第360話 四大天使ラファエル

 アジ・ダハーカの魔法の霧が晴れると、上半身をなくしたアジ・ダハーカが、光に包まれたルシフェルと対峙していた。

 倒したのかな。ルシフェルが微笑で振り向く。

「とどめに相応しい魔法を唱えなさい」

 ……私???

 魔力を大分使ったので、急いで上級のマナポーションを飲んだ。セビリノも補給している。短期契約をしているセビリノではなく私をご指名したので、きっと光属性の魔法を使うのが正解ね。セビリノが得意なのは、闇属性だから。

 これ、クイズなのかしら。選んだ魔法の講評があるのかな、怖いなあ。


「千の耳、万の目をもって標的を捉えよ。戦場の覇者、誉れ高き炎帝、懲罰を与えしもの。凱歌をそうし栄光を讃える。炎陽を身に纏い、焼きつくす光線にて影すらも焼滅させよ。勝利は常にその手の内にあり! 撃沈せよ! ソル・インヴィクトゥス!!!」


 倒すんだったらこんな感じだろうか。

 金の光が溢れて、一筋の輝きになって下半身だけのアジ・ダハーカを貫いた。地面まで到達し、えぐって周囲に土が飛ぶ。

 私は威力に集中し、制御はセビリノに任せた。セビリノと魔法を使うのは慣れているから、とてもやりやすい。

 これで倒せたのかな。アジ・ダハーカの下半身は中心が潰れ、もう動いていない。

「あっ、イリヤ嬢、アレ!!!」

 エクヴァルが指す先には、アジ・ダハーカの真ん中の首があった。切り口から下に伸び、手が再生してサカサカと動いて逃げている。

「あっちが本体だったの!??」

「ふふ、ハズレだったね」

 ルシフェルに笑われてしまった。

 さっきは真ん中の首が切れても下が生きていたので、首の付け根付近に生命を維持する何かがあるに違いない。


 もう一度唱えるか。考えていたら、バアルに止められた。

「残念だな、チャンスは一度だ」

「逃げられてしまいますよ」

「墓穴に落ちる寸前であるな」

 ベリアルが、首の逃げる先に視線を送る。気配を辿ると、大きな魔力が近付いているのが分かった。悪魔じゃないわ。

「一体何が起きているのさ」

「……まさかの展開になっているよ」

 年配の女性と、天使の二人連れ。天使は男性で、エメラルドグリーンの髪をしている。軽くウェーブした髪はあまり長くなくて、裾の長い外套を着て杖を突いた天使。女性はフードで顔を隠して、彼女も杖を手にしていた。


 アジ・ダハーカは現れた二人に足を止めた。身体が復活しつつあるが、まだ首は一本のまま。

「悪龍アジ・ダハーカ……」

 天使がボソリと呟いた。同行者の女性が驚いてフードを上げ、マジマジと眺める。

「これが、危険だという龍!? 大分弱っているね、とんでもない戦闘があったんだろう。魔力の余波も凄かったよ」

「あ、先生」

 とぼけた声を出すカミーユ。あの女性がカミーユの先生? 師弟揃って、何故ここへ。もしかして、彼女を追い掛けてきたのかしら。


「やあラファエル、偶然だね。ちょっとその龍を倒し損ねてしまってね」

「お人が悪いですね、ルシフェル様。私が来ていると知っていて、逃したでしょう」

「さて、どうだろう」

 私に視線を送るルシフェル。そうですね、逃したのは私ですよ……。

「会話している場合じゃないですよ! せっかく追い詰めたのに逃げますよ、アジ・ダハーカ!!!」

 カミーユが私の腕を掴んで、必死に訴える。彼女自身はとどめを刺せるような魔法は持っていない。復活した足で、アジ・ダハーカが方向を変えて逃げている。

「師匠、私が足止めをします」

 セビリノが拘束の魔法の詠唱を始めた。


咎人とがびとよ、罪過の鎖に穢れし魂を繋がれよ! うねる蔦よ、標的を定めて絡め取れ! 縛りあげ捕縛せよ、汝は我が虜囚りょしゅうなり。カスタディ!」


 地面から太いつたが生えて、アジ・ダハーカに絡みつく。アジ・ダハーカは噛み付いて切り、鋭い爪で切り裂いて逃げ続ける。力をなくした今でこそ足止めになるが、全力だったら意にも介さないだろうな。

