第313話 海辺の町は大時化です

 海辺の町に到着。そのまま海岸へ向かうが、海に近付くと急に風が強くなった。海上には魔物の遠吠えのような音をさせて、強風が渦巻く。波は荒れ、船が一艘も海に出ていない。

 飛沫が高く舞い上がり、混濁する海に白い花がたくさん浮かぶ。

 こんな天候でも海岸近くの商店街には、観光客が多く歩いていた。


 ルシフェルの提案という名目の強制で、今日は海辺の町を訪れている。

 皇太子殿下とロゼッタが滞在中の、クレーメンス・エーリク・オールソンの伯爵家が所有する別荘がある町だ。

 今日は海の近くに行くのは危険だわ。商店街を散策する前に、別荘へ挨拶に行った。パレードの前にも一泊させてもらったので、場所は覚えているよ。海の見える丘の上で、緩い坂を上った先にある。


「こんに……」

「いらっしゃいませようこそお待ちしておりました、悪魔様大っ歓迎!!!」

 門番すら差し置いて、早口でまくし立てるクレーメンス。ベリアルとルシフェルの魔力に気付いて、外に出ていたようだ。ここにはアスタロトとベルフェゴールがいるから、先に感知したのは彼女達かも知れないわね。

「騒がしい」

 ピシャリと言い放つルシフェル。

 エンカルナが相手の時のからかう感じとは違う、冷たい言葉。残念ながらクレーメンスはお眼鏡に適わなかったようだ。クレーメンスは笑顔で口を引き結んだ。


「イリヤって子じゃないかい! よく来たね、アンタも泊まる?」

「いえ、海に観光に参りました」

 王妃殿下がベランダから声を張り上げる。王妃様まで一緒なのね、殿下も大変だなあ。

「お義母様、どなたが……、あらイリヤさん! わざわざ来てくださったの?」

「ロゼッタ様、ご婚約おめでとうございます!」

 もうすぐ皇太子妃なんだもんね。様付けせねば。王妃様をお義母様って呼ぶようになったんだな。

「ありがとう、今まで通りでいいんですのよ」

 ロゼッタは軽く手を振り、部屋の中へ消えた。


 こっちに来るのかな、と思う間もなく王妃様は二階のバルコニーから軽快に飛び降りた。

 ……え? もう目の前に立っている。

 飛行魔法などは使えない筈。門の兵士達も驚いて一瞬駆け寄ろうとして、足を止めた。今日は王族が滞在しているから、門番や警備兵が多い。

「昨日からあの荒れようだよ。ロゼッタが宮殿で戦えなかったと残念がってたからさ、海賊退治にでも連れて行こうかと思ったのに。あれじゃ海賊だって船を出さないよ」

 何事もなかったように、普通に会話を始めた。体は平気なのだろうか。


「海賊がいないのは、いいことでは……」

「いやいや、中級ドラゴンが現れた時に、上級じゃなかったとガッカリするイリヤ嬢みたいなものだよ」

 私が呆れていると、エクヴァルがトビアス殿下とやって来た。

 何を言うやら、ドラゴンは上級の方が上質なドラゴンティアスが採れるのだ。上級がいいのは職人なら当然じゃないの。

 海賊はせいぜい、武器や宝物しか持っていない。


「後から母上が急襲してきてね、ロゼッタを海賊退治に誘っているんだよ」

 殿下は困ったような笑みを浮かべて、後ろを振り向く。

 ちょうどロゼッタが玄関から姿を現したところだ。使用人が扉を押さえている。

「この荒れ模様では無理ですものね、残念ですわ。でも到着した日の次の日に、船には乗りましたの。生魚は初めて口にしたけど、お刺身のイカは甘みがあってとても美味しかったですわ」

