第379話 お出掛け前に、来客です
「ただいま」
黒い髪に紫のつぶらな瞳。頭には羊のような、くるんと可愛い一対の角を持つ小悪魔、リニが弾けんばかりの笑顔で帰ってきた。アレシアとキアラと、遊んできたのだ。
「お帰りなさい。楽しかった?」
「うん! とっても、楽しかったよ」
リニはお買いもの用の布袋を持っていた。アレシアが売っていたデザインに似ているから、買うか貰うかしたのね。
後ろにはエクヴァルとセビリノが立っている。
「配達も終了。これで出掛けられるね」
二人は作ったアイテムを届けてくれたのだ。手分けをすると早く用が済んで、助かるわ。
「あの、あのね、夜のご飯を買ってきたよ。パンがたくさん。色々あって選べないから、たくさん買っちゃった」
「ありがとう、食べるのが楽しみね」
「うん!」
リニの買いもの袋には、紙に包まれたパンがあふれるほど入っていた。あまり無駄遣いをしないタイプだけど、友達と一緒にお買いものをするのが楽しくて、ついつい買い過ぎたのかな。
残れば明日の朝も食べられるし、無駄にはならないわね。中が見えないので、どんなパンか気になるわ。
リニが買ってくれたパンの包みを開いて平たい編みカゴに並べ、テーブルの中央に置いた。スープをエクヴァルが、サラダをリニが用意して、夕食にする。私は紅茶を淹れる係り。セビリノは食器を出したり、配膳をした。
ベリアルはどこからか赤ワインを持ってきて、席に座り一人で勝手に飲んでいる。私達も座って、ご飯にしよう。リニは自分の買ったパンを皆が選ぶのを、嬉しそうに眺めていた。そして何も手伝わないベリアルが最初にパンを攫う。ライ麦パンだわ。
私はレタスとベーコンを挟んだ丸いベーグルにした。生ハムとクリームチーズ、ブルーベリーとクリームチーズなど、ベーグルが数種類と、他にクロワッサン、クロワッサンの生地でチョコを包んで四角く成形した、パン・オ・ショコラがある。
「イリヤ嬢、ビナール殿に話を聞いてきたよ。ノルサーヌス帝国の鉱山からは、チェンカスラーの王都に宝石を輸出しているらしいよ。ただ、近年はノルサーヌスで魔法を基幹産業の一つとして据えているから、魔法付与にいい高級な宝石は輸出していないようだね。質がいいものは、鉱山の町の販売所か帝都で販売されているって」
回復アイテムを届けたついでに、エクヴァルが情報を集めてきてくれた。手には千切ったクロワッサン。
「とりあえず魔法会議のあったモルトバイシスへ行く予定だったけど、鉱山が立ち入り禁止だったら帝都がいいのね」
「そこは観光客や、魔法を学ぶ人に向けた品が多いみたいだね。帝都は南にあるよ」
鉱山には行って欲しくないエクヴァルと、鉱山が襲撃されたらアミューズメントパークに変わったと勝手に変換するベリアル。まだ襲撃の話を聞いていないからベリアルが黙っているけど、ノルサーヌス帝国へ着いたら嫌でも耳に入っちゃうだろうな。
クローセル先生と会って状況を聞いてから、鉱山を目指すか帝都へ行くかを決めよう。考えて会話が途切れると、リニがそわそわしながら全員を見回し、エクヴァルに顔を向けた。
「あ、あのね、ベーグルが美味しいお店を、キアラが教えてくれたの。私、ベーグルって、硬くて食べにくそうだなって思ってたけどね、いっぱい並んでるのを見たら、とっても美味しそうでね」
エクヴァルに教えたくて、私との会話が終わったか気にしてたんだ。
「今はクロワッサンを食べたから、明日の朝、ベーグルをもらおうかな」
「うん、食べてね。クロワッサンは別のパン屋さんだよ。ちょうど焼き立てを並べてて、アレシアも買ったから、つい……私も買っちゃった」
照れた笑顔を見せるリニ。
セビリノは無言で三つめのパンに手を伸ばしていた。彼は好きなものを食べている時の方が、無口になりがちだ。
「他にはどんなお店に行ったの?」
気になったので、質問してみた。リニが私に顔を向ける。
「ええとね、……アレシアがアクセサリーを作る材料を買うお店と、キアラが好きな手芸のお店。わ、私も、糸を買ったの。……
「ええ、お願いするわね」
縫いものはあまり得意じゃないから助かるな。魔法養成所でも宮廷でも、寮の管理人に頼んでおけば下働きの人がやってくれるので、生活面は困らなかった。
