第331話 大法官のお屋敷です

 羊先生にアルルーナの粉末をあげたら、可愛い猫の手作りコースターを三つもらった。黒はリニに、残りは通りがかった女の子が欲しがったからあげたら、ハンカチと交換になった。

 今度はこのレースのハンカチが限定品だと、女の子が欲しがっている。

「突然ごめんなさい。妹が欲しがっていたんで誕生日プレゼントにしようと思ってたんです。でも、お小遣いが貯まったから買いに行ったら、もう売り切れてて……。限定品だから、もう売らないって。お金はあるんで、ゆずってください!」

 女の子が深く頭を下げる。

 そういう事情なら……、そもそも偶然もらったものだしね。


「ええと……、どうしますか?」

 先頭にいた道案内の武官が困った顔で、こちらに近付いた。

「差し上げます。ハンカチは別に所持しておりますし」

「本当ですか!? ありがとうございます! お金、お金」

 女の子が布の小さな袋から、お金を取り出そうとする。

「いりませんよ、これは頂きものなのです。私もお金を払っていませんし」

「え、それじゃ悪いです……。あ、ならせめてこれを、……でもその辺のお花だしなあ」

 女の子が差し出したのは、切れ込みの深い緑の葉に、茎の先に小さな白い花が幾つもパラパラと咲いている、一見すると雑草の様な花だった。


「それはスチューン! どこに生えてますか? 私も採取できますか!?」

「これ? あっちの広いお屋敷の近くにたくさん生えてて、誰でも採っていいんですよ」

「良い情報をありがとうございます! 茎や葉を薬にするんです」

 九つの薬草の呪文で使う薬草。

 軟膏にもできるし、単体では毒消しの効果がある。ただしチェンカスラー周辺ではほとんど出回らないのだ。生えているのも見ないので、生息しておらず薬草としての認知度も低いんだろう。

 ここでも知られてないっぽいね。

 スチューンとハンカチを交換して、再び移動する。何度も中断してしまったが、今は本日の宿となる、大法官の別邸を目指しているのだった。

「その花、お預かりして宜しいですか? 暗くなるので今日はもう探せないでしょう。明日の朝、探しておきます。出発までにはご用意します」

「お願いします」

 地元の人の方が、生えている場所に詳しいだろう。スチューンを手渡した。ついでに、羊先生にも生えていると教えてあげた方がいい、とも付け加えた。


「……交換していけば、良いものになるのではないのかね」

「なったじゃないですか。スチューンがたくさん手に入りますよ」

「どこにでも生えている草ではないか」

「ベリアル殿、スチューンは雑草じゃなくて立派な薬草です。どこにでも生えているわけではありません」

 ベリアルは武官が持つスチューンに睨むような視線を向ける。

 いや、この目つきの悪さはいつも通りだった。宝石とかしか興味がないから、価値が分からないのねえ。仕方のない悪魔だわ。


 郊外にある大法官の別邸は四階建てで、先程の宿よりもよほど広い敷地を有していた。

 使用人が待っていて、鉄の門を開く。中では建物の脇に荷馬車が止まっていて、調理場の入り口から食材を運び込んでいた。奥には厩舎もあるし、馬車を敷地内に何台も置けそうだわ。

 室内からも、慌ただしく準備をしている声が聞こえてくる。

「ベッドはこちらですか〜」

「大法官様もまもなくご到着されるそうだ」

 見上げたら、ベランダから誰かこちらを見下ろしていた。身をひるがえして室内へ戻っていく。


「あれは……龍神族だね」

「マナスヴィン龍王であるな。ナーガ神族の八大龍王の一人、降雨をつかさど慈心じしん龍王とも呼ばれる者である」

「君とは正反対だね」

「どういう意味であるかな!?」

 ナーガ神族とは、ロンワン陛下率いる龍神族とは別の龍神族の一族で、ロンワン陛下よりも格が下になる感じだ。慈心ということは、優しい人に違いない。


「お待ちしておりました。まずはこちらでお寛ぎください、すぐにお部屋とお食事の準備ができますので」

 メイドに案内されたのは、応接間だった。かなりの人数が入れそうな広さがあり、庭が見渡せる。棚には本が置いてあり、自由に見てもいいようだ。

「突然すみません」

「お気遣いなく。我が国には貴族の方をお泊めできる設備と広さのある宿は、そう多くないのです。宿泊施設の不足をおぎなう為に、大法官様のお父上が来客用に別邸を建てたんですよ。食堂が三つとパーティールーム、それに会議室もあります」