「美味しいですよね。海から離れると食べられないものも多いですから、存分にお楽しみください」

「しかし早く時化が収まってくれないと、漁にも出られないからね」

 殿下が海へ視線を流す。


 いつになく激しい波が押し寄せ、海岸の西に広がる岸壁を包むような大波が弾けていた。こんなに風が強いのに、この町に近付くまでは何ともなかった。

 暴風と高波は昨日から。

 まるでこの町の周囲だけ、荒天に見舞われているような。これはちょっと、おかしくないかな。

「あ、あの。お茶の用意ができました、中に入りま……せんか」

 玄関前の庭で会話を続ける私達を、リニが誘ってくれる。地獄の王二人がいるので、怖がって離れたまま。

「お邪魔します」

「どうぞどうぞ、悪魔様お二人と女性一人、ご案内〜」

 クレーメンスがここぞとばかりにベリアルの隣に寄り添い、手を伸ばして誘導する。ベリアルは特に気にした風もない。


「やっとイリヤさんとお話できて、嬉しいですわ」

「私も直接お元気な姿を拝見できて、とても安心致しました」

 ロゼッタの表情が明るい。

 ルシフェルのワガママに振り回された感じだったとはいえ、来て良かった。王都で待ってても会えるだろうけど、この天気じゃ海で遊べないし予定が狂ってるよね。

 客間は広くて、テーブルが四組ある。横長ソファーには斜めの背もたれ。オシャレなデザインな気がする。

「あ、あのね、ちょうど料理長がケーキを焼いてくれたの……」

「リニ、なんでそんな隅にいるの」

 リニは部屋の壁際に控えているメイドの後ろに隠れていた。エクヴァルが迎えに行くと、リニは恥ずかしそうにはにかんでいた。


 ベリアルとルシフェルは窓際の席を陣取った。

 扉の横にはエンカルナが立っている。警備だから、持ち場を動かないようだ。

「まさか……ルシフェル様とベリアル様が、私に会いに来てくださった……!」

「私が君のような取るに足りぬ人間になど、会いに来るわけがない」

「あああありがたいお言葉……!!!」

 相変わらず愉快な二人だわ。ベリアルは我関せず、ワインを持ってくるようメイドに注文する。

 殿下とロゼッタは窓際のもう一つの席に座り、殿下の後ろにはエクヴァルとリニが、ロゼッタの背後には専属メイドから侍女に格上げされたロイネが立っている。クレーメンスはもちろん、悪魔のテーブルの脇だ。

 私も殿下に促されて、同じテーブルにつく。

 王妃様は別のソファーに一人で、どっしりと腰掛けた。お付きの女性魔法剣士二人もいつも通り控えていて、あそこだけ雰囲気が違う。


「はー。海を目の前にして、眺めるしかできないなんてね」

「この嵐は不自然ですね。前触れもなく、強さのわりに影響範囲が小さい。……イリヤさんの見解が聞きたいな」

 ぼやいた王妃様に殿下が答えて、私に水を向ける。

「前日の朝からですよね。このように長時間続く魔法はありませんが、魔力が介在していることに間違いないと思います」

「単なる天候不順ではありませんの?」

 海を見慣れていないロゼッタには、こんな日も続くかなくらいだったようだ。

 ルシフェルが笑みを深めて何事もないように紅茶を飲んでいるし、やっぱり普通の嵐とは違うね。


「ベリアル殿はどう思われますか?」

 答えてくれるかはともかく、尋ねてみた。

「……そなた、この海の北に何があるか、忘れたのかね」

「…………あ、もしや!??」

 そうだ、北海龍王アオシュン様の宮がある!

 原初の荒れる海を鎮めたいと、この世界の神様は龍神族の長であるロンワン陛下に相談された。海底を領土として貰い受ける条件で了解し、ロンワン陛下は配下の四海龍王を派遣されている。

 そして海は平定されたのだ。


 不自然な嵐の到来は、アオシュン様のご不興を買ったせいでは!?