リニは買いもの以外に公園で花を眺めたり、南門まで散歩してアレシアと仲がいい門番のマレインとお話ししたり、巡回していたジークハルトと出くわして、妖精のシルフィーともお喋りした、と今日の出来事を教えてくれた。
シルフィーは知らない人があまり大勢いると怖いから、祭りの日はお部屋で大人しく待っていたそう。可哀想だけど、安全を考えてもその方がいいわよね。
食事が終わったら着替えなどの準備を済ませ、いつでも出掛けられるようにしておいた。
ゆっくり寝て朝食にまたパンを食べて、出発するのだ。
今日のスープはミネストローネ。具がたっぷりなのが嬉しい。
「イリヤさーん、いらっしゃる?」
そろそろ出ようかというところで、玄関から女性の声がした。
チェンカスラーの王宮魔導師、エーディット・ペイルマンだわ。祭りの最終日にレナントへ来ていたっけ。
「どうしました、エーディット様」
「朝早くから悪いわね。王都へ戻る前に挨拶したくて。それとお祝い! イリヤさん、特別賞おめでとう!」
わざわざお祝いを伝えに訪ねてくれたのかしら。出発前で良かったな。
「ありがとうございます。なかなか良い品が出来たと思っております」
「切れ味もすごかったわね。……ああいうのは流通させないでね?」
「はい……」
エーディットからも念を押されてしまった。
彼女も出立前だが、お話する時間が少しはあるようなので、客間へ案内した。護衛として付いていた町の守備兵二人は、道で待っていてもらう。
「お祭りは楽しめた? 私は何人か人材を見つけて役目を果たせたわ」
「……まさか、セビリノとか?」
優勝した人が一番すごい、そうに違いない。エグドアルムの宮廷魔導師だもの、どの国でも欲しいはず。
「まさか、アーレンス様を誘えるわけないでしょ! 下手をしたら、国際問題になるわよ!」
「それもそうですね」
セビリノと私は勧誘の対象外。やっぱりそうよね。声を張り上げたエーディットは、一息ついて続きを話し始めた。
「一般部門から選んだわ。大会一日目は間に合わなかったからか、作品だけ見せてもらってね。軍の回復薬を優先的に作ってくれる人や、アイテム作製室の見習いを募集しているのよ」
「そういえば以前、防衛都市から大々的に回復薬の依頼がありましたね」
「襲撃なんかで在庫も大分、使っちゃったみたいね。他にも独自に工作を進めているなんて噂もあるけど、上層部しか知らないわ。知っている人が多いほど、漏洩しやすいものだし」
対ニジェストニアの工作は、ランヴァルトがほぼ独断で展開しているっぽい。北はすっかり防衛都市に任されているのかな。
「これからノルサーヌス帝国へ行くんですが、鉱山が襲撃されたと情報がありまして。どうなっているか分かりますか?」
そうそう、王宮魔導師なら最新情報を持っているかも。エーディットは眉をひそめた。
「……イリヤさんって、騒動があると行きたくなる人なの?」
「行くと決めてから襲撃の報が入ったんです」
おかしな誤解をされていそう。野次馬じゃないわ。
「そう~。あそこはしょっちゅうだから、兵が多めに配置されているわ。単なる襲撃なら、すぐに片がつくわよ。北トランチネルが絡んでいるかは、まだ不明よ。ノルサーヌス帝国が取り返したばかりで、警戒中だったから微妙なところね。魔法会議の時の伝手があるでしょ、避難指示は出ているけど、きっと入れてもらえるわよ」
想像していたより問題ないのかな。
安心していると、扉がノックされた。
「師匠、お茶です」
来客だと気付いたセビリノが、お茶とお菓子を用意してくれたのだ。リニが買ってくれたスコーンも乗っている。セビリノが入ってくるなり、エーディットはソファーから立ち上がり、声を上ずらせた。
「アーレンス様! 朝早くから申し訳ありません、ありがとうございます! あと、優勝おめでとうございます! とても素晴らしい作品で、勉強をさせて頂きましたわ」
「うむ」
一気に喋ったエーディットへの返事が、本当の一言だけ。
失礼なのでは、と思うのに、相手はとても嬉しそう。
「あの、もしアーレンス様にアイテム製作や監修などの依頼をしたら、受けて頂けますの?」
「許可が下りれば、受けよう」
立ったままのセビリノが、私を見下ろす。必要だとしたら私ではなく国の許可です、エクヴァルからもらってください。
「もしやエリクサーも作ってもらえます……!?」