「くうぅ、面倒な魔法を使いおって……!」

 胴に巻き付いたものは、フンッと気合を入れると弾けて散った。

 セビリノの魔法で足止めしている僅かな間に、ラファエルが宣言を使う。あと少しで倒せそうなのに、確実にとどめを刺す為かしら。


ゆうべの風はあしたに芳香を残す。私はラファエル、生命の樹を守護する者。いと高き恩寵は上天より隔てなく与えられる」


 ふわっと柔らかい風が吹き、髪や服が舞い上がる。

 手に持っていた杖は、髪と同じエメラルドグリーンをした細身の剣に代わっていた。

「ちいぃっ……!」

 アジ・ダハーカが、二人を目掛けて黒い風を放つ。しかしラファエルの目の前で、透明なそよ風へと変化した。

 次に地面を盛り上がらせて足を止めようとしたが、中心部分から割れて、小さな欠片が赤茶色の硬い大地に散らばった。

「無駄なあがきだよ」

 ラファエルの剣がアジ・ダハーカを捉える。龍は手を出して防ごうとしたが、手ごと腹が切り裂かれた。赤黒いサソリが血の代わりにポトポトと傷口から零れる。

「ぐ、ぁ、が……!」

 まっすぐな切り口の中央で、石のようなものが真っ二つになっていた。バリンと割れて壊れると、アジ・ダハーカの体も土でできていたかのようにボロボロと崩れる。


 蛇タイプの龍だから、ドラゴンティアスはなかった筈。

 あの壊れた石のようなものが、生命を保つ媒体だったんだろう。上半身も下半身も細かく割れて、それが全てサソリや毒をもつ小さなトカゲなど、危険な虫に変化する。

 危険な虫を、攻撃魔法で倒す? でも汚染された土地は簡単には戻らない。浄化で何とかなるのかしら。早くしないと、あちこちに散ってしまう。

 とどめを刺し終えたラファエルが剣を振ると、剣はまた杖に戻った。白い杖で地面を二度突き、天へ向けて掲げる。


彩雲さいうんたなびき、奇跡の到来を告げよ。清浄なる無辺むへん蒼穹そうきゅうよ、世界を瑠璃の輝きで満たせ。芳魂ほうこん咲かすは花信風、しゅの言葉は鏡であり、反射するは栄光なり。フルール・ブリズ・ラヴィサン」


