第312話 その後のはなし

 エリクサーの作製を終えて、買い手も付いた。

 今日は早めに眠り、明日に備える。明日は賢者の石の研究をするぞ。


 次の日、研究施設を目指して宮殿の庭をベリアルと歩いていると、反対側から来た男性がまじまじと私を見るではないか。

「……もしかして、イリヤさんでしょうか?」

「はい。イリヤでございますが……、どなたでしょうか?」

 セビリノくらいの年齢の細い男性。やっぱり初めて見る顔だわ。

「……父が大変ご迷惑をお掛けしました」

 突然謝罪された! 父って誰かしら、宮廷魔導師の誰かとか?


「師匠、そちらは以前の宮廷魔導師長のご子息です」

 同じく研究施設へ向かう途中だったセビリノが通りがかり、教えてくれた。あの最悪な魔導師長の息子が、こんないい人っぽくなるの? 罠?

「何に対する謝罪であるかね?」

 ベリアルが不信感を隠しもせずに、私をかばって前に進んで尋ねる。

「懸念されるのももっともです。私も全て把握しているわけではありませんが、父やその周辺はお金に汚くて、貴族主義の権化ごんげのような人ばかりでしたから……」

 うーん、うーん。本当に恐縮している態度だ。

「そちらこそ公爵の爵位を剥奪され、恨んでいるんではないですか?」

 彼が継ぐ筈だった、最高の爵位である公爵位を失ったのだ。ちょっと探りを入れてみよう。


「恨みなど、とんでもない。保持していた伯爵位を残して頂けました。僅かですが領地も保証されて、今は宮中で仕事をしています。少々肩身が狭いですがね……」

 まあ宮中には居辛いよね。とはいえ真面目に仕事をしているのね。財産も没収されたし、収入は必要だろう。

 ちなみに公爵領は現在王室の預かりになっている。

「ご存じの通り、父は好き勝手に浮気して宮殿で威張り散らし、王都の本宅にすらあまり帰らない人で。母の実家は家格が下でしたので、母はワガママな父に理不尽に叱られても、耐えてばかりいました。豪華な生活よりも、今の質素で穏やかな暮らしの方が幸せだと笑ってましたよ」


 おお。魔導師長は家庭でも最悪の人だったか。

 苦労したの理解できる、と思ったら彼とは仲良くなれそうな気がしてきた。

「師匠。魔導師長は夫人とパーティーに参加した時でさえ、若い女性や取り巻きに囲まれて上機嫌になり、放置しているような男性でした」

 他人にあまり興味がないセビリノでさえ、呆れていた。

 宮廷魔導師長ともなると、国内外の色々なパーティーに夫婦で招待されるよ。そこでもやらかしているとは。

「本当に母が可哀想でしたよ。そもそも父は私に公爵を継がせるのに抵抗があって、権力の座にしがみついていたんです。なくなって、むしろホッとしてます」


「やはりそなたが止めねば、我が片を付けて万事丸く収まったであろうが」

 ベリアルがぼやいているのは、チェンカスラーに移住してから初めて宮廷魔導師長の所業について明かした時のことだ。魔導師長を殺してくるって言ったんだよね。エクヴァルが調査に来てあの話になったんだったな、懐かしい。

 しかしチェンカスラーからエグドアルムまで一人を殺しに来ようというのも、とんでもない執念だ。ただ止めなかったら、チェンカスラーの無人のお城は吹っ飛ばずに済んだね……。

 あのルシフェルが作ったクレーターは悪魔の鉄槌として、観光地になっている。


「まあまあ。誰かが殺害しなくても、処刑は免れませんでしたよ。父は皇太子殿下が即位したら権力をがれると考えて、財産を隠したり暗殺まで計画していたのですから。捕縛後は私が把握している事実は全て、包み隠さず供述しましたね」

 今までにないほがらか笑顔。

 おおうっ、あの魔導師長の息子が単なる穏やかな人物の訳がなかった。それでは、と告げて軽く頭を下げる男性。

 彼が去る後ろ姿を見送る。

「……ねえセビリノ」

「はい」

「魔導師長って、家族にも恨まれてたのねえ……」

「そうなんでしょうか?」

 さっきの息子さんの発言、絶対にそうだったよね!? こんな時に心の機微にさといエクヴァルは、殿下のお供で海辺の町だわ……。話、話が分かる人……!

