第406話 トム・ティット・トットと糸紡ぎ

 港町を散策中。ベリアルの肩に気軽に手を置いた客引きの手が燃えるという珍事……でもないな、たまにある現象は起きたが、他に問題はなく買いものを続けた。

「……師匠、あまり魔法関係の品はありませんな」

「仕方ないわよね。とはいえ、アウグスト公爵様に珍しい薬草でもあったら買ってきてと頼まれているのよね。困ったなぁ」


 海辺なので、お魚を売るお店が多い。他にあるのは小さな飲食店や、お土産ものを売るお店。先生に教わったお店が、一番素材などの品揃えが良かったわ。ないならないでいいのかも知れないが、お世話になったばかりなので、何か期待にそえる贈りものをしたい。

「海も平和なようです」

 セビリノが水平線に視線を移す。沖を船が行き交っていて、小さな島の奥に隠れる。

「海龍でもいれば、爪か髭を持って帰れるのにね」

「悪質な追い剥ぎのようであるな」

 ドラゴン狩りが趣味のベリアルに言われたくないわ。退治するとなったら、喜々として参加するくせに。

「少し遠回りになりますが、ノルサーヌス帝国を覗いてから帰るのは如何でしょうか」

「それもいいわね。あそこはいつでも品揃えがいいみたいだもの」


 魔法関係に製作に力を入れているノルサーヌス帝国は、お店も多いし種類も豊富。魔導書店も大きなお店がある。

 いいものがなかったらノルサーヌスを経由するか、都市国家バレンのエルフの森で採取するのもアリか……。まばらなお店が並ぶだけの商店街は終わり、住宅地に入っていた。花畑があったり、空き地だったりして、住宅街といっても建物は少ない。

 考えていたら、揉めている声がどこからともなく聞こえた。通行人が同じ方向を見ている。私も交差点の角まで行き、皆と同じ右側に顔を向けた。


「それを持って行かれたら、仕事になりません!」

「知ったことかよ。金を返したら、こっちも返すからな」

「ちゃんと返しますから、それを持っていかないで……!」

 きっと、昨日の金貸しの従業員ね。糸紡ぎの、水車みたいな丸い機械を三台抱えている。女性が追い掛けようとするも、後から出てきた男性が無茶をしないように抑えていた。

 金貸しが馬車に押収品を乗せて去ると、様子を見ていた近所の家の人が女性達に近寄った。


「大丈夫? 酷いヤツらね」

「アレが無いと困るよなぁ……。中古で探すか?」

「期限が近い仕事があるの、三つも急に揃えるのは大変だわ……」

 女性がさめざめと泣き、男性は暗い顔で俯いている。家の庭に、工房が併設されていた。

「失礼。糸を紡げば良いのだな?」

「はい。染色してから、織る職人さんに渡すんです」


 明日が突入の予定なので解決しそうではあるけれど、すぐに機械が戻ってくるとは限らない。乱暴に扱われていたら、故障したり動作に支障がある可能性も考えられるわね。

「師匠、ここは私が解決します!」

 セビリノが急に私を振り返った。勢いに押されて、思わず頷く。

「ええ、いいアイデアがあるのなら……」

「万能の人であるイリヤ様の一番弟子、セビリノ・オーサ・アーレンスにお任せを」

 今のところ作戦から閉め出されているせいか、やたらセビリノがやる気になって風呂敷を広げている。今度は万能の人ときた。半分諦めて、話の流れを見守った。


「納期が近いんですが、やりようがあるでしょうか……」

「糸紡ぎが得意な妖精を召喚し、雇うのはどうだ」

 召喚ね、なるほど。それはいい手だわ。

「妖精さん……? 肝心の機械がないんですが」

「独自の機械を持つ妖精がいる。食事と少しの礼で仕事をする、経費も最小限で済む」

 役に立ったら、そのまま雇っても良し! 本来なら契約する本人が召喚もするべきだが、召喚術は使えないそうだ。セビリノが召喚、契約を代行する。


 庭を使わせてもらって座標を書き、魔法円は用意せずベリアルに睨みを利かせてらもう。ほとんどの悪魔や妖精は、地獄の王の前で暴れたりしないのだ。意思の疎通が難しいタイプの妖精でも、ベリアルの恐ろしさは肌で感じる。


「異界の扉を開け、いかなる悪臭も騒音もなく現れよ」

 セビリノがゆっくりと召喚をする。妖精の世界のどの辺りに生息しているのか、手応てごたえを探りながら。

 少しして座標からカラカラと木製のものが回る軽い音がして、小さな影が立った。影に見えたのは、黒い妖精。人によっては小鬼と呼ぶ。大きな耳と鼻を持ち、長い尻尾をくるくると回す、猫くらいの大きさの妖精だ。手には小さい糸車を持っている。


