第335話 軍事演習、異常あり!?

 上空は青く、水平線が黄色に染まっている。日が傾いてきた。雲の色が濃くなり、曖昧な輪郭が太陽の色を纏っている。

 夕闇も近付く時間、砂浜には犬の散歩の人がいた。一人だけ暗い緑の毛をした牛並みの大きさの妖精犬、クーシーを連れている召喚術師がいる。獰猛だけど番犬にはピッタリなのです。

 砂浜で南に視線を向けているベリアルを、クーシーは避けるように迂回していた。


「ベリアル殿、南へ移動します。この付近には民宿しかなくて、あまりお勧めできないそうです」

 私はそれでもいいんだけど、さすがに民宿はベリアルが文句を言うわよねえ。

「……そうかね」

「……もしかして、悪魔か天使でもいるんですか?」

 大々的な軍事演習って、召喚した悪魔か天使との共闘作戦とか? 海だしドラゴンもあり得る?

 ベリアルは海岸沿いの道に立つ私の横へと飛んだ。

「さて、どうであろうかな?」

 これは誰かいるわ、決定ね。

 

 リニが海に向かって竹笛を吹く。羽を広げて海の上を滑るように、キュイがやってきた。

「キュイー、キュイイ!」

 砂浜にいた人が迫ってくるワイバーンに驚いて、走って逃げた。サクサクと砂が飛び散る。

「キュイ、少し南だって。また乗せてね」

「キュインキュイン」

 リニの前に降りて、甘えるように首を伸ばすキュイ。ゴツゴツした頭部を撫でてから、リニとエクヴァルがキュイに乗った。見ていた人が、うらやましそうにしている。


 飛び立って少しすると小さな村があり、海釣りをする人の姿があった。

 また一つと集落を越え、やがて屋根が並ぶ大きな町が視界に入る。いつの間にか国境を越えていたのね。海には船が並び、警戒している様子が見て取れる。ただ、演習は現在この付近で行われていない。海も静かだわ。

「じゃあ海岸の、人のいないところに降りましょう」

 空が紺色に染まり、月が白く輝きを放つ。もう夜になってきているので、海の近くは人が少ない。この国の兵が、封鎖された海を遠巻きに眺めているだけ。手出しはできないものの、警戒はおこたらないでいる。

 海岸沿いの岸壁に降りると、海から魔法使いが飛んできた。


「ここら辺の人じゃないですね? どこかの国の魔導師様とお見受けしますが、どういったご用で?」

 若い男性だ。軍の魔法使いに違いない。襟元に階級章を付けているが、どんな階級かは分からなかった。

「チェンカスラーへ帰る途中で、この町に一泊します。明日には旅立ちますよ」

「……そうでしたか。現在我がビュドルム帝国が海での軍事演習を実行中で、海岸から海洋へは立ち入りを禁止にしています。ここより南の海岸には近づかないようお願いします」

「分かりました」

 どうやら彼は注意をしに来たらしい。ベリアルをチラッと盗み見たが、特に彼については尋ねてこなかった。ベリアルは魔力を下位貴族に偽装しているから、それなら対処できるものを召喚しているに違いない。騙されている。


「警告を無視すると拘束する場合があります、くれぐれも近付かないでくださいね」

 念を押してから、海へ戻っていった。

「エクヴァル残念ね、演習は見られそうにないわね」

「合同作戦とかでもないみたいだねえ、本当に隣国の海を勝手に封鎖してる」

 確認できただけでも十分だから、と笑っている。

 ここにいても夜は更けてしまうので、店が並ぶ通りを目指した。キュイにも海はダメとしっかり言い聞かせておいたよ。


 宿はどこも空いていて、すぐに部屋が用意してもらえた。海が封鎖されたので、観光客が長居をせずに帰ってしまうと嘆いていた。この封鎖は唐突に始まり、かれこれ一週間も続いていて、いつまでかの通達もないとか。

 通常なら事前連絡はあるし、こんなに広範囲に渡って封鎖はしないのにおかしい、と噂になっていた。

 海路は陸路より早く南北を移動できる交通手段としても、重要なのだ。船便を待つ人にも影響があるし、長引けば離島の住民の生活にも支障が出てくる。


 宿のお食事は焼いた大きなホタテやエビのクリームパスタ、魚介のトマトスープなど、海の幸が満載だった。この町までは封鎖されているので、北にある隣町から

買っているとのこと。

 部屋は広くはないものの清潔だったので、ベリアルも文句はなかった。


 朝食は焼いたアジの干物にスクランブルエッグ、赤い大根のサラダ、それからリゾット。デザートのゼリー付き。

「イリヤ嬢、少し町で買いものでもしていいかな」

「せっかくだし、私も散策してみるわ。お昼前後に出発しましょうか」

 やはり海には近寄れないので、商店街を覗いてみよう。

「師匠、荷物持ちは私にお任せください!」

 セビリノがやる気を出しているが、アイテムボックスがあるから普通に収納できるわ。入りきらないくらい買うとでも思っているのかしら?


