第342話 魔法調査局のジャクリーン
村の薬草医の診療所に入るなり、地獄の王の魔力に驚き入り口でへたり込んでしまった女性。
部屋の奥にはベリアルとパズスが並んで立っている。地獄の王二人が並んで見下ろすと、さすがに威圧感がすごい。
「あ、あの。どうし、たの? 具合、悪いの? 立てる……?」
ちょうどやって来たリニが、後ろから心配そうに女性を覗き込んだ。
女性は振り返り、首を振って立ち上がる。外で待つ病人や付き添いの人も、何事かと注目していた。
視線に慌てつつも鞄をあさり、冊子を取り出してペラペラとめくった。
「驚いてしまっただけです。私も国に仕える魔法使い、貴族悪魔の対応は学んでおります。マニュアル、マニュアル……、ええと失礼の無いあいさつをして、まず話し合い!」
地獄の王二人は、女性の奇行を興味深げに眺めている。女性は緊張した面持ちでゴホンと咳払いをし、気合いを入れて二人を睨んだ。
「初めまして、私の名前はジャクリーン・バンフィールドです。このカストノン国の魔法調査局に在籍する、魔法調査員です。あなたの名前はなんですか? また、あなたは契約をしているのでしょうか?」
教本そのままなんだろうな。あまりにも真面目な表情で定型句を唱えるので、ベリアルが吹き出しそう。
「俺は契約してねーが、こっちのベリアルはあの女としてるぜ」
パズスが親指で私を指すと、彼女と目が合った。ジャクリーンは私を確認して、また視線を教本に戻し、二ページめくって頷く。
「地獄の貴族が契約するのは基本的に、条件が合ったか、自分に都合がいいという場合。相手を気に入っていることが多いので、契約者にも礼を欠いてはならない。契約に対する批判や質問は控える。特に高位の貴族は、契約者に怪我や不快な思いをさせるとプライドを傷付けられたと感じる。契約者にも慎重に対応すべし。よし」
自信満々に頷いているけど、全部言葉に出てますよ!
「……そなた、病の調査に来たと言っておったのではないかね?」
「はい、そうです。こちらの先生に用事があって……、ええと、何してたんだっけ??? すみません、少しの間、静かにしてもらえますか? 分からなくなっちゃうんで」
「静かに……、喋るなだとさ、ベリアル!!! ひーっひっひっひ!!!」
パズスは大笑いで、苦い表情をするベリアルの背中を軽く叩いた。ジャクリーンはそんな様子にはお構いなしで、まだマニュアルに目を通している。
「次は。敵対する可能性があるか、滞在するのはどこかなど、探れたら探る。ただし、不審がられる行為は慎むべし。……できる」
今までのやり取りの、どこで自信を持ってしまったんだろう。ジャクリーンは教本を開いたまま、やる気に満ち溢れた瞳をして顔を上げた。
「あの、私達は、移動中なだけだよ。お薬の材料を、届けに来たの……」
彼女がこれ以上魔王と対話するのは、危険だと判断したのかな。質問をする前に、リニが答える。
「小悪魔ちゃんも、この方々と一緒ですか?」
ジャクリーンが振り返る。エクヴァルはリニの後ろに立っていた。リニを見守るスタイルだ。
「え……と、ベリアル様と、私の契約者が、お仕事仲間、だから」
「ベリアル様……、赤い髪の目付きの悪い方ですね! では、もうお一方は?」
目付きが悪い。事実とはいえ、せめて目付きが鋭いとかの表現にした方がいいのでは。失礼の無いようにするのではなかったのかしら。
「こちらは病を操る悪魔の方で、村の病人全ての熱を下げてくれた、恩人ですよ」
見かねた先生が、証言してくれる。今は大笑いしているパズスに、いつ限界がこないとも限らない。
ベリアルは黙っている。怒っているというより、呆れている表情だわ。ここで反応したら、またパズスにからかわれてしまうので、ツッコミもしない。
「熱を下げる!?? 悪魔が人間の病を治療をするなんて、初めて聞きました。どうやって……、とても気になります!」