「なんとなんと。人間の召喚だ、と思いきや地獄の悪魔が突っ立ってる。ここは地獄か人間界か」

「人の世界だ。糸を紡ぐ仕事を依頼したい」

 歌うように抑揚をつけて喋る妖精に、セビリノはマイペースに交渉を始める。

「よろしい。パンとミルクの食事と、暖かな寝床。それからそうだねお前さん、ピカピカ光るものを一日に一つ、頂こう」

「光るもの……?」

「針とか手鏡とか、小さくて銀色や金色のものです」

 考える女性に私から教えた。些細なものでいいのだ。それこそガラスの欠片でも、相手が気に入りさえすればいい。ただし人とは価値観の違いがあるので、ちゃんと相手が喜ぶ品を考えないといけない。


「条件は決まりだな。彼の名は、トム・ティット・トット。絶対に忘れたり、間違えたりしてはならない。名を知らない相手には、過大な報酬を要求する」

 期間はとりあえず今回の納品まで、終わったら冒険者ギルドにでも依頼を出して、送還をしてもらう。継続の場合は、再び交渉から。

「これで一人分は確保ね! あと一つくらいなら中古屋で買えるわ、なんとか乗りきれそう」

 妖精一人では間に合わないと思ったようだわ。トム・ティット・トットは糸紡ぎが得意な妖精で、人の倍以上の早さで紡げる。一人でも何とかなるだろう。


「ありがとうございます、お礼をしないと……」

「気にせずとも良い。困った者を助けるのは当然。それがイリヤ様の教え」

 教義みたいな言い方はよして頂きたい。見習いが宮廷魔導師に常に人を助けよ、なんて説教をするわけがない。

「せめてお名前を」

 帰ろうとする私達を女性が引き留めようとする。


「私は単なる、通りすがりの魔導師だ」

「私は通りすがりの魔法アイテム職人です」

「我は通りすがりの悪魔である」

 ベリアルまで面白がって真似をした。うやむやのまま別れたわ。

「召喚だし、セビリノがやるとは思わなかったわ」

「は、簡単な仕事でしたので。しかし問題の多い国です、このまま済むとは限りますまい。些細な揉めごとは私にお任せください。師匠に相応しい活躍の場が訪れることでしょう!」

 まさかのもっと大きなトラブル待ち。演技でもないわ。

 セビリノの期待と裏腹に、その後は問題もなく穏やかに過ごせた。


 開けて翌日、ついに問題の日になった。

 金貸しが狙っている女の子が一人で、まずは金貸しの店舗へ着替えや簡単な手荷物だけ持って顔を出す。

 女の子から少し離れて、リニがコウモリ姿で隠れながら飛んで追った。前回顔を合わせているから、向こうの悪魔もリニに気付いたところで知らない振りをしてくれるだろう。

 バラハの師匠であるグスタフ・アルーン先生は領主の館に行ったきりで、帰ってきていない。護衛として契約している懲罰の天使ショフティエルがついているので、危険はないと思う。

 先生が契約している連絡用の鳥の聖獣が『今晩、決行する』とのメモ書きを届けてくれたので、領主は味方で、やる気もある様子。直接話を聞いておけないのが、不安要素ではある。

 悪いことに巻き込まれていなければいいな。ショフティエルが悪人を全滅しちゃうもの。

 天使の裁判は魂の罪の重さを量る。なので証拠や証言といったものは一切不要。有罪判決が一瞬で下されるのだ。


 どうなるのかな。宿の食堂で昼食を取りながら、窓の外を眺めた。

 普通の日常で、何かが起こりそうな気配もない。兵士が集まっている様子もない。自警団や地元の人が見回って、強引な客引きを注意して揉めたりしていた。

「ねえエクヴァル、これで大丈夫なの? 兵士が集まってないわよ」

「今から兵に集結されたら、警戒されちゃうからね」

「地元の人が頑張っちゃってるけど、こっちはいいの?」

「自警団が活動すれば押さえ込もうとして、むしろ懇意にしている権力者に相談したり、強い行動にでやすくなるでしょ。これでいいんだよ」

 つまり、自警団に邪魔をされたら敵も張り合って動くから、自警団は動いた方がいいのね。

 食事を終え、アレシアから頼まれた魔法付与の依頼を幾つかこなして、事態に動きがあったのはおやつを食べ終わる頃だった。


「……移動しておる」

 夜の間は出かけていたベリアルが、私に声を掛けてきた。どうやらリニが動いているみたい。離れているのによく感知するわよね。

 エクヴァルとセビリノも呼んで、ベリアルについて私達も移動する。敵は空を警戒していないので、空からなら気兼ねなく追い掛けられる。もちろん、視界に入るほど近くへは寄らない。

