを乗り越え、冷蔵庫からお茶を取り出し、コップ一杯分飲み干してから玄関口に向かう。

 完璧だ。完璧すぎる。

 人はここまで音を出さずに出来るんのだなと感心する。

 鍵を上から開けていく。

 ガチャリ。開いた事を証明する音は呼吸の音より大きく鳴って、空気は最大限までその振動を活用する。

 そして、ラストの下の鍵。これを開ければ家族を起こさずに家から出ることができる。

 僕は手を伸ばす、次に突起口をひねる。

 だが、事は上手くいかず、そこでポッケに入れた携帯は微動した。

 僕はまさかの失態を犯した。昨晩、携帯で音楽を聴いていたので、音量をマックスにしたままだったのだ。

 つまりどういうことかというと。携帯は朝日を待ちわびた鶏のように鳴いたのだ。クワイエット・プレイスなら死んでた。


 という事で、鳴ってしまったのは仕方ないので、豪快に扉を開ける。

 おはよう、みんな! おはよう、世界!


 音が鳴った原因は着信のためだったようだ。

 電話先は‥、どうやら井之瀬先生からだった。

 僕は躊躇せずに応答と書かれた画面を押す。


「はい、相原です」


「今大丈夫か?」


「大丈夫ですよ」


「今日は確か、高台の日だったね」


「えぇ、そうです」


「だったら、いきなりですまないのだが、綾乃を連れて行ってくれないかね?」


「宇山をですか?」


「そうだ」


 僕は少しだけ考えた。

 今から目指す場所は別にそれといって、何かある場所ではない。むしろ言えば、何もないが等しいだろう。多分、宇山は文句ひとつは言わないとは思うが。


「いいですけど、何かあるわけではないですよ」


「それは知ってるよ。別に私は君に綾乃とデートをしてほしいと言ってるわけでは

 ない、ただ単純に君の日常を見せてやってほしいだけで」


「そう言えばそうでしたね。わかりました。彼女が良ければ大丈夫ですよ」


「ありがとう。そう言うと思って、既に綾乃を出したよ。そろそろ、A駅で待ってるんじゃないかな。高台のついでだから迎えに行ってやってくれ」


「わかりました」


「頼んだよ」


 その言葉を最後に通話は途切れる。

 僕は携帯をポッケにしまい、走り出した。

 今思ったら、ここからA駅は走っても十分はかかるじゃねぇか!

 僕は彼女を長く待たせるわけには行かないので出来る限り出せるスピードを出して駅へと向かった。

 まだ、少し静かな街並み、その中で僕は全力で足音を立てていく。


 駅前は休日出勤(土曜が休日とは限らない)のサラリーマンが多かった。僕はそんな社会的鬱憤が満ちた空気をうまく避け、宇山を探した。 ありがたいことに、彼女はいい意味でよく目立っていたので見つけることは容易かった。僕は急いでそちらに駆け寄る。


「ほ、ほんと遅れてごめん」


 僕は額に汗を垂らし、息を切らせながら

 言う。いや、ほんとこの時期のノンストップダッシュは死にそうだ。だが、おかげさまで通常十分のところ、八分で到着することができた。と言っても、彼女を待たせたことには変わりはない。

 僕の言葉に対して、宇山はそんなに待っていないを意味してなのか、昨日より強く頭を横に振る。


「私も来たばかり」


「ほんとか、それは良かった」


 ポニーテールに、桃色のワンピース、それに白いカーディンを羽織った少女は昨日と比べ、印象がかなり変わっていた。


「まぁ、とりあえずここにいるのもなんだし、そろそろ行くか」


 宇山は一度頷き、僕の横に並ぶ。

 そうして、僕らは高台を目指すことにした。


 なんと言っても、この時期の高台までの道のりは地獄である。

 まず、第一関門の地獄の坂は先も見えない絶望を与えつつも、それを乗り越えたと思いきや、また同じような坂が続くという初見に軽く絶望を与える坂である。しかし、これさえ乗り越えれば、後は楽で階段を登るのみなので、実際のところ第一関門と言うよりは最初だけクライマックスという表現の方が正しいかもしれない。

 とやかく、今から僕たちは地獄の坂道を登っていく。


 それにしても、暑い。昨日の予報では今日が今月中最高の暑さになると報道していた。そこらを散歩している犬も流石にこの暑さでは元気も出ないようで、飼い主とともにロボットのように一定の速度でゆっくりと歩いている。

