第3話 彼女は真っ白のカンバス 3

 僕は髪を15分ほどで切り終えてもらったが、彼女はまだ髪を切っている最中だった。

 よって、僕らは小野さんの邪魔にはならないよう、部の端の椅子に腰を掛けて話し合った。


「しかしな、お前が女を連れてくるなんてな」


 江口は揶揄するように僕に言う。


「まぁ、事情があってな」


「事情? まぁ、聞きたいところだが、遠慮しておこう。どうせ、そんな単純な事情ではないんだろ?」


 昔から江口という男は物分かりが良く、察しが良かった。僕が今でも彼と仲良くしたいと感じているのはこういう点もあった。


「助かるよ。まぁ、お前の言う通りあまり単純な事情ではないな」


 なるほどねぇ、と江口は言って、ここから髪を切られている宇山を見た。


「しかし、俺は彼女を一度も見たことがない。学年一つ下か?」


「いや、俺たちと同級生だよ。この時期に編入してきたそうだ」


「へぇ、同い年。これはよろしくしてもらいたいところだな」


「仲良くしてやってくれ」


「なんかお前保護者みたいだな...。ちなみにクラスは?」


 そいうえば、聞いていなかったな。僕と江口は今年は同じクラスだが、果たして彼女はどうだろうか。しかし、少し不安があるから同じクラスになってくれるとありがたんだけどな。


「わからないな。後で聞いてみるよ」


「あぁ、聞いてみてくれ。でも、俺らのクラスだと女神扱いされそうだな」


 僕は正直驚いた。いや、別に女神扱いされるのはわからないことはないのだが、それ以前にどうして彼女の顔がわかったんだ?


「なんで彼女の顔がかわいいことがわかったんだ? 顔は隠れていたはずだろ?」


 江口はやれやれといわんばかりにため息をつく。


「な、なんだ」


「まぁ、お前をカットしている時に横を見ればわかることだが、それ以前に俺は雰囲気で大体はわかると前にいっただろ」


 そういえば、そうだった。彼もまた偶然にも僕と似たような能力を持っているのだ。だが、僕のよりはこいつのほうが明らかに有用な能力だ。羨ましい。


「確かにそうだったな。で、やっぱり女神レベルの雰囲気はあったのか?」


「それはもう」 


まぁ、僕も実際に彼女の顔をしっかりと見たわけではないが、あの瞬間でも美しいとわかったんだ、まぁそれぐらいの雰囲気はあるのだろう。

『だが』江口は一言断りを入れる。


「彼女はその雰囲気以外にもいろいろなものを内含している。その正体がなにかはわからないが、いいものでもなさそうだ」


「そこんところは大丈夫だ。熟知してるよ」


「そうか。ならよかった」


 こうして、僕らが話しをしているうちにようやく宇山のカットは終えたようだ。

小野さんはこちらに向かって、少し興奮気味に話す。


「部長! 彼女の髪すごいんですよ、あれほど長いにも関わらず、ダメージ一つない非常にきれいな髪でして。それから、それから...」


 江口はひたすらに小野さんが話す『宇山の髪論』を聞いていたので、僕はこっそり立ち上がり、宇山のもとに立ち寄った。

 彼女は僕が言った要望通りしっかりとその形にカットされていた。

 僕は彼女を見た。今改めて顔を見るとやはり美しく、そしてかわいかった。まず、なんといっても、長いまつ毛に、そして大きな目、整った顔立ち。これほど、完璧であるのなら逆に批判する部分を見つけることの方が難しいだろう。

 とりあえず、僕は彼女にかける言葉を探した。


「えっと、お疲れ。その髪、究極的に似合ってる」


 こんな感じでいいのだろうか。てか、究極的ってこういうところで使う言葉じゃないのよな。

 が、彼女はそれといって僕の表現に不満な顔でもなく、ありがとうと言った。うむ、そう言われるとなんか照れるな。

 そうやって僕が少し照れていると彼女は僕に少し近づき言った。


「ポニーテール」


「ん?」


 彼女は一つの単語を口にした。うむ、ポニーテールとはなんだろうか。


「あなたがポニーテールやりやすいようにって、この髪にしたんでしょ?」


「あぁ、そういうことか。そうだ、いやほんとは種類を知らなくてな、ポニーテールにしやすい髪にしてほしいって言ったんだ。まずかったか?」


「そんなことはない」 


 彼女はそう言って、頭を横に振る。多分、これは癖なんだろうか。僕も気に入った。


「これもらった」


 彼女は僕に黒い輪の物体を僕に渡した。多分これは髪留めゴムだろう。


「これがどうかしたのか?」


「やってほしい」


 宇山は僕と逆のほうを向く。これは多分、ポニーテールにしてくれということだろうか。彼女は髪の毛を寄せ集める。


「けど、僕はポニーテールの結び方なんかしらないぞ」


「適当でいいから」


 しかし、そう言われてもな。だが、僕が動かなければ彼女はずっとこの形で保たれていそうだ。


「わかった。けど、立ってままは難しいから座ってもらっていいか?」


 彼女は『わかった』と言って、さきほど髪を切っていた場所に座り込んだ。

 僕もそちら側に向かう。僕らの後ろにいる小野さんはまだ語っていた。

 僕は彼女の寄せた髪を受け取り、不器用ながら輪を通し、何重にして結んだ。

 多分、これでいいんだろうか。


「終わったぞ。あってるのかどうかはわからんけど」


 しかし、地味にポニーテールにするのは難しいものだな。なにせ、どの部分を結ぶのかが難しい。僕は中間地点あたりを目安に結んだが、実際他の人はもう少し上の方で結んでいたような気がする。

