第336話 イルルヤンカシュ退治

 ネレウスは私より背が低い、細身で小柄なおじいちゃんだった。

 白髪に白い髭、杖を持ちローブを羽織っている。海軍提督だとベリアルが言ったものの、どちらかといえば文人のような上品な雰囲気をまとっている。

 海の老賢人とも呼ばれ、普段は大人しい悪魔のようだ。ただし軍事となると、厳しい。


「実は人間どもが海の守りを固めようとしましてな、何をトチ狂ったのかタラスクスを召喚したのです」

「それはトチ狂ってますねえ。人に危害を加える魔物だった筈です」

 タラスクスは顔がワニで甲羅を背負い、体は硬い鱗に覆われた、蛇のような尻尾を持つ六本足の魔物。毒の息を吐くので、わざわざ召喚するのは危険なのだ。大きさは人を飲み込めるほどで、淡水でも塩水でも生存できる。

「左様。そして海に逃げられ、広範囲を封鎖して退治しようとしたのですじゃ。が、海に潜られ発見できずにいる間に沖まで逃げられ、発見した沖で討伐を始めたところ、こともあろうかイルルヤンカシュの縄張りでございまして」


 つまり、召喚した魔物に逃げられたのを隠して退治しようとしたら、凶暴な龍も加わってしまった。おかげで隠しきれなかったどころか、イルルヤンカシュとタラスクス、両方を倒さなきゃいけないのね。これが唐突な軍事演習による一方的な封鎖の、真実なの。

 で、彼は討伐には加わらないのかしら?

「そなたは契約しておったのかね?」

「そうではござりませぬ。タラスクスの捜索と討伐に、喚ばれましたのじゃ。現在はこの脅威を退ける手助けをする、短期の契約をしております。全く知識もなく偶然召喚してしまい、海に逃げられて捜索が困難になり、途方に暮れておりましたのじゃ」


「確かに、あの手の魔物は海に潜られると見つけられないので、厄介ですよね。海中を捜索できるものを召喚するのが正しいやり方だと思います」

 このおじいさんが海に潜ったのかな?

 ネレウスは頷き、説明を続けた。

「ワシの直系には海の妖精ニンフがおるでな、海には詳しいんじゃよ。そこらの人魚だのを集めて手伝わせ、タラスクスを発見したのじゃ」

 なるほど、海に棲んでいる生物の協力を得られたら、心強いね。ただ、発見された場所が悪かったわけか。

 会話中にも、龍との戦いは続いている。


 海の上に真っ黒い雲が渦を巻き、雷が落ちた。雷の魔法でイルルヤンカシュを攻撃したのだ。イルルヤンカシュが尻尾を大きく動かして海面を打ち、大波を起こす。

 龍の厄介な点は、海を激しく荒らすことだ。船が転覆しちゃうし、海岸にまで被害が及ぶ。

 船に乗っている魔法使いが防御の魔法を唱えた。海水が壁のように盛り上がって、波を防ぐ。広範囲に渡る大波なので全ては防ぎきれなかったが、かなりの威力を削ぐことに成功した。


「ネレウス様、ご指示を頂けませんでしょうか」

 後ろにいる魔法使いが、申し訳なさそうに声を掛ける。彼が短期で契約をした、契約者ね。

「そうじゃったな。マトモにやりあってもし魔力が尽きれば、全滅もあり得る敵じゃて。沖へ押し返す手助けはせんとな」

 この調子で攻撃を続ければ倒せそうだけど、万が一に備えて撃退するだけみたい。タラスクスもいるから、両方一気に相手をするんだしね。どちらも防御に優れていて、倒すのが厄介な魔物だ。


「ネレウス、そなたは防御とタラスクスに専念せよ。手負いのイルルヤンカシュは我が狩ろう」

 タラスクスはここより南で、別の部隊が戦っている。

 船から放った矢は硬い甲羅に阻まれてダメージを与えられず、空を飛べる騎士が持っている槍は折れてしまっていた。魔法で甲羅に傷を付けたが、海面から出すのは甲羅ばかりで攻撃が本体に届かず、攻めあぐねている。

