第339話 猫の宿

「猫の宿、本日はまだ空室がありますよ~」

「先程、予約していた者です」

 呼び込みの人に兵が告げると、隣の猫人族が嬉しそうに髭を揺らした。

「ようこそー、お客様の到着です。ご案内~!」

 猫人族が扉を開けてくれて、宿へ入る。猫人族はみんな同じようなベストを着ていて、色が何パターンかあるみたい。この子は緑。踊っているの猫は、赤いベストを着ている。

 観衆の中にも、ここに泊まろうかと相談している人がいた。


「お待ちしておりました、本日は新館のご案内になります」

 紫色のベストと、同じ色の帽子を被った、落ち着いた印象の年寄り猫人族が出迎えてくれる。

「お客様を宜しく。海上封鎖が解かれたから、これからは今まで通りになるよ」

「ははは、宿は封鎖されて人が足止めをされていた方が、客が増えましたなぁ。ただ、物流がとどこおるのは食料に大きな影響が出ますし、好ましくないですねえ」

 紫ベストの猫人族は、とても理知的! 名前を書いて受付をしてください、とロビーにあるテーブルを指した。ソファーに座ってて良いのかな?

 言われた席に座ると、すぐに他の猫人族がボードに載せた紙を運んでくる。緑のベストを着ているわ。


「こちらでお支払いしますから、食事なども遠慮なく頼んでくださいね」

「ありがとうございます、ではお言葉に甘えさせて頂きますね」

 兵は軽く会釈してから、紫ベストの猫人族にあと二人来ると告げて、帰っていった。

 