 私達に同行している、武官が説明してくれた。なるほど、客を泊めるのに作られた建物なんだ。


「プレイルームには、ドミノとボードゲームが用意してありますよ」

「……ドミノ……」

 リニが繰り返す。やりたいのかな?

「やりますか? 荷物は部屋に運んでおきますので、どうぞ。我が国ではドミノは、大人にも人気のゲームです」

「一緒にやろうか、リニ」

「……うん!」

 二人はメイドに案内されて、プレイルームへ向かった。


 バルコニーから私達を眺めていたマナスヴィン龍王が、二人と入れ替えに姿を見せた。水色の髪で、留め具のないビラッとしたローブを着ている。

「マナスヴィン様、如何いかがされましたか?」

 武官が尋ねる。彼は挨拶にきた、とルシフェル達に視線を向けた。

「地獄の高貴なる方に、ご挨拶申し上げます」

 顔の前で手を合わせ太い袖を胸の前に垂らして、頭を下げる。

「うむ、息災であるかな」

「契約をしているのかな?」

「はい、雨を降らせる契約をしておりまして。特に種まき時に雨が降らぬ場合に、畑を潤す約束をしています。契約自体はその時だけで、相談にはいつでも乗る約束です」


 ベリアル達は、ナーガの長アナンタ・シェーシャは元気にしているか、などと質問をしていた。

「それで、今が種を撒く時期であるかな?」

「いえ、まだ少し早いのです。春の訪れを告げる祭りを観ようと、早めに召喚させました。私は他の種族の文化や祭典に、興味があるものでして」

「そうだね、人の祭りというのもなかなかに興味深い」

 ルシフェルも同調する。ベリアルはお祭り騒ぎは全部好きよね。

「そういう意味では、サバトにも興味があります。 龍の身なれど、一度は参加してみたいものです」

「ならば開催しようか」

 珍しいルシフェルの提案だわ。サバトって会場を抑えて、招待状を出してお酒や料理を用意するのよね。すぐには無理なのでは?

 この国に留まるのか、チェンカスラーまで呼ぶのかしら。


 考えていたら大法官の帰宅が告げられ、すぐにこの部屋へやって来た。

 五十過ぎで髪は長くなく、髭を生やして裾の長いコートを来ている。体格は少しぽっちゃり気味。

「ようこそいらっしゃいました。不快な思いをさせて申し訳ない、後で宿を指導しておきます」

「世話になる。ところで、パーティールームや会議室もあるとか。人を集めても構わないかな?」

「はて、もう夜になりますが……、今からですか?」

「ふふ、サバトは夜に行うものだからね。料理や飲み物を、パーティールームに並べるよう。早速同胞を集めよう」

 思い立ったら即サバト。相変わらず自由奔放だ。立ち上がろうとしたルシフェルを、ベリアルが止めた。


「ルシフェル殿。小悪魔はともかく、人は空を飛べぬ者が多いであろうが。今からでは、近隣の者くらいしか集まれぬ」

「確かに。では明日の晩、日が沈んでからの開催とする」

 ベリアルの言葉に頷き、バルコニーを借りると言って歩きだす。もう誰も彼を止められません。

 既に外は夜になっていて、月がルシフェルの銀色の髪を照らしていた。


「サバトとは、こんなにすぐに開けるものですか? 人が集まるんでしょうか……」

 大法官に付いている執事が、マナスヴィン龍王にこっそり尋ねる。

「すまない、まさか開催してくださるとは思わず、サバトに興味があると話してしまったんだ。この方の呼び掛けなら、かなり集まるに違いない。確か酒や軽食があればいい筈、今晩のうちにメニューや配置を相談しておこう」

