第225話 湖のシジミ
腰に剣を提げた女性が、飲み交わすベリアルとルシフェルに突然深く頭を下げた。
「お願いがあります! どうか仕官させてください」
……地獄へ!?
なわけないよね。勘違いが加速しているよ!
「……部下など求めておらん、他を当たるが良い」
ベリアルが追い払うように、直角になるほどお辞儀をしたままの女性に見向きもせず答えた。
「どうしても、まとまったお金が必要なんです。せめて紹介状だけでも……」
それなりの冒険者だろうし、わりのいい依頼を受けていればすぐに儲けられそうだけどな。理由がありそうだわ。周囲もどうしたと、ざわざわしながら成り行きを眺めている。
「あのな、ここでそういうのは困るから。後にしてくれ」
運営の人がやって来て、離れるようにと注意する。
「申し訳ない、しかし今しかないんです。奴隷になった弟を助けなければ……」
「……奴隷、ね。まあいいだろう、話くらいは聞こうか」
ルシフェルが窘めてくれていた人を制して、ワイングラスを口元から離した。
「ありがとうございます! 私はニジェストニアの出身でして……。実は、両親が事業に失敗をして借金をしまして、弟が債務者から強引に、奴隷として売られてしまったんです」
「多額であるわけかね」
あまり興味がなさそうなベリアル。奴隷だと、厳しい肉体労働を課せられることが多い。しかもニジェストニアは奴隷解放運動で不安定になっているから、関わらないようにしたいだろうな。
ちなみに環境は買い主によって違う。食事や住む場所を用意して、身体の安全を保障することは買い主に求められている。
「はい……。しかし弟はあまり体が丈夫ではありません。一刻も早く買い戻さなければ、体を壊してしまいます」
「事情は理解した。大金を前借り出来る仕官先を探している?」
「図々しいと思いますが、その通りです……」
冒険者は成功報酬だから、大金を集めるまでが大変か。大きな依頼だと、人数を集めて受けなければならない。ただ、特定のパーティーを組んでいないと、そこに入れてもらえないこともある。
戻って来たセビリノが、食事をテーブルに置きながら女性に淡々と語り掛けた。
「我々はエグドアルム王国に属する者。仕官する方が遠まわりだ」
「エグドアルム……!? そんな遠くから?」
飛べないと、行くまででも大変だよ。さすがにそんな遠い国だとは思わなかったらしく、ガッカリしている。ここで勝利すると高価な薬草がもらえるだけじゃなく、近隣の国でも実力者だと認められる。
実際に仕官に繋がった例も、いくつもあるんだって。
「……ならイリヤ嬢が、推薦状を書いてあげたら?」
「私が?」
注目が集まっていたので、エクヴァルが気にしてくれたみたい。振り向くと、私の後ろに立っていた。
「そっ。チェンカスラー王国のアウグスト公爵宛てに、書いてあげると良いよ。この女性の腕は、私が保証するから。人柄も問題ないようだし」
公爵なら人を見る目も確かだろうから、会って判断してもらえばいいだろう。エクヴァルに負けたからって、弱いというわけじゃないし。エクヴァルが強すぎるんだよね。
女性は思わぬ展開に驚いて、俯いていた顔を再び上げた。
「公爵様ならご本人が雇わなくても、いいお仕事を紹介してくれそうね」
「本当ですか!? 公爵様に……、ありがとうございます!」
うんうん、これで問題解決。雇ってもらえるといいな。あれ、他の冒険者なんかの人達もソワソワしている。推薦するのは彼女だけだよ。
「他にも推薦状を欲しい人がいたら、私と戦えばいいよ。これからはしっかり攻撃を当てていくから、覚悟があるならね」
言い放ちながらエクヴァルが勝者の席へ戻った。不正までした男性が打ちのめされたばかりだ、さすがに戦おうという立候補はない。彼は救護室で横になっている。治すには中級ポーションが必要だけど、使うなら料金を取ると言われて悩み中だ。
「ねえ、貴方ってどういう人なワケ?」
真ん中の席に座っている、冒険者の女性が尋ねる。彼女も強そう。
「ん~、あの白いローブの女性の護衛だよ」
「……ふうん」
エクヴァルは微妙にはぐらかした感じの答えを返すだけ。
色々食べて、一発芸大会が始まって、盛大なお祭りになった。すっかり夜になり、半月が雲の上に鎮座する。
遅い時間になったけど、宿を探さないと外で夜明かしになる。戻る感じで山を下りて、平野にいくつも灯っている黄色い明かりを目指した。ルシフェルが気に入る宿はないだろう……。
地上にも浮かんで揺れる月が。大きな湖の水面に映っているのね。畔には建物が数軒建っていて、お店も並んでいる。観光地かな。なるべく大きな宿を目指した。
「まあ、夜分にいらっしゃいませ」
玄関を閉めようとしていた女性が私達を見掛けて、すぐに招き入れてくれる。
「こんな時間に申し訳ありません。そちらの山で剣術大会に参加しておりまして……。空室はございますか?」
「ええ、空いております。すぐにご用意させて頂きますね」
最初ですぐに部屋が取れたよ! ついているな。早速皆で玄関へ進んだ。
