第280話 狙われたのは……
夕飯も美味しかった。ステーキが分厚かったので、食べきれない程だった。
さて、温泉に入浴するには何が必要なのかな。机の上には入浴のマナーが絵付きで記された紙が置いてある。湯船に入る前に体をキレイにするのね。タオルとバスタオル、それから着替え。石鹸はお風呂場にある、と。
用意をしていたら、扉がノックされた。
「あの、イリヤ。お風呂……行こう」
「すぐ行くわ」
リニが誘いに来てくれたのだ。今回ばかりはエクヴァルは一緒に入れないからね、リニは私の貸し切りだわ。
お風呂は奥にあり、脱衣場にカゴが幾つも用意してある。
別棟全体を貸し切りにしているので、今回は私達だけしかここには来ない。お風呂は慣れていないから間違えていないか心配だし、気兼ねなくていいね。
カゴに服を入れ、ワンピースの様な湯浴み着に着替えた。リニはピンク、私は水色だ。お揃いの服みたい。他にお客がいたら、皆がお揃いになるのかな。想像してみると、ちょっと面白い。
湯気が煙る浴室には木の広い浴槽と、洗い場が幾つか並んでいた。外には石で作った、小さな露天風呂まで。
椅子と桶を借りて、まずは髪から洗う。
先に洗い終わって湯船に手首まで入れてみた。セビリノが教えてくれた通り、白っぽい色をしている。この色も自然に着色されているのね。
「ちょっと熱いかな?」
つま先を浸し、ゆっくりと肩まで浸かった。うーん、いい気持だ。
「わあ、わあ。白いよ。熱くない? 痛くない??」
「大丈夫よ。入ってみると、ちょうどいいくらいだわ」
リニは怖がりながら手を入れて、湯船を掻き回した。ようやく決心して、ゆっくりと入る。
「ふわあ……」
「疲れが取れそうね」
「うん。お湯、ずっと出てるよ。止めなくていいの?」
後ろの壁を通っている筒から、ずっとお湯が流れているのだ。ただ流れているだけで、止めるところは見当たらない。
「止まらないみたい。無くならないかしら」
「不思議……。お風呂に入る時に、お湯がたくさんあふれちゃったよ。後で怒られないかなあ……」
「怒られないわよ、こういうものみたい。熱かったら薄めていいとも書いてあったし、水が豊富に湧くんでしょうね」
「そ、そうなの? 一人だったら、心配になっちゃってた。イリヤがいて良かった」
ようやくリニが笑顔になった。少し温まったら、外にある露天風呂にも挑戦する。壁で囲まれているので、きっと外から見られたりしないんだろう。
外は冷たい空気が熱い体に心地よく、星空が天井画のように広がっていた。
お風呂も満足したし、冷たい水を飲んでからゆっくりと寝よう。朝も入ってみようかな、スッキリ目が覚めそう。気持ちがリラックスできて、魔力も安定した気がする。
セビリノはそういう効果を狙って、一番に入ったのかしら。旅行ではしゃぐタイプじゃないものねえ。
□□□□□□□□□□□□□(ベリアル視点)
静かである。
夜も更けて、細い三日月が雲のない空に浮かんでおる。
窓辺でグラスを揺らすと、ワインの表面に浮かんだ月が歪んだ。
全て飲み干し、グラスをテーブルに置く。月明りだけに照らされた薄暗い部屋の隅は、真っ暗な闇しか存在しない。
エクヴァルが動き出す。
相変わらず勘が鋭い、動きの早い男である。もう少し遊ばせておけば良いものを。窓から小悪魔がコウモリの姿で飛び、本館への連絡に向かう。魔力の少ない小悪魔である、侵入者に勘付かれはしないであろう。
万が一の接触を避ける為、二階のベランダに降りた。あちらに召喚した聖獣がおるのなら、既に気付いて待ち構えておるはず。侵入者の仲間と疑われぬかね。
注意を引くつもりであろう、部屋の扉を勢いよく開き、エクヴァルが廊下に出た。
「夜分の客は歓迎しないね。出直してもらえるかな」
「うお、バレてたか。まあいい、まだ相手は一人だ。ぞろぞろ出て来る前に、さっさとやっちまえ!」
バタバタと廊下を走り、近くの部屋のドアを壊そうとする音がしておる。隠密行動は終わりであるな。
ガキンと剣が合わさった。狭い廊下で戦うにはそれなりの訓練が必要であろう。壁に剣先をぶつけてしまえば、折れてしまいかねぬ。
さて、我も仕事であるかな。イリヤの部屋に入らせるわけにはいかぬ。こちらは扉を閉めたまま、闇を移動して廊下へ移動した。エクヴァルは既に数人を倒し、飛び越えて前に進んでおった。
「強え、なんとかしろ!!」
「何の騒ぎですか……?」
イリヤが部屋の扉を僅かに開け、確認する。ずっと大人しくして寝ておれば良いものを!
