第267話 湖の魔物

「行ってらっしゃい、ハヌもあいさつ……しようね」

「シー、ヒュ~」

「じゃあね、リニ。ほんの数日だろうから、ゆっくりしているようにね」

「うん、エクヴァル」

 リニがトカゲのハヌの前足を持って立たせている。最初は怖がっていたのに、本当に慣れたなあ。ハヌも懐いているような。トカゲって、人とかの区別はついているんだろうか。

 リニを除いたメンバーで、王都へ出発。まず目指すは王都の冒険者ギルドだ。王都の門はレナントよりも厳重に警備されている。

 何度か訪れていた為、私がアウグスト公爵の庇護を受けていると知っている兵がいたようだ。列に並んでいたら飛んで来て、そのまま貴族などが通る門から招き入れてくれた。

 

 目的の冒険者ギルドはそれなりに人がいて、受付では並んで少し待つくらいだった。

「次の方、どうぞ」

「はい。魚の魔核が欲しいのですが、手に入りそうでしょうか」

 受付の男性は書類をパラッと見たあと、奥にいる別の職員に確認してくれた。

「魚は在庫がありませんね……」

「川か湖に行けば、核を持つ魔物もいますか?」

「現在は湖に魔物が出て、人が引きずり込まれる事件が起きているんです。胸ビレのある老人だとか、サメのようだとか、はたまた巨大で不気味な魚がいたと証言があいまいでして。正体が掴めないので、今日にも兵が動員されます。作戦の妨げになるので、冒険者も入れませんよ。魔核の入手は、貴族の方と縁でもなければ難しいですね」


 つまり先に魔物を倒して手に入れるか、公爵にお願いしてみるか、そうでなけらば依頼を出して他の魔核を待つか、だ。

「イリヤ嬢、湖へ行ってみれば? 討伐されていたら、公爵閣下におすがりするのも手だろう」

「そうね、討伐中ならどんな魔物か見られるし」

 依頼はせずにその場所を教えてもらい、再び上空から湖を目指すことにした。


 王都から北に進んだ場所にあるその湖は、上空に魔導師が飛んでいるので探すまでもなかった。

 あれは魔法会議で同席した、王宮魔導師シュテファン・モンタニエ。白いローブを着ている。他に飛行する人は一人。下には湖が横たわり、兵が幾つかの部隊に分かれて控えていた。こちらにも各部隊に魔法使いがいる。

 彼らが睨む湖の中央付近に、チョウザメに似た尖った頭の、巨大で長細い魚の魔物の姿があった。

「よし、討伐を開始する! 私が魔法を唱える、君達はしっかりと備えてくれ」

「はっ!」

「ほう、討ち取る気であるかね」

 皆が気合いに満ちた返事をすると、ベリアルがニヤリと笑った。ハッキリとは言わないが、これは何かあるぞ。

 シュテファンは一気に討ち取らんとばかりに、雷の魔法の詠唱を始める。


「雲よ、鮮やかな闇に染まれ。厚く重なりて眩耀げんようなる武器を鍛えあげよ。雷鳴よ響き渡れ、けたたましく勝ちどきをあげ、燦然さんぜんたる勝利を捧げたまえ!」


 上空には黒い雲が渦巻き、バリバリと雷鳴がとどろく。風が冷たくなった。

「ベリアル殿、アレは危険な魔物なんですか?」

「ミスケナ。この湖の魚の主であろうな。チョウザメなどを守る、有益な魔物であるよ。生態系が崩れるやも知れぬ」

「先に教えてくださいよっっっ!」

 よくまあこの状況で、あっけらかんとしているものだ。本当にたちが悪いったら。だから地獄の王なのか。

 てことは、人が引きずり込まれる事件とは無関係の魔物だ!