「待っていても、収まらない?」

 エクヴァルに頷いた。

「四海龍王陛下が怒っていらっしゃるなら、このままでは何ヶ月もかかるかも知れないわ。とりあえず、お供物を海に流して様子をみましょう」

「どんなものがいい?」

「フルーツやお酒かしら」

 濡れても平気なものね。値段が高ければいいわけではない。

 それにしても、何があったのかな。海底にある竜宮城は人間が簡単に行かれる場所じゃないし、海を治める龍神族は人間の世界にはあまり出てこない。接点すら少ないのに。

 直接ご機嫌伺いに行くのが一番早いが、ただでさえ宮殿があるのは深海の底。嵐の時に潜るのは危険だ。


「そういえば、アスタロト様とベルフェゴール様はどちらに?」

「ペオル達は海へ様子を見に向かったわ、入れ違いでしたわね。私達も海へ行きませんこと? こんな天気ですけど、商店街は活気があって楽しいですわよ!」

「そうですね、ケーキを頂いたら行きましょう」

 商店街って、あの空気だけで楽しいよね。せっかくのエグドアルム、海の幸を堪能しておかねば。

 アレシア達に持って帰れそうな、長持ちするお土産もあるといいな。

「私はペオルとアスタロトに会おうかな。今も海岸にいるね」

 ルシフェルは立ち上がって、一人でさっさと出て行った。ベリアルは何か言いたそうな眼差しで、無言のまま見送る。

 私達が強制参加させられた意味は、一体。本当に自由人だ。


 ケーキを食べて紅茶を飲んでいる間に、玄関近くに馬車が待機していた。殿下とロゼッタも同じ馬車で、商店街に移動する。

 王妃殿下は海に出られないんじゃつまらないと、家に残る。

「じゃあ僕も準備を……」

「クレーメンス、君も留守番でしょ。妃殿下をしっかりもてなしてね」

「カールスロア君……、そんな殺生な! せっかくの悪魔が出払ってしまって、僕だけ家にいないといけないのか!??」

 すげなく断られて、縋り付く勢いの悪魔好きクレーメンス。エクヴァルは無視して馬車を確認している。


「そ」

「当然でしょ、家主なんだから家を守らなきゃ。じゃ、ねー。行きましょうベリアル様! 護衛には私がいるから、エクヴァルも残っていいわよ」

 エンカルナも軽く手を振り、大袈裟に落胆するクレーメンスを放置した。

 三人のやり取りに困惑しながら、リニはエクヴァルの服の裾を引っ張る。

「わ、私は行っていい……?」

「もちろんだよ、リニ。そうだ、クレーメンスにお土産を選んであげて。リニのお仕事だよ」

「うん! 行ってきます……!」

「さようなら小悪魔ちゃん……」

 クレーメンスは力なく手を振り返した。


 これは王室の馬車なので、椅子は柔らかいし広い。馬なんて八頭立てだよ。さすがに貴族の馬車でさえ道を譲るぞ。

 商店街も強風に見舞われていて、飛んでしまった商品を店員が追い掛けていた。漁師直営の海鮮屋さんは、漁に出られないので鮮魚が少ない。代わりに干物や加工品が多く並んでいた。

 瓶詰めのイクラ、マスの燻製、オイル漬けのツナ。

 そして水槽の中をゆっくり泳ぐ、鱗の青い細い魚。

 ……青い魚?

 何の魚かしら。気になって眺めていると、魚と目が合った。スイスイと水槽内を往復し、ベリアルや他の皆も見ているような。

「イリヤ嬢、これは食用の魚じゃないと思うよ」


「食べられません、ええあなた、私を食べようとなんてしないでくださいよ。私は広い海をいつものように流れに任せて、泳いでいただけなんですからね。まさか釣り上げられて連れて行かれるなんて、そりゃあ夢にも思いませんでしょう。でも考えてみてください、魚が海で泳ぐことに、何ら不思議なんてないもんです。陸に連れて行くなんて、とんでもない話なんですよ」

 物語のような口調で水槽から訴えかけてくるよ。


「……魚が喋りましたわ!? 海のお魚は、言葉を話すんですの!?」

「海でもそんな魚はいないよ。魔物ではないよね?」

 ロゼッタが驚いて水槽に近付く。

 殿下はどういう魚か尋ねようと、店主を呼んだ。店主は恐縮して肩を縮ませながら、最大限の笑顔を作っていた。

「それが、観賞用の珍しい魚として購入しました。さっきまでは喋らなかったんで……」


「決まりであるな。鱗の青い魚は、龍王の眷属と言われておる」

 ベリアルが腕を組んだまま、つまらなそうに魚を見下ろす。

「じゃあ、嵐の原因は……」

 眷属を連れ去られたから!?

 確か普通に海を泳いでいるから、ごく稀に網に掛かったりしてしまうらしい。しかし鱗の青い魚は、海に帰すのがお約束。喋る魚なんて特に、連れ帰ってはいけないのは漁師には常識なのだ。

 これは調べる必要があるわね!

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