第281話 剣と聖獣
襲撃騒ぎがあったので、別棟から貸し切りになっていた本館二階に移らせてもらった。それでもなかなか寝付けなかった。
せっかくの温泉なのに、疲れた気がする朝だ。
町の兵が念の為に、数人で近辺を警戒してくれている。午前中に事情を聞きに守備責任者が尋ねてくる予定なので、朝食を食べたら部屋で待っていないといけない。朝食はビニシオ・ガセト達と一緒に、大広間で頂く。
「我々の不注意から、本当に大変な迷惑を掛けた。宿代はもつから、料理の追加でも何でもしてくれ」
「宿代は払ってあります」
「そうか……、それなら飲み物でもデザートでも!」
そうなのだ、今回はベリアル配下の悪魔フィロタヌスが手配して、料金も支払い済みなのだ。何かさせて欲しいと訴えられたので、彼らのご厚意に甘えて飲み物を追加させてもらった。
宿からは宿泊料金の返金を打診されたが、それだとフィロタヌスの罰が終わらなくて可哀想なので、謹んでご辞退させて頂いた。
現在別棟は片付け中で、立ち入り禁止になっている。割られた窓や戦闘で壊れた壁、それに扉も修理しないといけない。
「ユグドラシルはどこが落札したんでしょうね」
「発表がない限りは、口外禁止でな。俺の口からは言えない」
なんだ、教えても貰えないんだ。今回は大きめの枝が三本と、小枝をまとめて出品されたと、オークションの様子は聞かせてもらえた。
中立国ラシルドノール名物の、天使の朝礼も見学したそうだ。
この時期は警備を厚くする為に召喚だけではなく、天使の部隊が神様から派遣されるのだ。そのくらいユグドラシルは大事な木。オークションにかこつけて伐採されないよう、見張りが厳しくなる。
「ビニシオ様は、この近辺の国の方でいらっしゃいますか?」
「少し南西の国だ。隣国と境界なんかで揉めててな。戦争してでも奪い取れって、強硬派の動きが活発になってきてなあ。戦争に反対している穏健派の俺が、オークションに参加する使節の警備に回された。国でどうなってるか、心配だよ」
うーん、南西。そして戦争。これはもしや、私が巻き込まれた事件ではないか。今回も巻き込まれ。世の中は危険がたくさんだ。
「もしフィロタヌスという悪魔に会ったなら、“なかなか凝ったもてなしであるな”と、伝えておくよう」
「? 分かった、心に留めておこう」
ビニシオはよく分からないまま頷いている。襲撃されてベリアルからこんな伝言が届いたら、フィロタヌスは生きた心地がしないのではないだろうか。盗賊に襲われたのは、彼の責任じゃないのに。
「イリヤ嬢、さすが肝が据わってるね。聞き取りだけど、君はリニと一緒に待っててくれる? 我々は襲撃の状況を説明すればいいだけだし、君は部屋から出ていないから、目撃もあまりしていないでしょ」
会話が途切れるのを待って、エクヴァルが提案してくる。私は襲撃の時に部屋でじっとしていたから、どんな敵がどのくらいいたかも、ほとんど記憶していない。
「確かに、物音で起きたらもう戦ってたわ。エクヴァルが一番の当事者だよね。私は特に気付いたことも何もないし、お任せしようかな」
「了解。ビニシオ・ガセト殿もいるし複雑なことにはならないよ」
「……ところで肝が据わってるって、なんで?」
「いや、泊まっていた宿が襲撃されて、翌朝はもう普通にしてるから。さすがにもう少し
むむ、しまった。ここは怖がっていなければならなかった。朝食はしっかり食べたし、関係ない話題で盛り上がったりしてしまった。失敗した感がある。
「小娘に人間らしい感情を求める方が無粋であるわ」
「はははっ、大人しそうだが豪胆な人物らしいな」
「本気にしないでください、ベリアル殿の意地悪なんです!」
人外から人外呼ばわりとは、これでは私の印象は最悪では。なんて意地の悪い悪魔なの、流石は王だわ!