 犬達が僕らとすれ違った後、目先にはアスファルトと空が見えた。アスファルトはそのうち嘆きだしそうなほどに熱を放射し、それに反して、空は涼しそうなぐらいに蒼く、澄んでいた。そんな狭間を僕らは歩いてるんだなと少し感傷じみたりしてみる。

 僕は歩きながらも鞄からタオルを取り出し、顔を拭った後に、首元巻きつけた。よりによって、入れていたタオルは真っ黒で逆にそれが僕を熱くするのではないかと思う。

 僕は少し横目に彼女を見てみる。真っ白な彼女はそれと言って熱も感じないように涼しげな顔をしていた。しかし、手に持っている鞄が重いのか少し歩きにくそうだった。

 とりあえず、坂道はまだまだ続くので提案する。


「その鞄、多分重いんだろ? 持つよ」


 僕はそう言って、手を差し出す。彼女は大丈夫、大丈夫と言わんばかりに顔を横に振るが、見れば見るほどにその鞄は重そうなので僕は遠慮するなと言い、より鞄を受け取りやすいよう手を出した。


「あ、ありがとう」


 彼女はそう言って、僕が受け取りやすいよう取っ手を向けて、鞄を渡した。僕は全く気にしなくていい、と言って受け取る。

 しかし、これまた鞄はかなり重かったのだ。僕は突如、右手にかかった負荷に負けぬよう、懸命に力を入れて平然を装う。へっ、陰属文化系男子を舐めるなよ。

 ほんと、この鞄を持ちながら坂道歩いてるとギブと言いたくなる辛さだが、こんな辛さを華奢な彼女にさせる事を考えると、俄然として鞄が軽く感じてくる。いや、冗談抜きでこの鞄持たせて宇山を歩かせるのはダメだと思うわ。


「なぁ宇山、この鞄に何が入ってるんだ?」


「水筒と、後は秘密で」


「さいですか」


 しかし、秘密と言われると気になるのが、人間の性。はるか昔から、人類は秘密に満ちた世界に対し好奇心や興味を持って、開拓や発明やどをして生きてきた。そして、その習慣は何万年と経つ、今もなお引き継がれているのだ。よって、僕も秘密に対して気になるのは当然の理。

 だが、そこに一つの条件が加われば男は手を引かねばならない時がある。それは乙女の秘密だ。だから、この鞄に爆弾が入っていようと、埋蔵金が入っていようと男は乙女の秘密を探ってはいけないのだ。


 それにしても本当に暑い。笑顔だけが取り柄です! みたいな感じで暑さだけが取り柄です! と紹介しているのかと思うほどに暑い。いや、本当暑いよ。お前は某テニスプレーヤーかよと言うぐらいあつい。

 涼しげな顔をしていた彼女もそろそろ暑さには耐えきれなくなったのか、下を向き、少し息を切らせ、汗を垂らしていた。


「取り敢えずこの坂道を登ったら、トタン屋根とベンチがあるから、そこで休もうか」


 彼女は賛成の意を込めてうなずく。


 第一目的地までは僕が休憩の提案をしてから、間も無く着いた。

 取り敢えず、僕らは座り込み、呼吸を整える。いや、しかしまだ坂道があると考えるとプチうつになってしまう。僕はため息とともに溜まった疲れを吐き出す。

 取り敢えず、僕は飲み物を買っていなかったので、近くの自販機に買いに行くことにした。

 宇山も水筒は持ってきていると言っていたが、一応聞いてみるか。


「今から飲み物買うけど、何か飲む?」


 顔を横に振る。


「その、あなたの分の水筒も持ってきた」


「へ?」


 言ってる意味があまりよくわからなかった。たしか、僕の分の水筒も持ってきたと言ったよな。

 彼女は鞄を探り、大きな水筒を僕に差し出す。なんと、ジョグだったのだ。重い原因ってこれじゃねえのか...。

 とりあえず、僕は彼女の厚意を受け取るべくその水筒を受け取ることにした。いや、ほんと気が利きすぎてないこの子。


「いや、悪いな。じゃあ、遠慮なくもらうよ」


「うん」


 僕はかなりのどが渇いていたので、非常にお茶がおいしく感じられた。しかも、麦茶だし。

 彼女自身も自分の水筒を持ってきているらしく、そのサイズは僕の比べ一回り、二回り小さかった。

 僕は大きな水筒を手に、舗装されたアスファルトを見た。日の当たる部分はまるで違う世界のようで、こちらから向こう側には行けないような気がした。

 陰に身を置く僕ら、暑さのなか懸命に鳴く鳥、まだ続く坂道、夏はまだまだ長いように感じた。




























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