 エクヴァルとリニ、私とセビリノに別れて街へ繰り出した。ベリアルは適当に出掛けてしまったよ。海を封鎖されて緊張している関係か、町には兵の姿が多いし、危険は少ないという判断だろう。

「師匠、荷物をお持ちします」

「見ての通り、持ってもらうものはないわよ」

「それでも持ちます!」

 何を。荷物持ちは弟子の仕事だと思っていて、やりたがるのよねえ。

 仕方が無いので、近くにあったパン屋でパンを買った。

 パンなら軽いし良いだろう。セビリノが笑顔で、紙の袋に入った長い大きなパンを抱える。単にパンが大好きな人みたいだわ。


 商店街には、魚を扱うお店が多い。鮮魚は少ないながらも売っていた。やっぱり北の集落から仕入れているのかな。加工品はまだ豊富だ。魔法アイテムショップは見当たらない。路地に小さな薬屋がお店を構えていて、お客さんと会話をしている。

 お菓子屋さんにでも入ろうかな。

 今ケーキを買ってもダメかな。考えていると、商店街の広くない道を、海岸方面から誰かが叫びながら走ってきた。


「大変だ!!! 海にドラゴンが出た!」

 扉越しでもハッキリと聞こえる。表は騒然となっているよ。

「ドラゴンだって。どんなドラゴンかしらね」

 セビリノに語り掛けた。演習をしていて立ち入り禁止だから、私達には関係ないわね。構わずに焼き菓子を選ぶ。

 店内にいる別のお客と店員は、ドラゴンの報を受けてにわかに騒ぎ始めた。

「ドラゴン!?? 大丈夫なの、避難した方が良いの?」

「怖いわ、ブレスとか飛んでこない?」


「海のドラゴンは、よほどの事態でもなければ陸に上がって攻撃などせん。現在は軍が海に展開している、程なく討ち取られるだろう」

 パンを片手に抱えた、セビリノが説明する。長いパンなので、紙袋から頭が出ていた。

 店内に居合わせた人達がホッと胸をなで下ろし、店内はすぐに落ち着いた。

「そうですね、帝国軍がやっつけてくれますね!」

「うちの国の軍隊じゃ不安だけど、あっちは強いからねえ。安心だわ」

 会話をしている店員に、商品の会計をしてもらった。

 商店街は混乱していて、走って逃げる人もいる。警戒の兵士が、落ち着いて行動するよう注意していた。


「イリヤ嬢、ドラゴンらしいね」

 バタバタと移動する人の間を縫って、エクヴァルとリニが手を振った。背の高いセビリノを目印にしたのかも知れない。

「どんなドラゴンか気になるけど、海岸は立ち入り禁止よね」

「ん~、近くまで行ってみる? ドラゴンの専門家ですって言ったら、通してくれるかもよ」

「専門家じゃありません」

「いや君、かなり詳しいでしょ。それに演習で規制線を張っていても情報が漏れてるんだから、きっと軍も万全ではないよ」

 なるほど、確かに。海岸に近寄らせずに倒してしまえていたら、ドラゴンが目撃されることもなかったはず。


「王様も、海岸の方へ行ってるよ……」

 リニがそっと教えてくれた。魔力を探ってみたら、確かに海岸方面に感じる。

「え、あ、本当だわ。急がないと、揉めてたら大変ね」

 まずはベリアルと合流しなくては。

 海とは反対に逃げる人の波に逆らって、私達は騒然とした中を海岸方面を目指した。商店街を抜けると、警備兵以外はあまりいなくなった。不安そうな表情で遠巻きに海を眺める地元の人も、ぽつぽつといる。

「止まって! この先は帝国軍に封鎖されているし、ドラゴンが出たんだ。現在、王宮に報せを走らせている。とにかく近寄らないで!」

 必死に止めるのは、この国の兵士だわ。エクヴァルが一番前に進み出た。


「我々はエグドアルムの者で、こちらは宮廷魔導師のセビリノ・オーサ・アーレンス様です。ドラゴンでしたら力になれるかと、せ参じました。ビュドルム帝国側とはこちらで話し合いをしますので、ご迷惑はお掛けしません。ご安心を」

