第243話 フェン公国の流行り事情

 レストランの奥の、個室を貸し切りにしてある。

 倍の人数でも入れるくらい広い。四人掛けの丸いテーブルが幾つも並んでいて、パーティー会場さながらだ。

 私はサンドウィッチとサラダを頼んだ。スープはミネストローネ。他の皆も料理を選び、ベリアルはお酒とチーズだけを注文した。


「紋章官というのはね、紋章を覚えて、戦時に敵側の、どの家の誰が来たと告げる役目を担うんだ。平時は新しい紋章を認可して記録したり、他国の分も覚えたり。紋章にまつわる、管理監督をするね」

 エクヴァルが説明してくれた。国王陛下が任命する、少数のエリートだとか。マティアスお兄さんは、エクヴァルが自分の仕事に興味を持っていてくれたのが嬉しいらしく、笑顔で続きを話してくれる。

「停戦の交渉なんかもするから、他国とのパイプも必要なんだ。さすがにこんな遠い国は関係ないけどね、どんな紋章があるかとか、気になって。せっかくだし、一緒に来たんだよ」

「その程度のことで国を空けられても困りますね」

「ご、ごめん……」

 冷たいエクヴァルに、お兄さんが謝っている。お兄さんを応援してあげたい。


「で、でも何年もマティアス様が出陣なさるような戦争はありませんでしたわ! それに他国の知識を学ぶのも、きっとお役に立ちますもの!」

「エクヴァルも、お兄さん達はわざわざ遠くまで旅しているんだから。暖かく迎え入れてあげようよ」

「……まあねえ……」

 どうもまだ、複雑な思いがあるようだ。男同士の兄弟も難しいのね。

「そうだ。君、例のものを」

 お兄さんが入り口側の席に座る人に告げると、すぐに紙袋を持って立ち上がる。

 なんだろう、お土産とか?


 男性はエクヴァルとリニの間に立って、紙袋を手渡した。

「どうぞ」

「リニにプレゼントだよ。私の新しい妹! お菓子だけど、気に入ってくれるかな? でもレナントの家で会えなかったから、すぐに食べないといけないものは私達で食べてしまったんだ。ごめんね」

「わ……私?」

 リニがおずおずと手を出した。皆リニを妹にしたがるね!