「ここに泊まるひとの名前と種族を書くのです。全員です。あとにゃ、住んでるトコとお出掛けの目的も書くと、とてもいいです。文字が書けなければ、人を呼んじゃいます」

 必死に敬語を喋っている感じが可愛い。私はペンを受け取り、必要事項の記入を始めた。

「自分で書けますよ。住んでいる場所なら、チェンカスラーね。目的は……帰郷した帰り道、かな。ベリアル殿は地獄……、目的は意地悪……」

「下らぬことは書かんで宜しい。そもそも目的など、全員分ではなく一組に一つ、この宿や町を宿泊に選んだ理由が知りたいのではないかね」

 はあはあ、なるほど。

 選んだ理由は、猫を勧められたから、と。


「チェンカスラーって、どこ?」

「さあ、聞いたことないわねぇ」

「人族はたくさん国を作るなあ」

 いつのまにか集まった猫人族が私の用紙を覗き込んで、ひそひそ話をしている。全部聞こえていますよ。

「お前達、失礼をするなよ。それと新しいお客さんだぞ。受付の仕事、覚えたか?」

「はーい、わたしが行きます。受付なんて余裕よ」

 人に呼ばれて、お喋りをしていたうちの一人が返事をして駆けていく。後ろからもう一人が、手伝うよと追い掛けた。


 猫人族の背中を見送った後、静かにしているリニに視線を移した。リニは大きな窓の前で踊っている猫達に、釘付けになっていた。

「リニちゃん、受付けが終わるまで、猫踊りを見て待っていてくれる?」

「……いいの?」

「ええ、私も受付が終わったら見に行くわ」

「うん! 先に行ってるね」

 リニも尻尾を揺らして、小走りで踊っている猫の方へ向かった。

 猫踊りの効果か、またお客が入ってくる。リニはいったん立ち止まって、相手が通り過ぎてから、今度は走らずに猫踊りの近くまで進んだ。


「では続けます。ご飯は食べたりしますか?」

「朝夕欲しいですね」

「ここに書いて書いて。ご飯はえ~と、一階です」

 猫人族には、文字が読み書きできない人も多い。彼もその一人のようで、書くのは私だ。そして違う場所を指している。読めてない。

「料理はいい方? 普通の方?」

「いい方にします」

「書いて書いて。猫踊り、いる?」

「必要ですね」

「書いて書いて」

 書いてが口癖なのかな。私が書き込むのを、楽しげに眺めている。

「猫踊りなど必要かね」

 ベリアルには可愛いものの良さは分からないようだ。これはちょっと高尚な趣味なのね。


「どうですか、順調ですか?」

「猫マネージャー! もちろんです。だいだい終わっちゃったから、次は館内の説明をする番です」

 さっきの紫ベストの老猫人族が、足音も立てずに様子を見に来た。どうやら紫ベストは、ここに勤める猫人族で一番偉い人の証らしい。続けて、と髭を撫でている。

「隣のお土産屋さんがお勧めです」

「館内じゃありませんねぇ」

 猫マネージャーがピシャリと注意する。館内の説明なのに、最初に出たのが隣のお店だった。

「えーと、新館はあっちです」

 入って右手がロビー、左側で猫踊りが披露されていて、左奥が客室入り口。新館は正面の右側にある廊下で繋がっている。

「お部屋の鍵をお渡しして、番号を伝えるんですよ」

「やります。お部屋は三階で、三○三、四、五、あと二階の二○八……五人なのに一つ足りない……」


「二人が同じ部屋だから、それで問題ありません」

 エクヴァルとリニは同室なのよね。二階が二人部屋らしい。私達の鍵を受け取り、セビリノの分は本人が来たら渡してもらうようにお願いしておいた。

 ちなみに同室が契約している小悪魔くらいなら、一人部屋に案内してくれる宿もあるよ。

「食べるところは一階です。飲みものとかおやつが欲しくなったら、ロビーの脇のねこねこ亭で買ってください。いらなくても買ってください」

「押し売りをしてはいけません」

 また猫マネージャーに注意されていた。説明していた猫人族は、笑って聞き流している。

「僕たちが作ったものも売ってます」

「では後でお買いものをしますね」

「隣のお店にも売ってます。買ってね」

 なるほど、それでお勧めのお店なのね。ねこねこ亭では丸いテーブルと椅子が用意されていて、二人組が座っている。猫人族がトレイに載せた飲みものを運んでいた。


「今度は黄緑のベストの子だ。たくさん雇っているんですね」

 若い猫人族が、他の子と一緒に接客をしている。人間でいうところの、十~十五歳前後かな。猫顔は年が分かりにくいわ。

「あの子は違いますね、従業員じゃありません。勝手にベストを作って、従業員ごっこをしている子です。楽しそうだと、たまにまぎれているんですよ」

 猫マネージャーは、何事でもないように説明してくれる。猫人族って、本当に自由なのね……!

「よくあることなんですか……!?」


「あります。そもそも我々のほとんどは、人より安いお給料の代わりに、好きな時に月に十日以上出勤する、という緩い約束でお仕事をしているんですよ。猫人族は縛られることを嫌いますからね。そして楽しそうに仕事をしていると、仲間が付いて来たりするんです。ケットシーも、弟分としていつの間にか増えてました」

