第192話 その頃のルフォントス皇国(モルノ王国の王女視点)
モルノ王国は、畜産や農業に従事している人が多く、細工物などの民芸品も沢山作られています。穏やかで牧歌的な小国。
以前父である王が牛車に揺られていて、途中で辛そうな妊婦を見つけ相乗りを許可した、という事もありました。私の父は、困っていたら助け合おうと、心から言えるような方です。
私は第五王女、エルネスタ・ダマート。
家庭教師の勉強から逃げたり、お姉さまたちとピクニックと言って斜面を駆けのぼり、牧場で乳しぼりを手伝ってみたりと、楽しく暮らしていました。
しかしある日、その暮らしは一変します。
隣国ルフォントス皇国から、第二皇子の結婚祝いを差し出せと、高額な金銭と宝飾品などの要求がありました。勿論わが国には、そんなお金も宝物もありません。
出せないと答え減額をお願いすると、反逆だと言って攻めてきたのです。
「スケープゴートにされた」
そう、誰かが言いました。
我々の要求に従わない国は亡ぼす、このモルノ王国のように。
彼の国はそう言いたいのだ、と。その為に大した兵力も持たない、有能な魔導師もいない、簡単に陥落させられるこの国を攻めるのだと。
まず侵攻してきたのは、ルフォントス皇国からの要請を受けた、森林国家サンパニルのバルバート侯爵でした。
侯爵の娘さんがルフォントス皇国の第二皇子と婚約しているそうです。
この侯爵はサンパニルの元帥として、王の信任の厚い方です。何十年も昔、ルフォントスがサンパニルに進軍した時、五分の一程の兵で国境の城を守って退けた、戦上手な将なのです。
それだけでも、我々に勝ち目はありませんでした。その後から、ルフォントス皇国の第二皇子が率いる軍がやって来ました。
第二皇子の配下たちは村を略奪し、降伏した私の叔父の首を刎ね、武装放棄していた兵達にあろうことか暴虐な振る舞いをしたのです。
バルバート侯爵は止めて下さったそうですが、大国であるルフォントスの、よりにもよって第二皇子の指揮下にある軍です。制止する事など誰が出来ましょう。
その後も村へ略奪に行こうとした第二皇子の軍の末端部隊を見つけ、バルバート侯爵は自身の兵を村の前に展開させ、我々が制圧したと宣言し、近づけなかったそうです。
もちろん侯爵は人道的な行動をされ、兵の誰一人、村人に怪我をさせる事はなかったと聞いています。
私は恭順の証として、祖国を離れルフォントス皇国へと連れて行かれました。
大好きな叔父を殺害し、国を荒らし、国民を痛めつけた第二皇子が憎い。
おかしなことにその憎い皇子は、私を見るなり可愛い人だ、結婚しようなどと言い出し、既にいた立派な婚約者を粗雑に扱いました。婚約は白紙に戻り、私を皇妃に据えようとしています。
ただ、サンパニルの御令嬢との結婚が皇位を継ぐ条件だったようです。一部の重臣が強く反発し、皇位継承もいったん取りやめ。私との結婚も、すぐには出来ないという結論になったのです。
安心しました。こんな男と結婚なんて、まっぴらよ!!
でも、現時点でこの男が我が国の行く末を握っている。できるだけ好意を持っているフリをして、モルノ王国への賠償の減額や、捕虜の扱いの向上についてお願いしなければいけない。さり気なく、不審がられないように。
泣いている姿なんて見せられない、私もモルノ王国の王族の一員。今こそ、国の為に頑張る時なの。
「愛しのエルネスタ! 寂しかったかい、放っておいてごめんよ」
やって来たわ。あの嫌な皇子、シャーク・ショルス・デ・ゼーウが。
「シャーク様。お待ちしておりました」
手を繋いでくるんだもの、鳥肌が立ちそう。彼はすべきことの殆どを他の人に任せ、こうやって遊んでいるみたい。たまに偉そうな人におだてられて、尊大な態度でご機嫌になって、大事そうな事柄を簡単に承諾してしまっているわ。
「第一皇子様がお帰りとか。私はご挨拶しなくて宜しいんですか?」
「ああ、必要ない。私が即位した暁には、アイツはもうこの世に居ないさ」
兄である第一皇子、アデルベルト・アントン・デ・ゼーウ様を殺害なさるつもりなのね。第一皇子アデルベルト様は、開戦時には何処かへ出掛けていらしたようでしたが、帰国されてすぐにモルノ王国へ向かい、残っている兵達の暴走を止めて下さったの。この男よりも余程皇帝に相応しい方だわ。
第一皇子の話を出したことで、近侍が私を疑うような目で見ている。
「結婚したらお兄様になる方ですから、気になりましたの。結婚式は皆に祝福され、盛大に行いたいのです」
「君の家族をみんな呼ぼう! いろいろと準備はしてあったから、その気になれば、いつでもできるよ。今度は花嫁のドレスを選ばなきゃね。アクセサリーは足りたかい?」
