第278話 温泉へ行こう!

 先手必勝とばかりに町から攻撃されて、襲撃予告していた人からも攻撃され、結局双方が平謝りという結果になった。

 悪魔フィロタヌスはまだ怯えている。殺そうとした相手が王の契約者、つまり私で、王に上納金を納める為に、王を敵に回しそうになるという本末転倒な事態になってしまったのだ。解決しなければ、安心して地獄へ帰れない。

 わざと隠れていたんだし不問でいいと思うんだけど、ベリアルは面子があるとか、示しがつかぬとかのたまっている。困ったことに意地悪を楽しんでいるのだ。


 私達はエグドアルム出身と理解してもらえ、今回の争いとは無関係と証明された。私の說明は誰も聞いてくれなかったのに、エクヴァルの方はすぐに理解されたなんて、ずるい。リニは黒猫の姿のまま、エクヴァルから離れない。知らない人が大勢いて、しかも襲ってきた相手だ。まだちょっと怖いのかな。

「師匠、賠償を請求いたしますか?」

「賠償って、損害があったらもらうんでしょ? 損害なんてあったっけ」

 結局普通に防いで終わりだった。特に問題はないのでは。あの雷の魔法は、着眼点が面白くて良かったと思う。

 感じたままを伝えたら、何故か全員が微妙な表情をしていた。エクヴァルは“君はそうだよね”と言いたそうな、これまた微妙な笑顔だった。


「さすが我が師、豪快でいらっしゃる」

 セビリノが得意満面なのは、何故なのか。セビリノだって知らない魔法の使用に立ち会えて、むしろ得した気分でいるはず。

「あのぉ……、こちらの背の高いお方は、セビリノ様とおっしゃいますので? まさかと思いますが、ご高名なエグドアルムの宮廷魔導師の、アーレンス様がそのようなお名前だったのでは……?」

「いかにも、私は宮廷魔導師セビリノ・オーサ・アーレンス。そしてこちらのお方が…………」

 セビリノが私に顔を向けて、頷いた。どういう意図なのか、瞬時に悪い予感が駆け抜ける。

「私が最も尊敬する人類の宝、天下無敵、至高にて崇高なる我が師、匠! イ」

「こちらか」

 

 またとんでもなく大げさに私を紹介しようと名前を言い掛けた瞬間に扉が開き、上半身に幾つも勲章をつけた女性が数人を従えて入室した。女性の指揮官だ、かっこいいな。

「わざわざのお越しありがとうございます」

 町の魔導師が立ち上がって迎える。女性は一瞥いちべつしただけで、足早に通り過ぎた。

「エグドアル厶の方でしたね。この度は我々の判断ミスで、大変なご迷惑をお掛けした」

「いえ、誤解が解けて安心致しました」

 背筋を伸ばして胸に手を当て、頭を下げた。こちらも立ち上がって、お辞儀を返す。

 女性は私と目を合わせてから、悪魔とその契約者に視線を移した。本当だったら彼らと、彼らが所属する国と戦闘になっていただろう。今後が気になるのかな。


 悪魔の処遇はベリアルが決める。というわけで、皆の視線が集まっている。

 注目が集まるとベリアルは背もたれから身を起こし、赤い爪でテーブルをトントンと叩いた。

「……さてフィロタヌス、そなたはどのように償うつもりかね?」

「そ、それは……」

 正座してるフィロタヌスは、うなだれたまま両手を膝に置いて強く握っていた。

 部屋の中が静まり返る。このままだとキツい罰が待っているのかな、先に案を出すべきか。

「こうしたらどうでしょう。次に泊まる温泉宿を探して予約してもらう、というのは。皆が温泉に行くので、私も興味があります!」

 ここからエグドアルムへ行く間に、観光温泉があるはずなのだ。

 エグドアルムには温泉が一つ二つしかなく、しかも療養するものというイメージで、遊ぶ施設ではない。殿下もベリアル殿も温泉にわざわざ寄っている。お湯に入るだけではない、楽しいことが隠されているに違いない。