 以前エグドアルムへ戻った時、私がリニを『エクヴァルの妹みたい』と言って、エクヴァルが嬉しいねと答えた。

 お兄さんがその後に口走った『私にとっても妹だ』が、まさか本気だったとは。

「良かったね、リニ。開けてみたら?」

「う、うん。わああ、すごい。甘いお菓子がたくさん入っているよ。皆で食べるね……。あ、あの。……ありがとう」

 リニがはにかんで、お兄さんに向かってうつむき加減でお礼を伝える。


「どういたしまして! ああ……、可愛い……」

「マティアス様は、私の妹にもいつも手土産を用意してくださるんです。優しい方なんです」

 はい。でも私にはないんですね。

「良かったですね、兄上。妹ができて。弟はいませんもんね」

「しまった……、エクヴァルにも次はお菓子を買って来るから!」

「いりませんよ」

 料理が届いたので、この会話はいったんここで終わり。

 お兄さん、本当は誰に会いたかったんだか分からなくなってきたぞ。


「アルベルティナ様、たくさんの催しがあるんですよね。お勧めはありますか?」

「そうね……。午後から吟遊詩人が、今フェン公国で人気の物語を歌うわ。劇も、三つの劇団の登録があったから、夜まで行われている筈よ」

 これは選び放題だね。吟遊詩人の人気の歌が、まず気になるところ。

「じゃあ皆、吟遊詩人の歌はどうかな」

「そうだね、リニも聞きたいよね」

「うん」

「エクヴァル様もお気に召すと思いますわ」

 アルベルティナ、エクヴァルと話す時はちょっと声が高いような。

 お兄さんと奥さんは、またうんうんと頷いている。


「では私達も……」

「テラサス様。午後はもう移動いたしますよ」

 お兄さん達はお付きの人に止められていた。残念、ここでお別れなんだ。お兄さんはテラサス伯爵家に入っているので、テラサス様と呼ばれている。

「そうだった……。でも皇太子殿下の婚約披露に合わせて、国へいったん戻るんだろう、エクヴァル?」

「はい、もちろんです」

「良かったですわ! 私もまた、エクヴァル様とゆっくりお話ししたいと思います。どうぞ、当家へいらしてくださいね。お待ちしておりますわ。イリヤさんも!」

「お心遣い、ありがとうございます。ぜひ、お邪魔させて頂きます」

 お兄さん夫婦は嬉々としている。エクヴァル、好かれているね!

 食事を終えたらお店の前でお別れして、私達はアルベルティナに案内され、吟遊詩人が歌う広場へと向かった。

 もうたくさんのお客が集まっていたので、空いている場所で立って待つ。


 皆が心待ちにしているのね。

「あの話なんだよね? 楽しみだなあ。声のキレイな人だよね」

「昨日も歌ってくれたのを聞いたよ。俺は二回目」

「昨日は私が行った時には、もういっぱいだったわ」

 さすがに人気の物語だけあって、内容はだいたい知られているのね。どんな歌なのか、とても楽しみ。アルベルティナが目を細めて私を眺める。変な顔してたかな。


 ハープを弾く柔らかく高い音がして、小さな舞台の真ん中にある椅子に、吟遊詩人が腰掛けた。始まりだ。盛大な拍手で迎えられる。

「皆さま、お集まりくださいまして、ありがとうございます。昨日聞けなかったという声が多かったので、今日も同じ物語をお伝えしましょう。このフェン公国を守った、勇敢な女性と悪魔の物語です」

 ……え。なんか悪い予感がするんだけど……。


『空は沈み、地は嘆いた。恐ろしい悪魔が迫っている。兵達は綿よりも軽く散らされて、魔法部隊の渾身の壁はもろくも崩れ去った。人々は恐れ、逃げ惑うばかり。誰もが救いを求め祈りを捧げた』

 ポロンポロンとうら寂しいハープの音色に、男性の語りが乗せられて、立派な叙事詩が始まったような印象だ。

 これがアルベルティナの視線の意味だったのだ……。


『嘆く声に応じるように、おお、空から来訪するのは、美麗な悪魔を連れた華奢な女性。二人は協力し、強大な悪魔に立ち向かう。襲い来る悪魔はよもや、地獄の王であった。絶望的な戦いは三日三晩続いた。女性と契約者を交わしていた悪魔は酷い傷を負いながらも彼女を守り、熱き希望の力でついに地獄の王を退けたのだ』

 聴衆からの拍手と指笛が重なる。

 とっても脚色されているね。人が三日三晩も戦い続けられるか、常識で考えて判断できるでしょう。三時間でも魔力が続かないよ。熱き希望の力……。

 セビリノとエクヴァルはどこへ行った。


『最後に白い光に包まれて、輝かんばかりの美しさを誇る天の使いが現れ、全てを平らに治めてくださった』

 ルシフェルのことを表現しているのでは。天使に誤解されるのを嫌うから、本人の耳に入ったら怒られるからね。

 呆れるやら恥ずかしいやらでさっさと去ろうとしたら、セビリノが惜しみない拍手を送っていた。

「素晴らしい! 語り継ぐべき物語ですな」

「セビリノのテンションが上がるところ、絶対おかしい!」

 どうしてこれで、感動できるのか。ここに置いて行っちゃっていいかな。

 次は劇だ、次こそはもっとステキな物語だといいな。


 ……ああ、先に気付くべきだった。

 大きなテントのような、布で覆った特設会場で公演されている劇の演目も、地獄の王を退けた話……。昨日は恋愛ものだったと、観客が話している。その時なら良かったのに。セビリノは夢中になっていて、ベリアルがニヤけながら眺めている。

 ベリアルの役を演じているのは、男装で本人より派手な赤い衣装を着た、背の高い女性だ。どうやら一番人気の役者らしく、彼女の出番になる度に客が盛大に盛り上がる。“貴女だけは必ず守る”と、私の役の人に宣言するのに、なぜか天に向かって叫ぶ感動的な台本になっているぞ。

