第300話 容疑者ヴェイセル(ヴァルデマル視点)

 エリー様はご無事だった! イリヤ様が室内に駆けて行かれる。ベリアル殿も普段通りのようで心配していたのだな、きつい眼光が緩んでいた。


 地下室には四人の女性がいて、毛布を被った一人は酷い怪我を負っている。腕に青あざがある女性もいたが、エリー様ともう一人は、見える範囲ではほぼ無傷だった。

 さすがに男性に囲まれた場所で、服の下を安易に確認するわけにはいかない。外にいる女性隊員に確認させよう。


「一人ずつ外に連れ出しましょう。怪我をされた方は治療してからで」

 まずは無傷に見える二人、と分隊長が指示を出す。

「これは魔法による眠りだな? ならば状態異常を回復する魔法で、目覚めるかも知れん。俺が唱えてみよう」

「なるほど! 魔法でめる可能性が高いですね!」

 イリヤ様も賛同された。まだ試されていないようだ、腕が鳴るな。


「曙にかかりし細き雲、苦痛を拭う綿となれ。よどみを流す科戸しなとの風よ、翼を広げて穢れを払いたまえ。熱き痛み、煙となりて去らん。レタブリスマン」


 陰鬱な空気を取り払うように、地下室に爽やかな風が吹く。薄暗い部屋が、少し明るくなったようにも感じる。

「ん……うーん……」

 少しして、女性達の体が動いた。効果があったな。

 近くにいた兵士が肩を揺する。

「大丈夫か? 怪我は!?」

「え、あ、きゃー!!!」

 自らの叫びで一気に目が覚めたようで、女性は飛び上がって後ろに逃げた。大きな声に覚醒して、他の三人も顔を上げて息を詰まらせ、周囲を驚いた表情で見回している。

 唐突に眠くなって、目が覚めたら部屋に兵士が何人もいるのだ。何事かと怯えるのは当然か。


「救出に来ました、もう安全です」

 目の前の女性に飛び退かれた兵士が、笑顔を作って味方だとアピールする。

「た……助かったんですか……?」

「……あれ……? お、お姉ちゃん……!」

 エリー様も意識がハッキリとされたようだ。イリヤ様が膝をついて、顔を覗き込んでおられる。

「もう大丈夫よエリー、無事で良かったわ……!」

「こ、こんな場所だから、助からな、かと……ぉもった……っ」

 泣きながらイリヤ様に抱きついた。

 かなり怖かったのだろう、言葉が途切れる。

「ここの家の人が誘拐犯だって、捜査で浮上してマークされていたの。婚約披露で忙しい中、皆が協力してくれたわ」

「そうだったんだ……、そうだ、怪我している子がいるの」


 振り向くと、女性には既にポーションが渡されていた。

 中級のポーションだ、かなり回復するだろう。紫になっているアザには軟膏を塗る。救出された者が怪我をしている可能性が高かったので、熱冷ましや胃の薬も含め、様々な種類の薬が用意されていた。

