第203話 ルフォントス皇国の皇帝陛下
ピュッテン伯爵の手引きで、ついに皇帝陛下と対面できることになった。宮殿の裏手側にある使用人が使う裏門から、伯爵に渡された通行許可証を持って、堂々と入れる。
今回のメンバーは、私とベリアル、それからエクヴァルの三人。目立たないように少人数で来たの。ベリアルが派手だとかは、まあ仕方がない。門番もおかしな表情をしていたけど、許可証は本物だからね。
「ご苦労」
「は、ありがとうございます!」
ベリアルが軽く手を上げると、門番達は深く頭を下げた。これだけ堂々とされたら、疑う方が間違っている気がするね。使用人の監督でもしているのかと、勝手に考えてくれたみたい。
広い裏庭は低い生垣が通路の両脇にあり、中央に太い道がまっすぐ宮殿へと続いている。荷馬車や使用人が通るのは、端っこの並木に隠れた道。その先には食料の搬入口があり、宮殿の厨房へ続く木の扉があった。
外に女性がいて、私達の姿を見ると扉を開けてくれた。
通路のすぐ右に厨房があり、今度はそこから人が出て来て案内してくれる。ピュッテン伯爵の部下だ。どこから漏れるか解らないので、今日の事はヘイルトにも言っていない。
「皇帝陛下の病を治して下さるとか……、有り難く存じます」
「最善を尽くすと約束します」
小声で囁く案内の人に、エクヴァルが笑顔で答える。挨拶している暇もないわ、なるべく音を立てないよう注意深く、そして速やかに移動。巡回の時間を避けているので、うまく衛兵に会わないで済んでいる。
階段に差し掛かった時、上から誰かが降りて来た。
年は四十歳を過ぎ、灰色の髪をオールバックにした細身の男性。シンプルなズボンに、金のラインが入った黒い上着を着ている。
「ヒルベルト・ファン・ピュッテン伯爵」
「御足労頂き、感謝します。ここからは私が案内いたしましょう」
彼の部下は階段の下で、私達の姿が見えなくなるまで周囲を警戒して立っていた。
二階の廊下を進み、奥にある重厚な扉の前に来た。兵士が左右で槍を持って警護していて、伯爵に促され扉を開ける。
広い部屋に大きな天蓋付きのベッドがあり、皇帝陛下が臥せっている。侍女が三人ほどいて、寝台の脇では年配の男性と付き従う女性が、陛下の様子を確認しつつ腕を摩っていた。
「エグドアルムの方々が陛下の治療の援助に来て下さった。協力してくれ」
「これは有り難い……! 私では手の施しようもなく、窮しておりました」
男性は主治医のようだ。陛下の状態について記録を付けているのかな、傍にいる女性が紙とペンを持っている。
私は早速、ゾンビパウダーの使用が確認されたことを告げた。
「魂の欠損を治せるネクタルならば、効果があるはずです」
「ネクタルは私が所持しております」
伯爵が瓶を取り出す。
ルフォントスくらいの国なら、最低でも二つ以上は保管してある。しかし今回は、第二皇子が押さえてしまっていた。これを無理に入手すると気付かれるので、伯爵が所有していたものを使う。
ふたを開けて匂いなどを確認している。大丈夫みたいね。
まずは伯爵が持って来た、魂の一部を入れられた壷。ベリアルが頷くから、これで間違いない。これを被害者の近くで開く。症状が軽い内は、これだけで回復する。
ちなみに壷はダミーと入れ替えてあるんだけど、念のためにこの後戻しておくらしい。人間には魂の一部が入っているかなんて判断できないから、元の場所にあれば気付かれないだろう。
続いて、陛下の顏を侍女に少し上げてもらい、侍医がネクタルの瓶を口元に運んで、飲んで頂いた。
「陛下、お薬です。聞こえていらっしゃいますか?」
口端から垂れたりはしたものの、ほんの少しずつでも飲んでくれている。
しかし何度話し掛けても、反応が全然ない。手遅れかも知れない。
「どうか目をお開け下さい、陛下!」
ピュッテン伯爵も枕の近くで大きな声を出すけれど、ピクリとも動かなかった。