「師匠、私に、この一番弟子にお任せあれ! 光の点滅よ、拡散して花びらと散れ。雲を蹴散けちらす飄風ひょうふうよ起これ、散じて天色は明朗なり。怒れる嵐は過ぎにし、離れし遠雷を聞けり。ボー・タン・シエル!」


「追放するもの、豪儀なる怒りの発露となるもの! ヤグルシュよ、鷹の如く降れ! シュット・トゥ・フードゥル!」


 わざわざ一番弟子と言い直しているセビリノだが、シュテファンの魔法の発動に間に合い、まさにミスケナを目指し落とされた太い雷が、上空ですうっと消えた。

「は……???」

 シュテファンは理解できず、呆然としている。

「うわあああぁぁ!!!」

 突如悲鳴が響き渡った。様子を見に湖を覗き込んだ兵が、水の中へ引きずり込まれたのだ。

「あの魔物は湖の中央だ。やはり一体ではなかった!」

「魔法を、いやまずは矢を放て! 底まで潜られては手出しができない」

「槍でももう届かん」

 慌てて射た矢が湖面にしぶきを飛ばす。仲間に当たらないように気を付けているからか、魔物に命中したのは一本。他は少し離れた場所に浮いていた。


 溺れかけた兵は暴れて抵抗するが、足でも掴まれているのだろう、今にも水底に沈みそうだ。

「魔法の不発に動じたからといって、不用意すぎる。私の部下なら懲罰ものだな」

 エクヴァルが呟いて、溺れかけている兵を目掛けてキュイを急降下させる。ワイバーンの接近に気付いた兵が弓を構えて、警戒を強めた。

「ベリアル殿。兵達が混乱していて、エクヴァルとキュイも敵だと勘違いされそうです。守ってあげてください」

「我がかね? あのようなザマでは、エクヴァル一人討ち取れぬであろうよ」

 討ち取られたら困るんですが。

 シュテファンも上空から兵を助けに降下するところだったが、ワイバーンを目にして速度を緩めた。魔法の票的にもされそうよ。


「師匠、あの魔導師は私が」

 情報を共有しなければ。シュテファンも魔法会議でセビリノと面識があり、彼に憧れているようだったから話が早い。

「あ、もしやアーレンス様……!?」

 顏を見ただけで味方だと理解してくれた。

 次は下に展開している兵達だ。弓を引き絞ってキュイに狙いを定めている。仲間が狙われているのに、地獄の王が動かない……。

 私がキュイと兵の間に入った。

「くぬぬ、あの跳ねっ返りの小娘めっ!」

 文句を言いながら付いてくる。そういう性格なんだよねえ。

 放たれた矢がキュイ目掛けてまっすぐに飛び、途中で燃え尽きて煙になった。

「……やめろ、悪魔だ! 契約者に手を出すと危険だ、我々の目的は湖の魔物の討伐だ!!!」

「私の知っている者達だ、敵ではない!」


 兵と一緒に配置されている魔法使いの必死の叫びと、空中からのシュテファンの注意に、構えた武器が下ろされる。兵達が顔を見合わせ、攻撃の手を止めた。

 エクヴァルはというと、剣を下に向けて両手で強く握ったまま、キュイの背から湖へ飛び込んだ。ジャボンと大きな音としぶきが飛び散り、彼を中心に波紋が広がって岸を打つ。

 溺れかけている兵のすぐ後ろに着水したエクヴァルが、そのまま潜って水中にいる魔物に剣を突き立てる。

 赤黒い血が浮かんで湖面の波に拡散され、薄まりながら広がる。

 すぐにエクヴァルも顔を出し、ちょうど水すれすれに飛ぶキュイの足を片手で掴んで水中を離脱。

「すぐには追撃してこないでしょ。己を助けるのは己だと理解してくれたまえ」

 まとわりつく水をバシャッと散らして、兵が陣取る場所とは少し離れた岸辺へ運ばれた。

 残された兵はもがくように、必至に泳ぐ。助けようと岸辺に集まった仲間達の元へなんとか辿り着き、手を引っ張られて地面に倒れ込んだ。


