第294話 魔法研究所

「ところで、この悪魔の方と契約しているの?」

「はい、ベリアル殿です。意地悪な悪魔なんです」

 所長に尋ねられて、ベリアルを紹介する。国では隠していたし悪魔との契約は知らなかっただろうに、特に驚いた素振りも見せない。所長はじっとベリアルを見詰めて、優しく笑った。

 ベリアルは腕を組んで所長を見下ろしている。

「こりゃ確かに、あの魔導師長に知られないようにしていたのは賢明な判断だ。アレは頭が悪かったからなあ」


「……頭が悪い、ですか?」

 性根が腐ってるとか、陰険な性格とか卑劣とかじゃなく、頭が悪い?

「そりゃそうですよ、考える脳を持っていたら高位の悪魔を使役しえきしようなんて発想にはならんでしょ。権力と欲しかない、アホのすることだね」

 魔導師長の顛末てんまつも考慮しての発言だな。

 使ったアイテム、ソロモンの指輪の模倣品については把握しているのかな。黙っていた方が良さそうかな、こちらが口に出さなければ、聞いてきたりはしないだろう。

 ベリアルもあの時の話はしたくなさそうだ。

「新しい魔導師長は真面目な方なようで、安心しました。所長は、今はどういった研究をされているんですか?」

「色々チェックするものが多くて、私の研究はできていなくてねぇ。久々に研究室を覗く? なんならアイテム作製しちゃう?」

「研究室、懐かしく感じますね。お邪魔してもいいですか?」


 所長に連れられて、研究室へと入った。数人が机に向かっていて、魔導書を持ち込んで読んでいたり、レポートを書いたりしている。

「あ、所長。……イリヤ様! お久しぶりです」

「お久しぶりです。皆様にはご心配をお掛け致しました」

 見知った人ばかりで、再会を喜んでくれている。

 奥の実験室では、ポーションの効果を確認していた。不正防止や、事故があった場合でもすぐに状況が判るように、研究室から中の様子が確認できるようになっている。

 現在は輸出用の品や、売っている商品を無作為に購入して、抜き打ちテストをしている最中ね。こうやって品質を保っているよ。

「ダメだこれ、ちょっと弱いわね」

「どの店だ? もう一度買って、それでも基準以下なら指導しないと」

 どうやら販売基準を満たしていないものがあったみたい。

 

 不意に扉が開いて、幾つもの試験管を持った女性が出てきた。

「やった、上級ポーション七割成功です! いい素材ですね」

「七割……低いですね」

「あのね、イリヤさんよ。上級は八割で良い方。七割も悪くないの」

 所長が抑揚のない声で説明してくれる。意気揚々とやって来た女性は、ビクッとして試験管を体で隠すようにした。

「そんなものでしょうか? セビリノも私も、上級くらいなら失敗はありませんが」

「セビリノ君は宮廷魔導師」

「所長も失敗されませんよね?」

「ワタシ、ショチョウ。トテモエライ」

 つまり、私達は失敗がないのが当たり前って意味でいいのかしら。


「イリヤ様達の基準が厳しすぎるんです!」

 他の所員にツッコまれた。周囲もうんうんと頷いている。

「そうなんですねえ……」

「そうなの。それにしてもよくアイテムを作ってるみたいだねえ、殿下から聞いたよ。ここで注文しておけば素材がくる時とは勝手が違うでしょう」

 素材集めでとん挫してしまう人も多い。アイテム職人だと戦闘はできなかったりするから、仕方ないよね。

「はい。立派な実験室があって、本も豊富でさすがに宮廷は環境が良かったです。ただ、やっぱり意地悪な貴族の方達が苦手で……」

 詳しくは言葉を濁した。設備は最高なのよね、いい人もいるし。

 でも上司である前宮廷魔導師長や、同僚がなあ。生活も宮廷の中が多くなるんだし、身の危険を感じずに、かつ気持ちよくお仕事したい。


「高位貴族が多いからねえ……、宮廷魔導師見習いじゃなくて、魔法研究所ここに勤めてくれていたら良かったね」

 確かにここなら、高位貴族に個人的な嫌がらせまではされなかったかも知れない。魔法養成施設で宮廷魔導師見習いに抜擢ばってきされて、異例の大出世みたいな扱いを受け、よく解らないまま就職してしまったのだ。

