第2話 彼女は真っ白のカンバス 2


 僕は井ノ瀬先生と別れて、美術部に向かうことにした。

 少しだけ僕の体に緊張感が走る。けど、大丈夫だろう。何とかなるはずだ。

 井ノ瀬先生と歩いてるときはすべての距離が伸びているような気がしたが、それは錯覚であったかのようにあっという間に美術部に到着した。

 少しだけ、息を整える。それから、数秒して僕はドアを開けた。

 僕が部室に入って最初に見えたのは未完成の一枚の絵だった。それは説明するのは非常に単純で、見事な絵だった。

それは一枚の風景画だった。多分、この部屋の窓から見える街並みを写生したのだろう。写真とまではいかないが、非常に細かな部分まで絵に反映されていた。

これは並大抵の技術でできることではない。

 僕はいきなりも馴れ馴れしく話す。


「絵、すごい上手いな。何年ぐらい書いてたんだ?」


 彼女は僕のほうに向けて、指を三本出した。三年か。


「いや、三年でこの出来はすごい。僕も今年でちょうど四年目だけど、一向にも絵がうまくならない」


 僕は本心で感心して言った。いや、でもほんとに三年でこの出来はすごい。

 が、彼女は頭を横にぶんぶんと振っている。なにか違うのだろうか。


「三週間」


「は!?」


 三週間! 三週間でこの出来…だと!? 精神と時の部屋基準じゃないよな?  やばいな、この子とんでもない画才があるのでは。


「えぇ、まじかすごいな。独学で学んだのか?」


「井ノ瀬先生と本で」


 まぁ、半分独学のようなものか。しかし半分独学でここまで影や遠近をうまく用いれているのは素晴らしい。いや、ほんと素晴らしすぎる。


「いや、ほんと部長の座譲るぞ。どうだ?」


 僕は本心で聞く。

 だが、宇山自身、先ほどと同じように頭を横に振っているのでその座はいらないのだろう。


「私、書くのはあんまり好きじゃないから」


「そうか。しかし、どうして書くのは好きじゃないのに、三週間も練習したんだ。後学のためか?」


「あなたと話を合わせるためと、井ノ瀬先生が」


 なるほどな。それでわざわざここまで技術をあげて。


「事情はわかったよ。けど、僕は別に美術脳な人間ではない、むしろ僕は興味のない部類に入る」


「なら、どうして、美術部に入ったの?」


「まぁ、中学の時の先輩の影響でな。当時はかなりやる気があったんだけど、先輩が卒業してからはそれほど興味がなくなってしまったんだ。でも、高校は非生産的な日々を送る予定はなかったから、どうせならやっていた美術部にとね」


 彼女は大して頷きも、相槌もしなかったが、話は聞いている様子だった。

 よかった、思った以上に話は出来ているみたいだ。けど、一つ彼女の像をつかむことを難しくしているものがある。そう、髪の毛だ。さすがに長すぎる。

 僕は少しだけ自分の髪の毛をいじってみる。そういえば、僕も二か月ほど髪を切っていなかったな。

 そうだ。一度提案してみるか。


「なぁ、宇山。その髪の毛は切らない主義か?」


「そんなことはない。切る機会がそれといってないだけ」


「そうか、なら今日切りに行かないか。すぐそこなんだけど」


 さすがに女子に髪の毛一緒に切りにいかない? と提案したのは男でも僕が初なんじゃないのだろうか。

 返答は…。


「うん、邪魔だから切りたい」


 彼女は人差し指と中指で髪の毛を挟んで言った。

 よかった。どうやら、勧誘は成功のようだ。

 とりあえず、承諾してくれたようなので僕は立ち上がり、向かうことにした。


「じゃあ、行こうか」


 彼女は少しだけ頷き、僕の後ろに少し間を空けてついてきた。

 外はもう、日ではなく夕日になっていた。


 まず、今の時点で彼女は間違いなく一つの誤解をしているだろう。現在、僕らは床屋を目指しているが、彼女は多分学校の外の床屋と思っているはずだ。だが、無理もない。床屋というのは普通学校にはないのだから。しかし、この学校にはある。不思議な部活ランキングのトップ10にも入り込んでいるヘアー研究部という部が。

その部は旧校舎の一階の渡り廊下の端にある。つまり美術部の二階真下にあるということだ。だから、僕らは今から階段を下って、また長い廊下を渡っていくのだ。僕としてはいったい何度階段を上り下りするのだろうか…。

 目的地に到着した。今、彼女は多分、少し動揺しているとは思う。なにせ、学校の外にいかないで、ヘアー研究部と書かれた看板の前にこうしているのだから。僕も一切事情を説明していなかったのは悪かったと思う。

 僕は四度ノックする。

 本来、ヘアー研究部は髪の毛のカットはしていない。というのも、それをしてしまうと客が多く来て本来の活動ができなくなるからだ。ちなみに、本来の活動とは髪の毛のことではあるのだが、育毛のことに関して研究しているらしい。また、その話題に敏感な教師も多いので、この部の資金は潤沢だ。だから、けっこう設備も整っている。