「どうなってるんだ、あの魔物は敵じゃない?」

 湖の中央付近を泳ぐ魔物を注視しながら、呟くシュテファン。

「アレはミスケナ。むしろ他の魔物から魚を守っていたのだろう」

「では、人に害を及ぼしていたのは……」

 巨大で不気味な魚の黒い影が水面をたゆたい、不意に消えた。代わりに岸辺の近くに、ひざ上まで水につかった老人が姿を現す。

 海藻のような緑の髪、青い顔に白いひげ、赤く不吉に光る瞳。胸ビレもあり、手足の鉤爪は鋭く輝く。衣服の肩が赤く染まっているのは、エクヴァルに斬りつけられた傷のせいだろう。

 溺れかけた兵に肩を貸して避難させ、槍を持った部隊が老人に穂先を突き出して威嚇している。


「ヴォジャノーイ。老人や、巨大で不気味な魚の姿を取る魔物です。水中に引きずり込まれると、奴隷にされるとか飲み込まれると言われています」

 そして魔核を持つと思われる。先に倒して私達が頂くわ!

「ふはははは、この程度の魔物で手こずっておるのかね!?」

 ベリアルは炎の剣を手に、空中からヴォジャノーイに斬りかかった。手入れされていないボサボサの緑の髪が揺れて振り返り、鉤爪で赤い剣を防ぐ。ぶつかった瞬間にベリアルの剣が燃え上がり、ヴォジャノーイは弾かれるように後退した。

 後ろでは兵達が壁となり逃げられないようにしている。

「グオオオォォ……ッ」

 兵とベリアルを交互に見て、ヴォジャノーイが叫ぶ。覚悟したように爪を振り上げ、槍を構える兵へ突撃した。


「うおおっ!」

 兵が足を進めて槍で突くのを、ヴォジャノーイはサッと避けた。見越していたように、別の兵が槍で攻撃する。腕を斬り、魔物の足を止めた。

 ベリアルが倒すつもりだと思っていたけど、血を流して湖に逃げようとする魔物を見逃している。兵達が追うが、老人の様な姿とうらはらに素早い動きで、バシャンと湖に飛び込んでしまった。

「逃すな、しっかりとどめを刺せ!」

 バシャバシャと水を掻き分ける複数の足音が響く。

 しかし水に棲む魔物に、人間が追い付けるわけもなく。再び水底に姿が消えかけた時、老人から魚の姿に変わったヴォジャノーイの横へ何かがぶつかっていった。

 最初に討伐対象だとされていた、ミスケナだ。

 尖った頭がヴォジャノーイを突き刺し、暴れる巨大な魚を再び陸へと投げ戻す。


 傷が大きく、すぐには姿を変化させられないようだ。ビチビチとヒレを動かしている。

「そなたの縄張りにはならなかったようであるな」

 ベリアルの剣がヴォジャノーイを貫き、炎を噴き出した。傷口から煙がもくもくと昇り、ついに魔物は動かなくなった。

「とどめは我々ですから。素材は頂きますよ」

「それはもちろん……」

 ずぶ濡れのエクヴァルがヴォジャノーイの体から核を取り出す。

 やったね、目的の魚の魔核を手に入れたよ。


「アーレンス様達は、どうしてこちらへ?」

 魔導師のシュテファンが兵達の近くへ降りつつ、セビリノに問う。

「うむ、まさに魚の魔核を求めていた。ミスケナは魚の乱獲や水質を汚染させねば、人に害をなすことない。討伐は不要だ」

「有益な魔物だったのですね。保護するよう報告致します」

 湖の魔物は無事に解決。

 魔核も手に入れたし、王都でお買い物をしてアンニカのお店を尋ねよう。後始末は任せられるので、私達はその場を後にした。この件について何かあったら、アウグスト公爵に連絡してもらうようお願いしておいた。

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