 せめて地獄をイメージして、地面を向いたらどうか。

「人気だね、イリヤ嬢」

「違うのはないのかな……」

 エクヴァルまでからかってくる。

「お気に召さなかった? 今なら他には、ポーション売りの口上をやっているかも」

 私の呟きにアルベルティナが、移動するかと小声で尋ねてきた。

「口上……? 初耳です。気になりますね」

 アルベルティナとエクヴァル達と一緒に、劇が終わる前に会場を後にする。セビリノとベリアルは、最後まで観劇していると残った。


 護衛のほとんども私達と一緒について来る。

 道には相変わらず、たくさんの人が行き交う。簡易地図や演目を書かれた紙を手に持って移動する人の姿もあった。

 露店を眺めながら歩いていたら、道の脇に人だかりができていた。並んだ露店がいったん途切れたところで、中心にいる男性が瓶を掲げている。反対の手に持つのは抜き身の剣だ。

「さあさあ、ここに取り出したポーション! まあ普通のポーションなんですが。効果は抜群、切り傷はたちどころに治るよ」

 ポーションですから。

 そうか、これがポーション売りの口上ね! エグドアルムにはない商売だし、面白そうなので、私も人の後ろで背伸びをした。

「全然見えないよ……」

 リニが残念そうにしている。私でもあまり視界に入らないし、リニだと小さすぎて背しか目に入らないだろう。これは可哀想。

 辺りを見渡すと、販売する男性の横なら客が少ない。よし、これなら見えるね!


「ここからが見所だよっ」

「きゃああ」

「だいじょぶか~?」

 男性が剣で、自分の手に傷をつけたのだ。集まった人達がどよめいた。

「い、痛くない?」

「心配してくれてありがとう、小悪魔のお嬢ちゃん。でもね、ほらこれで……」

 流れる血を軽く拭いて、用意してあった普通のポーションをクッと飲んだ。

 すぐに傷は消えてなくなる。

「おおお~!」

 囲んでいる観衆から拍手が沸き起こった。

 だからポーションだし。

 とはいえ宣伝の効果は絶大、箱の中のポーションがどんどんと売れていく。回復力を目の前で確認できるというのは、販売促進につながるのね。


「つまりエリクサーを売りたければ、目の前で腕を落とせばいいのね」

「……イリヤ嬢。不穏な発言をしながら私を見るのは、やめてくれるかな」

 さすがのエクヴァルも、自分の腕を切り離す趣味はないようだ。

「エ、エクヴァルをいじめないでね……」

「しないわよ、リニちゃん」

「イリヤさん。やらないでね? むしろイリヤさんのエリクサーなら、我が国で喜んで買い取りさせてもらうわよ」

「やりません」

 アルベルティナは本気で私がエクヴァルの腕を必要もないのに切ると、心配しているんだろうか。どうも誤解されている。

 いやしかし、悪魔の腕はエリクサーで再生するのだろうか? 私はこちらの方が興味がある。多分、お願いしたら怒られる。ベリアルは実験に非協力的だ。


 道具屋などはほとんど商品が売れてしまって開店休業状態、素材もあまりない。お菓子屋さんを覗いたところで、人気のスイーツは札が残っているだけ。買い物はろくにできず、宿へ戻った。 

 先に部屋で待っていたセビリノが、私の到着を知ると興奮気味に廊下へ飛び出した。

「いやあ、洗練された祭りですな! エグドアルムも……、いえ世界中がこうあって欲しいものです!」

「まっぴらご免です」

「私も師匠を讃える歌を考えましょう!」

「いりません!!!」

 フェン公国のお祭りで、おかしなブームが巻き起こっている……。

 セビリノは喜んで、もう一度地獄の王を退けた話の劇を観に行った。今度は違う劇団が演じているんだとか。私を誘おうと、待っていたのね。


 ちなみに宿にある小さな舞台では、静かな舞いを彩るように、笛が奏でられていた。平和でいいな。

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