 応急処置だけして外へ出る。ここにいては、被害者も気が休まらないだろう。

「さて……、犯人に鉄槌を下す番ではないかね」

 ベリアル殿がやる気だ。事前に釘を刺されたとはいえ、館が不安だな。

「魔法の効果も確かめましたし、皆さんにお任せしてもいいんじゃ」

 イリヤ様はエリー様の背を支えながら、一緒に外へ出るよう促した。

 俺としても、イリヤ様にこのような事件の現場に居合わせて頂きたくない。


「まずは被害者の安全を優先されるのが良いでしょう。ご安心ください、犯人は必ず捕らえます!」

 親衛隊の隊員が力強く請け負う。

「お任せ致します。行きましょう、ベリアル殿」

「ぐぬぬ……っ、何とつまらぬ小娘よっ!!!」

 ベリアル殿一人でも付いて来られるかと思ったが、イリヤ様と一緒に階段を上がっている。そして開け放たれた扉から入り込む白い日差しの中へ、歩いて行った。

 外には逃走を警戒して、兵や冒険者が控えている。敵からどんな反発があるか分からないが、ある程度安全だろう。

 俺は隊員達と、犯人の確保にあたった。

 作戦の責任者で玄関前の本部で指揮を執っていたマルコス・デル・オルモ殿も、後を任せて犯人の元へ向かう。


「ヴェイセルは飛行魔法も使う、魔法剣士です。一筋縄ではいかんでしょう。しかし確実に身柄を拘束しなくては!」

 現状の戦力では逃げられる可能性があると判断したんだな。大事な式典を控えて、主力が来られないのは痛手だ。

「……犯人の所在は?」

「二階です。発見したとの知らせがありました、応援要請があったので交戦中でしょう」

 やはり眠らなかったようだな。会話しながら移動をする。

「最小限の被害にとどめたいな」

「この先は我々で解決しますので、退避してください。協力してくださる他国の魔導師様に怪我をさせてしまっては、申し訳が立たない」

「気にするな、最後まで出しゃばりたい性分だ」

 結果をしっかり見届けて、イリヤ様やセビリノに報告しないとな。

 玄関に背を向け、階段を急ぎ足でのぼった。ドンと壁に何かがぶつかるような音や、叫び声が届いている。


 俺達の前には五人が走っていた。

 長い廊下の先にある、扉が外れて床に倒れている部屋。アレだな。

 廊下には人が数人、座り込んでいた。足や腕が鋭いものでつらぬかれて、鎧が完全に割れている者もいる。武器というより、獣の歯か?

 五人は一言二言ほど廊下にいる隊員と言葉を交わし、一人を残して部屋へ乗り込む。残った一人は、治療の手伝いを始めた。


「派手に暴れているかな」

「侯爵家の護衛ですから、かなりの手練れでしょう」

 隣の部屋の前に差し掛かったところで、怪我人を抱えた二人組が部屋から出てきた。

 剣で斬られたのか、抱えられた人物は腹を押さえている。床に血を落としながら、おぼつかない足取りで何とか歩いていた。

「誰か、回復を! バッサリやられた……!」

「ポーションがある」

「……ありがたいが……、中級でも厳しい」

 俺はアイテムボックスから自作のポーションを出した。

 アイテムボックスは国の仕事を辞した際にいったん返却したが、その後これからも国民を救って欲しいと再び支給されたのだ。


「ちょうど今はハイポーションとエリクサーしかない」

「むしろなんで」

 今回は効果の高いものを少しだけ持って来ている。中級辺りが使用頻度が最も高いので、希望者に届けられるよう置いてきた。

 マクシミリアンめ、毒や危険な薬はどんなものでも調合するくせに、ポーションは中級までしか作らない……! しかもそれも頼まれたら売るだけで、本気でいい薬を作る気がないときた。教育しがいのあり過ぎるヤツだ。 


 ハイポーションを渡して、部屋に視線を移す。

 敵は魔法使いが一人、剣士が二人。壁際で震えているのは、戦力外の執事か。

 そして執務机の後ろに立つ男が、侯爵令息にて容疑者ヴェイセル・アンスガル・ラルセンに違いない。

 犬のような獣の亡骸も倒れている。離脱して廊下にいる人物を襲った獣だな。

 彼らが眠っていないのは、魔法使いが気付いて防御魔法でやり過ごしたんだろう。

「貴様ら……っ、屋敷に何をした? まさか、栄光の手を使ったんじゃあるまいな!」

 うなるように問う魔法使い。

 栄光の手というのは屋敷内の人間を眠らせる魔法アイテムで、犯罪者の死体から作る為、どの国でも製作を禁止されている。マクシミリアンが作って効果を確かめていたアイテムだ、アレは魔法耐性が強いものがいれば効果を発揮しない。

 この屋敷で使っても、誰も眠らなかったろう。


「いい加減、諦めろ。屋敷は既に包囲されている。これ以上罪を重ねるな!」

 マルコス・デル・オルモ殿が投降を呼びかける。

「やれやれ、また増えたか……」

 ヴェイセルはまるでつならなそうに、ため息をついた。

 オルモ殿の部下が二人で斬り掛かったが、護衛が一人で防いで逆に傷を負わせている。部屋という広くもない限られた空間では、人数が多くともその利は生かしにくい。


「森の守護者、恐怖を体現せし者よ、略奪者を蹂躙せよ。領域を荒らす不遜の輩に、血のあがないを。汝の叫びは洪水を起こす嵐、口は火、息は死なり。六十の邪気を放て。滅べ、水面の泡の如く!!! モール・ゲシュペンスト!」