「素材さえ揃えば、お作りしますよ。アムリタの依頼を済ませたばかりです」
私が答えた。エーディットは手を合わせて、気色ばむ。
「アムリタっ! さすがアーレンス様とイリヤさん!」
いつでもとは約束できないものの、大量にでなければ受けられると思う。
「これから出掛けるので、今は受けられませんが……」
「たのーもー!!!」
……会話を遮り、また自称ライバルのグローリアが。普通にこんにちは、とか言えないのかしら。
「……え、なに? 道場ならぬ工房破り?」
「それだと盗賊みたいですね」
初めて聞いたエーディットは戸惑っている。やはりチェンカスラーでもおかしな現象なのだ。
「あ、あの、あの。イリヤは、お客様が、来て、います。たのまれません……」
リニは勢いの強いグローリアは得意ではないらしく、おどおどと対応している。エクヴァルもすぐに来るにしても、任せてしまったら可哀想だわ。
「ちょっと出てきます」
「私も行くわ」
私が腰を上げるとほぼ同時に、向かいに座るエーディットも立った。おかしな呼び掛けとリニの脅えた態度で、トラブルだと勘違いしているのかも。表情がこわばっているわ。
セビリノはマイペースにお茶を片付け始めた。
「リニちゃん、ありがとう。後は任せてね、大丈夫よ」
振り向いて、サッと私の後ろへ隠れるリニ。廊下にはエクヴァルも来ていた。でも今日は私の後ろなのだ。
「イリヤ先生! なかなか素晴らしい結果で、ライバルとして花が赤いですわ!」
「お嬢、“鼻が高い”ですよ。赤い花はただ綺麗なだけです」
「うるっさいわねラウル、ちょっと言い間違えただけじゃない!」
相変わらず、人の家の玄関先で漫才を繰り広げる人達だわ。グローリアの金の巻き毛の後ろで、メイドはペコペコ頭を下げている。
「……貴女は確か、ガレッティ男爵家のグローリアさんね。イリヤさんにライバルだなんて、どういうおつもり?」
エーディットが堂々と、私とグローリアの間に割って入った。強い口調でグローリアに問い掛ける。彼女の姿を捉えたグローリアの目が点になった。
そう、相手はこの国の王宮魔導師なのだ!
「ぎきゃぴゅー! エーディット・ペイルマン様!!!」
「ぷはっ! お嬢の悲鳴が、魔物の叫びレベル!!!」
突然の展開に混乱するグローリアと、主人が驚いているのを大笑いする護衛。気が抜けるなあ。
「あまりイリヤさんに、迷惑を掛けないで頂きたいわ。そもそもライバルだなんて、イリヤさんがどんな方か貴女知っているの!?」
「すみませんー!!! 出直して参りますわ~!!!」
グローリアは逃げ出した! 足、速いなあ! メイドが必死に追い掛ける。
護衛のラウルはグローリアを追おうとして、いったん振り返って頭を下げた。
「お騒がせ致しました。お嬢は単純にイリヤさんに“特別賞おめでとう、こんな凄い魔法付与は見たことがない”と、伝えたかっただけなんですよ。審査の後、イリヤさんの魔法付与した剣を使った感想を、興奮気味に話してましたからね」
「それをここで言って欲しかったですね」
「まあお嬢ですから。では失礼します」
フォローに残ったのかな。言い終わるとすぐにグローリア達が消えた方角へ走り始めた。
「……新進気鋭のアイテム職人と言われているけど、落ち着きのない方ね。本当にちゃんとしたアイテムが作れるのかしら」
エーディットのグローリアへの印象が、大分悪くなっちゃたわね……。悪い人ではないけど、迷惑な性格よね。
「アイテム作製の時は集中できるようですよ」
「……イチジクのお礼、言えなかった……。すごく美味しかったのに……」
リニは三人が去った道の向こうを眺めて、落ち込んでいた。
お礼が言いたかったの。すっかり忘れてたわ、アレは本当に美味しかったなぁ。ただ、いつも嵐のように訪れて去っていくから、伝えるのなんて忘れちゃうわね。
「……今度、一緒に買いに行こうか」
「本当? ありがとう、エクヴァル!」
「確か男爵領のイチジクの旬は、夏の終わりから秋頃よ。日持ちしないから、買ったら早めに食べた方がいいわね。じゃあ、私も行くわ。またね、!イリヤさん」
エーディットも帰っていった。
私達も、そろそろ出発ね!
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