「女だ、人質にしろ!」
「任せろっ」
額に太い一本角の生えた小悪魔が壁を走ってエクヴァルをすり抜け、イリヤの前に立った。
「大人しくすれば怪我しないで済むぜ」
「我の契約者に手を出すつもりかね」
小悪魔の背後で魔力を放出すると、小悪魔は横に飛んで壁に激突した。そのまま座り込んで、我を見上げる。
「ひぇっっ、今まで気配も何もなかったのに……!??」
今度はガチャンと、奥の部屋から窓が割れる音がした。残念ながら、相手をしている場合ではないようである。
「……そこで大人しくしておれ。さすれば、地獄に居場所がなくなることもないでああろうよ」
「うーん、これは襲撃ですね。お邪魔になるので失礼します」
イリヤは扉を閉めて部屋の中へ戻った。守るべき対象もおらぬとなると、余計な首はつっこまぬようだ。しかし寝ぼけておらんかね。
この小悪魔は、もう放置しても良いであろう。我はゆっくりと、奥へ向かった。
外に控えていた者達がいたようだ、無人の部屋から入り込んでおる。ガチャリと室内から鍵を開け、勢いよく飛び出してきおった。
「……っ人!? うげ」
先頭の男の喉を掴み、持ち上げて投げた。喉は掴みやすい、人間の持ち手のようなものであるな。
部屋に入り、侵入者を確認する。こちらから侵入したのは四人であった。一人目があっけなく倒されて、身構えておる。
「怯むな、さっさと片付けろ!」
仲間を鼓舞して向かってくる男に火を浴びせ、剣で肩を斬る。暗い部屋を炎が照らし、驚いて戸惑う人間の表情が浮かび上がった。残りも簡単に倒して終わってしまった、手応えのない相手ばかりであるよ。
「おい、こっちだ!」
窓から覗くと、本館から松明の灯りが移動してくる。二階を貸し切っているという連中であろう。
「ゥゴオオォ……!」
闇夜に響く、虎の聖獣の唸り声。
侵入者どもは本館からの応援と挟み撃ちになり、どんどんと崩された。愉快な悲鳴が夜に響く。
しばらくして勝てぬと悟り、侵入者は抵抗を諦めた。
「ビニシオ・ガセト殿。これは助かりました」
最後まで
「いやぁスウグに起こされて、そちらの小悪魔が知らせに来てくれたからな」
「エクヴァル大丈夫? 皆、怪我はない?」
ビニシオの後ろから我が配下の公爵エリゴールが妹だと言い張っている、小悪魔のリニが顔を出す。隣には虎に似た白い聖獣のスウグが侵入者に睨みを利かせている。
「終わったみたいですね」
イリヤが着替えて姿を現した。今になって宿の者が数人、こん棒や包丁、鍋のふたを持って慌てて走って来る。鍋のふたなど、どうするつもりであるかな?