 わざとらしいほど恭しく、指を揃えてセビリノを示す。

 セビリノは堂々と頷いた。国の重鎮という雰囲気があるわ。

「うむ、ドラゴンであれば幾度も討伐している」

「そうでしたか、失礼しました。お気を付けて!」

 兵はいとも簡単に通してくれた。

 海への下り坂の向こうには、岩の多い浜辺のキノコ型をした奇岩の上空に立つ、ベリアルの赤いマントと髪が、風に揺れている。下には数人の兵が集まって何かベリアルに向かって呼び掛けているが、完全に無視しているよ。


「ベリアル殿」

「おい、君は飛んでいる彼の関係者か!?」

 坂を下りて名を呼ぶと、兵の一人が私に尋ねた。

「関係者というか、契約者でございます。ベリアル殿は悪魔でして」

 私の説明に、兵がこそこそと小声で相談を始めた。下っ端の人で、困っているみたいだわ。

「悪魔って角とか生えてなかったか?」

「それは小悪魔だよ。後ろの男性魔導師様といい、これはどっかの国のお偉いさんだ」

「この国には、こんな立派な方はいないわね」

 女性兵士の言葉に、うんうんと二人が納得している。所属を尋ねて上に報告するか、と対応を協議しているよ。


「ククッ……。そなたらは何を召喚しておったのだね? あの龍はイルルヤンカシュであろう、縄張りを荒らしたのであるな」

「イルル……ヤンカシュですか?」

 兵の一人が、訝し気に龍の名前を繰り替えす。

「イルルヤンカシュ、もしくはルヤンカスとも呼ばれます。太古の凶暴な龍で、海を荒れさせます。沖の海底に住んでいて、船が通るくらいでは何もしない筈ですが……」

 詳しくは教える気のないベリアルに代わって、私が説明した。

 演習で怒っちゃったのかしら。こうなったら、退治するしかないわね。

「緊急事態ですな、騎獣を呼んでいいですね? リニ、頼んだよ」

「任せて、エクヴァル」

 リニが竹笛を吹くと、内陸側の林からキュイが一目散に飛んできた。


「見ろ、ワイバーンだ!」

「アレに乗るの? すっげえ」

 キュイにエクヴァルとリニが乗るのを、子供のように目を輝かせて見ている兵達。

 うやむやな内に海上へと躍り出た。昨日警告に来た魔法使いもいたけど、海岸線辺りの上空でうわあ、と呟いただけで、移動を止められることはなかった。


「なーにをしておるんじゃ、バカタレどもがっっっ!!! ルヤンカスの巣をつつくような真似をしおって……! 面子めんつなどとっくに崩れておるぞ!」

 船が何隻も龍に対峙する中、上空で白髪のおじいさんが杖を振って叫んでいる。隣には魔導師が申し訳なさそうにしていた。

「手助けが必要であるかな?」

 ベリアルがおじいさんの背後にスッと立った。隣の魔導師はギョッとした目で振り向いたけれど、おじいさんはイルルヤンカシュに視線を留めたまま、顔を動かさない。

 このおじいさんも悪魔の貴族だわね。下位貴族に魔力を偽装したベリアルに対応しないということは、上位貴族なんだわ。

「いらぬいらぬ、手に余ろうが何じゃろうが、自分の蒔いた種は自分で狩らせねばならぬのじゃ」


「ほう……いらぬとな」

 ブワッと突然、ベリアルが魔力を開放した。おじいさんおローブが風にはためく。

「ほえっ!?? あ、ベリアル様でございましたか!???」

 突然自分の背後から王の気配がする、悪いドッキリだ。おじいさんは振り向くと思わず後退あとずさって、勢い良く頭を下げた。


「ネレウス。地獄の海軍提督であるそなたが、何をしておるのかね」

「先だって召喚されたのですが、まあそれがとんでもない不始末でして……」

 なにやら軍の不始末を隠ぺいするために召喚されたみたいね。

 それが凶暴な悪龍イルルヤンカシュと関係が……!??



★★★★★★★★★★★★★★


ネレウス……ギリシアの古い海の神様。神様で良いんだよね?

海の老賢人とか、どこかに書かれていた気がする。海の妖精ニンフであるネレイスのおじいちゃんに当たるようだ。その中にはポセイドンの妻であるアンフィトリテもいる、とこのと。


悪魔としてどこかで見た気がするんだけど、見つけられない。ネビロスと混同したかも知れない。

おじいちゃん悪魔海軍提督、イイネ!という気持ちで書いています。

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