 ベリアルを見上げる。

「興味がないわ」

 そっぽを向かれてしまった。会話にもならない!


 釈然としない気持ちのまま、魔法研究所へ到着した。所長室では部屋の主が、私達の到着を待っていた。

「イリヤさん、セビリノ君、ベリアル殿。いらっしゃい」

「おはようございます、所長。途中で前魔導師長のご子息に会いましたよ」

「ああ、君に謝罪したいって言ってたね。君がここに出入りしているから、わざわざ近くを通ったりしてタイミングを待っていたんだろうね。父親と違って地味で真面目な人物で、驚いたでしょう」

「はい。全く似ていませんね」

 親子とはとても思えない。魔導師でもないし、本当に後継者としては考えていなかったのね。

「彼は母親似だねえ。辛抱強くて大人しい女性だよ。魔法はあまり得意でないんだ。そんなとこまで母親に似ちゃったから、魔導師長からものの数にも入らないような扱いだったんだよ」

 立ち上がる所長は、喋りながら棚から本を選ぶ。


「では後継者は、どうするつもりだったんでしょうね」

「そりゃもちろん、自分の意のままになる養子だよ。それはそうと、妹さんが例の事件に巻き込まれたんだってね。ラルセン侯爵家のその後、聞きたい?」

「特には……」

 犯人のヴェイセルはアスタロトの呪いを受けて一年後の死が確定しているし、残りの人生は苦しいものになるに違いない。再犯はさすがに有り得ないから、安心しているわ。

「処遇が決まっておるのかね? 教えよ」

 ベリアルが興味を示した。もし大した罰でなければ、何か仕出かしそうだ。

「ゴホン、では移動しながらで。侯爵家は減封の上、爵位を現侯爵の兄に譲ると決定しました。賠償金が、がっぽり払わされる予定です。じゃかじゃん」


 所長室を後にして、向かうのは禁書庫からしか入れない、特別な研究室。賢者の石のような、重要な研究はここで行われる。

「兄ですか」

 爵位の剥奪じゃないのね。そもそも長男が継ぐものなのに、珍しいな。その人が賠償金を払っていくのかしら。どんな金額になるんだか、想像も付かない。

「そうなの。ラルセン侯爵家は代々貴族主義でね、現侯爵もその親もそうだったの。侯爵の兄も家の影響で昔はそうだったんだけど、親しくしていたメイドが身分が低いというだけで、色目を使っていると紹介状もなく追い出されてしまったんだ。そこから身分で判断するのはおかしいと両親と衝突して、結局彼も家を追い出されてしまってねえ」


 ふむ。それで侯爵位を継いだのが、弟だった。つまりは現侯爵で、犯人であるヴェイセルの父親ね。

「侯爵位を得た彼は、自分が正しかったと浮かれていたよ。侯爵夫人と結婚してからも冷たい性格は変わらず、夫婦仲は良くなかった。夫人は息子に過度な期待と干渉をして、思うままに育てようとしてね。ヴェイセル君は反抗もせず情も持たず、いびつになっていった」

「同情の余地があるような、ないような……」

「一切ないわ。そなたはよく、そのような甘い発想になるものよ」

「起こした事件はとんでもなく酷いものでしたね……」

 被害者が多過ぎて把握できないっていうんだものね。今更ながら、エリーが無事で本当に良かったわ。


 禁書庫の壁際の本棚を動かすと、研究室への通路が現れる。

 入り口はここだけしかない、秘密の研究室なのだ。研究室の周囲は所長室などの壁で囲まれ、中庭のような場所だ。上は屋根が他の建物の壁とつながっていて、上空から見下ろしても、別に建物があるのは分からなくなっている。