……この期に及んで姿を現さぬセビリノは、まさか眠っておるのかね……!? とんでもない師弟である。
「お客様、ご無事でいらっしゃいますか!??」
「ロープはあるか、とにかく縛ろう」
ビニシオ・ガセトの配下はしっかりとロープを用意していて、捕縛を開始している。周囲で兵が目を光らせているとはいえ、なかなかの集団だ。逃げられぬよう、早い方が良かろう。
言われてすぐに、二人がロープを取りに戻った。
「さてさて、まずはここを襲撃した理由を教えてもらおうかな」
かすかな月明かりと魔石の常夜灯、それから兵が持つ松明の灯り。エクヴァルはそれらに照らされて、襲撃の被害者に似合わぬ笑顔を浮かべていた。
「……お客様、移動しながら町で宿や豪商を襲撃する盗賊団が隣国を荒らしていると、注意喚起がありました。この国での被害がなかったので油断していましたが、もしやこいつらでは……」
手配中の盗賊団とな。顔を逸らす者もおる、心当たりがあるのだろう。
「それが何故、わざわざ宿の離れを?」
「うっせーな、どうでもいいだっぶ!?」
しゃがんだままで吐き捨てるように叫ぶ男の顔を、ちゅうちょなく蹴り飛ばすエクヴァル。男はまっすぐ後ろに倒れ、近くにいた者が慌てて避けた。守るつもりはないようである、所詮は賊の一味。
「うーん、喋らないならもういいよね。縛るのも面倒でしょ、首を落とすからもう動けなくなるよ」
スラッとオリハルコンの剣を抜き、倒れた男の首に刃を当てる。
「……本気じゃないよな?」
確認するのは、団長ビニシオ・ガセトだ。
「拷問するのも手がかかるし、これが一番楽なんだ」
罪も感じさせない屈託のない笑顔である。人は行動と言動にかい離を感じた時に、恐れるものである。
「おい、アイツ本気だぞ……」
賊どもが動揺しておる。エクヴァルは時折、人間にしておくには惜しいほどに冷酷になる。
「さ、酒場で聞いたんだよ! オークションで競り負けて国に帰るって騒いでただろ!」
「……わざわざ国をまたいで兵を引き連れて参加するオークションとなると、時期も時期だしユグドラシルオークションか。それは大金を持っていると教えているようなものだねえ……」
エクヴァルの呆れた視線がビニシオに向けられた。
「……こちらの不手際だ。本当に申し訳ない! だからお前ら、酒場であんな話をするなと言ったんだ!!!」
「申し訳ありません!」
「こんなことになるとは……、すみませんでした」
兵達がペコペコと謝る。この騒動の発端は、酒場での会話からであったか。しかしならば何故、本館ではなく離れを襲撃したのであるかな。皆が気になったらしく、ビニシオが賊に問いただした。
「……宿に戻って、この離れの近くで話しているのを見届けたので、離れを貸し切っているとばかり……」
全てこ奴らの責任ではないかね! 敵としては弱すぎてつまらなぬし、わざわざ我の時間を割くようなものでもなかった。しっかりと詫びてもらわねばならぬ。
「ベリアル殿、あの小悪魔がリニちゃんに絡んでいた小悪魔です。ね、エクヴァル」
「……ああ。軽い罪で済まさないよう、しっかり提言しないとね」
女を人質にしろと、イリヤを狙った輩であるな。小悪魔と契約者は青くなって震えておるわ。
町の兵は、全て終わってようやく到着した。ビニシオが配下に呼びに行かせ、巡回している兵に応援を要請したそうだ。そこから本隊に知らせたりと、やはり遅れは出るな。
騒ぎに気付いた近隣の住民が寝間着の上に一枚羽織って、様子を見に集まっている。衆人環視の中、連中はすっかり連れて行かれた。
「ご協力ありがとうございました。お怪我がありましたら、治療いたします」
数人残った町の兵が、屋敷内などに残党がいないかの確認をしている。そのうちの一人が治療を申し出た。回復魔法の使い手であるな。
「こちらは魔法使いがいるから問題ない、そっちもだろう?」
「問題ないね。イリヤ嬢、さすがに襲撃のあった場所に戻るのは気が進まないかな?」
「うーん、そうねえ……。潜んでいないか、確認はしてくれているのよね」
小娘にもいっぱしに、不安のような人間らしい感情が残っておるのかね。ならば我を、もっと恐れ敬うべきである。
「二階も全部屋は使っていないから、移れるぞ」
ビニシオの提案に頷き、後ろを振り返るイリヤ。
「じゃあそうしようかな。あれ、セビリノは……」
「出て来ておらぬ。寝ておるようだな」
「えっ!? セビリノ君、この騒ぎでまだ寝ているの……!?」
エクヴァルが素っ頓狂な声を上げた。さすがのイリヤも目を丸くしておる。
我らは本館へ移ることとなり、宿の者達が荷物を移動し、部屋に暖かい飲み物を運んだ。二階も全室泊まれる準備はしてあったようで、すぐに移動した。
セビリノはようやく目を覚ましたところで、何があったか全く気付いておらなかった。血や泥が飛び散り、落とされた武器や防具の欠片が散乱する廊下を、視線を巡らせながら歩く。
「……ずいぶんな騒動があったようですな。温泉に入ると、よく眠れるようです。安眠効果もあるのかと」
「どうりで療養に使われるわけねえ」
納得するでないわ、小娘め!!!
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