第210話 後継者会議(中編)

 無防備な顎に掌底の一撃を受けたシャーク皇子は、ガチンと上下の歯がぶつかった。顎が天井を向いている。

 襲撃したのは、女官に扮したロゼッタだ! 本当に掌底で打った!

 皇子は背中を大きく反って後ろにのけ反り、倒れそうになって足を一歩引いた。辛うじて転ばずに堪えたシャーク皇子に、ロゼッタが素早く近づいて肩を強く押す。

 ふら付いて二、三歩下がったところで、ついに皇子はドスンと尻餅をついた。

「お前っ……、何を」

「たぁりゃあああぁ!!」


 床に座った状態のシャーク皇子に降り掛かるように、ロゼッタの咆哮がこだまする!

 やはり掌底で打つだけでは気が済まなかったのね。

 護衛や衛兵達は呆気にとられたけれど、気を取り直して皇子を守ろうと動いた。それをベルフェゴールが遮る。

 そして文句を言おうと見上げたシャーク皇子の横面に、ロゼッタの足の甲が華麗にヒット。シャーク皇子は床にドバンと大きな音を立てて叩き付けられ、すぐには起きられない。

 説明しよう! 相手が低い体勢でいる状態なら、足が上がらなくてもハイキックを当てることが可能なのだ!

 シャーク殿下の唯一ともいえる取り柄の顔を蹴りたいけれど足が届かないと、ロゼッタがエクヴァルに相談したところ、「なら座らせればいいよ」という、アドバイスをされていたのだ。


「うう……」

「ちゃあっ!」

 頭がクラクラしているんじゃないかな。倒れたまま片手で側頭部を押さえている皇子の腹を、更にロゼッタが蹴りつけた。恨みが深い。

「グガッ」

 マトモに悲鳴すら出せずに蹴られた場所を抑えて、地面でエビのように丸くなっている。近寄ろうとする護衛の前にはベルフェゴールが立ちはだかり、悪魔だと解っているんだろう、彼らは迂闊な動きは取れずにいた。

「私の契約者の邪魔はさせません」

「く……、殿下!」


 まさに一触即発。そこにヘイルトが緊張感のない声で、護衛達を制止した。

「……まあ、ドバカの自業自得だから。ですよね、バルバート侯爵令嬢」

「ふふふ……! その通り、私は生きていますのよ。スッキリ致しましたわ! 乙女の恨み、思い知りなさい!」

 編み込んでいた金色の髪をハラリと下ろし、メガネを投げ捨てる。

「……くぅ……、お前、ロゼッタだったのか……!」

「今頃気付いたんですの? 女の見分けも付かない男が女と結婚しようなんて、百万年早いんですわ!」

 まだ立てずにやっと身を起こしたシャーク殿下を、居丈高と見下ろすロゼッタ。

 とんでもない事態に、マクシミリアンの笑い声が響いた。

「あっはははは! 面白いお姫様達だな~。ついでに言うと、皇帝に使う毒を作ったのは僕さ。そこのでっぷり公爵の手下に売ったよ。証言したから、罪はナシでいいよね?」

 段の下で第二皇子シャーク殿下の身を心配しながら右往左往している、タルレス公爵を示す。司法取引でもしてあるのかな。絶対に暴露したくない秘密だもんね。でも無罪にはならないでしょ。

 文官に混じっている彼の隣には同じく文官姿のエクヴァルがいて、マクシミリアンの証言を止められないよう、周囲に気を配っている。


「バカな……薬の作製者は、確かに止めを刺した……」

 第二皇子の護衛の男性が、動揺を隠せない様子でマクシミリアンを確認する。完全に殺した相手だと考えていたようだ。

「あのさァ、あんなのイリュージョン・シャドウの幻影だよ。始末する気なのくらい解ってたからさ~。ゾンビパウダーを作れる僕の幻影を、そこらの奴が見抜けるわけないじゃん。ばーか」

「く……、アレが幻影だったのか……!?」

 マクシミリアンは得意そうだから、視覚だけじゃなく嗅覚や触覚にも訴えるような幻影だったんだろう。私でもすぐには見破れないかも。


「そもそもね、物質的な身体と霊的身体と、魂があるでしょ。まあこれも色んなパーツに分かれてるんだけど、そこはいいとして。肉体は運動を支配する。歩いたり腕を動かしたりね。霊的身体は感覚を支配する。見たり感触を確かめたり。魂は肉体に命令を出す。そうやって人はできてる」

