第246話 お祭りワインは悪魔のお味?

 薄暗い自室で、僕はしばらく瞑想していた。心を落ち着かせて、集中しなくてはいけない。やがて意を決して深呼吸をする。

 魔石の灯りで部屋を照らし、イランイランという香を焚いた。細い煙がまっすぐにのびると、甘い香りが広がった。


「悪魔ハボンディア、貴女の名において魔術を行う」

 祈願をしてから乳鉢でコリアンダーの種を七粒と、乾燥させたゲッケイジュとシクラメンを粉になるまですり潰す。

「種を温め、心も温めよ。深層に眠る火へと油を注げ」

 呪文を唱え魔力を注ぎ込みながら。


「これでいいんですね?」

「まだまだ、もっとじっくりとよ。いてはことを仕損じるもの」

 女の言葉に頷いて、ぼくははやる気持ちを抑え、集中して薬作りを続けた。これが完成すれば、望みが叶う。

 この女悪魔を召喚できたことは、本当に運が良かった。そしてそれが幸福へと変わっていく。今はその過程の道を進んでいるのだ。

 輝かしい未来がすぐそこで待っている。

「……いいわね、完成よ。仕上げをしましょう」

「ついに……! これが悪魔の秘薬……!」

 浄化した水に粉を溶かし、溶けていくのを眺めながら最後の言葉を唱える。成功のイメージを想い浮かべるのも大事だ。


「熱くあれ、踊れ。そのようになれ!」


 液体がほんのり光を放った。粉は完全に消えてなくなっている。

 後は十二時間放置して、モスリンの布でろ過したら完成だ!

 この液体を食べ物に混ぜる。相手の口に入れさせるのだ。

 明日は祭りで振る舞いがあり、飲食物を勧めたところで不自然さはない。警戒されない、最もいい日。


 月よ、束の間に見せる完全なる円環よ。欠けることなく我が願いを成就したまえ。



□□□□□□□□□□□(以下、イリヤ視点)


 金管楽器が高らかに空まで鳴り響く。快晴の青が震えるような音量で、雲は遠くへ逃れている。

 ワインの振る舞いと、ガオケレナの特別販売が開始されたのだ。持ち出し制限が解除されているので、登録のない商人や冒険者がこぞって買い込んでいる。登録料が高いから、頻繁に来る財力がないと登録するメリットが薄いみたいね。

 ちなみに冒険者は頼まれていたり、転売目的だ。


「何を外ばかり眺めておるかね。早く参るぞ」

「今日は急ぎますね」

 廊下の窓から家々の間に見え隠れする街を眺めていた私を、ベリアルがかした。

 本日は迎賓館の隣にある建物の大広間で、賓客へのワインの振る舞いが行われている。彼の目的はワインの飲み放題だからね。国外には輸出されない、特別なワインってどんなのだろう。

 ブドウスイーツや軽食も色々と用意されているそうなので、私も楽しみだ。

 大きな建物で、入口に短い階段がある。大広間ではもう饗応きょうおうが開始されていた。続々と人が訪れ、静かな弦楽器の演奏と笑い声が満ちている。

 大広間の左右には柱が並び、それをつないだようなアーチ状の壁。奥には休憩室や控室などがあって、扉は閉じられないようにされていた。中の状況を確認する為に、今日は開けっ放しなんだって。


 入り口にも会場内にも、煌びやかな衣装の警備兵がいる。これは皇国守備隊だ。赤い軍服に黒いズボン。ズボンのラインは白い。守備隊長は金のラインだった。

 ベリアルはそそくさと、ワインを注ぐ人の元へ向かう。私はスイーツだな!

