第279話 リニ、絡まれる
「この近くにいる感じはするんだ。だからてっきり、君のところかと勘違いしてた」
「それならすぐに見つけられるわね」
契約しているエクヴァルには近くにさえいれば、リニの居場所が分かる。リニは魔力の少ない子だから、ハッキリとはしないみたい。人が多く、気配が雑多な場所だから特に。
「買い物をしているだけなら、いいんだけど……」
ベリアルにも来てもらえば良かった、すぐに見つけられたのに。
前には大きな亀である、ゲンブに乗って移動している人がいる。歩くより少し遅いのでは。こんな時だとイライラしちゃうわね。反対側からは、天使と並んで歩いている人がいた。
「全く悪魔ってのは仕方ないね」
「あの子の契約者はいないのかな、一人だった」
「ああいう弱い子は、人間からもあんまりいい扱いを受けないみたいだしなあ」
悪魔の噂だ。もしかして、リニかしら!?
天使達が来た方には、道に立ち止まって何かを眺めている人が何人もいた。
「ねえエクヴァル、もしかして」
「リニかも知れないね。この先か」
ゲンブを避けてザッと走り出したエクヴァルは速くて、私は全然追いつけない。
人通りが多くてぶつかりそうだから、無理に走らないでいよう。器用に避けて走るなあ、そういう訓練もするのかしら。
立ち止まっている人々の視線の先には、額に太い一本の角が生えた大柄な小悪魔と、向かい合っているリニがいた。リニは箱を抱えて、怯えて俯いている。
「ご、ごめんなさい……」
「ごめんじゃねえよ、よくも俺の契約者にぶつかったな!」
後ろに立っているのが契約者だろうか。使い古したコートを着た、冒険者でもしているような体格のいい男性で、ぶつかったならリニの方が怪我しちゃうよ。
「警備の人は呼んだ?」
「すぐ来てくれるよ」
近くにいる男女が、こっそり話している。
誰かが警備兵を呼びに行ってくれているのね。エクヴァルはあと少しで届く。
「ぐはっっ!」
「おっと悪いね~。大来で立ち止まってるから、ぶつかっちまったよ」
エクヴァルが着くより早く騎士姿の男性が、小悪魔の契約者の男を背中から蹴飛ばした。契約者はよろけた拍子に前へ二歩ほど進んで、突然蹴りつけた騎士を勢いよく振り向く。
「ぶつかったじゃねえ、蹴っただろうが! ふざけんな!!」
「……ふざけてるのは貴様らだろう、女の子を相手に
騎士の後ろには仲間らしき鎧を着た数人と、魔法使いがいた。そして白い体に長い尾、黒い模様のついた虎が控えている。聖獣スウグに違いない。怖そうな見た目に反して、穏やかな草食の虎だ。
スウグが唸ると、絡んでいた男と小悪魔はビクッとして後ずさった。
契約者が合図しない限り、襲わないと思うな。
「ちっ……、おい行くぞ」
敵わないと判断したのか、逃げるように去っていく。立ち止まって見守っていた人が、道を作るように避けていた。絡まれたくないよね。
「大丈夫かい、小悪魔のお嬢ちゃん」
「……は、はい。ありがとう、ございました……」
助けてくれた男性をじっと見ていたリニが、箱を抱えたまま慌てて頭を下げる。
「私の小悪魔がお世話になりました」
「あ、エクヴァル……」
リニの隣に立って、エクヴァルもお礼を告げた。彼の姿に、リニはようやく安心したようだ。
「いや、当然だ。ここはそんな治安の悪い町じゃないんだが……、まあこういうこともあるわな」
「私はエクヴァル・クロアス・カールスロアと申します。お名前を伺っても宜しいでしょうか」
「俺の名はビニシオ・ガセト。国に帰る途中でな。今日はこの町に泊まってる、またアイツらが文句を付けてきたら、遠慮なく呼んでくれ。まっすぐ行って左手にある宿の、本館二階を貸し切ってる」
おや、私達と同じ宿だわ。ビニシオは軽く手を上げて、背中を向けた。
彼らはスウグも連れて、近くにある居酒屋へ入って行く。先に仲間が席を取っていたようで、こっちですと呼ばれていた。