では、なぜ僕は今からこの部にカットを頼むことができるのか? 簡単な話、ただこの部の部長と知り合いだからだ。


「うん、カットか?」


 ドアはゆっくりと開けられる。その中からはやたらと天然パーマーの男が現れた。この男こそがこの部の部長、江口だ。

ちなみに、この部へのノック4回は『カットお願い』の暗号だ。


「いきなり悪いな。カットいける?」


 江口は少し待ってくれと言い残し、また部室に入っていった。それから、10秒もたたないうちにまたドアが開いた。


「大丈夫だ。入ってくれ」


「悪いな」


 僕は宇山を先導して、中に入った。

 

 中はかなり涼しかった。クーラーがかなり効いているのだろう、羨ましい。僕の部なんか費用が少ないから扇風機しかない。


「さて、いらっしゃい。今日はどのような髪にしましょうか?」


 江口は店主を気取って接待する。だが、すぐに俺ともう一人の気配を感じ取って普通の態度になる。


「うお、お前ひとりだけじゃないのか」


「あぁ、てか本命は彼女だな。けっこう長いから頼むよ」


「みたいだな。おーい、小野―」


 江口は大きい声で呼んだ。多分、部屋の隅で道具を整理している女子生徒が、小野と呼ばれている人だろう。小野という生徒は声を聴き次第すぐさまこちらに向かってくる。


「あぁ、そういえば、相原が前にカットした

時はいなかったんだな。こいつは小野、一年だ。少ない部員の一人」


 小野という生徒は『うっす』と、不愛想な返事をして頭を下げた。てか、女でも『うっす』って言葉使うの? なんか、『うっす』って言葉だけ見ると髪の薄さを嘲笑っているようだ。


「彼女のカットを頼むよ」


 江口は小野さんに言う。もちろん、小野さんの返事は『うっす』だった。

 しかし、大丈夫だろうか。僕は少し心配になったので、江口に耳打ちで聞くことにした。


「なぁ、小野さんっていう人大丈夫なの? 生徒だからしょうがないけど、うまいほう?」


「ん、技術のことか? それなら大丈夫だ、俺でも歯が立たん」


「まじかよ。お前も相当上手いと思ってたけど、それでもあの子のほうが上手いのか」


 正直驚いた。こいつの腕は僕自身もかなり評価しているつもりだったけど、それでも敵わないんて…。


「僕、彼女にカット頼もうかな」


「あほ。お前のカットは簡単だから、俺で十分だ」


「冗談だよ。じゃあ、頼むよ」


「おっす、任せとけ。いつものでいいよな?」


「あぁ、いつもので」


 僕は窓側に用意されいる高級な椅子に腰を掛けた。ふむ、さすが、ヘア研いい椅子を持ってらっしゃる。


「あの、江口部長の友達さん」


 僕は少しくつろいでいたので呼ばれていることにはすぐに気づかなかった。多分、部長の友達は僕のことだろう。

 僕は声の主のほうを見る。やはりそうだった、小野さんがそこにいた。


「どうかした?」


「いえ、どうかしたわけではないんですが、彼女が髪の毛のカット具合を先輩に決めてもらいたいそうで」


「えっ」


 僕はすぐさま隣に座る彼女を見た。彼女は今こちらを見ておらず、窓からの景色を見ていた。

 まさか髪の毛を僕に任せるのか? しかし、僕は女性の髪の種類なんてまったく知らない。せいぜい知っていても、ツインテールとポニーテールとシュシュぐらいだ。てか、ツインテールとポニーテールはその種類に入るのか。後、シュシュは関係ねぇ。

 とりあえず、宇山に聞いても『あなたが決めて』の一点張りをされそうなので、僕が決めさせてもらうことにした。


「えっと、顔が見えるようにと、後ポニーテールがやりやすいカットで」


 多分、仮に僕が女で、美容院に行ってこんな注文をしたら腹を抱えて笑われるかもしれない。仕方ないんだ! 僕は女に疎いんだよぉ...。

 と、少し弱い人オーラを出していたが、そんなことを一切気にする事なく小野さんは『うっす』と言って、宇山の場に戻っていった。

な、なんて、かっこいいんだ、小野さん

「大丈夫だよ。小野はむしろああいった注文のほうがやりやすいんだ」


 江口は散髪ケープを僕にかぶせ、そう言った。


「お前の部員は有能だよ。ほんと」


「まぁな。なにせヘア研だ、こんな部なんかああいう変わってるけど、手先器用な奴しか来ないからな」


「ほんとその通りだ」


 僕らは笑いあう。今その光景を誰が見ているだろうか? 僕と彼女は夕日に照らされながら、ほんの少しだけ質量を落としていく。

 きっと、僕はこの日常を愛している。ただ忙しくすぎるこの日々を愛している。だからこそ、僕はよりこの日常を彼女に触れさせてやりたいような気がした。

この志が夕日と同じくどこかに沈まないことを祈る。

僕らは回転体の上を歩く。そして、天蓋には美しき星を、そして明日を。大丈夫だ、彼女はきっと僕が何とかして見せる。

 僕はそう思いながら、少しずつ夕日に照らされ落ちていく髪を眺めた。



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