 エクヴァルとリニもまずはスイーツを目指し、セビリノは途中で男性に呼び止められた。

「アーレンス様では?」

「キースリング侯爵閣下。師匠、こちらは南トランチネルの指導者たるお方です」

 軍事国家トランチネルは、自ら召喚したパイモンが暴れたせいもあって南北に分かれ、南は合議制になったのよね。彼がトランチネル時代にクーデターを企んでいた、南側の中心人物。平和になったから、招待されていたんだ。

「その節はお世話になりましたな」

「いえ。壮健そうでなにより」

「師匠とは……。これは立派なお弟子さんをお持ちで」

 私からすれば、侯爵は親のような年齢だ。唐突にそんな紹介をされたら、対応に困るのでは。う~ん、挨拶だけすればいいかな。

「イリヤと申します。以後お見知りおきを」


「アーレンス様? まさかエグドアルム王国の……?」

 侯爵との会話が耳に入ったのだろう、数人がこちらを盗み見しながら噂話を始めた。本当にセビリノって有名だなあ。

「ないだろう、最北の国じゃないか」

「いや、たしか北では深刻なガオケレナ不足が起きて、エグドアルムからフェン公国まで購入に来ているらしいぞ」

「じゃあ本当に……!?」

 彼らもセビリノにあいさつをしたいみたいで、ソワソワとしている。

 私の関心は、もっぱらスイーツだ。ここは任せて、私は食べものを求めて離脱した。


 料理が置かれたテーブルには、ブドウのタルトやケーキ、ゼリー、ミニパフェ、干しブドウのパンなど、ブドウ料理がたくさん。紫、黄緑、赤っぽい色など、色とりどりのブドウが芸術品のように飾られていて、これも食べていいのだ。

 ここに住みたい。今しかないパラダイスだと知りつつも。

「すごい、たくさんある。どれを食べよう」

 リニはブドウスイーツの前で、目を輝かせながら端から端まで眺めていた。まずはお皿を取りに一歩出たところで、人とぶつかりそうになる。

「……失礼しました、美しいお嬢さん」

 エクヴァルがリニの肩を手で軽く止め、ぶつかりそうになった女性に軽く謝罪した。彼女の姿が目に入っていなかったようで、リニも驚きながら頭を下げる。

「ご、ごめんなさい」

「いえ、こちらもよく見ておりませんでした。ごめんなさい、小悪魔のお嬢さん。楽しんで行ってくださいね」

 相手はフェン公国の貴族の女性みたいだった。何事もなくて良かったな、うんうん。


「私が取ろうか?」

「ううん、自分で取る……っ」

 料理が置かれた台の端にあったお皿を、エクヴァルがリニに渡す。後ろに立つエクヴァルに見守られながら、リニはじっくりスイーツを選んでいた。

 私は二つのお皿に、盛れるだけ盛ったよ!

「……そなたは料理の盛り付けに気を配った方が良い」

「いやですね、ベリアル殿。美味しいものは見た目なんて、どうでもいいんです。だって美味しいんですから」

 いつの間にか傍に立っていたベリアルが、私のお皿に苦言を呈する。取られる前に取るのも戦法である。

 さっさと空いてる席で食べよう。座る席は壁側や、奥に幾つもある小部屋に用意されている。扉は開け放たれているので、入口から覗き込んだ。私は誰もいない小部屋を選んで、壁際の隅っこの席にトレイを置いた。


 そんな感じでしっかりと食べ、お代わりまで頂いたよ。ベリアルは全種類のワインを試すと意気込んでいる。今テーブルの上にあるのは、琥珀色をした白ワインと、少しオレンジがかった白ワイン。何杯目かは分からない。

「クリスタルのような、清んだワインであるな。芳醇で悪くない」

 聞いてもいないのに、飲む毎に一言講評しているベリアル。琥珀色が気に入ったようで、同じものをまた貰っていた。ワインを運ぶ人はワゴンを押して、一つ一つの小部屋の中まで飲むか尋ねに来てくれる。

