第359話 ドラゴン掃討作戦・後編

 ドラゴン退治も一区切りつくかと思ったところに、蛇王ザッハークという危険な魔物が現れた。偶然近くにいた冒険者の一人が攻撃で片腕を失い、退避が遅れている。


 フェン公国の弓兵が左右からザッハークに、一斉に矢の雨を降らせた。

 ザッハークが軽く手を翳しただけで、プロテクションに似た防御が発生する。透明な壁に阻まれ、矢は一定の距離で全て落ちてしまった。弱い攻撃は届かない。

 足元の覚束おぼつかない怪我人を抱えて真っ青な顔で逃げる三人を、ザッハークはあざ笑いながら、ゆっくりと追っている。

「急がないと追いついてしまうぞ?」

 矢での攻撃を止め、公国守備隊が三人の救出作戦を展開する。想定外の展開に、動きが乱れた。


「イリヤ、絶対に動かないでよ」

 イヴェットがザッハークに視線を固めたまま告げると、ノルディン達三人が静かに頷いた。

「お気を付け……」

「君達も避難するといい。私の獲物だ」

 駆け出すノルディン達『残月の秋霜』のメンバー四人を追い抜いて、スッと前に出たルシフェルが、余裕の微笑で振り返る。


「え……」

「皆さん、ルシフェル様が仰るのなら、お任せして大丈夫ですよ」

 四人は顔を見合わせて、動きを止めた。

 ルシフェルは他にも助けようとする冒険者や、魔法で倒れたドラゴンの死体とギリギリ生きているドラゴンを飛び越し、ザッハークの目の前にふわりと降りた。

 彼の獲物はザッハーク。


「イリヤさん! いくら強い悪魔でも、蛇王ザッハークは相手が悪いんだ。あの通り上級ドラゴンの発生を促し、自身もあのファフニールを軽くほふる戦闘能力があると言われている!」

 カミーユが皆で協力して倒そう、と力を籠めて説得してくる。

 不意に空を影がよぎる。

 岩山に座り高みの見物をしていたバアルが、カミーユの背後に唐突に立った。飛んできたのも気付けないくらい早い。一つに纏めた長い緑の髪が、背中で大きく踊る。

「……女。ルシフェル様の実力を疑うつもりか?」

 声が低い。心配しただけで怒ってる。カミーユはどれだけ強いか、知らないから……!


「ひえっ、あの、それは……」

 さすがのカミーユも、返答に困ってしまった。ベリアルが面倒そうに赤い髪を掻き上げる。

「……とにかく、である。人間どもが邪魔にならぬよう、さっさと岩山から去らせよ」

「は、はい。総員、即刻岩山より退避!!! 戦闘が継続できる者は、ふもとで村の防衛ラインに残るように!」

 アルベルティナが独断で退避命令を発したが、フェン公国の将校も異を唱えることはなかった。ベリアルが去るよう勧告したんだし。

「そなたはどうするのかね?」

「残って、岩山の外れくらいにいていいですかね」

「好きにすれば良い」

 私とセビリノ、エクヴァル、カミーユ、それから連絡役としてアルベルティナが岩山の外れに残る。アルベルティナも皆と避難しようとしたが、上官に命令されてしまったのだ。普段はキリッとしているのに、なんとも情けない表情をしていた。


 冒険者や兵は、いくつかある岩山への細い道を、ドラゴンを警戒しながら降りていった。まだ暴れていた全部のドラゴンを、退治したわけではないのだ。

「ついていない……。久々に目覚めて配下を増やし、食事を楽しもうと思えば、地獄の王などと会うとは」

「騒がしくさせ過ぎたね」

「討伐におびき寄せた人間どもとドラゴンの戦い、愉快な見せものになる筈がなあ……」

 地獄の王がいなかったら、ドラゴンを倒し終えて満身創痍なところに現れて、絶望を味わわせるつもりだったのね。かなりタチの悪い魔物だわ。


「いい加減、正体を現したまえ」

「……さあ、最後の幕が開く」

 ザッハークの身体が震えて、メリメリと破るような音を立てて大きく伸びる。両肩の蛇も鱗が生えて太く巨大になり、裂けた口から牙が覗いた。これは、蛇ではなくて龍だ。人間の顔だった部分も龍の顔になり、龍の頭が合計三つになる。

 現れたのは三つの首と六つの目、巨大な翼を持つ龍。


「アジ・ダハーカ。人間を食糧とする、邪悪な龍であるな。千の魔法を使う、と言われておる」

 説明しつつ、ベリアルが私を庇って前に立った。ここにいても危ないということだろう。千の魔法とは、どんな魔法があるんだろう。ベリアルの警戒ぶりから、広域攻撃魔法に相当するものもありそう。