私も近づいて確認させてもらう。顔色が良くないし、ずっと寝ているから痩せてしまっていた。私が作った分も、飲んでもらおう。
アイテムボックスから出して、蓋を開ける。二本飲んでも兆しも見られないなら、魂の欠損が進み過ぎた証拠。人の手で回復することは、もはや欠片の可能性も残されない。
「お願い、効いて……!」
祈るような気持ちで瓶を傾けた。
寝息すら感じられない程、弱っている。しばらく呼びかけたり腕を摩ったりしていたけれど、結局皇帝陛下は意識を取り戻すことはなかった。
「陛下……!」
ピュッテン伯爵は、両手を拳にして強く握っている。
「……他に、手立てはないんだろうか……」
厳しい表情で皇帝陛下をじっと見るエクヴァル。
「……ごめんね、私も何とかしたいんだけど……。これ以上の治療方法は、発見されていないのよ……」
「…………」
誰も何も喋らない。沈黙が部屋に重くのしかかる。
時間をおいてみたけど、やはり陛下の様子には変化も回復の兆候も現れなかった。
回復魔法も他の薬も、もう何度も使われていて、これ以上は無意味だろう。私は無力を感じながら、せめてもとハンカチで口端から零れたネクタルを拭った。チラリとブレスレットが揺れて、長袖の下から出てきてしまった。
皇帝陛下の首元に当たったかと思うと、眩く光り出す。
これはルシフェルが魔力を籠めて、他の誰にも触らせないようにと言ったダイヤモンド。瞼を上げられない程に白く激しく光り、少しして収まってきたので薄眼を開くと、皇帝陛下の体がぼんやりと輝きに包まれていた。
「これは……、ルシフェル殿にしか出来ぬな」
ベリアルが私の隣に立って、皇帝陛下を眺める。
個人の魂の傷を、ネクタル以上に回復させる。人間にはできない技だ。
物凄い品をくれたし、とても助かったけど、どういう意味だろう。私がここまでの無茶をすると、思ったってこと……??
ブレスレットのダイヤモンドが役目を果たしたとばかりにパキンと縦に割れて、布団の上へ朝露のようにキラキラと、細かく崩れながら散らばった。
「…………」
少しして、横になる皇帝陛下のまつ毛が僅かに動いた。
「陛下!?」
ピュッテン伯爵と侍医が、顏を近づけて何度も呼びかける。
「…………ヒルベルト……」
陛下が掠れた声で、確かに名を呼んだ。
「ここにおります。ヒルベルト・ファン・ピュッテンにございます。陛下」
「……悪い夢を見ていたようだ……」
侍女がテーブルに置いてあった水差しを持ち、別の人が体を起こさせる。ゆっくりと時間が流れ、侍医は手足の感覚の有無や、辛いところはありませんかと状態を確認していた。ピュッテン伯爵は目を押さえているけど、顎を伝って涙が床に落ちていく。
「席を外すように……」
皇帝陛下の言葉で、侍医と侍女はすぐに下がった。
私達も出ようかと一歩下がったんだけど、ここに居ていいみたい。ピュッテン伯爵が引き留めて、薬を持って来た事などを説明してくれている。
「感謝する。余も最近まで、体はあまり動かずとも意識はぼんやりとだが、あった。……まさか、我が息子が余に毒を仕込もうとは……」
意識がないと思って、ベッドの脇で喋っちゃったのね。本当にダメな皇子だなあ。告発するまでもないね。
「シャーク殿下は、如何なさいましょう」
「……まだ待て。余が回復してから、直々に処分を言い渡す。シャーク、愚かな息子よ。どうせならば、証拠も残さず余を殺せば良かったものを……」
陛下は絞り出すように喋っている。まだ少し声が出し辛いのかも。いったん黙ってしまったので、私達は静かに次の言葉を待った。
「父に息子を断罪させるとは……。とんでもない親不孝者よ」
……私はてっきり、いくら実の息子でも恐ろしい事を仕出かしたんだし、ものすごく怒っていると思った。下手をしたら、そのまま処刑だと言い出すかなって。