 この町だと都合が悪いのか、わざわざ隣の町まで移動した。歩いてもそう時間がかからない距離で、今までいた町よりも賑わっている。


 繁華街にある立派なレストランの近くで、リニが猫姿で待っていた。私達を見つけると人に似た姿に変わり、笑顔で駆け寄ってくる。

「エクヴァル、ここの二階の角のお部屋だよ」

「隣が借りられないか聞いてみよう。じゃあリニ、連絡をよろしく」

「うん! 任せて!」

 今度はコウモリになって飛んでいったけど、あちらは海だわ。

「領主は船で来ているんだよ。陸路より目立たないからね」

「なるほど」

「では問題ないな。我は所用がある故に離れるが、イリヤよ。物見高いのは構わぬが、要らぬ問題を起こすでないぞ」

 ベリアルが離れる。ショフティエルがここに来るからかしら。


「どこへ行かれるか知りませんが、私よりベリアル殿ですよ。天使もいるんですからね、慎重になさってください」

「言われるまでもないわ!」

 怒鳴ってどこかへ行ってしまわれた。

 私達はレストランに入り、二階の個室を使いたいと伝えた。商談などで使われるらしく、二階は個室が幾つもある。運良く隣の部屋が空いていたので、ここを使わせてももらう。窓を開けて静かにしていれば、隣の声が小さく聞こえてくるよ。


 既に接待する相手も到着していて、盛り上がっているわね。

『どうも自警団なんぞが急に張りきり出して……』

『あの魔導師先生は、強い天使と契約しているとか』

『この娘を通して、貴方のことが知られては厄介ですから……』

 不穏な流れだわ。連れてこられた娘が知っている相手で、繋がっているとバレたくないのね。後回しにならなくて、本当に良かった。

 頼んだ料理が運ばれてすぐに、馬のいななきが合唱のように聞こえ、ドカドカと大勢の足音が地面を叩く。何があったんだ、と戸惑って外はざわざわしている。

 隣の部屋もすぐに色めきだった。

「おい、どういうことだ!??」

「いいか悪魔よ、窓から出てこの方をお守りするんだ!」


 金貸し一味は、接待した相手だけを逃がそうとしている。

 階段を上る靴音が響き、兵はもうすぐ突入するだろう。

 ガラッ!

 窓を開けたの、出ていっちゃう! エクヴァルは飛べないし、私とセビリノだと戦えない。プロテクションで閉じ込めるしかないか。窓から身を出して覗くと、隣の部屋の窓の外にはショフティエルが構えていた。


「悪魔め、逃がさん!」

 下位貴族悪魔では太刀打ちできないので、戦闘にもならないわね。悪魔にも、そこまでする義理もないだろう。今度は乱暴に扉を開く音がした。

「捕らえろ!」

「くそう、兵が動くなんてっ……」

 私達も廊下へ顔を出す。兵隊が行儀良く列になっている。

「失礼、隣室に犯罪者がいると通報がありまして。危険ですので部屋でお待ちください」

 一人が私に扉を閉めるよう告げた。後ろからリニがこそっと小走りで間に入る。

「あ、あの、イリヤ達も協力、してる、です」

「小悪魔ちゃんの関係者の方でしたか! これはご協力、ありがとうございます」


 戦闘が始まり、怒号や剣がぶつかる甲高い音が聞こえる。悲鳴も聞こえ、早くも捕まった人が縛られて廊下を歩かされた。かと思うと、急に音が静かになる。どうしたのかしら。

 私とセビリノは窓から覗かせてもらい、エクヴァルはリニと廊下へ出た。窓辺でショフティエルが仁王立ちしているので、ここは安全だ。

「動くな! この女の命が惜しかったらな!」

 接待に連れてこられた女の子が、人質にされちゃったんだ!

 中年男性が女の子の首元に刃物を突きつけている。膠着状態だわ。

「愚かな人間よ! 罪を重ねて何になる!」

「うるさい、ここで捕まってたまるかよ!!!」


 隣には六十前後の、身なりのいい男性がいる。接待をした相手かしら。

 数人の仲間が武器を構えて兵を威嚇し、貴族悪魔はドア付近で直立不動になっている。どうしたらいいのか、一番分からない立場だわね。

「……諦めろ。信頼を裏切った者を私は許さない。どういうことだね、町長!」

 町長さんだったんだ。だから町長に訴えても、ご領主様が動いてくれないからと、解決しなかったのね。ちゃんと報告していたかすら怪しいわ。

「ご領主様……、何故ここへ……」

 この場を逃げおおせても、もはやお尋ね者として追われる身になるだけよ。


「エアリエル・ショット!」

 私は注目が二人に集まっているうちに、部屋から見えないよう外壁に隠れて詠唱を済ませ、人質を取っている男の手に向けて風の小さな弾丸をぶつける魔法を唱えた。

「痛えっ!!?」

 狙い通り手首に当たり、武器を取り落とす。短剣が床にガランと転がった。

「今だ、確保しろ!!!」

 おおという雄叫びと共に兵が再び動きだし、この場はあっという間に制圧された。同時に金貸しの事務所や、関連する土地の仲介屋など、数ヵ所に突入しているだろう。


 で、ベリアルはどこの現場に向かったのかしら?

 まさか飲んで遊んでいるんじゃないわよね?

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