「それでビニシオ殿は、どの程度把握されていますか」
「エクヴァル殿だったな。盗賊が入り込んだ辺りでスウグが俺達を起こし、そちらの小悪魔が知らせに訪れて」
もう昨日の襲撃の話題になってしまった。情報のすり合わせをしておくようだ。ここで割り込むのも、迷惑なだけだな。
「……リニちゃん、町に出掛ける? それともお部屋にいようか」
「あ、あの。もう一度、お風呂に入りたい……」
温泉を怖がっていたリニだが、気に入ったようだわ。
「じゃあ後で入りましょ」
「うん!」
もういいや、勝手に楽しんでよっ。
朝食のあと、温泉に行こうとリニを誘った。本館の大浴場ではなく、奥の廊下を進んだ先にある小さな露天風呂だ。木の屋根がついた渡り廊下は周りが見渡せるようになっていて、植木の先に宿の厨房が見えていた。
温泉には気持ちをリラックスさせ、魔力を安定させる効果がある。
そんな説を聞いたことがあったわ、確かにそんな感じがする。あ、泉質が色々あるんだっけ。魔力を安定させるのはどの成分か、研究しないといけないのだろうか。そこまで深く研究している人はいないのかな。
露天風呂はこじんまりとしていて洗い場もなく、竹の柵で覆ってある。周囲は木に囲まれていた。温度は温めで、やっぱり温泉はずっと流れている。
「午後には出発できるかなあ」
空を見上げながら、リニが呟いた。葉の間に青空が収められている。
「大丈夫だと思うわ。状況を説明したら、いいみたい。エクヴァルが上手く説明してくれるわよ」
「エクヴァルはお話、上手だよね」
「そうね」
リニはエクヴァルの話をする時に、いつも笑顔になる。大好きなんだな。
エグドアルムに戻ったら、エクヴァルは殿下の護衛をするんだろう。セビリノも宮廷魔導師だし、皆とは別行動になるのかな。
私は村へ戻って、妹のエリーの結婚祝いを渡さなきゃ。あ、お相手のお宅にもごあいさつに行った方がいいかしら。滅多に帰れないから、顔を見せるべきよね。となると、何処かで手土産を買って……。
「のぼせちゃうよ、そろそろ出よう」
「そうね、ちょっと考えごとをしちゃった」
リニに
本館へ戻り二階へ上がろうとすると、近くにいた従業員が笑顔で迎えてくれる。
「温泉は楽しまれましたか? 冷たいお飲み物はいかがですか?」
「満喫しております。お言葉に甘えて、アイスティーをお願いします」
「……わ、私は冷たい、ミルクが欲しい……」
「かしこまりました。そちらのソファーにお掛けになってお待ちください」
パタパタと取りに行き、その間に通り掛かった従業員も丁寧にあいさつをして、不満はありませんかと尋ねてくる。
夕べの襲撃を心配してくれているんだろう。被害があったのは私達よりも建物で、片付けも大変だろうに、かなり気を遣ってくれていた。飲み物が無料で振る舞われるし、クッキーまでもらえたわ。お得だね。
聞き取りはまだ終わっていないみたい。一息ついてから、部屋で待った。エクヴァルが終わったと知らせに来てくれたのは、それから間もなくだった。
「お世話になりました」
「この度はこちらの不手際でお客様を危険に晒してしまい、大変なご不便までお掛けしまして、申し訳ありませんでした」
宿の代表の人が丁寧に謝罪している。襲撃は普通の宿で防げないのは仕方ない。
「お気になさらず。怪我人がいなくて、不幸中の幸いでした」
「かまわぬ、悪くなかったわ」
ベリアルは襲撃なんて、単なるサプライズくらいにしか思っていないもんね……。むしろ敵が弱いと文句を付けるくらいだ。
「では後はお任せします」
「おう、犯人達にはしっかり罪を償わせるよう、念を押しておく」
エクヴァルはビニシオと目配せをしている。盗賊もよくここを狙ってしまったものだ。運の尽きってやつだわ。
「では参りましょう」
「そうね、セビリノ」
ワイバーンを呼んで、出発する。お昼近くになったので、お弁当を作ってもらえた。正確には仕出し料理なんだけど、容器を返却しなくていいと言ってくれた。返せないから助かる。美味しいご飯を持って出発だ!
宿の従業員やビニシオ達が、外でお見送りしてくれていた。
山は白く雪化粧していて、上空は特に風が冷たい。空を鳥や魔物が飛んでいた。低く飛ぶ鳥は狩りで落とされるので、万が一がないように弓が届かない高さを飛ぶのが魔導師です。
出発したのがお昼近いので、あまり進まないうちに昼食の時間になってしまう。
「そろそろお弁当を食べましょう」
「そうだね。見晴らしのいい草原だし」
徐々に下りながら、魔物がいないか上空から確認する。
「大きな山羊がいるわねえ」
「アレも魔物かな。もっと離れた場所にしよう」
灰色の山羊が一匹、草を食べている。危険な魔物かは解らないが、近寄らない方が無難だろう。
眺めていると、急に山羊が走り出した。先には人がいて、剣を鞘から抜き放った。
「襲われちゃうわ」
「冒険者が討伐でも受けたのかな。ソロとは珍しいね、自信があるんじゃ……」
エクヴァルが言い掛けたところで、冒険者が持つ白く輝く剣が、自らの腹を貫いていた。自殺!? まさか、こんな場面で? 鞘と間違えた……わけもないか。
「エ、エクヴァル、あの人どうしたの? 死んじゃうよ……」
リニも驚いている。
「とにかく行きましょう!」
状況が呑み込めないが、まだ助かるかも知れない。私達は冒険者の元へ急行した。山羊は冒険者が血を流しながら倒れると、歩みを緩めてゆっくりと近付いていった。
「イリヤ嬢、私より前に出ないで」
ワイバーンのキュイを駆り、エクヴァルはまっすぐ冒険者に向かう。私はその後ろを、少し離れて飛んだ。ベリアルも私とセビリノを抜いていく。
地表すれすれでエクヴァルが飛び降り、キュイはリニを乗せたまま上空へ戻る。エクヴァルはすぐに冒険者の容体を確かめた。
「……死んでいる」
大きな山羊は少し離れて止まり、見守るだけ。
エクヴァルはいったん冒険者から視線を山羊に移した。攻撃してこないのを確認したのね。きっとさっきは、冒険者が狙っているのを感じて戦う気になったんだわ。賢い山羊だ。
私も近くに下りる。冒険者の腹には、剣が突き刺さったまま。意匠の凝った、とても高価そうな剣だ。
エクヴァルがその剣を引き抜き、確認しようとすると。
「すぐに鞘に仕舞い、抜いてはならぬ」
ベリアルが忠告する。おかしな魔法でも付与してあるのだろうか?
軽く血を払って、エクヴァルは剣を鞘に納めた。
「……危険な剣でしょうか」
「……刻まれた銘に心当たりがあるのだよ。それとあの山羊は聖獣、タングリスニルであるな。馬車などを曳かせる獣よ。依頼であれば討伐ではなく、捕獲であろう」
ふむふむ。聖獣は危険人物が解るのか、ベリアルが手を触れても動かなかった。ちょうどいいので聖獣に遺体を乗せ、剣も持って人里を探す。キュイは私達の上を飛んで、付いてきていた。
ランク章がないし、冒険者ではないかも。身元が判明するといいなあ。
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