「退避、退避! できるだけ距離をとり、協力して防御魔法を唱えろ!!!」

 オルモ殿が叫ぶ。切り結んでいた者達も、双方慌てて引いた。あちらの護衛も巻き込まれたくないだろう、強力な闇属性の攻撃魔法だ。俺はすぐに防御魔法を唱える。

「任せろ」

「ヴァルデマル殿……!」

「あの男、午前中に使者として来ていたではないか。……侯爵様の部下ではなく、強力な魔導師……!?」

 あちらの魔法使いが呟く。構っているヒマはない。


「神秘なるアグラ、象徴たるタウ。偉大なる十字の力を開放したまえ。天の主権は揺るがぬものなり。全てを閉ざす、鍵をかけよ。我が身は御身と共に在り、害する全てを遠ざける。福音に耳を傾けよ。かくして奇跡はなされぬ。クロワ・チュテレール!」


 ヴェイセルが魔法を唱えると、悲鳴のような不気味な声とともに風が吹き荒れた。

 爆発が起こり、窓ガラスが全て割れた。壁にもぶつかったようなヒビや、鋭い傷が幾つもつく。

 俺の防御魔法はしっかりと間に合い、こちらに被害はなかった。廊下の連中は逃げ遅れていたら、怪我ぐらいするかも知れないな。

 なんせ直撃すれば即死するような魔法だ。しかしそれが効果を持たなかったので、ヴェイセルは舌打ちしている。


「ヴェイセル様、お逃げください!」

 護衛達はこの期に及んでも、彼を守るように立っている。

「そうだな、ここに留まる理由もない」

 なんてヤツだ! 命がけで救おうとする部下を、平然と見捨てて逃げようとしている。あんな男の為に、命を掛ける価値などない!