「は、心得ました。イルルヤンカシュと戦っておる部隊は、最低限だけ残し一旦離れよ! タラスクスに専念するのじゃ!!!」

 ネレウスの号令に、兵隊に動揺が走った。暴れる龍を放置するわけにはいかない。

 しかし魔法使いなど魔力に敏感な者は、ネレウスのとなりにいるベリアルの姿を確認すると、すぐに状況を理解した。飛んでいる者は船に降りて、状況を説明する。


「わ、私、邪魔なら、どこかの船に降りているよ」

「大丈夫だよ、私も海で龍とは戦えないし、キュイも上位の龍には向かえないよ。一緒にタラスクス退治を手伝おうか」

「すごく硬そう。どうやって倒すのかな……」

 キュイが旋回し、二人はタラスクスの上空へ移動した。向こうで戦う魔法騎士の元へ近付く。

「ネレウス様の紹介です、助太刀します」

「助かるが、ここでの戦いは秘密にしてくれ……!」

「ははは、お互い様です」

 船はタラスクスを逃がさないとばかりに、囲むように配置されている。

 ただ、体当たりでもされると転覆の危険があるから、前線はかなり怖いだろう。背後には緊急時に救助する為に、ロープや小船を素早く出す用意をした船もいる。


「炎よ、濁流の如く押し寄せよ! 我は炎の王、ベリアル! 灼熱より鍛えし我が剣よ、顕現せよ!」


 ベリアルの手に、黒い炎の剣が握られる。さすがに海で龍と対峙するだけあって、最大の攻撃力を付けたようだ。

 飛行魔法でイルルヤンカシュを警戒していた魔法使いや魔法剣士は、いったん船に降りた。

 龍に炎を浴びせて果敢に斬り付けるベリアルに、おおっと歓声が上がる。硬い皮膚に傷がついて、イルルヤンカシュの胴から血が流れた。

 吼えながら頭を大きく振ったイルルヤンカシュを避け、ベリアルはスッとさらに上空へ移動する。ここで私達の魔法の出番だわ。


「ストームカッター!」

 まずは風属性の切り裂く魔法で、どの程度効果があるか確かめた。

 鱗に線が入るが、壊すまでには至らないようだ。魔法の耐性も強そうな龍だわ。

 続いてセビリノが、ブレスのように炎を浴びせる火属性魔法を唱える。


「赤き熱、烈々と燃え上がれ。火の粉をまき散らし灰よ散れ、吐息よ黄金に燃えて全てを巻き込むうねりとなれ! 燃やし尽くせ! ファイアー・レディエイト!」


「グアオォオオ!」

 イルルヤンカシュが叫びを上げて、体をくねらす。こちらの方が効いているようだ。暴れて波が押し寄せるのを、船で待機している魔法使いが防御魔法で抑えた。

 波消し専門の魔法使いがいるのね。海の、特に海岸近くでドラゴンと戦うと、高波が浜まで押し寄せてしまう。大抵こういうのは攻撃に加わるレベルじゃない魔法使いや、海では戦えないがそれなりに魔力のある兵士が担っているよ。

 エグドアルムでも海戦では波消しに部隊を割くけれど、龍神族が起こした波を消すのは、かなりの魔法使いでなければ無理だったのだ。

 

 イルルヤンカシュの尻尾が、離れた船の近くで海面に飛び出し、船が大きく揺れる。巨大な龍は、思い掛けない距離から体の一部を突如として海中から出現させるので、離れて航行している船も油断ができない。

 舵を切る余裕もなく、船の甲板かんぱんに海水が入り込んでいた。出ていた人は濡れてしまっただろうな。直撃したり横波を受けていたら、転覆していただろう。

「焦るな、あいつ等は対処できる。魔法使いは詠唱に時間がかかるんだ、龍に専念しろ。援護の用意を。構えよ、放て!!!」

 別の船の指揮官が、揺れる甲板で指示を飛ばす。波の影響は多くの船にあるのだ。

 

