第226話 しっぽ亭

 湖には船が何隻か浮かんで、漁をしている。

 私達はそれを横目に、森へ続く太い道を進んだ。荷車にたくさんの魚を積んだ人が、笑顔で通り過ぎる。子供達が布製の手提げカバンを持って目指しているのは、塾と木の看板に書かれた、小さな建物。文字や計算を教える普通の塾かな。

 一人の子供が空を指して何か訴えている。周りもそちらに顔を向け、わあわあと喜んで手を振った。誰かが飛んでくるのだ。翼を広げた天使と、その契約者だろう。

 二人は子供の頭上を通り過ぎて、私達の前に降りた。


 柔らかい金の髪の優しそうな天使の男性と、四十代くらいでしっかりした装備の冒険者の男性。ランク章はAだ。

 天使がルシフェルの姿に、歓喜の表情を浮かべる。

「ルシフェル様……! お懐かしゅうございます。湖の魔物を退治に来たのですが、昨夜討伐されたと聞かされまして。もしや、ルシフェル様が……!?」  

「サラキエル。君が討伐に?」

 意外そうにするルシフェル。戦えない天使なのかな。白から黄緑にグラデーションする、キレイなローブを着ている。


「現在は特に仕事があるわけでもなく、召喚があったので応じたのですが、討伐だったのです。人々が困っているようでしたし、標的はケルピーが一体でした。この者が戦い、私は回復や支援をすれば問題はないと判断し、今回限りの契約をいたしました」

 天使は相手がルシフェル相手だからか、スラスラ答えてくれちゃう。

「なるほどね。私が駆除した、問題はないだろう」

「念の為に他にもいないか確認しようかと思いましたが、必要ありませんでしたね」

 それにしても、ルシフェルとサラキエルは随分と親しそうだ。


「ベリアル殿、どういう方ですか?」

「救いの天使の長である。このサラキエルは神の持て成しをする最上位の天使よ。ルシフェル殿が天におった時は、度々顔を合わせておったわ」

 なるほど、それでルシフェルもしっかり覚えているのね。

 救いの天使の多くは天において下位の天使として、人間の世界で仕事をする。その一方、上位は神を持て成す重要な役割を与えられた最高位の天使という、極端な天使だ。

 ちなみに彼はベリアルには視線も向けない。解りやすいタイプだわ。

 会話が途切れるのを待って、契約者がサラキエルに話し掛ける。

「サラキエル殿。では湖へは行かず、いったん冒険者ギルドに戻りましょう」

「そうだな」

 二人はこのまま引き返すようだ。


「ルシフェル様、失礼します。僭越ながら、悪友とは手を切った方が宜しいかと」

「君も相変わらずだね」

「誰が悪友であるかね!」

「では、あなた方に幸福が訪れますように」

 サラキエルは、最後の最後までベリアルを完全にスルーだ。下手に揉めるより、いいかな。契約した男性も苦笑いをしていた。


 天使と契約者が去る後ろ姿を見送って、目的だった滝へと向かう。

 家や商店が立ち並ぶ道は緩やかにカーブして、森へ近づくほど建物が減っていく。だんだん人の姿も見掛けなくなってきた。

 荒れ地や朽ちた小屋があり、この道で合っているのかなと思った頃に、看板が立っていた。矢尻があり、滝の絵とともにこちらと書いてある。

 もう少しかな。

 ……と、思ってからもけっこうな距離があるぞ。反対側から滝を見た女性グループが歩いて来て、すれ違った。

「大きい滝だったわね」

「観光客が少なくて、良かったよね」

 森の道はあまり広くなく、でこぼことしている。すれ違い様に転びそうになったところを、エクヴァルがとっさに支えてあげた。

「気を付けてね、可愛いお嬢さん」

「うひゃ! ありがとうございます」

 

 女性達は通り過ぎてから、こちらを振り返っていた。

「目の保養だわ……素敵な男性達ね。いいなあ、あの子」

「とっさに、うひゃなんて言っちゃった……」

「あそこはさあ、きゃあって抱き着くところでしょ」

 皆で笑っている。楽しそうだけど、向こうからしたら私の方が羨ましいみたいね。


 水の音が聞こえてくる。ついに滝だ!

 落差はあまりないけど横に長くて、エメラルドグリーンの湖に何本も瀑布が注いでいる。滝つぼは勢いで白くなっていた。ここからシジミの湖まで、川が続いているのね。木に囲まれた場所で、爽やかで気持ちがいい。