 魔法実技専門の先生には“見習いになれるから、後は自習してくれ。私の授業にはもう出ないで! 私は宮廷魔導師になれなかったから、先生をしてるんだよ。君の実力は見習いどころじゃないんだ、これ以上は勘弁してええぇ”と、半泣きでお願いされたりもしたな。


「田舎出身で、魔法使いの職業について詳しくなかったんですよね……。宮廷魔導師見習いになるのが、一番いいと信じてましたし」

「一般的な認識として正しいね。……いつでも戻っておいで」

「ありがとうございます。でも自分で探し歩くのも楽しいです。ギガンテスを倒してエピアルティオンの群生地を発見したり、アンズー鳥を倒してアレクトリアの石を手に入れたりしました。今住んでいる町の近くにはドラゴンの生息地があるんで、ドラゴンティアスに困らなくていいですよ」

 チェンカスラーは自力で採取できるなら、エグドアルムよりよほど素材が入手しやすいのがいいところ。

 食べものも、野菜やフルーツの種類が豊富で新鮮。ただ魚介類に関しては、やはり海に面したエグドアルムには敵わないわ。


「ドラゴンの生息地……。危ない真似はしないようにね」

「地獄の王に狙われたり、戦争に巻き込まれかけたりしましたが、楽しく暮らしています」

「楽しい!? その暮らし、楽しい!??」

「ベリアル殿もおりますから、大丈夫なんです!」

 所長は大げさだなあ。

 逆に考えるのだ。堂々と魔法を試したり、体験できる機会になるのよ!

「はあ~……。セビリノ君じゃ、イリヤさんを止めないからなあ。もういいや、せっかくだもんねぇ、魔法の話を聞かせて欲しいな」

「もちろんです!」

 あまり他の人の耳に入ったら良くないね。再び所長室へと戻る私達の背中に、所員がボソボソとする会話が届いた。


「……俺はドラゴンティアスを自力で取らなきゃならないなら、貴族のイジメを甘んじて受けるわ……」

「命の心配はないもんね……」

「ギガンテスも無理すぎる」

「ヤバさに磨きがかかってない?」

 所長室から出ないでいれば良かった。

 

 所長には地獄の王関係は黙っていて、他国の秘匿魔法に触れた話や魔法戦の感想を伝えた。他国の秘匿魔法は、所長も特に興味津々だ。

「詠唱、誰にも漏らさないからこっそり教えてくれる? あと、殿下にも報告すると喜ばれるよ。殿下も秘密の取り扱いには慣れているから、安心してね」

 所長に今まで使われた秘匿魔法や初めて聞いた追加詠唱を説明した。

 最初はとてもご満悦だった所長が、徐々に複雑な表情になってペンを止め、私を捉える。

「……何をしたら、こんなに巻き込まれるの???」

「移動が増えたからでしょうか。町の生活も危険なものですねえ」

「普通は秘匿魔法とか、唱えられないから! 秘匿っていうのは、秘密にするって意味なんだよ。簡単に使用魔法として選ばないよ」


「そなたは無自覚過ぎるわ」

 ベリアルまで一緒になって。

 私だって使って欲しいなんてお願いしていないよ、勝手に相手が強い魔法を唱えてくるんだもん。

「はー、こりゃ国に所属して外にいてくれるのが一番いいなあ。研究するより収拾する方が、よっぽど効率がいいねえ」

「雷をたくさん落とす魔法なんて、発想にもなかったですしね」

 あれは興味深い魔法だった。所長も喜んでくれて何よりだ。


「そうだねえ、もうそれでいいね。でね、今は眠る魔法を開発していてね。薬はあるけど、魔法で眠らせるというのはなかったでしょう。犯罪に使いやすい魔法だから、我々が不眠症の治療や、暴れる犯罪者の安全な拘束に使うだけだよ」

 所長は詠唱の書かれた紙を机の上に出した。

 まだ開発途中なので、訂正されていたり文言の候補が幾つか書かれていたり、資料からのメモ書きが端に残っていたりする。


「愛し子よ、揺りかごに抱かれ微睡まどろみの境界を霧のように漂え。中空のあずま屋でお前の眠りを守る、不思議な妖精の音楽キヨル・シーで目覚めるまで。シュヒーン・ショー・ルロー・ルー、眠れ、眠れ。ドルミール・ロフォーンド」