 落ち着きつつあった屋敷内が、また慌ただしくなるよ。部屋の用意が終わったばかりだろうに、申し訳ないな。


『同胞に告ぐ。明日、日が沈んでから空が白く霞むまで、大法官の別邸にて私の名において、サバトの開催を宣言する。同行は契約者一人まで。興味のある者は身分を問わず、参加するように。我が名はルシフェル』


 声が魔力に直接、訴えかけている。私達は近いから聞き取れるが、人間には届きにくく、悪魔の同胞には離れていても伝わるのではないかな。

 こんな芸当ができるなんて、ルシフェルならではだろう。これはベリアルにも、無理なんじゃないかな。開催決定が前日であろうと、多くの参加者が集まる予感。


「国内程度に絞ったよ」

 いつもの微笑を浮かべて戻ってきた。

「相変わらず勝手な男よ」

「では私は休むから、部屋へ案内するよう。あとはこのベリアルに相談しなさい」

「我かねっ!!!」

 戸惑う使用人に案内され、ルシフェルが部屋を出た。部屋中の視線がベリアルに集まる。

「ベリアル殿、任されましたね」

「……ぐぬぬっ」

「あの……、お食事の支度ができました」

 微妙な雰囲気が漂う部屋に、明るい知らせが舞い込んだ。私達は食堂へ移動し、ルシフェルの分は部屋に運んでもらう。

 ちなみに先程新しいベッドが運び込まれたのが、ルシフェルの部屋だ。他人の使ったベッドを嫌がるのだ。その割に旅をしたがるところが、迷惑な王様だわ。


 食堂で席に着くと、ドミノをしていたエクヴァルとリニも顔を出した。

「あの、あの……。さっき、サバトって」

「リニちゃん。ルシフェル様がサバトを開催されるそうよ。ここにはもう一泊お世話になるわね」

「う、うん」

 使用人が椅子を引くと、リニは軽く頭を下げてその椅子に座った。

「ちょうどいいね。明日はきっと来るだろうから」

「来るって、誰が?」

「それは明日のお楽しみ。じゃあリニ、食事を頂いたらドミノの続きを並べよう」

 エクヴァルが笑顔で、はぐらかしている。どうせ明日には分かるわね。

「まだやってるの?」


「あ、あのね。たくさんあるからね、いっぱい並べてるの。机の上から、だんだん落ちるようにしているの」

 リニが笑顔で説明していると、どんどん料理が運ばれてきた。食事が終わったら、様子を見に行こうっと。

「小悪魔リニよ。そなた明日の夕刻より、門の外で受け付けをせよ。大法官の屋敷では、小者には入りにくいであろう」

「あ、は、はい」

 ベリアルが偉そうな態度でリニに命令している。相変わらず他の人が契約している小悪魔でも、構わず自分の頼みごとをするなあ。


「ベリアル殿、リニちゃんだけじゃ可哀想ですよ。貴族が来るかも知れませんし」

「ならばエリゴールを召喚せよ。暇をしておるであろうから、喜んで参るであろうよ」

「そうですねえ……」

 リニと一緒にお仕事なら、お兄ちゃんは大喜びだろう。リニが肩を縮こまらせる。

「大丈夫だよ、私も一緒だから」

「エクヴァル、ありがとう……」


 リニ達はドミノを並べている最中だ。今召喚してしまったら、エリゴールが勢い余ってドミノを倒して、リニに泣かれそう。私が夜のうちに説明をしておくから、召喚は明日にしようと提案したら、リニはホッとした表情をしていた。

 いくら妹だって好かれていても、相手は公爵だし体格も大きいし、怖いわよねえ……。エリゴールがもう少し落ち着いてくれたらなあ。

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