 そう、これを三原質と言います。なんか説明が始まったな。みんな何故か大人しく聞いているんだけど、重大な証言だと思われているの? たぶん違うよ。エクヴァルってば、強制的に黙らせてもいいのに。


「ゾンビパウダーは、肉体をいったん仮死状態にして霊的身体とのリンクを薄くする。そして『死』と判断して肉体から離れようとする魂の一部を捕らえ、偽の命令を肉体に与えるってわけ。それで好きなように動かせて、感覚が鈍って使いやすくなった相手を、解毒剤で生かしつつ、完全にリンクを切らないようにして使い続ける。まあ魂の方は亀裂が入って、通常では年月を経ると徐々に壊れちゃうんだ。さすがに魂が壊れると、人間なんて動かないワケ」

 皇帝陛下は手前まで来ていた感じだった。

 シャーク皇子は他の人の手を借りて、ようやく立ち上がっている。

「おい、アイツを取り押さえろ……っ」

 低く絞り出した命令に、従う者は誰もいなかった。


「その薬の調整をできる僕がさあ、ろくに理解もしてないヤツの霊的身体の感覚を、騙せないわけないじゃーん!」

 マクシミリアンは皮肉な笑みを浮かべつつ、第二皇子に侮蔑の目を向ける。彼は基本的に他人を虚仮にして楽しむところがあるよね。

 全然褒められた人物じゃないのにな。薬作りの腕は確かなんだけど。


「シャーク……、もう諦めるんだ」

 兄であるアデルベルト皇子が、宥めるように言葉を落とす。

「くそう、ここで引き下がってなるものか……! あの者を!」

 シャーク皇子が命令すると、玉座の近くにある扉の前にいた護衛が、扉のレバーハンドルに手を掛ける。こちらは近衛兵が控えていて、何かあった時に出入りするところ。上手くいかなかった時に力押ししようと思って、戦力を出し惜しみしていたのね。

 この場にいる全員の視線が、シャーク皇子が指した先へと集まった。


 実験していた、召喚と契約に成功しているわ。

 地獄の気配がする。これは高位の悪魔がいる! 

 扉が開いて、ついに悪魔が姿を現す。皆こういう演出好きだなあ!

「どうだ、悪魔の公爵だ。契約もしている! 兄上、皇位を譲らなければ、コイツを敵に回すことになるぞ!」

「シャーク……! 皇帝になろうという者が、国を滅ぼす計略を実行しようとは……!」

 風雲急を告げる! さあ、誰が出てくるのか……。


 集まった重臣たちも狼狽えて、互いの顔を見合っている。このことはごく一部の人間にしか、知らされていなかったようだ。護衛の騎士やアデルベルト皇子の近侍の魔導師達が、皇子を庇うように前へと進み出る。

「まさか、そんな恐ろしい事を……」

「わが国には、公爵クラスの悪魔を退ける戦力はないぞ!?」

「落ち着け、シャーク殿下が皇位を得れば問題ないのだろう」

 動揺しつつも、シャーク皇子の陣営は力強い味方が来たのだと色めき立った。

 背の高い漆黒の鎧を身に纏った悪魔が、ゆっくりと部屋へ足を踏み入れる。


 ゴン。

「ひゃっ」

 肩の上に座っている小悪魔が鴨居に額をぶつけて、急いで頭を引っ込める。

「おっと、大丈夫か? お兄ちゃんが悪かったなあ」

 ……ここで登場するのが、ベリアルの配下のエリゴールと、リニなの?

 何この茶番。

 ベリアルに顔を向けると、満足そうに笑っている。なるほど、何処かに出掛けたりしていたと思ったら、私に内緒でアスタロトを招待したり、エリゴールに召喚があったら応じるよう連絡をつけてもらったりしていたのね……。

 敵が召喚術を行使していると聞いて、そこに付け入ろうと画策していたとは。


 エリゴールが肩に座らせたリニを降ろすと、彼女は慌ててエクヴァルの方へと走って行った。

「エクヴァル、ごめんね……」

「無事で良かった、リニ」

 しっかりと抱き合う二人。感動の再会だ。エリゴールは、ちょっと寂しそうな視線を送っていた。笑えるからやめて。

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