 我ながら名案だ。


「……そなたは何なのだね」

「閣下の契約者です」

 知っているクセにいちいち尋ねないで頂きたい、他の何だというのだ。

「うおお、お任せください、最高級の宿を手配させて頂きますっっ!」

 それまで苦悶に満ちた顔をしていたフィロタヌスが、ここぞとばかりに元気に叫ぶ。ベリアルはため息をついていた。

「……では、明日の宿を手配せよ。我らはエグドアルムへ向かう途中である、ここより半日程度、北へ進んだ距離の場所にせよ」

「はは、必ずや……!」

 旅行っぽいな、明日が楽しみ。フィロタヌスと契約者は、これで出発……ではなく、まだ襲撃についての話があるらしい。

「国に戻られたら、停戦条約を結ばないかと伝えるよう。第三国を巻き込む事態になりかけた、いったん落ち着こう」

「その通りだな……、必ずや伝えよう」

 指揮官の女性の言葉にしみじみと頷き、簡単に話し合いをせてから二人は退室した。


「さて、こちらは……」

「イリヤ嬢は魔法を使って、疲れたでしょっ。後は私に任せて、先に休むといいよ」

「そう? ありがとうエクヴァル、じゃあお願いしようかな」

 エクヴァルは親切だなあ。私は遠慮なく用意してくれた部屋へ移動することにした。同じ建物の中に、宿泊用の部屋や設備もあるのだ。明日もたくさん飛ぶんだし、魔力が回復するようにしっかりと休んでおこう。

 案内されて階段を上り、入り口に守衛が待機しているフロアへ入った。賓客が寝泊まりする階なので、普段からこのフロア専用の守衛が出入りを監視している。

「お部屋の準備は整っております、どうぞ」

 廊下には武器を携えた見回りが歩いていて、私達に気付くと壁際に立ち、敬礼の姿勢で通り過ぎるのを待っていた。


 部屋は各自一つずつ、エクヴァルとセビリノは残って話を続けている。

 広い部屋に執務用の机や筆記用具なども揃っていて、ここで仕事ができるね。寝室には水差しとコップが用意され、ベッドの脇のテーブルに寝酒が置かれていた。続きの間は、連れてきた護衛や使用人の為の部屋。

「お食事はお申し付けくだされば、部屋へお運び致します」

「ではすぐに食事にしても良いでしょうか?」

「はい、メインは肉と魚、どちらにいたしますか」

「お魚で」

「かしこまりました」

 部屋ごとにメイドがつくのね。ちょっと緊張した感じだったな。

 間違えて攻撃された魔導師のお世話だから、八つ当たりをされると不安だったのかも。その分美味しい食事になるといいな。 


 前菜のゼリー寄せやカクテルサラダ、メインはサーモンのポアレでスープはお野菜たっぷりミネストローネ。籠に入った数種類のパン、カブをくり抜いて中身にエビと煮た野菜が入ったもの。食後のスイーツとコーヒーもあって、おしゃれで美味しい、ホテルみたいな夕食だった。

 ベッドの寝心地も良く、一度も目を覚まさないくらい深く眠れたわ。次の日の朝食はサクサクなクロワッサンを三つ食べて、サーモンのサラダと焼いたサーモン、フルーツも用意される。メイドが配膳しつつ、サーモンは特産品だと教えてくれた。

 至れり尽くせりだ。私が満足して笑顔で外へ出ると、皆が胸をほっと撫で下ろしていた。ベリアルが不満になって暴れるのが怖いんだろう。

 エクヴァル達とセビリノは出発の準備をして、すでに庭で待ってた。


「おはよう! ここのご飯、美味しかったわねえ」 

「おはよう。君って平和だよね」

「平和はいいことじゃないの?」

 エクヴァルの発言の意図が読めない。美味しいご飯は正義じゃないのか。

「師匠、エクヴァル殿が交渉をされて、立派な宝石を得られました」

「ロゼッタ嬢のお祝いに、これを渡すといいんじゃないかな」

 こんな交渉をしていたんだ! エクヴァルは黒い小さな箱を開き、輝きを放つブリリアントカットの宝石を私に差し出した。


「大粒でキレイなダイヤね。私はロゼッタ様のお祝いに魔導書と杖のセットを渡す予定だったけど、これもいいわ」

「これがいいと思う。エグドアルムで、アクセサリーに仕立てるといいよ」

 間髪入れずに、こちらにしろと言われる。ベルフェゴールを自分で呼べるように召喚を指導するとか、体験型のお祝いも考えていたのに、エクヴァルには評判が悪いぞ。

「私は師匠のお選びになった魔導書と杖の方が、価値があるかと」

 うん。セビリノが同調してくれるから、多分杖などは普通の女性に喜ばれないプレゼトなんだろう。ロゼッタが普通かは、少し微妙かな。

 プレゼントも決まったし、出ようかな。目指すは温泉!