ガラッ。
ジャクリーンが興奮して詰め寄りそうになったところで、製薬室の扉が開く。
「粉に致しました」
会話を
マイペースな彼は、ジャクリーンが悪魔に気を取られて自分から意識が外れたのを確認すると、無言で診察室を出て、製薬室で石を粉にする魔法の実演を始めていた。
「先生、この魔法いいよっ! キレイに粉になるし、早いし楽だ」
薬を作るお手伝いをしていた、大工の男性も顔を出す。
「しまった、教えてもらいそこなった。お前は覚えたか?」
「一応覚えましたけど、ちゃんと魔導書を買った方がいいですよ」
薬草医の弟子が魔法で粉にしたものも、成果を見せる為に紙に載せてあった。まだ荒くて、大きさもまちまちだわ。もう少ししっかり粉にした方がいいわね。何度も唱えて慣れれば、一度でできるようになると思う。
「粉にする魔法の魔導書なら、大きな魔導書店には売ってます。国としても確保していますから、指導員の派遣をできますよ。ただ、今回の病が収束してからです」
ジャクリーンがしっかり受け答えしている。イレギュラーに対応できないだけで、元々の自分の仕事はきちんとこなせるタイプなのかな。
「じゃあ派遣をお願いしようかな。魔導書も買っておく」
先生とジャクリーンが約束をしたので、石を粉にする魔法の件は任せておけばいいわね。話が決まって、弟子とお手伝いさんも喜んでいる。
「私達は目的だったハイ・リーの魔核を渡しましたので、これで……」
終わったし、次に行こう。
診療所を出ようとしたら、衝立の脇に立っていたエクヴァルの服の裾を、リニがツンツンと引っ張って見上げている。エクヴァルは仕方ないな、という風に苦笑して、一歩進んだ。
「はいはい、どうも話が進まないので、仕切らせてもらうね」
仕切り直しをしようと、手をパチンと叩く。
「えーと、貴方は」
「彼女の護衛のようなものです」
ジャクリーンの質問に答えて、エクヴァルが私にチラリと視線を送った。
待合室で待つ患者さんは国の調査員が来ているので、時おり辛そうな息を吐きつつ、大人しく待っていた。
「まず、貴女は病の状況を調査しに来ているんですよね」
「……そうです、そうでした。悪魔を調べに来たんじゃないんです!」
ハッとするジャクリーン。当初の目的はすっかり抜け落ちてしまっていたようだ。
「この村の病は、パズス様が熱を下げてくださったので、後は残った症状を治療するのみ。重篤な方はいない、そうだね先生?」
「ああ、足りない薬や材料さえもらえれば、助かる。余所はもっとヒドい有様だろう、無理は言わない」
ジャクリーンは慌ててボードとペンを取りだし、先生の回答を
「ただ、我々がこちらに来る途中、同じくこの村を目指す者を多く目にした。病が治るという噂が広まって、治療が追い付かない地域から集まってきているのだろう。こちらは対策が必要では?」
「確かに、村に来る患者が途切れませんね。病人に長距離の移動を強いれば、例え馬車や荷車に寝て運んでも病が悪化します。双方の為に良くないでしょう」
いったん言葉を区切って、ジャクリーンはペンを顎に付けて考えた。
皆が次の言葉を待つ。
「……あの、病を治した方……パズス様は、どの程度この村に滞在される予定でしょうか?」
これは先生も気になっていたよね。視線がパズスに注ぐ。
「俺か? 俺は予定なんてねえよ。契約もしてねえし」
「できれば終息まで滞在して頂けたら助かるんだが……」
先生の呟きに、弟子も頷いた。熱冷ましの薬は現時点で、一つも残っていないらしい。新規の患者に対応できなくなってしまう。
「うむ、ならば契約を結ぶべき」
ですよね、師匠! と、続くのが、言葉にしなくとも分かる。セビリノがやたら自信満々に私を見ている。
今回のケースでは、真っ先にパズスの対応をするのが正解だったのでは。