エクヴァルはリニに怪我がないか確認している。私も二人の傍へ寄った。
「リニちゃん、その箱は? 汚れているけど地面に落ちたの?」
「ケ、ケーキを買ったの。でも、ぶつかって箱を落としちゃった……」
開けてみると白いクリームが箱に付いていて、傾いたケーキが幾つもあった。しょんぼりと箱を覗き込むリニの角の間を、エクヴァルが撫でる。
「あ~、崩れているね。買い直そうか」
「なんで? 味は変わらないし、いいんじゃない?」
「これでもいいかな、食べてくれる……? あ、あのね。皆の分も買ったの」
「せっかくリニちゃんが買ってくれたんだし、もちろん頂くわ」
内緒で買って、驚かせようとしていたのかも。これでいいと頷くと、リニは明るい表情になった。
「見た目で味は変わらない、か。君が言うと説得力があるね」
エクヴァルの発言は、どういう意味だろう。気に掛かるけど、聞かないでおいた。料理に関しては、エクヴァルやセビリノの方が私より腕が上なのだ。
「まだ買い物はある?」
エクヴァルの問いに、リニが首を横に振った。
「ないよ」
「私も終わったわ」
「宿へ戻ろうか、皆でリニのケーキを食べよう」
「うん」
二人が手をつないで、私は後ろから付いて行く。リニが笑顔になって良かった。
「あ、そうだ。助けてくれたビニシオ・ガセト様達も同じ宿よね。お礼を買っていかない?」
「お礼、したい。どのくらい必要かな」
「そうだねえ。お酒でも差し入れればと言いたいけど、任務の途中みたいだし、薬の混入を疑われるかもね。店から直接届けてもらうよう手配するか、宿でお金を払っておいて、いい酒を出すようにとお願いしたらどうかな」
買って差し入れするのも疑われるとは。リニの紫の瞳が、すがるようにエクヴァルを見上げた。
「手渡し、できないの? 直接渡したい……」
「そうだわ。リニちゃんが石を買って、私が魔法付与するのは?」
「ああ、それは喜ばれるねえ」
よし、決定だわ。天然石を売るお土産物屋で石を買った。
石は透き通る紫のアメジスト。ブローチになっている。プロテクションを付与しておいたので、すぐに使えるよ。狙われたりするだろうから、とっさに使える防御魔法にした。
「イリヤ、協力してくれてありがとう」
リニは箱に石を仕舞い、買っておいたリボンを斜めに掛けた。立派なプレゼントになったわ。
エクヴァルの助言に従って、宿の受付でお世話になったからお酒を出して、とも伝えておいた。これで大丈夫ね。
用事を済ませたので別棟のラウンジに集まり、ケーキをお皿に並べて紅茶を淹れた。悪魔フィロタヌスは契約者の元へ帰り、ベリアルは部屋でくつろいでいる。ケーキを食べには出て来なかった。
お風呂に入って室内着に着替えたセビリノは、暑そうにしている。
「師匠、ここの風呂はほんのり白くとても温まります」
「夕食の後に入るわね。あ、早い方がいいかな?」
「わ、私も、ご飯の後がいいと思う」
リニが食べているのは、ザッハトルテ。私のケーキはその横にあった、イチゴのショートケーキ。好物だと覚えていて、買ってくれたのだ。ザッハトルテの黒いチョコが、白いクリームに付いている。セビリノのレアチーズケーキには、私のクリームが付いているよ。エクヴァルには、ミルフィーユ。
ケーキを食べ終えて会話を楽しんでいると、外が騒がしくなってきた。助けてくれた人達が戻って来たのね。お礼に行かないと。
本館に続く、細い道を急いだ。寒い時期なので花はなく、庭木が等間隔に並んでいた。赤いポインセチアが目立っている。
「おかしいな、来た時は平気だったんだぞ」
「敏感な聖獣ですからね、この子が恐れるものがいるのでしょう」
「となると、普通のヤツらじゃないな。敵国だっりすると厄介だな」
聖獣スウグが、別棟を警戒している。
犯人はベリアルだ。誤解されても困るし、さっさと謝っておこう。