 ただ煙突が伸びている。

 渡り廊下の先の鍵の掛かった扉の向こうは、色々な設備が整った国が誇る立派な研究室だ。

 賢者の石を作るのに必要な、哲学の卵と呼ばれる特殊な球形フラスコも準備されている。素材は古来の錬金術師に人気だった、水晶。

 高温になる炉を使っていると室内も暑くなるので、木箱にあふれるクズ魔石に弱い風や水属性を入れて、温度を冷やせる。換気にも十分気を配らないといけない。


「ラルセン侯爵家は南の守りのかなめだから、簡単には潰せないの。そんなわけで、侯爵を変えて皇太子派が強固になったんだよ。高位貴族に貴族主義が多かったからねえ、殿下とそりが合わないのはしょうがない。ところがここのところで、中核をになう家が潰れたり、代替わりで思想が変わったりだからね」

 つまり侯爵の交代は、殿下にとってとても都合が良かった、と。

「では犯人の父親である、現ラルセン侯爵はどうなるんでしょう」

「貴族の身分を剥奪されて地方で隠居するんだから、辛い暮らしになるでしょうよ。なんせ貴族主義者が平民になるんだからねえ、半年くらいしたら感想をインタビューに行ってこようか?」

「やめた方がいいと思います……」

 これは所長流の冗談なんだろうか、それとも本気だろうか。

「何故だね、愉快ではないかね!」

「本当にやったら、怒られますよ」

「逆上する資格があるものかね」

 相変わらず意地が悪いんだから。自分ですればと言ったら、本当に実行して煽りまくりそうだ。例え半年後にチェンカスラーにいても、わざわざ来るだろう。

 ベリアルは嫌がらせの為なら、労力をいとわない。


 所長が鍵の掛かった引き出しを引いて、中から小さな箱を取りだした。箱の中には、四角いプレートのついた武骨な銀の指輪が丁重に保管されている。

 これが試作品のギゲスの指輪ね。指輪は四個ある。

 それぞれEL、adonai、Shaddai、力のある神の名前が刻まれていた。最後の一つは古代語で書かれた神聖四文字テトラグラマトン、「יהוה」だ。

 古代の錬金術で使用されていた太陽と月の記号が記され、使われている宝石は、水晶と黒水晶モリオン。これはどれも同じ。

 私とセビリノと所長の三人で、指輪を嵌めて魔力を通し、終わったら次の人に渡すという作業を繰り返した。


 最後の一つを外して、感想を伝える。

神聖四文字テトラグラマトンは魔力が溢れるようにわいて、一番強いですね」

「やっぱり最後はこれになるねえ」

「ふむ……、制御が多少難しくなりますかな」

「宝石を変えた方がいいかねえ」

「そうですね、どうも宝石と相性が良くないような……」

 大事な試作品なので、布で一つ一つ丁寧に拭いて元の小箱へ戻した。そして再び、引き出しの鍵を閉める。

「素材は何ですか?」

「水銀だよ」


 答えてくれながら、所長が先程と同じ外見の指輪を二つ、取り出した。

 指輪と同じ位置に、太陽と月のマークがある。文字も飾りもなく、宝石が埋め込まれる場所はここだと主張するように、へこんでいるだけ。

「これはイリヤさんとセビリノ君に。いったんチェンカスラーへ戻るんでしょう、その間に指輪を二人なりに完成させてね」

「ありがとうございます、賢者の石への第一歩ですね」

「必ずや完成させます!」

 私達が作る分の土台ができあがっているとは! これはありがたい。

「でもいつエグドアルムへ再訪問するか、分かりませんよ」

「私が所長でいるうちに来てよ、絶対だからね」

 なるべく早い方が良さそうだわ。まずは宝石を何にするか、考えないと。


 今度の魔導師長からは研究資金がきちんと分配されているのね。

 私達も期待に応えないと!

 明日も研究をしようと張り切って帰路に就く。セビリノは明日はまたお仕事なので、一歩リードできるかな。


「では明日は海へ行こうか」

 帰った私達を待っていたのは、ルシフェルのこの一言だった。

「……そなた、また唐突であるな」

「海は嫌いじゃないからね」

 私の予定は関係ないんでしょうか。少しは気にして頂きたいが、無理なんだろうな。

 だって、ルシフェルなんだもの。

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