「ですが、高位貴族悪魔ですよね。どんな代償が……、あ。分かりました、魔法調査局の局長の命を捧げます」
「知らねえヤツの命なんていらねぇよ」
平然ととんでもない発言が飛んだわ。ジャクリーンは他にどんなものならいいかしら、と悩んでいた。
「勝手に他人の命を捧げてはいけませんよ……」
「ご安心ください。局長は常に国の為に身命を
それは多分、本当に命と交換にするような意味ではなく、比喩ではないかしら。
「お前は物怖じしねえし、面白いな。いいぜ、短期の契約ならしてやる。病の収束に力を貸す、代わりにしっかりと俺をもてなせよ」
いたずらっぽくパズスが笑った。ジャクリーンは不思議そうにしている。
「私は召喚術師ではありませんが」
「そーゆーのは関係ない。術がいるのは召喚と送還だけだぜ。ま、本職がいるトコでやるか」
私も召喚術なら得意だし、アドバイスとかはできる。今回はこの国の召喚術師に監修してもらうようだから、出る幕はないね。
「じゃ、イリヤ嬢。残りの魔核を彼女に預ければ、目的を果たせるね」
「そっか……、彼女はこの国の調査員だから、必要にしている地域に回してくれるわね」
エクヴァルに言われるまで思い付かなかった。他に寄らずにも済むし、助かるね。
「魔核……ですか?」
「ハイ・リーの魔核です。腹痛に効果があります。とある港町で、大量に採れたと安く販売していまして」
「全て買い取ります。そのお話も詳しく教えてくださいっ!」
今日一番の食いつきだわ。
私はジャクリーンに場所などを説明して、魔核を自分と人にあげる分を少し残し、買い取ってもらった。この国での用事は全て終了ね。
「じゃあな、ベリアル」
パズスは新しく集まった病人を治してから、ジャクリーンと移動する。この村には熱冷ましの薬が優先的に支給される。
「あのような無礼で無知なる女と、本当に契約するのかね。全く物好きなものよ」
「お前には負ける」
……二人が同時に、私に視線だけ向ける。むむむ。
「皆様ありがとうございました。これで収束の目処が付きました。アーレンス様とお話する時間がなくて、残念です。あの、サインだけお願いします」
鞄にある書類の中から、ジャクリーンは一枚の紙を取り出した。
私達がサインする書類があるのかしら。魔核の取引とか?
紙は私を通り過ぎてセビリノに差し出され、彼は受け取ると怪訝な瞳でそれを眺めた。
「……何も書かれていないが?」
「ですからサインを……、色紙がなくてすみません! “ジャクリーン・バンフィールドへ”と、入れてください」
あ、有名人にもらう方のサインね……!
セビリノが眉根を寄せている。彼には名前を書く意味が分からないのだろう。クリスティンの握手をしてくださいよりも、証拠が残る分、建設的でいいのでは。
「せっかくだし、書いてあげたら?」
「師がそう仰るのでしたら」
セビリノがサインを書くと、ジャクリーンは両手を握ってやったと喜んでいた。キラキラした眼差しで、ペンを走らせるセビリノを待っている。
「ありがとうございました、仲間に自慢します!」
「うむ。職務に励むよう」
「はい! アーレンス様も皆様も、お達者で! ……あれ、師……?」
無反応だと思ったら、今になって気付いたか。
さっさと行っちゃおう。
「では失礼します!」
「待ってください、え、師……!??」
本当なら薬を作る手伝いでもしたいけど、ルシフェルを待たせているしね。出発です。エクヴァルとリニは、裏の森でキュイを呼ぶ。
診療が再開され、治療を待つ人が診察室に呼ばれた。
外には来た時よりも多くの人が待っている。パズスがいるから、もう大丈夫ね。
目の前をペガサスが飛んでいった。ポーション瓶のマークが書かれた布を付けているので、薬を運んでいるんだろうな。
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