でも、被害者で皇帝で、それでいて父親なんだな。陛下の目からは一筋の雫が流れていた。
「力及ばず、陛下に危害を加えることを許してしまいました。申し訳ありません」
伯爵は皇帝陛下の枕元で跪き、ベッドよりも低い程に頭を下げている。エクヴァルは視線を窓に移し、皇帝陛下の頬を流れた涙から視線を逸らしていた。
「余は昔、皇帝の座を争った弟を処刑した。弟の最期の懇願にも耳を貸さず、妻と子も一緒に処刑したのだ。……あの時、弟が余の暗殺を狙ったと思っていた。しかしそれは、弟を皇帝に就かせたい者たちが勝手にした事だったのだ……」
遠い目をして、自分へと向けるように語る皇帝陛下。
「部下の暴走ですね。それだけ皇弟殿下が慕われていらしたのでしょう」
慰めるようなエクヴァルの言葉に、陛下は小さく首を振る。
「気付けなかったのは、余の怠慢でしかない。……元々弟とは、仲が良い方だった。だからこそ裏切られた気がして、無情な判断を下してしまった。早まったと知った時には、取り返しがつかなかった。……このような間違いを、もう犯したくはない」
身内を死に追いやりたくないのね。例え欲の為に自分の命を危うくした相手でも。
「陛下、もう一つ悪い報告があります。第二皇子であるシャーク殿下は、アデルベルト皇子殿下の暗殺を謀るに飽き足らず、けん制する為に、召喚術を行使しております。強い存在と契約を結べば、第一皇子派の重臣たちからも支持を得られると考えているようです」
強い魔物出没事件も、彼らの仕業だからね。ピュッテン伯爵は報告を続ける。
「行われている場所については、目下調査中です」
どうやら重大な事は、第二皇子とタルレス公爵だけで進めているようだわ。ピュッテン伯爵は、手駒の一人と思われているのね。陛下はため息を零した。
「どこまでも愚かな……。まずはその実験を止めさせるのだ。それから詳しい処分については考えよう」
皇帝陛下のお疲れが出ないように、私達は部屋を後にした。
厨房の出入り口まで送ってくれた伯爵が、しっかりと頭を下げる。
「ありがとうございました。貴重なアイテムまで使って頂きまして、いづれ代金なりお礼なり、しっかりさせて頂きます」
「いえ、回復されて何よりでございます。まだ本調子には戻らないでしょう、ご油断召されませんよう」
ここで病にでもかかると、また危険になるからね。まずはしっかり休養をとって、健康を取り戻さないと。
「一先ずこちらからは情報を一つ、提供いたしましょう」
しっかりとエクヴァルを見る伯爵。
「第二皇子、シャーク殿下におかれましては、近々後継者問題に決着をつけるべく、準備を進めていらっしゃるご様子。お気をつけを。証拠や証言を探すのは苦労しますが、作るのならば容易い」
「貴重な情報、感謝します」
エクヴァルが軽く礼をする。伯爵は中立とは言ったけど、今回の御礼なんだろう。後継者争いそのものに関わるつもりはないみたい。
もう夜も更けてきたし、足早に宮殿の門を潜った。この時間ならキュイでも平気かな?
「……偽証でもさせるつもりなのかな? 誰か懐柔しているのかも知れない。これはヘイルト君にすぐに知らせないといけない」
庭を歩きながら、エクヴァルが小さく呟いた。
「しかし辛気臭くてたまらぬ。せっかく敵陣に乗り込んだというに、刺客の一人も現れぬではないかね」
魂が欠損していたのに、明るい雰囲気なわけないじゃない。ベリアルは、私を餌か何かと勘違いしてないかな!? そもそも陛下の宮殿は、別に敵陣じゃないし。全くもう。
さ、宿へ戻ろう。
皇帝陛下は、体力の回復を待てばいい。
その間に解決する事があるのよね。召喚場所の捜索は任せられるけど、他にも呪いを企んでたり刺客を送ってきたり、色々とねえ……。
皇位継承争いって、本当に大変なのね。
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