「なるほど、これは昔話になぞらえた魔法ですね。ひねりが欲しい感じでしょうか」

「だよねえ、繊細な魔法なのにちょっとストレート過ぎるよね」

「愛し子と特定するのはいいですね、下手に範囲が広がると術者にも効果が及びそうです」

「全員で寝てたら、むしろ面白い気もする」

 誰が一番に起きるかの競争になりそう。いやいや、真面目に考えないと。明日も研究できるわけではないのだ。


「愛し子との文言があるので、お前と強調しなくていいと思います。効果が強くなりすぎるかも知れません」

「ここは消して、表現を変えるかな」

 所長が“お前”という単語を、二重線で削除した。

「午睡、枕、布団、……ちょっと直接的ですねえ」

「居眠りすることを、舟をこぐとも表現するね」

「使えますね」

 思い付いた言葉をどんどん書き込んでいく。最初の部分を変えず、主に中間の表現を直した。


 途中で所員が三人分の食事を運んで来てくれた。熱中すると食事の時間を忘れてしまうのは、相変わらずなのだ。

「こやつらは、いつもこうのかね」

 二人で盛り上がっていたので暇をしていたベリアルが、所員に尋ねる。しまった、夢中になって存在を忘れかけていた。

「はい、いつもこうでしたよ。ここにアーレンス様も加わって、次の日私達が仕事に来たらまだ続けていたり……、懐かしいですね」

 苦笑いで頷く所員の女性。一度や二度ではなく夜明かししたので、何回かめには“帰って休んでください”と、念を押されるようになったよ。

「……よく飽きぬわ」

「イリヤさん達はともかく、私は途中で疲れて寝ちゃったりしますが」

「魔法の楽しい夢が見られますね」

「悪夢ではないのかね」

 ベリアルの理解は得られないらしい。


 手早く食事をとって、研究を再開する。

 ベリアルは部屋で黙って待っていた。ちなみに気付かれないよう、今日は魔力を完全に消している。

「やはりイリヤさんやセビリノ君となら、忌憚きたんなく議論できていいね。所員だとどうしても遠慮が出る」

「失敗したら評価に響くと心配されるんでしょうかね。あ、最後も少し変えましょう」

 雑談をまじえつつ、新しい詠唱が決定した。これから実験を繰り返して、使えるか判断するのだ。


「愛し子よ、揺りかごに抱かれ微睡まどろみの境界を霧のように漂え。中空のあずま屋にて舟をこぎ、夢の岸へ辿り着くよう。不思議な妖精の音楽キヨル・シーで目覚めるまで。シュヒーン・ショー・ルロー・ルー、眠れ、眠りの森閑の深きにて。ドルミール・ロフォーンド」


「うんうん、さすがイリヤさん。良さそうだ」

「お役に立てて良かったです。私も勉強になりました」

 セビリノも参加できれば良かったな。

 所長と魔法の研究をしたと知ったら、羨ましがるだろう。でもセビリノとは、この前二人で魔法開発をしているわ。

「そろそろ帰る時間かな? アイテムも作って欲しかったなあ~」

「アイテムを作るほどの時間はないですねえ……」

 エグドアルム滞在中に、またここにお邪魔する時間があったらいいな。

「ではこれで」

「……師匠~、研究所にいらっしゃるなら何故、私も呼んでくださらないんですか」

 帰ろうとした時に、勢いよく扉が開いてセビリノが現れた。駆け付けたのか、肩で息をしている。


「あ、セビリノ。忙しいと思って声を掛けなかったの。もう帰るわ、またね」

「そんな殺生な……、こ、これは新しい魔法……! せめて師匠のお見送りを、いや魔法を私にも、改定前も含めて見せてください!!!」

 セビリノの視線は、机の上に散らばる紙に釘付けだ。もはや私はどうでもいいのでは。

「セビリノ君、相変わらず魔法とイリヤさんのことになると騒がしいねえ」

 エグドアルムにいた頃に返ったみたいだわ。

 賑やかで楽しかった。



 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


魔法の参考文献


ケルト妖精物語 W・B・イエイツ編 井村君江編訳 ちくま文庫

詩のような、歌のようなのの一節を参考にしました。

地獄の侯爵の方で使ったチェンジリングの話を読み直してて、「これアレンジして魔法でイケる」ってなった!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る