館内は誰も歩いていない。今日はすいているのね。
「魚や貝が採れますので、本来ならお客で賑わうんですがねえ……。しばらく前から危険な魔物が湖に棲み着いてしまって、客足が遠のいてしまいました」
「それは大変ですね。討伐は依頼されたのですか?」
噂になって、人が離れてしまったのね。一刻も早く解決しないと、死活問題だわ。
「それが、依頼した冒険者の方が溺死してしまわれて……、今は領主様からの討伐隊を待っています。この国は水辺の戦いに慣れた方が少ないので、困惑されているようです」
部屋に案内してくれながら、観光客や付近の人にも犠牲者はいると、ため息をつく。グリーンの絨毯は真ん中に模様があり、クリーム色の壁に白い扉が並んでいる。
「魔物の種類や特徴は、解りますか?」
「蹄があって馬のような魔物です。討伐されるまで、湖には近づかないでください」
これは人を引き摺りこんで溺死させる、水棲馬のケルピーかも。知識もなく退治に行くのは危険だ。
「どのような貝が採れるのかな?」
ルシフェルは魔物より貝が気になるようで。食べ物に興味を示すのも、珍しいな。
「シジミです。あとは小さいカニなんかも」
「シジミは汽水域に生息するんじゃなかったかな? 海からは遠すぎるようだけど」
エクヴァルが不思議そうに聞き返した。
確かシジミは、海水と淡水が混じったところで獲れるんだよね。
「固有種だそうで、淡水の浅瀬に生息しています。身にコクがあって、美味しいんですよ」
ほう、固有種とな。それはここで食べなければなるまい。魔物を退治してもいいけど、夜は無理だなあ。考えていたら、後ろでルシフェルがなるほどと深く頷いた。
「小さな貝だけど、スープにすると良い味が出るね。宜しい、その魔物は私が駆除しよう。明日の朝食に、シジミのスープを出すように」
それだけ告げて、一人でさっさと出て行った。
「え、あの? 辺りも暗いですし、お一人では……」
宿の人が困惑して引き止めようとするのを、ベリアルが制する。
「あの者に任せておくが良い。漁師に明朝から仕事をするよう伝えよ、ルシフェル殿はアレでワガママであるからな」
この場合は大丈夫ですか、なんて尋ねてしまう方が失礼になるだろう。
とにかく部屋の準備をしてもらう。ルシフェルの希望を少しでも叶える部屋を用意しなければならない。
二階が全室空いていたので、フロアごと貸し切りにした。
ほどなく湖から光の柱が上がり、片手で水棲馬ケルピーを持ったルシフェルがいつもの笑顔で戻って来た。
月明かりが肩まで伸びる銀色の髪を照らし、宵闇に清廉な白い衣装が浮かんで、水色の目を細めた天使と見紛う青年が、自身よりも大きな青黒い馬を手にしている。
シュールな絵面だ。
これでもう、いつでも漁を再開させられるよ!
知らせたのは遅い時間だったけど、漁師は大喜びだったらしい。このまま貝が採れないと、漁師の方が干上がってしまう。
朝食に希望を託し、ふかふかのベッドで眠るのだった。
カシュウのいい夢が見られそう。
次の日は朝から漁師が張り切って漁に出て、シジミを朝食に間に合わせてくれた。
薄い色のスープは出汁が効いて、上品でとてもいい味だ。これは確かにルシフェルの好みだね。満足そうに漆塗りの器でスープを飲んでいる。
殻の色は赤茶だったり、黄色っぽいの、黒い色のと様々で、わりとぷっくらしている。シジミご飯、小さなカニの素揚げ、アユの塩焼き。白い四角いのに、餡かけしたよく解らないけど上品な料理。朝食から豪勢で、嬉しい。
「あの厄介な水棲馬をいとも簡単に、しかも夜中に倒しちゃうなんて……、上品で美形で、とても素敵な方ね」
女性従業員の目がルシフェルに釘づけだ。彼はどこ吹く風で、全く気にせずごく普通に食事を続けている。
天にいた時も地獄に移っても注目されるので、慣れているようだ。
「討伐の報酬は、冒険者ギルドで貰えますよ。あの馬の魔物を、運んでおきました」
「……必要ない。私にはこの料理が、十分な報酬だよ」
彼の言葉に女性一同が、感動で卒倒しそう。
ちなみに本心は「あの程度、倒せて当然。わざわざ行くのも面倒」とか、そんな感じだろう。
「ところでイリヤ嬢、このままレナントへ戻るのかな?」
先に食べ終わったエクヴァルが尋ねてきた。
「せっかくだし、この辺りを少し散策しましょうか」
「それでしたら、湖でボートに乗れますよ。山の方には滝がありますし」
食器を下げにきた従業員が、教えてくれる。食堂からも見える湖には、漁船の他に手漕ぎボートも繋いである。
「ありがとうございます。じゃあ、滝を見に行きましょう」
「滝は清涼なマナが溢れています。師匠が赴くのに、相応しいかと」
普通に観光なんだけど、セビリノの言う通り魔法使いの精神統一にもいいのだ。
行き先も決定したし、あとはデザートのヨーグルトを頂こう。ベリーの紫色をしたソースがかかっていて、色も鮮やかでおいしいな。
二組いた他のお客が、湖で遊べるようになったと喜んでいた。
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