第409話 バレンの火事

 特別授業が終わり、目的の塩も買ったので、私達は帰路に就いた。 エルフの森で採取をして帰ろうと、都市国家バレンを目指す。途中にあまり大きな町はない。


「師匠の素晴らしさを伝える授業が出来ませんでした……」

 セビリノが後悔を滲ませた口調で呟く。ベリアルとエクヴァルは小さく笑った。

「いいんじゃないの? 現役宮廷魔導師のお話が聞けて、嬉しそうだったわよ」

「いえ。イリヤ様崇敬会の会員を増やすのが私の使命です」

「それ、本気でやってるの!??」

 大げさに吹聴ふいちょうしてまで、勧誘しようとしないで頂きたい。そもそも会員を増やして、どうするつもりなのかしら。謎すぎるわ。


 バレンに近づくと、太く黒い煙が天に向けてたなびいていた。火事だわ。地上にいる人々も煙を見上げている。煙は草原にある町の、外れの方から発生していた。建物はまばらな場所で、どうやら火災は建築資材置き場で起きているよう。大きな倉庫があり、脇には木の柱がたくさん積まれていた。

 資材が燃えた煙なのね。

 地上では勢いよく燃える炎に水を撒いたり、倉庫の近くにある宿舎から、荷物を持って逃げたりしている。

「消火を手伝った方がいいよね」


 私も手伝おうかと思っていると、エクヴァルが声をあげる。

「あっ、イリヤ嬢、上!」

 言われて見上げれば、敷地の上空に低い黒い雲が集まっていた。地上ばかり気にして、気づくのが遅れたわ!


「掴めぬもの、浸透するもの、水よ。層雲となりて低きを漂い、はらはらと白糸の姿にて舞い降りよ。乾いた大気に潤いを与え給え。プリュイ・ナンビュス」


 詠唱が聞こえる。雫がポツリと頬に落ちた。雨を降らせる魔法だわ。

「ちょっと離れた方が良さそうね」

 キュイが旋回するが、逃れるよりも早く降り始めた。範囲は火事場より広くなっているものの、雨粒は小さくて勢いも弱い。これでは火は消えないだろう。

「うわー、濡れた」

「大丈夫? 私は庇わなくて平気だよ……」

 エクヴァルはリニに覆い被さるようにして、雨から庇っている。

 ちなみに私は全く濡れていない。ベリアルが雨を消しているのだ。セビリノも間に合わなくて濡れている。全員分やればいいのに。


 私達は雨の範囲から外れた場所に移動した。

 広場に魔法使いと、複数の兵がいる。

「っひゃ~、やったわよ。火の勢いが強すぎて、あんまり効果がないと思うけどなぁ……。あと何回やらせるつもり?」

「鎮火するまでだよ」

「うぐ~、金を払いなさいよ!」

「罰として労働させられているのに、払うわけないだろ。そもそも僕はただの監督官だし~」

 短鞭たんべんのようなものを持った男性が、呆れたように肩をすくめた。悔しがる女性の脇には、黒豹姿の小悪魔もいる。


 あれはバレンの軍の元魔導師、テクラとエッラだわ。

 テクラは盗賊にお金で広域攻撃魔法まで教えて、自身はバレンが開発した秘匿魔法を漏洩しちゃった、とんでもない魔導師。

 国に送り返した後、償いとして奉仕活動でもさせられているのかしら。思いの外、軽い罰で済んでいる。ただお金大好きな本人からすると、厳しく感じるのかも。

「アレアレ! ベリアル様……!」

 黒豹エッラがテクラの袖を噛んで、必死で知らせる。

「ぎゃー! 元凶がやってきた!」

「元凶はアンタでしょ、テクラ!」

 私達を見上げ、テクラは大騒ぎ。攻撃してきたのはそちらですよ。


「知り合いの魔導師? 助けを求めても無駄だからね」

「助けるどころか、地獄に落とされるわよ!」

 雨は止んでも火は燃え続け、消火活動はまだ続いている。

 テクラと監督官はそんな緊迫する状況の中、楽しく言い争いをしていた。周囲にいる兵が苦笑いで止めようとするが、耳に入らずに更にヒートアップしている。

「エッラが里帰りするのかい? 単にテクラが見放されただけじゃない?」

「キー、何てヤツ! 何てヤツ!!!」

「もう忘れたの?」

「知ってるわよ、バーーカ!!!」


 ほとんど子供のケンカだわ。ベリアルが来たので、エッラは黒ヒョウ姿で頭を下げていた。

 ケンカをしている二人の近くに降りると、周囲の兵が武器を持ち直して警戒を見せた。

「貴女達は、ここに何の用ですか?」

「えーと……、そちらのテクラ様に襲われたことがある人間です。消火活動の手伝いが出来たら、と思いまして」

 テクラとは友達でもないし。考えみれば、迷惑を掛けられただけだわね。周囲がザワッとする。エクヴァルとベリアルは小さく吹き出して笑った。二人は笑いのツボが似ている気がするわ。