 いつの間にか増える従業員。

 宿の側も、それでいいのだろうか。


「その日に出勤する人数が分からないんじゃ、少なすぎる時もあるんじゃないですか?」

 人手不足……、いや猫手不足が起こるんじゃないかしら。心配になるわ。

「そういう時に呼んで、と約束している仲間もいるのです。今日は猫踊りに、踊り要員を追加していますよ」

「猫踊り要員! もしかして、赤いベストの子達ですか?」

「そうです、赤いベストは猫踊り専門ダンサーです。気が向くと、あのスペースで踊ってます」

 館内の人が集まっていて、猫踊りが見えない。リニの姿もないので、上手く前の方に行かれたみたいね。不意に拍手と歓声が起こった。踊りが終わったのかも。


「猫マネージャー、僕、飽きちゃうよ。そろそろご案内させて」

「おや待たせたねえ、じゃあお客様を部屋にお連れして」

「はーいはい」

 緑ベストの猫人族は片手を上げて、やる気十分にくるりと回った。こっそり眺めていた人まで笑顔になっている。

「リニちゃん……、女の子の小悪魔も一緒なんです。合流しないと」

「私が連れてきましょう。肉球ぷにぷにサービスを受けて待っていてくださいね」

 猫マネージャーがひょいひょいと歩いて、まだ集まっている人の中へ器用に入り込む。


「はい」

 残った緑ベストの猫人族が、両手のひらを上にして、私に差し出した。

「ええと」

「ぷにぷにしていいよ」

「ありがとうございます……??」

 これが肉球ぷにぷにサービス? 私はとりあえず両手で片手を包んで、ぷにぷに感を味わった。

「悪魔さんもどうぞ」

 余った片手を、ベリアルに差し出す猫人族。ベリアルは一瞥しただけで、足を組んで不機嫌そうにする。

「いらぬ!」

「照れなくていいのに」

 猫人族は全然こたえていない。

 そうこうしているうちに、猫マネージャーに連れられてリニが戻ってきた。


「イリヤ、猫踊り終わっちゃった……」

「大丈夫、夕飯時に頼んであるわ。楽しみね」

「またやってくれるの? 良かった、エクヴァルにも見せられるね」

「そうね。で、リニちゃん。その子は?」

「……え?」

 リニの後ろに、赤色ベストを着た猫踊り要員の、灰色ケットシーが付いてきている。リニは気付いていなかったみたい。

「にゃ! 小悪魔ちゃんと遊びに来たよー」

「残念でした。このひとたちはこれから、僕がお部屋に案内するんだよ」


 緑ベストの猫人族が、ケットシーを追い払う。ケットシーはいやいやと首を振った。何この可愛い喧嘩。

「え〜、ボクもやりたい!」

「僕のお仕事だ!」

「やるやるー!」

「お前たち、お客様の前で喧嘩してはいかん!!!」

 猫マネージャーが怒鳴ると、二人とも毛を逆立てて一瞬で静かになった。

 目がまん丸だ。


「ええと、じゃあ私は猫人族の子、リニちゃんはケットシーに案内してもらいましょう。部屋の階が違うから」

「「そうするー」」

 すぐに納得してくれて、私達は一人と一匹に案内されて部屋へ向かった。

「皆様ごゆっくり」

 軽く頭を下げた猫マネージャーに、見送られる。

「ご案内、ご案内〜」

 どうやら案内は人気の仕事らしく、他の猫人族も髭をピンとさせて、誇らしげにお客を誘導していた。


 リニとは二階でいったん分かれる。猫に連れられるリニの図がとても可愛い。

「こっちだよ。にゃ、小悪魔ちゃん、お部屋で遊ぼう!」

「え……うん……???」

 リニが押し切られてしまった。ケットシーなら戦闘はほとんどできない種族だし、問題ないか。

 ベリアルと三階に上る間、わあいわあいと喜ぶケットシーの声が届いていた。


「じゃあ、夕飯は七時ですから。時間になったら、一階に来てね」

「はい」

 部屋は階段から近い場所だった。もう着いちゃった、と猫人族が残念そうにしている。ベリアルは構わず自分の部屋にさっさと入ってしまう。さすが悪魔だわ。

「じゃあね~」

 猫人族は手を振りながら去り、階段をぴょこぴょこ跳んで降りていった。

 猫の宿。

 面白いけど、部屋に入っちゃったら普通の宿よね。一人部屋にしては、わりと広い。きっと本館よりも広めにして、お金のある人の為に新しく作ったんだろう。


 よし、ねこねこ亭に行ってみようかな!

 部屋を見回すと、テーブルの上に猫型クッキーが二枚置かれている。これ、ねこねこ亭で買えるかしら? 可愛いから、アレシア達のお土産にしたいな。

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