「皆様、道中お気を付けを」

 指揮官の女性が敬礼している。背後に控える部下達も、全員同じ姿勢だ。

「世話になりました。周りが気を付けた方がいいね」

 エクヴァルが本気か判断が難しい冗談を言って笑いながら、ワイバーンのキュイに乗った。敷地内の庭には、キュイが降りられる広い場所があった。リニも女の子の姿でエクヴァルの前に座る。


「さ、さようなら……!」

 リニが手を振る。私達も手を振りながら、空へ浮かんだ。後からベリアルも飛んでくる。

 町では数人組で見回りをしていて、昨日火事を起こした場所の復旧作業が行われている。屋根に上り、突風で壊れた部分の確認をしている人もいた。

 町の外には、野営している援軍の姿があった。大勢で突入したらベリアルを刺激すると、危惧したんだろう。戦争に来たみたいになっちゃうもの。


 先に宿を探しに行っている、フィロタヌスの魔力をベリアルが辿りながら進む。私達はよほど近付かないと把握できないが、ベリアルなら離れていてもその気になれば感知できる。とても便利なのだ。

 途中の町で食事をして、国境を越えて北へ飛び続ける。冒険者が戦闘をしていたり、馬車が川の近くに止まって休憩しているのが見えた。

「この辺りであるな」

 不意に高度を落として、東の森へ方向転換した。山を下った平野部や小高い場所に、幾つかの集落がある。集落の外れの湿地に、人が入れない小さな小屋のような物が幾つも建っていた。

「源泉だね」

 

 ほうほう。しかしフィロタヌスがいるのは、ここではないようだ。

 ここには素朴な建物しかなく、ベリアルが喜ぶ豪華な宿はない。さらに北へ移動すると、人が集まっている公園に噴水があった。小さな川の脇にある噴水は、地面から自然と湧き出していて、人の背よりも高く白い水が噴き出している。

「あれは間欠泉かんけつせんというヤツだね。あの噴水は温泉だよ」

「間欠泉、初めて聞いたわ。エクヴァルって物知りね」

 観光っぽいな。間欠泉から遠くない位置に、山の中にしては発展している町がある。空き地に馬車が並んで止めてあり、観光客が多く、お土産物屋が並ぶ通りは混雑していた。

「この辺りにおるな」

 この町にいるのは確定らしい。混雑した通りの先で下りると、ベリアルが来たことに気付いたフィロタヌスが道で出迎えていた。


「お待ちしておりました、宿の別棟べつむねを借り切っておきました。温泉が三ヶ所もある宿で、入り放題ですよ」

「ありがとうございます、楽しみです」

 三カ所も作る意味はあるのだろうか。温泉宿自体が初めてなのでよく分からないが、きっと特別なことに違いない。なんだかワクワクしてきた。

「案内せよ」

 馬車を庭先まで入れられる宿で、厩舎きゅうしゃもある。大きな本館の脇にある別棟は、低い生垣に囲まれて落ち着いたたたずまいをしていた。

 奥に温泉があり、本館の温泉と離れの露天風呂も自由に入れる。

 本館は二階を貸し切り、どこぞの国の偉い人が宿泊中らしい。偉い人が本館の温泉に入る時は警備の都合上、他の客は入れないからと注意された。


 注意事項を聞き終わったら、夕食までは時間もあるし、お土産物屋を覗きに行こう。セビリノはまず温泉に入りたいらしく、私とエクヴァルとリニで行く。ベリアルはフィロタヌスの接待を受けて、ご満悦中。

「温泉、熱くないかなあ。泊まるところのお風呂は他の人は来ないんだよね、こっそり入ろうかな」

 リニは温泉に知らない人と浸かるのが苦手なのね。さすがに温泉はエクヴァルと一緒というわけにはいかないしね。

「大丈夫だよ。不安ならイリヤ嬢に声を掛けて、一緒に入ったらどうかな。さ、部屋で食べるお菓子を買おうか」

「うん!」

「私も温泉は初めてで不安だから、リニちゃんと一緒だと嬉しいわ」

「じゃ、じゃあ後で温泉……誘うね」

 お土産物屋が並ぶ通りは、上から眺めた時より人が多くなった気がする。食べ物を扱うお店、木工細工、オシャレな雑貨屋。桐の箱に入った文房具や、きれいな染物も売っていた。


 私もお菓子を買って、妹にお土産を用意しようかな。

 数軒回って買い物をし、エクヴァルと合流すると。

「あれ、リニはそっちにいない?」

「エクヴァルと一緒じゃないの?」

 リニの姿がない! 迷子になっちゃったの!? 探さなきゃ、勝手に宿へ戻るタイプじゃないし……!

 

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