 彼女は立ち上がる。


「どう?」


 彼女は僕を見る。しかし、『どう』と言われも難しい。僕は女子に対してかける語彙をそれといって持ち合わせていないのだ。けど、正直に言えばいいのだろう。


「さきほどの十倍はかわいくなった」


 これでいいのだろうか。


「よかった」


 宇山はそう言って、窓側に顔を向けた。

 今彼女はどのような顔をしているのだろうか。喜んでいるのだろうか、それともなにも思っていないのだろうか、もしかすると『後でセクハラ事案で井ノ瀬先生に訴えとこ』なんて考えているかもしれない。てか、最後のやめて! セクハラ基準低すぎ!

 けど、僕はほんの少しだけ彼女に近づけたような気がした。

 あっ、そういえば聞きたいことがあったんだった。


「なぁ宇山。お前クラス、どこなの?」


 宇山は顔を動かさずに言った。


「あなたと同じ」


「そうか。よろしくな」


「多分、あなたにすごく世話になる」


「気にするな。俺もお前にその分世話になるつもりだ。ほら、特価交換ってやつな」


「あなた、少し変わってる」


「言うな。てか、ちょっと変わってる方が生きやすいんだよ」


「そう」


 こうして、僕らの会話は終わる。


 柱時計を確認すると、そろそろ下校の時間だった。彼女は床屋っていっても外の方だと思っていたためか、鞄を持ってきているが、僕は美術部置き忘れていた。

よって、すぐに部室に戻りに行く必要があったので、僕は江口達に一言お礼を言いに行った。


「江口、小野さん、今日は助かった。是非ともお礼はまたするよ」


 僕が彼らに話しかけるときには小野さんの話は終わっていた。

そして、小野さんは笑顔で『うっす。後、次来るときも彼女を連れてきてください』と返事をし、次に江口は少し疲れた顔で言う。


「あぁ、了解。それで、彼女はどこのクラスだったんだ?」


「おんなじクラスだそうだ」


「そうか。月曜日は騒がしくなりそうだな」


「まぁ、僕もそう思う」


 まぁ、そのことは月曜日にと。未来のこととして今考えるのはよしておこう。


「じゃあ、時間ないから出るわ」


「了解。じゃあ、また月曜日な」


「おう」


 僕は軽く江口と別れを済ませて、ヘア研から出ていった。その際、宇山も少しだけ頭を下げていた。


僕らは歩く。廊下は下校の生徒も多いためか非常に騒がしかった。

もう少しすれば、お別れポイントなので一応聞いておく。


「僕は美術部に戻るけど、宇山はどうする?」


「私は井ノ瀬先生のとこに行かないといけないから」


「おぉ、そうか。じゃあ、ここで別れだな。これからよろしくな」


 彼女は少しだけうつむく。多分、何かを言いたいんじゃないのだろう。


「どうかしたか?」


 宇山は僕と顔を合わせる。その眼は少し潤んでいた。


「私、さっきも言ったけど、あなたにきっと迷惑をかけると思うの。だから、だから...」


 彼女の言葉は徐々に消えていく。僕は彼女の背景をある程度は聞いてきた。その背後には恐ろしく、醜い、激烈な悪魔が潜んでいることを。多分、僕にはそんな言葉だけを聞いても全く分からないのだ。それは自分にしかわからない、言えば角度的悪魔で僕らには見えないようになっているのだ。

 僕は改めて彼女に何を言えるだろうか? 

 数々な言葉が消滅していく中で、僕は一言、たった一言生き残った言葉を音にして紡いだ。


「大丈夫。僕に任せろ」


 大いなる言葉には大きな責任が伴う。まるで、ベン・パーカーのセリフみたいだ。けど、僕はその役割を、その責任を全うして見せよう。

 僕だって、男だ。言葉の重みぐらい知っている。

 彼女は僕を見てほんの少し涙を流した。その涙一つにはとんでもない負荷があるように感じられた。


「ありがとう」


 宇山はそう言って、この場を後にした。

 さて、僕も鞄を取り戻って帰るか。

 校内では、多くの人に絵と色が伴っている。誰一人、両者は欠けず、健全に生きている。けど、彼女は違う。彼女は両方が欠けているのだ。

 僕は急ぎ足で美術室に戻る。階段を駆け足で登り、廊下を走る。

 僕は今日、非常に不思議な体験をした。けど、この体験は今後も続いていくのだ。

 息を切らせながら美術部に入り、僕は机にポツンとおかれたペンを握り、彼女が書いた絵の左端にこう書いた。『うやま あやの』と。

 こうして、僕の長い長い一日はようやく幕を下ろしたのだ。


 

 

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