「シャーク様の瞳と同じ、青い宝石がもっと欲しいですわ」
「可愛い事を言う人だ!」
すぐに手配しようと、近侍に指示をしている。
何が手配よ、税収でしょ。自分で働いてみなさいよ! 向こうから買うと言ってくれるんだもの、ドレスやアクセサリーをその度にねだっているの。幾つかはもう飽きたからと言って、国のお姉様たちに送ってもらうの。これを売ってもらうのよ、お金はいくらあっても足りないもの。なんとか不審がられずに続けられているわ。
第二皇子が出て行ったあと、やっと解放された気分になってバルコニーに出た。皇子の配下は必ず私の側についているんだけど、この時は部屋の中から見ているだけ。隣には国から来た侍女が二人と、捕虜から召し上げてもらった護衛が一人。心配だからなんて言いながら、監視をされているのは解っているわ。離宮から出ることもできないもの。
この国の人達は、私の国を蹂躙しておいて、何事もなかったように平和に過ごしているのね。悔しいけれど、これが覆せない力の差なのね。こんな立派な都市は、モルノにはないもの。
「……戦死した叔父様は、温厚な方だった。一番上と二番目のお姉様が結婚された時に涙を流して喜んで下さって、私たち姉妹で五回も泣かせちゃうねって話していたの」
「……国王陛下と公爵さまは、仲の良い御兄弟でしたものね」
独り言のような呟きに、侍女が答えてくれる。
「奥さまを亡くされて再婚されず、子供もいらっしゃらなかったの。だから私達を、実の子のように可愛がってくれたわ。爵位のない者と結婚したくなったら、その男を私の養子として全て譲るから、好きな人と結婚できるよって言ってくれてたの」
「覚えております。そうしたら一人は本当の娘になるんだと喜ばれて、陛下は苦笑いをされていました」
あの優しい日々は、遠い夢のよう。もう戻らない。
叔父様は出陣されたけれど、勝ち目がない事は明らかだった。お父様も、すぐに降伏するように仰っていた。交渉の為に軍の体裁を整えて、出ただけのようなもの。
総大将の首くらいは要求されるだろうから、待つ家族のいない自分の命で済むならと、最初から覚悟はされていわ。
悲壮な決意を踏みにじって、村に、兵に、国に蛮行を尽くした悪逆な第二皇子。晒された首は、間違いなく叔父様のものだった。そんな惨い目に遭わされていい方じゃない。
涙がこみあげて、目の奥が熱く焼ける。憎しみはそこに宿るのかも知れない。許してはならないと、心の深淵から囁く声がする。
私はここで、私に出来る戦いをするわ。
祖国モルノ王国を力の限り助け、第二皇子が皇帝になるのを阻止する。
彼は私に第一皇子の暗殺を企てていた事を、ほのめかしていた。第一皇子が帰って来た時、生きて戻るとは、失敗したのかと口にしていたもの。
そして。
父である皇帝の病は治らない、僕の天下になるとまで口走ったわ。
どういう意味? 不治の病だろうとは皆が噂していたけど、病名を知っているの? 没する、とは表現しなかった。
死なずに病の状態が続き、彼が第一皇子をどうにか下す……?
まさか、毒を盛ったの? 実の父に!
でなければ説明がつかないわ……! 何て恐ろしいの!
誰かに伝えなければならない。
サンパニルの御令嬢が命を狙われているのをリークした時のように、簡単にはいかないわ。あの時はモルノにも出入りしている商人に、お令状として、検閲を越えられるように細工をした手紙を渡したの。そこに
きちんと彼女の耳に届いて、中央山脈を越えて逃げたらしいわ。良かった。
だけどなぜ、暗殺を企てたのが第一皇子の仕業という噂になってるの……?
私が知っている情報を立証できたら……、いいえできなくても、正しいタイミングで伝えられたら、皇位継承は阻止できるはずだわ。今は第二皇子派が優勢だから、ここさえ覆ればなんとかなると思うの。
とにかく彼との結婚の準備をするフリをしながら近づいて、もっと核心に迫るのよ……!
ルフォントス皇国の現皇帝陛下は、即位する際に熾烈な継承争いをした弟とその妻子を、処刑したという噂だった。第一皇子が即位したら、暗殺まで企てた第二皇子と、その婚約者である私も命はないでしょう。
だからと言って、私の国の未来がかかっているわ。怯んではいられないの。
絶対に叔父様や皆の仇を取る。
そう、第一皇子が皇位を継いでシャーク殿下を処刑するのなら、私の望みは全て叶うの。これが私に出来る、唯一で最大の復讐。
処刑台まで手を引いて行ってあげるわ、シャーク皇子。
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