 窓の前に立つヴェイセルを止めよとするが、剣士も魔法使いまでも体を張って我々に立ち向かう。

「ヴェイセル様……っ、もう逃げる場所はありませぬ。諦めて罪を償うべきです……っ」

 真っ青な顔色で膝をつく執事の切実な嘆願を、一瞥いちべつしただけで窓の枠に足を掛けた。汚いものでも見るような目で、軽く振り返る。


「世界はどこまでも不平等だ。身分とは決められた運命をさす」

「バカ者がっ! 高貴な者ほど、下の者に心を砕かねばならない。それが高貴なる者の義務だ!」

 身分が高いから何をしてもいい、そう言わんばかりの高慢な言葉。

 思わず叫んだ俺に、ヴェイセルはフッと薄く笑った。

「義務、ね。それこそ思い違いだ。下賤な民の身で私を楽しませられたことに、むしろ感謝するだろう」

「貴様は最悪のクズだ……!!!」

 イリヤ様にこのような言葉を聞かせずに済んで、本当に良かった。きっと深くお心を痛められただろう。


 キラリと光るものが通り過ぎ、カンと金属がぶつかる。ヴェイセルに向けられた飛び遠具を、彼自身で防いだ。床にはオルモ殿の短剣が転がる。

 ヴェイセルはそのまま飛行魔法を使い、窓から飛び出した。

「待てっっっ!」

 叫ぶオルモ殿。ヴェイセルは挑戦的な笑みを浮かべる。

「私の飛行に追い付けるかな」

 かなり得意なのか。おごっていられるのも今のうちだ、俺ならば容易い。追い付いた後が不安ではあるが。武芸も得意だというからな、相手は……。

 逃げる先を追跡するだけが関の山か。

 敵と向かい合う隊員達の後ろを走り、窓を開いた。窓枠には、割れたガラスの欠片が鋭く尖っている。


 魔法使いが俺に気付いて、指さした。

「あの男を止めるんだ!!!」

「く、手が離せない」

 ヴェイセルの護衛は既に傷を負っている。戦いを継続してはいるものの、もはや余裕はなかった。

 窓から外を眺めた俺は、そこで驚いて動きを止めた。

 ……何の魔力も気配もしなかった。

 広い窓のある部屋だ、室内に集中し過ぎないように、外からの襲撃にも気を配っていたのに。こんなにも完全に存在を隠されるとは。


「……我が地獄へよくぞ参った」

「……な、なんだ貴様は? 地獄……? エグドアルムで確認されている悪魔ではないな」

「そのようなことはどうでも良い」

「黙れ、どけええええぇ!」

 ヴェイセルは腰の剣を抜き、一直線にベリアル殿に突っ込む。

 ベリアル殿は窓からの逃走を見越して、外で待機していたのだ。


「炎よ、濁流の如く押し寄せよ! 我は炎の王、ベリアル! 灼熱より鍛えし我が剣よ、顕現せよ!」


 赤黒いガーネット色に燃える剣が、ベリアル殿の手に現れる。

 ヴェイセルの剣を受けて、それは更に燃え上がった。熱さにヴェイセルがのけ反り、たまらず後退する。

「厄介な悪魔だ……っ! くそう、誰かっ、こちらに来られないのか!」

 室内に残された護衛達も、そろそろ限界じゃないか。気力で剣を振っているが、動く度に血が流れている。

「ヴェイセル様、降伏されるべきです! その悪魔は……、とても人が相手をできるたぐいではございません!!!」

 魔法使いが窓から必死に説得する。ヴェイセル本人はベリアル殿を目の前にしているのだ、何かしら感じるものはあるだろうに。


 ベリアル殿の手から、炎が放たれる。ヴェイセルは軽く避け、魔法を唱えようとしている。避けたはずの火はくるり円周を描いて戻り、背中側から足にぶつかった。

「うわあ、なんだっ!?」

 通常なら火の魔法は直線に飛ばすか、対象に向かって弧を描いて進むかのどちらかで、このような変則的な動きはしない。始めて対峙して、防げる者はほとんどいないだろう。

 いったん魔法を中断されたヴェイセルだが、足に火が点かず軽い火傷で済んだことで、魔力を操って魔法を再開させた。

 ベリアル殿は驚かせただけで、どんな作戦に出るのか楽しんでおられるのだろう。


「まがき輝きを放ちたるくれないしたたる満月、宵闇を支配する女王よ。松明にて月の三相を映せ。深き十字路の名もなき者、深淵の霧を吹かせて満たしたまえ」


「ヴェイセル様、唱えてはなりません! ヴェイセル様!!!」

 魔法使いが窓から必死に叫ぶが、ヴェイセルは魔法を続ける。

 これは闇属性の黒い霧を発生させて視界を塞ぎ、痺れをもたらせて動きを阻害する魔法だ。そして闇属性が強くなる。


「大気を重き枷とせよ。トリウィア・ソーテイラー!」


 魔法が完成されると、黒い霧がベリアル殿を覆った。

 マントをなびかせた人影が、霧の中に黒く沈む。

 魔法の範囲を避けて、飛んで逃げようとするヴェイセル。霧がベリアル殿を捕えているのを確認しながら、通り越した。

「おい、逃げたぞ!」

 下から声がする。屋敷を包囲している、第二騎士団か冒険者だな。すぐに弓を構えているが、今さら矢を放っても届かせるのは難しい。


「たかが平民のことで、侯爵家の屋敷に押し入るとは……、皇太子だな……」

「たかがこの程度の術で、我から逃れられると思ったかね?」

 呟くヴェイセルの後ろに、ベリアル殿が迫っていた。

「まさか、もうあの霧から抜け出したのか!?」

 確かに霧に包まれた方は視界が利かなくなるし、動きも鈍くなる。ただし、小悪魔ならともかく、貴族悪魔に効果などあるものか。

 悪魔の中でも特に闇属性を強く持つ彼は、むしろ強化されている。ヴェイセルはそこまでの知識はなく、目隠しをして逃げようという算段だったのだな。


 思わず振り返ったその場所に、ベリアル殿の姿はない。

 彼をすり抜けるように追い越し、すぐ前にいるのだ。これは、闇属性の特殊な移動方法だ。悪魔ですら使用者は、ほぼいない。

「愚問であるな」

 驚愕の表情で前に向き直ったヴェイセルの額を、ベリアル殿の赤い爪をした手が掴む。

「離せ、うぐわっ、熱い……っ! ぎゃあぁぁ……!!!」

 ベリアル殿の手から赤い火と煙が洩れ、ヴェイセルの髪や額が燃える。必死でベリアル殿の腕を掴み離そうとするが、ビクとも動かない。

 ようやく手が離れた時には飛行魔法を保てなくなっており、焼けた額を晒して地面へと落ちていった。


 下で包囲していた者達が、落下地点に移動して身柄を確保しに動く。

 従者達もオルモ殿が制圧完了だ。決着がついたな……!




★★★★★★★★★★★


「叫びは洪水を起こす嵐、口は火、息は死」

これはギルガメシュ叙事詩に出てくる杉の森の怪物、フンババの表現の引用です。戦い部分は石板が欠損していて、(現時点では)残ってないのだ…!

使うのが敵方なので、フンババにスポットを当ててみました!

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