 エクヴァルとリニは、他の人が集まる場所で食べている。

 ベリアルは他のお酒も気になるらしく、飲み終えると部屋から出て行った。私一人。お酒で酔ったのか、大きな声での会話が聞こえてくる。

 セビリノは飲みかけのワインを片手に持ち、また他の人から声を掛けられて会話をしていた。


 私も誰かと交流するべきかしら。考えていたら、女性が小さなお皿を手にこの部屋へ入って来た。さっきリニとぶつかりそうになった人だ。

「こちら宜しいですか?」

「どうぞ」

 隣にあるテーブルに席を取った。あらプリン。あったのね、気づかなかったわ。

「お連れの小悪魔さん達、あちらにいましたよ。お疲れですか?」

「いえ、静かに食事をしたいと思いまして。素晴らしい料理の数々を、楽しませて頂いております」

 参加者というよりも、お客の接待とかをする係りの人なのかしら。

 少し話をしていたら、トレイに一杯だけのワインを乗せた男性が笑顔でこちらへ近づいた。そして隣のテーブルの女性に、ワインを勧める。

「どうでしょう、飲みやすいロゼワインです。サノン地方産の最後の一杯です」

「私はもう、けっこうです。如何ですか?」

「せっかくの機会ですね。たまには頂こうかしら」


 お酒はあんまり飲まないけど、最後の一杯だしね。手を伸ばしたら、男性は驚いた表情をした。座っていたのが壁側の席だったから、私の存在に気付いていなかったみたい。

 ワインを渡してくれながら、作り笑いでちょっと焦っているような? 変な反応をする人だ。

 ええと、まずは香りを楽しむんだったかな。

 ……杉みたいな匂い? 違うなあ。親しみのある匂いが混じっているような。

 不思議に思いつつ飲もうとしたところで、赤い爪をした手が私のワインをサッと奪った。ベリアルも欲しかったのかな、この最後の一杯。

 と、思ったけど目つきが険しい。


「……そなた、我の契約者に何を飲ませるつもりだね」

 そそくさと部屋を出ようとしていた男性の肩が、ビクッと震える。壁の向こう側に控えていたアルベルティナは、すぐに男性の行く手を阻んだ。

 何か入っていたの、このワイン。そういえば私が取ったら反応がおかしかった。つまり、狙われたのは一緒に部屋にいた女性!?

 バッと振り返ったら、女性は驚いた様子で不安そうに胸を押さえていた。

「場所を移動しましょう。各国から賓客がお見えなのです、このような問題が発覚しては国の威信に関わります。申し訳ありませんが、皆様も同行をお願いします」

 まさかこんな日に。

 しかも国内の問題なんだよね、きっと。震えながら立ち上がる女性を支えて、私とベリアルも一緒に移動した。

「大丈夫ですか? 心当たりはありますか?」

「す、すみません。何も思い当たりません。私は子爵の娘ですし、わざわざこんなことをされるほど、政治に関係してもいないんです」

 エクヴァルとリニ、それにセビリノも異変に気づき、こちらへ合流した。


 玄関ホールで、これから入ってくる客とすれ違う。どうかしましたかと尋ねる皇国守備隊の兵に、アルベルティナは理由を告げず、問題が発生したと小声で耳打ちしている。

「どしたの? 何かあった?」

 会場を離れてから、エクヴァルが私に質問してきた。周りに他国の人はいないみたいだし、答えていいのかな。

「よく分からないんだけどね、あの男性がこちらの女性に、おかしなものを飲ませようとしたみたい」

「なるほどなるほど。君がそこへ、上手に巻き込まれたわけね」

「……エクヴァルって、私のことバカにしてる?」

 

 どうも解せぬ。私だって危険なものだと知ってたら、飲もうと思わないわよ。

「まさか、心配しているよ」

「全くです、師匠。我が師に危害を加えかけたのでしょう、これは由々しき事態です」

「あのね、セビリノ。大げさにしないでね」

 穏便に済ませようとしているのに、国際問題に発展するような発言は控えてほしいな。ほら、そんな言い方をするから狙われた女性まで青い顔をして、心配しちゃってるよ。


 歩く途中で警備の兵にアルベルティナが指示をして、いつの間にか男性は逃げられないよう囲まれていた。何とも大仰しいなあ、と眺めていたらベリアルの姿がない。

 そういえば彼は、どうしておかしいと確信したんだろう?

 薬を盛られたとか、悪魔でも見分けられないはず……??

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