 矢はあまり効果がなく、振り回された尻尾で弾かれ、次々と海に落ちた。矢の雨が止まると、イルルヤンカシュが前進してくる。

「陸に近付けるな、止めろ!!!」

 船で指揮官が叫び、素早くファイアーボールなど、詠唱の短い初級魔法が放たれる。しかしイルルヤンカシュには全く通用していなかった。


「巻き上がれ大気よ、烈風となりて我が敵を蹴散らせ! 汝の前に立ちはだかるものはなし! 一切を巻き込みし風の渦よ、連なりて戦場を駆けよ! クードゥ・ヴァン!!!」


 まずは沖へ押し返そう。私は渦を巻いた風が質量をもって、蛇のように襲い掛かる風属性の攻撃魔法を唱えた。風は海を掻き分けて飛沫しぶきを上げながら、蛇行して進んだ。

 途中でベリアルが風に向かって炎を放つ。火を帯びた竜巻のようになり、風がぶつかったイルルヤンカシュが身体を仰け反らせて後退した。

「グギャオオオァァ!!!」

 水に住む魔物は火属性が苦手な場合が多い。かなり効果があるようだわ。

 風が収まると同時に、ベリアルが龍に斬り付けた。頭を切り裂いて、魔法の火傷跡がある腹にも長い一文字の傷を作る。

「ふはははは、この程度かねっ!!!」

 返り血を浴びて笑っている。絶好調だわ。


 そこにセビリノが火属性の魔法を唱えると、イルルヤンカシュの悲鳴は更に壮絶なものとなり海原に響いた。

 大きく暴れた為に、四方八方に大波が押し寄せる。

「すぐに防御を……」

「こちらはお任せください!」

 帝国軍の魔法使いが、波消しの部隊に魔力を供給するよう指示し、魔法を唱える。


「海よ、大いなる太古の水よ、世界を覆う命の源よ。全てを呑み込む、大いなる力よ! 牙をむく大波を、我が守りとさせよ! 引き寄せよ、金波銀波。エメラルドの輝きにて、救いをもたらしたまえ! ブクリエ・ヴァーグ!」


 海が盛り上がって壁になり、陸や船に向かう波を防いだ。他の船からも唱えていたらしく、三つの壁ができあがる。正面が一番大きい。

 これで少しの間波が防がれる。ということは、維持してもらっている間に、範囲の狭い強い魔法を唱えてしまおう。

「セビリノ、攻撃するわ。魔力の供給をお願い!」

「はい、師匠! 一番弟子、セビリノ・オーサ・アーレンスにお任せください!」

 フルネームをいちいち名乗るとは、余裕ねえ。


「渦巻いて高く伸びよ、天を突く竜巻。根こそぎ奪い尽くす、猛威を振るう自然の脅威よ。コマの如く走りて弾け、砂塵を巻き上げ衣として纏え。一切の被造物を刈り取り、高く高くかかげよ。打ち捨てて叩き潰せ、容赦なき螺旋を描く破壊の風! カラミティ・トルネード!」


 三方を水の壁に囲まれたイルルヤンカシュを中心に、魔法の竜巻を起こした。

 強い風が起こり、水を巻き上げて激しく吹きすさぶ。水だけではなく、イルルヤンカシュの巨大な龍体まで持ち上がった。風にグルグルと、目では追えない速度で回されながら飛んでいく!

 龍は高く飛んで投げ出され、沖に落ちた。沖では噴水のように水が大量に跳ね上がる。

「わあ……龍が飛んだわ」

「さすが師匠、これは爽快でございますな」

 竜巻って凄い威力なのね。イルルヤンカシュに踏ん張る気力が無かったことも、華麗に宙を舞った要因だろう。


 船に乗って目撃していた大国の兵達が、沖を指さして騒いでいる。

「とん……飛んだ?」

「海の龍って、飛ぶ……!??」

「すげえ、どこの国の方々だ!??」

「え、いや人間?」

 ベリアル以外は人間ですが。

 しかしそんな満身創痍のイルルヤンカシュは、体勢を直してまたもやこちらを目指した。目が回っているのか、ふらふらとして真っ直ぐには進めていない。


「沖へ戻すだけじゃダメみたいね」

「どうも怒りが収まらぬようです。確実に討伐するしかありませんな」

「では、とどめといこうかね!!!」

 ベリアルが剣に魔力をまとわせ、沖へ向かう。私達もそれを追った。

 あと少しで、イルルヤンカシュを倒せるわ!

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