 再び杖で地面を突くと、地から黄緑色の光が溢れ、辺り一帯を照らし出す。

 サソリなどは幻だったように消え、異臭を放っていた血だまりも跡形もなく消滅した。ドラゴンの死体はそのままで。

 空気が清浄になった気がする。神聖な気が溢れて、光属性が強化された。悪魔には近寄りたくない空間だ。

「……これだからアジ・ダハーカの対処に、あやつが遣わされたのであろうよ」

 ラファエルは浄化が得意な天使なのね。天の側でもアジ・ダハーカの復活を把握して、派遣されたわけかな。


「とはいえなぁ、よく俺達三人が揃っているところへ来たモンだぜ」

 バアルが挑発的な眼差しを向ける。ラファエルは余裕の笑みを浮かべていた。

「ルシフェル様に醜態を晒す貴方じゃないだろう? 悪魔は詭弁をろうするが、約定は簡単にはたがえない」

「……貴様の物知り顔は反吐へどが出る」

「それで結構」

 バアルが突っかかっても、ラファエルはどこ吹く風で表情一つ変えない。反応が不満だったんだろう、バアルは舌打ちして顔を逸らした。


「……こっちでの用は済んだな。ルシフェル様、これにて失礼します」

「また地獄で会おう」

「はっ! では!!!」

 バアルは軽く握った手を前にして、挨拶をしたと思った次の瞬間には飛び立っていた。相変わらず行動が早い。もう姿が全然見えなくなったわ。

 元凶も倒したし、ドラゴン退治は終了……で、いいのかな。元々、全滅が目的じゃないもの、洞窟の中に逃げたドラゴンは追わなくてもいいわね。

「先生っ、どうしてこちらへ?」

 安全になったので、カミーユが先生の元へ駆け寄る。途中にあるドラゴンの死体を避けつつ。


「全く……、お前に説教しにきたんだよ。ちょうどラファエル様が天命をお受けになったから、まずはそれを果たしてからお前を捜そうと思ってたのさ。ちょうどいい」

「えええ!? この天才に説教とは、どういったご用件で……???」

 先生はラファエルと契約をしているのね。カミーユは行き先を告げていたのかしら。当てもなく捜索するとしたら、本当に大変ね……。

「……二人とも、積もる話は後にして。ルシフェル様、アジ・ダハーカの説明は私がこの国の方々に致します。後はお任せを」

「ではね。私もそろそろ地獄へ戻る」

 ルシフェルとラファエルは、あっさりと別れた。ベリアルは特にラファエルとは会話をしなかった。


 私達は先に山を下りた人達といったん合流し、討伐は終了したと伝えた。

 浄化も終わり、後始末をしてくれた天使が岩山に残っているので、すぐに兵を向けて欲しいとお願いして。

 元凶をほふったものの、強いドラゴンを全て倒したわけでもない。まだ安定していないので、しばらくは岩場を警戒する必要がある。

 まだ山から下りたドラゴンとの戦いをしているところもあったが、今いる分を倒せば、もう来ないだろう。

 目的を果たしたし、私達はすぐチェンカスラーに帰る。注文品が作れるわ!

 本当は薬草を買い付けたかったんだけど、緊急事態宣言が発令されていた影響で、今はお店の商品がガラガラなんだって。採取に出掛けられないし、他国とのやり取りも最低限になっていたから。


 買いものは数日待つか、日を改めた方がいいとアルベルティナが教えてくれた。

 そんなわけで、国境付近の空を皆で飛んでいる。エクヴァルはキュイに、カミーユは先生を後ろに乗せてペガサスに、それぞれ騎乗して。カミーユの先生も長距離の飛行はあまりしないみたいね。

「本当にドラゴン退治で終わりましたね。でもルシフェル様がとどめを刺さないとは思いませんでした」

 結局三人の中でドラゴン討伐をしなかったのは、ルシフェルだけだった。何気なく呟くと、ベリアルが呆れたような視線を投げてきた。

「阿呆。ラファエルが派遣されていると気付いた時点で、ルシフェル殿に倒す気などないわ」

「花を持たせるとか、そういう感じですか?」

「ラファエルは四大天使の一人、風属性の天使である。それを遣わすとあらば、アジ・ダハーカの討伐は神の意志であろう。神の命令に従うような真似を、地獄の王がするかね」

 そうか、神様の命令を聞く形になるのがイヤだったんだ……!

 どう見ても天使なのに、やっぱり悪魔なのよねえ。


「カミーユ、この方々は地獄の方?」

「そうみたいです。ベリアル殿とイリヤさんが契約していて、……そうだ、イリヤさんはすごい魔法アイテム職人なんです! 世界一と自称するほどの!」

「誤解です、自称してません! セビリノが勝手に言っているだけで」

「勿論私は、先生が世界一だと信じてます! なので是非、先生の世界一の技を披露して頂いて、勝利の勝鬨かちどきを鳴らすのです! そして世界一の称号は先生のもの……」

 弁解もさせない勢いでまくし立てる自称天才、カミーユ・ベロワイエ。

 先生は笑顔で聞いていたが、いきなり持っていた杖でカミーユの頭を叩いた。


「いい加減になさい! アイテム作製の腕は誰かと競って優劣をつけるものではないと、何度説明したら分かるんだい!!! そもそも私の質問に、先にしっかり答えなさい!」

「……先生、私もよく分からないんです。他の方の契約者についてなんて、気軽に質問しませんし……」

 そりゃそうだ、私もあんまり説明した覚えはない。そもそもそういう話にならない。彼女は何故か、セビリノと競っているし。

「それなら最初から、そう答えりゃいいのよ。大体貴女はね、自分を天才なんて言って、変に格好を付けてみたりして。ただでさえバースフーク帝国の女性魔法アイテム職人は色眼鏡で見られやすいんだ、余計な争いをせずにだね、周囲との協調を心掛けて……」


 先生のお説教が始まった。ペガサスに二人乗りをしているカミーユには、逃げ場がない。後ろから続けられる説教を、ただ無表情で聞き続けていた。

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