「申し訳ありません、私が契約している悪魔がいるのです」
「おや、さっきの小悪魔のお嬢ちゃん」
スウグの背を撫でて
リニは彼の目の前まで進み、魔法付与したアメジストのブローチが入った箱を、恐る恐る差し出した。
「あ、あの、あの。これ、助けてくれた、お礼……です」
「私がプロテクションを付与しました。魔力を通してプロテクションと言えば、発動致します」
「あのくらいで、そんな品をもらっていいのか!?」
すぐに箱を受け取ってリボンをほどき、開いている。いい感触だ。
提案をしてみたものの国に仕える人だし、いくらでも手に入ると断られたらどうしようかと、内心ヒヤヒヤしていた。
一緒にいる魔法使いが宝石を箱から取り出し、色々な角度から確認している。
「これは確かにいい出来ですね……。失礼ですが貴女は、どういった方ですか?」
「我々はエグドアルムへ帰る途中です。彼女と彼は、我が国の魔導師でして」
「ああ、なるほど! これは貴重な品を頂きました。団長、ありがたく頂戴しましょう」
エクヴァルの説明に納得して、アメジストは魔法使いから団長に手渡された。セビリノが一番後ろで、ものすごく満足そうな表情をしている。
「ありがとう、使わせてもらう」
「うわ~、団長、女の子を口説いていいんですか? 奥さんが泣きますよー」
用も済んだし戻ろうとしたところで、部下と思わしき人達がやって来た。兵士だけじゃなく、従者もいる。御者とか荷物持ちとか、そういうのかな。
「ばっかやろう、さっき絡まれてた小悪魔の女の子達だ。同じ宿だったんだよ。妻が泣いたら俺の命が危ない」
ビニシオはからかってきた兵士の額を軽く叩いた。仲がいいみたいで、通り過ぎずに別棟に続くこの道に集まってしまった。
「そうなんですか?」
「……妻は上官の娘で、ケンカでもすれば次の日に必ず呼び出されるんだ。今では呼び出される度に、周りから妻に謝れと言われちまう」
「団長はぁ、奥さん一筋だから~、娘さんはこの小悪魔ちゃんくらいな、背だ~!」
酔っぱらって真っ赤な顔をした従者が、前後の繋がらない文章を叫んだ。他の人に支えられてやっと歩いている。早くも飲み過ぎているみたい、お酒の手配はしなければ良かったわ。
「おい、ここで騒いでも迷惑になる。部屋へ戻るぞ」
団長のビニシオと魔法使いが苦笑いで軽くお辞儀して、一団は本館への道を進んだ。魔法使いは後ろにいるセビリノが気になっていたらしく、振り返っていた。
「じゃあ戻りましょ」
「喜んでもらえた」
リニの方が嬉しそう。別棟に戻るリニの尻尾が揺れていた。
「……門の向こうから、こちらを見ていた男がいたね。すぐに去ったし、騒いでいたから気になっただけかも知れないけど、念の為に寝る時は注意して。部屋と窓は必ず施錠してね」
「分かったわ。エクヴァルって門の方に顔を向けていなかったのに、よく気付くね」
「じっと見てたら、相手が警戒するでしょ」
そうなんだけど、うーん。不思議。
本館の前でまだ騒いでいる声を背に聞きながら、私達は別棟の玄関を通った。夕飯は部屋に運ばれるので、それまで待っていよう。
部屋に入る前に、そうだ一言。
「ベリアル殿、魔力を消しておいてください。あちらの聖獣が怖がるんです」
「獣など、この我には関係ないわ」
「関係なくてもお願いしますね。リニちゃんのケーキがありますよ」
「ケーキでつられるのは、そなたくらいであろうが!」
美味しいケーキなのに、ベリアルはお酒の方が好きなんだよね。しかしそこはご安心、ベリアルの分はお酒を染みこませたサバランですよ。
紅茶とサバランをトレイに載せて運んだら、普通に食べてくれた。
リニは反応が心配だったようで、部屋の扉をうっすら開けて瞳を覗かせていた。
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