「エクヴァル、大きい滝だよ」

「リニも滝は好き?」

「うん。水がどこからきて、どこに行くのかなって考えていると、楽しい」

 二人は滝が落ちる湖の畔まで近寄って、眺めていた。ゴツゴツした岩が重なり、草や苔が生えている。ちょうど誰もいないよ。

 滝の脇には、『裏見の滝』との看板がある。

 これはもしやと近寄ってみると、滝の裏側を歩けるではないか。水しぶきは飛んでくるけど。


「ねえ、ここに入れるわよ」

 滝の裏側へ進み、濡れた小さな石をジャリジャリと踏みながら歩く。落ちる水の隙間に、景色が見え隠れ。滝のカーテンみたいで面白い。

 地獄の王二人は、滝をくぐってやって来た。全く濡れていないからスゴイな。

「なるほど、興味深いね」

「何が楽しいのやら、理解出来ぬわ」

 満足しているルシフェルと反対に、ベリアルはつまらないようだ。

「少々寒いですな」

 セビリノは全くいつも通りで、寒そうにも見えない。

「リニは平気かな?」

「平気、寒くないよ。とってもキレイ」

 滑りやすいので、手をつないでいるエクヴァルとリニ。滝の裏を一回りして、しばらくゆっくりしてから出立した。


 そろそろお腹が空いてきた。いつの間にやらお昼時分だ。山を越えるところだし、もう少しの辛抱ね。

 木が少なくなり、岩だらけになった灰色の山に、不意に似つかわしくない赤茶色が見えた。

 レストランだ。一軒だけ、ぽつりとある。

 砂利道の先で、片側は崖になっている。レストランはその道の終点にあり、後ろと脇が崖で、反対の脇は山肌に触れている。

 なんでこんなところで営業しているの!?

「師匠、飲食店がございますが……、昼食になさいますか?」

「珍しい場所にあるのね。寄ってみましょうか」

 そう答えてみたものの、ワイバーンが止まれる場所がないわ。キュイに乗っている二人はどうしたらいいかな。近くをぐるりと見回したら、道の先に少しだけ広くなっている場所があったので、そちらに降りることにした。

 リュックを背負って山道を歩いて来た人が、レストランへ向かっている。

 馬車も来られないような場所だし、てっきり飛行魔法の人専用かと思ったら、徒歩のお客も来るんだ!


『しっぽ亭』

 レストランには木の看板があった。しっぽ?

 さっきの人達が扉を開けて、入って行く。

「こんちは~、ジャガイモを持ってきたよ。入れ過ぎてキツいわ」

「俺はチーズとキャベツ」

 慣れている人は食材を差し入れするんだ! 何か持ってくれば良かったな。

「いらっしゃい、助かるよ。歩荷ぼっかさんに頼むのも、悪いような場所だからね。ペガサス便は高くつくし……」

 歩荷さんは、山小屋なんかに荷物を運んでくれる仕事の人。話からして、ペガサス便より安いのかしら。


 私達が店内に踏み入れると、店員の一人がギョッとしてこちらを振り向く。

「あ、悪魔~!?」

 一瞬でベリアル達に気付いた。鋭いわ。

 あら、尻尾と耳が。これは化け狐だ! しっぽ亭って、そういうことか!

「あはは、出てる出てる」

 お客はのんきに笑っている。どうやら狐のお店と知っているらしい。

「え、悪魔?」

「ホントじゃん、ひゃああ!」

 あと二人店員がいて、女性の方が悲鳴を上げた。やっぱり耳と尻尾がぴょこん。もう一人の男性もつられて狸の尻尾を出した。

「騒がしいわ。食事をしに参っただけである、案内せよ」


「は、はいい……」

 四人席までしかないから、地獄の王二人は別のテーブルへ。リニはちょっとホッとしている。メニューは少ないけど、場所柄で仕方ないだろう。

「シチューとトーストかな」

 地獄の王達は、飲み物とチーズケーキだけ頼んでいた。甘いのもあるんだ。

「君達は何故、こんな場所で飲食店を?」

 ルシフェルが尋ねた。やっぱり気になるよね。

「ここはもともと、山小屋だったんですよ。持ち主が辞めるというんで、譲ってもらいました! 私達は、召喚した人間にひどい扱いを受けて逃げた仲間です」

 女性が答え、店主の狐も頷く。

「ここなら呼び戻しに来ないから。お金はそんなに稼げないけど、景色はいいし暮らしは悪くないもんです。山と町の行き来だって、人間より我らの方が楽ですしね」


 先にレストランに入って食事をしているさっきの人達も、少し離れたテーブルから会話に加わる。

「この景色目当てに、山登りする仲間も多いよ。人間が大変な目に遭わせちゃったみたいだけど、引き継いでくれて嬉しいね」 

「途中までは冒険者も良く来る場所だし、この付近は狐さんが魔物を退治してくれるからな。前より安全になった」

 狐も戦えるタイプがいるんだ。どうやら常連さんが多いお店のようだ。

 眼下には町や自然が広がっていて、遠くまで見渡せる。シジミの湖が小さく見えるよ。


 会話をしている間に、食事が運ばれてきた。なかなか美味しいし、シチューにはしっかり具が入っている。パンは固めだな。

 カウンター近くの棚には薬が並べられていた。狐は薬作りも得意らしいから、きっと狐達が作って売っているんだろう。

 そろそろ出ようかな。窓の外に視線を移すと、真っ白い翼の天使と、その隣に飛行魔法で飛んでいる男性。

 さっき別れたばかりの、サラキエルと契約者だ。ここを目指している。ベリアルも気付いて、嫌そうな表情をした。

 二人はレストランの前に降り立ち、扉を開けた。

「いらっしゃー……ふわあ! 今度は天使!!!」

 店主のしっぽが、ボワンとまた出ちゃった。そういえば四つに分かれてるね。狐はしっぽが分かれているほど妖力が高く、最高は九つ。


「今度……? あ、さっきの方々」

 契約者と視線が合った。

「やはりルシフェル様。このようにすぐに再会するとは、奇遇ですね」

 彼らも食事をしに来たのね。さすがにサラキエルは勘付いていたようだ。軽く挨拶をしてから窓側の二人席に座って、早速注文している。

 私達は会計を済ませて、さっさとお店を出よう。ベリアルがちょっと不機嫌になるんだもの。

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