 アジ・ダハーカが正体を現すと、雲は厚くなり空がにわかに薄暗くなった。岩場に先程までとは比べものにならない、重圧感のある魔力が溢れる。

「グゴオオォゥ!!!」

 天を突く雄叫びに大気が震え、空から細い雷が落ちる。バチバチと、アジ・ダハーカの周囲で稲妻が弾けた。


「暁よ、空を焼け。天を血の朱に染めあげよ。私はルシフェル、光をもたらすもの。注げ、終焉たる雲間の閃耀せんよう


 ルシフェルの宣言がされると彼の身体は白い光に包まれ、雲に覆われた空の隙間から光が差した。一筋の光明に照らされて銀の髪が輝き、手には神々しいプラチナ色に輝く剣が握られている。

 アジ・ダハーカの首の一つがルシフェルを狙い、口を開け勢いよく弧を描く。周囲に風を纏い、顔よりも先に三つの風の塊が、三方向からルシフェルを目掛けて放たれた。

 髪や服が風になびくだけで、ルシフェルは涼しい顔をしている。大きく開いた龍の口が身体ごと飲み込もうとして、被さるようにルシフェルの目の前に迫った。


 バクンと口を閉じた時にはルシフェルは軽く跳んでいて、龍の頭にふわりと降りた。着地を狙い、別の顔が脇から襲い掛かる。開いた口から飛び出す火の玉。

 ルシフェルは火の玉ごと龍の顔を剣で切り裂いた。

「グウッ……!」

 口から鼻に傷を作り、首をしならせてその場から離れた。見れば真ん中の顔が天を仰いで、大きく息を吸い込んでいる。

 ブレスがくる。

 左の首が風、右が火、真ん中はなんだろう。

 気になるけど、まずはブレスの防御を唱えた方がいいな。セビリノが頷いたので、まずは彼に任せる。


「襲い来る砂塵の熱より、連れ去る氷河の冷たきより、あらゆる災禍より、我らを守り給え。大気よ、柔らかき膜、不可視の壁を与えたまえ。スーフルディフェンス」


 ブレスを防ぐ、半円形の薄い膜が展開される。

 アジ・ダハーカは首を巡らせながら白銀に輝くブレスを吐いた。水属性だ。既に事切れてあちこちで倒れているドラゴンが、白く凍る。

 ブレスはこちらにまで、威力を保ったまま届いた。強さもさることながら、範囲もかなり広い。

 至近距離で直撃したルシフェルは、自分自身を包む最小限の防御壁で防ぎきっていた。どんな攻撃なら、ダメージが通るのかしら……。


 キラキラと小さな輝きを残し、ブレスが消えた。威力をの当たりにしたバアルが、腕を組んで何か考えている。

「……ブレスがこの範囲となると、最大範囲の魔法はこれ以上だな。おい女、お前の仲間に伝えろ。ヤツの魔法が村まで届く可能性がある、とな」

 背の高いバアルに見下ろされて、アルベルティナが肩を震わせて敬礼をした。

「は、はい! 直ちに!」

「幾つか村があるよね? 私も分担しようか?」

 カミーユの申し出に、アルベルティナは胸の前で手を振って断わった。

「大丈夫です。拠点に伝えれば、伝令が各部隊に一斉に走りますから」

 アルベルティナは飛んで、あっと言う間に岩山をくだった。この速さなら、下山中の人達も追い越してしまいそう。

 アジ・ダハーカとルシフェルの戦闘は続いていて、生き残っていた中級ドラゴンまでも恐れをなし、洞窟に隠れてしまった。


 広域攻撃魔法よりも広範囲で、威力の強い魔法を使うみたい。そうなると、そこら辺に寝転んでいるドラゴンの素材は使えなくなるのでは。

 私は倒れているドラゴンを眺めた。

 弱い個体を私の魔法で倒し、残りの多くはアジ・ダハーカのブレスがとどめになっているわけですが。

 うーん、危険を冒してまで素材が欲しいほどの、めぼしいドラゴンはいない。安心して観戦していられる。

「……そなた、ろくでもないことを考えておらんかね」

 一つも言葉にしていないのに、ベリアルが怪訝な眼差しを向けてくる。

「考えていませんよ、安全第一です」

「君の場合は、素材第一でしょ」

「師の美点です」

 エクヴァルが茶化し、セビリノが肯定する。いつもの光景過ぎて緊張感がないなあ。

「……やっぱり、一番おかしいのはイリヤさんだな」

 まじまじと私を見るカミーユ。せめて最後にセビリノが宮廷魔導師っぽい、いいことを言ってくれれば、印象が違うと思うのよ!