 エクヴァルとセビリノは、弱い風の魔法を使って服を乾かしている最中。着替えないと行けないほど濡れていない。リニは申し訳なさそうにエクヴァルを見上げている。


「ぷぷっ。いやまあ、確かにそうだね」

「他に言いようがなかったんだもの。あ、秘匿魔法の詠唱は合ってましたか? せっかくなので確かめたくて」

 答案を提出して、回答が返ってきていない気分。気になる正解率。

「蒸し返さないでよ! アレのせいで労役ろうえきさせられてるんだって!」

「この人達のせいにしないのっ! アレ以外にも原因はあるでしょ!」

 テクラが怒鳴り、エッラが宥める。私に声を荒らげてベリアルに睨まれたくないのだ。


「詠唱を書き出した方ですか!? 僕も拝見させて頂きましたが、かなり正確でした。しかも魔力が安定しやすく、発動が早く改良されてましたよ! 一見で書き出されたんですよね、素晴らしい才能をお持ちで。もしお勤め先をお探しでしたら、我が国はいつでも歓迎です!」

 不満げなテクラとは反対に、監督官は大喜び。合格ラインみたいね。

「無事に再現されていたようで、安心致しました」

「そりゃあもう、むしろ参考にして改良中です」

「結果オーライじゃん。だったら私を減刑して」

 口を尖らせて、ぼやくテクラ。エッラもお手上げね。


「……師匠。ご歓談中に申し訳ありませんが、火事が広がりつつあります」

 おおっと、話をしている場合じゃなかったわ。セビリノの視線の先では、一旦弱まった黒煙がさらに太くなって天へと流れていた。

「消火活動をお手伝いさせてください。雨を降らせる魔法を唱えます」

「それなら罪人テクラにやらせてますので、お気遣いなく」

「罪人言うな!」

「いえ、アレよりも強い雨を降らせます」

 話が中断されちゃうし、この際テクラの主張は無視でいこう。

 監督官は目を大きく開いて、驚いた様子だった。この国では学んでいないのかしら。森林火災など大規模な火災の際には必須なので、多くの国で使われている魔法よ。

 ただし魔力の消費が大きいから、使い手は少ないらしい。


「是非ともお願いします! 燃えやすいものが多く、消火が間に合っていません。どんどんと燃え移っているのが現状でして」

「お任せください」

 人々が火元はどこだ、と噂をしながら移動している。だんだん火災の範囲が広がるので、不安が増しているわ。

 水の属性を得意とする私が、魔法を唱える。なるべく強く降るよう、セビリノに魔力を供給を要請した。セビリノの魔力も加われば、百人力よ。深呼吸をして黒い煙を睨み、詠唱を開始する。


「雲よ、綿々と広がり覆い尽くすまでになり、蒼天を閉じよ。天霧あまぎる霞の内に、天の窓よ開け。一億の雨粒を我に注げ。砂漠をも潤す、尽きない白雨はくうを降らせたまえ。サン・ミリオン・レイン」


 たちまち真っ黒に染まった雲が沸き、集まって辺りが暗くなる。

 大粒の雨がポツンと落ちた。それを皮切りに雨足は強くなり、あっという間にどしゃ降りの雨になった。

 ザアザアと降って雨が地面を絶え間なく叩き、火が弱まる。さすがにまだ消えないわね。

「ありがとうございます、次はテクラ、今の魔法を使って~」

「一度で覚えられるわけないじゃん!」

 間髪を容れず、テクラが無理だと反発する。何事もチャレンジなのに。

 結局テクラは試しもせずに、先程自分が唱えた同じ魔法を再び唱えた。とはいえあと一押しだったし、これで大体、大丈夫かな。


「いやあ助かりました! 残りは他の者達が対処します。後程お礼をさせて頂きますね。あの事件に関わった、チェンカスラー王国在住の魔導師様ですよね」

「はい、イリヤと申します」

「泊まっていってくれれば、おもてなしさせて頂くんですが……」

 監督官が窺うような視線を向ける。さすがに泊まらないわ。

「いえ、エルフの森で採取をして帰るつもりです」

「あ、ちょうどいいですね。テクラをエルフの森まで同行させてもらえませんか、森の調査をするんです」

「森の調査……ですか?」

 エルフや他の種族も住んでいるから、あんまり我が物顔で調査されるのもなぁ。それにテクラの方が首を横に大きく振って、嫌だとアピールしているわ。


「ええ、森にはエルフや獣人族の村がありまして。他にドワーフが数名、集まって生活をしているとか。今回の首長は、そういうのを把握して必要なら援助をするつもりなんです」

 それは立派な心がけだと思うけど。

「今回の首長、ですか?」

 どういう意味だろう? 私は率直に尋ねた。

「バレンは国ということになってますが、そもそもが独立した都市の集まりなです。都市から持ち回りで首長を決めてるんですよ。あ、首長っていうのは他国でいうところの王様です。こんな感じなんで、義務のわりに権力が少なくて」


「なるほど。国の代表が首長なんですね」

「はい。今回の調査は、まず森に住んでいる種族や、村の位置を調べることです。テクラ達にピッタリの仕事でしょう」

 当のテクラは、面倒そうにしている。ただこちらにはベリアルがいるから、私が引き受けたら相棒のエッラは断れないわね。

「分かりました、一緒に行きます。把握している獣人族の村へ案内しますよ。しかしエッラはともかく、テクラは獣人族と揉めないでしょうか……」

「揉めたら罰が重くなるだけです」


 不敵に笑う監督官。きっとテクラが嫌がる、重い罰が科せられるんだろうな。

 テクラとエッラを加えて、エルフの森へ移動することになった。

 しかし私は忘れていた。

 テクラはともかく、エッラは飛べないのだ。黒豹小悪魔は、空を飛ぶ私達を地上から追い掛ける。火事の影響もあって、通行人が多い街道をすり抜けるように走っている。

 黒豹もカッコいいわね。

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