「ぐがあぁア!」

 三つの首と戦い、近付こうとすれば手にはばまれながら、ルシフェルの剣がついにアジ・ダハーカの右の首を貫いた。剣が刺さった場所から光が溢れ、太い首に大きな穴が空いて、地面に落ちる。首は残り二つ。

 切り口から赤黒い血が流れ、地面にたまった。近くにはシャンリォウの血だまりができているが、魔法で凍って悪臭は防がれている。溶けたらまた、臭い匂いが出てくるわねえ。

 アジ・ダハーカの切れた首から、何か動いているような……。あれはサソリ……!? 血に混じって、黒いサソリやトカゲが現れる。

 ルシフェルの手が白く輝き、落ちた首の切れ目の下から、白い柱のような光がまばゆくそびえる。たちまち切り口から姿を見せた毒を持つ生きものが、光に溶けて消えていった。


「ぐうう……、やはり相手が悪すぎる」

「そう言ってもらえると、地獄の王の面目が保たれるね」

 喋りながらも、ルシフェルの剣が真ん中の首を落とした。そしてまた現れる毒蛇やサソリを、光で焼き尽くす。

「オオオ……ッ、まだまだ負けられぬ!!!」

 アジ・ダハーカの叫びと共に、二つの首が復活する。首は元の三つになった。ヒュドラと同じような、再生能力があるのね!

 しかも斬るごとに毒を持つ生物が現れ、対処しないといけない。かなり厄介なドラゴンだわ。ルシフェルの光の魔法が腹の真ん中を貫くが、それすらも再度、塞がってしまった。どれだけ再生するの!?

 ついにアジ・ダハーカの歯がルシフェルの衣装を掠め、わずかに切り裂いた。


「うう……、恐ろしい蛇王ザッハークの正体が、更にあんなとんでもないドラゴンだったなんて……」

 カミーユは顔色を青くし、両手で腕を抱いて震えている。

「どういう伝承があるんですか?」

 彼女の国では知られているのよね。どんな風に伝わっているのか、尋ねてみた。カミーユは硬い表情でアジ・ダハーカを見据えたまま、ちいさく呟いた。

「……ああ。昔、蛇王ザッハークがたくさんの人を食い殺し、討伐隊も壊滅させられた。そして幾つもの国で連合軍を編成して討伐に向かい、多くの犠牲を払ってついに封印された、と……」

「その時はドラゴンにならなかったんでしょうか」

「ならなかったみたいだね。封印される時に“まさか、油断した……! 次はこうはいかぬ”と、怨嗟えんさの言葉を残したとされているよ」

 つまり、温存したまま封印されちゃったのね。それでザッハークがアジ・ダハーカとは伝わっていなかった。かなり昔の話のようだから、封印は自然に溶けたんだろうな。

 そもそもこのクラスのものを永久に封印するのは、それこそ神に近しい存在でなければ不可能だろう。


「漆黒よりも深き暗黒、罪過よりもくらき願望、迷夢に彷徨さまよいし背徳者よ。蛇蝎だかつの毒の陶酔に溺れよ。熱き晦冥かいめいふちへと堕ちてゆけ! セルパン・ポワゾン・モルテル!」


 ゆっくりとした口調で、アジ・ダハーカの真ん中の口が詠唱を始める。これは、聞いたことがない。アジ・ダハーカ独自の魔法に違いない。

「小娘、さっさと防御をせぬか! この距離ならば、死はまぬかれぬ!」

 詠唱が始まってすぐ、ベリアルがすごい形相で私を振り返った。悪魔が悪魔になったような。あ、やっぱり悪魔だ。

 じゃ、なくて。

 セビリノと一緒に、最高の防御魔法を唱える。私は六角形の棒、セビリノは黒い短剣、それぞれの装備アイテムをかざして。


「「神秘なるアグラ、象徴たるタウ。偉大なる十字の力を開放したまえ。天の主権は揺るがぬものなり。全てを閉ざす、鍵をかけよ。我が身は御身と共に在り、害する全てを遠ざける。福音に耳を傾けよ。かくして奇跡はなされぬ。クロワ・チュテレール」」


 プロテクションとは比べものにならない強度の壁ができる。

「え、これ国の最高峰の魔導師とかが使う防御魔法じゃないか」

 キョロキョロと見回すカミーユ。隙間はないから安心してください。

 ついにアジ・ダハーカの魔法が発動し、三つの口が、黒いもやを吐き出す。

 それはどんどんと降り積もり、防御魔法の壁にぶつかった。周囲が闇に包まれる。感覚を狂わせる効果もありそうね。魔法は黒い雲の流れとなって、ゆっくりと山を下っていく。

 本当に村まで届きそうだわ。距離が離れれば、それだけ到達までに時間がかかるし、威力も弱くなる。アルベルティナが連絡してくれているから、きっと防げているだろう。


 長いような短いような時間が過ぎて、真っ暗だった視界が徐々に戻ってくる。

 特に音は聞こえない、戦いはどうなってるのかしら。

「え……」

 カミーユが絶句し、エクヴァルが黙って眺めている。

 光に包まれたルシフェルが、上半身をなくしたアジ・ダハーカの切り口の前に浮いていた。

 倒したの、まだこれでも死なないの!??

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