第187話 スピノンの魔法治療院

 しばらく馬車は平たんな道を進み、だんだんと商人や冒険者とすれ違う事が増えた。自由国家スピノンは、人の行き来が多い国。

 今日はまず北側にある小さな町に泊まって、明日は盛大ないちが開かれる、大きな都市へと移動する。宿は防衛都市の一団として泊まるから、安心だよ。


「有名なスピノンの市ですのね。行きたいですわ……」

「いけませんよ、お嬢様」

 ロゼッタも興味津々だけど、さすがに今回はダメだよね。いつかゆっくり買い物できるといいな。スピノンでは主要な三つの都市で、毎日市が開催される。他にも月一で催している町もある。

「明日は私は用があるから出掛けるけど、宿で大人しくしていてね。もう少しの辛抱だよ」

 エクヴァルはバルナバスに案内してもらって、この国に潜入してるチェンカスラー王国の工作員に会いに行くのね。現在のルフォントス皇国の情報とかを聞きに。エグドアルムの人も潜入していて、報告は受けてはいるみたい。でも念を入れて、ずっとこっちの情報を得ていたチェンカスラーの人達の見解を聞いて、この後のルートなどを決定する。今までエグドアルム王国は、ルフォントス皇国とはあんまり関係なかったから。


「ロゼッタには、私がしっかりと付いていましてよ。ベリアル様の契約者の方は、市を見に行かれますので?」

「そうしたいんですけど、いいですかね……」

 ベルフェゴールはいいって言ってくれるけど、私だけ遊んでるみたいになるなあ。

「師匠、私もお供いたします」

 良かった、セビリノも一緒だ。ベリアルも来る。リニも市に行きたいみたいで、エクヴァルの方をしきりに気にしていた。

「リニは私の用が済んだら、一緒に見回ろう。ただ、少し遅くなるかも知れないよ」

「……うん、待ってる。お店がいっぱい出るんだよね。楽しみ」

 巾着を開けて、持っているお金を数えているリニ。何でも買ってあげたい!


 明くる朝は早くから人の動きがあって、荷馬車から積み荷を降ろし、朝食前なのに売る準備を始めている。混んでくると馬車は通れなくなるから、今の内に商品を運んで降ろす。何が売られるのかな。

 開始までまだ時間があるけど、ワクワクするね。セビリノとベリアルと一緒に、町に繰り出した。雑貨や食べ物、薬類。服や靴、武器のお店もある。本当に何でも揃っちゃう。飾りつけをしたりして、露店の準備は着々と進んでいた。

 普通のお店の方も、今日は特に張り切る日。ちょうど月に一度の拡大市なの。

「あ、魔法治療院。見学できないかなあ」

 回復魔法で治療をする、魔法治療院を見つけた。レナントには個人の小さいのが一つしか、ないんだよね。引退した冒険者が一人で経営している。ここのは大きめだし、エグドアルムにあったような感じなのかな。視察としてしか入った事がない。歓待されちゃうから、普段の様子は解らない。

「気になるのでしたら、尋ねて参ります」

「そうよね。聞いてみるくらいなら、いいよね」

 セビリノが任せて欲しいとばかりに、治療院の扉を開いた。


「はい、患者さんですか? まだ始まってないんですよ、待合室で待っててね」

「いや。治療の様子を見させて頂きたい」

 声をかけてきた女性に見学したい旨を伝えると、渋い表情をされた。

「先生がそういうのは、全部断れって。すみませんね」

「回復魔法の知識を盗もうというものではない、回復は私も使える」

「はいはい、怪我人以外はさようならです」

 出て行ってとばかりにパタパタと手を振る。

「仕方ないわ、邪魔しちゃいけないよね」

 おざなりな対応で、これ以上話を聞きたいとも思わない。ベリアルの機嫌が悪くなっても困るし。見学は諦め、セビリノを促して他の場所に行こうと踵と返す。すると、近くを通りがかった男性が声をかけて来た。

「ならウチのを見に来てくれませんか? 小さい診療所なんですけど」

「いいんですか?」

「勿論です。アーレンス様と言えば、有名人じゃないですか。むしろ訪ねて頂けるなんて、光栄です」

 セビリノを知ってる人だったのね。有名人と聞いて、この治療院の女性も興味深々になる。とはいえ時すでに遅し、セビリノはもうお店から出て扉を閉めた。


「では是非」

 私がお願いすると、男性は破顔してすぐに案内してくれた。

「あのメイン通りに面した治療院は、この近辺で一番大きいんですが、対応はあまり良くないんですよ。なんせ、お客はどんどん入ってきますからね」

 説明してくれる男性の治療院は、町の外れの方にあった。一人で経営していて、こじんまりとした平屋の住居兼仕事場。

 ちょうど入り口の前に客らしき人がいて、乱暴に扉をノックしている。虎の頭をした虎人族の男性と、狼っぽい人狼族、それから耳は兎で他は人間の、兎人族の三人組。人狼族はワーウルフと呼ばれる話の通じない、理性の薄いタイプもいるから、人間からは嫌われやすい。虎人族と兎人族は、以前の市で見た人じゃないかな?

「開けてくれ! 怪我人なんだ、大怪我をしてる」

 人狼族の体から血が流れて、地面に染みが出来ている。虎人族が片手で支え、やっと立っているような有り様だわ。


「すぐに開けるから、とにかくどいて」

 店主の男性は慌てて駆け寄り、玄関の鍵を開けた。

 脇腹に大きな傷を負った人狼族は、痛そうに呻いている。腕と片足にも怪我をしているし、骨や内臓は大丈夫だろうか。これだと中級くらいの魔法では、治りきらないかも知れない。

 すぐに中に入って、診療用のベッドに横になる。これを使う程の怪我は、ここでは滅多にないらしい。血を拭きながら怪我を確認して、厳しい表情になった。

「これは……、僕の手には負えないよ。すぐに完治まではいかないだろうけど、魔法の後に薬を使えば、数日で治ると思う」

「それで十分だ、このままだと命に関わる」

 私が魔法を使ってもいいんだけど、それだと仕事の邪魔かなあ。そうだ、杖を貸してあげよう。

 ユグドラシルにミスリルで作られた蛇の彫刻が絡みつく、背丈ほどのアスクレピオスの杖。これは回復魔法を使う時に、特に効果がある。治療院に欲しい杖だわ。メイン素材のユグドラシルが手に入らないみたい。


「宜しかったら、この杖を使って下さい」

「ずいぶん立派な杖ですね! いいんですか?」

「勿論です」

 男性が用意していたのは、オークの木で出来た、腕よりも短い棒だった。私も召喚術用は棒だし、短いから使い勝手はいいよ。杖より魔力は宿らないけど、持ち運びに便利なのと、方向性を示しやすいのが利点。

 杖を使って男性が中級の回復魔法を唱えると、パアアッと床から光が溢れて怪我人を包み込む。みるみる傷は塞がり、苦しそうだった呻きが止まった。

 だいぶしっかり治ったみたいね。


「すげえな、こんなに効果の高い魔法を……」

 虎人族の男性が、目を丸くしている。

「僕じゃないよ、この杖すごい! 今まで見たこともないデザインだし、かなり高級品だと思う。ありがとうございました」

「いえ、お役に立てて何よりです」

「我が与えた杖を使ったのである。当然であろうよ」

 杖をくれた、ベリアルが自慢げだ。

「誠に、師に相応しい杖にございますな」

 セビリノは、治りきらなかったら自分が魔法を唱えようと思っていたみたい。

 傷が癒えた人狼族には、宿で二、三日はゆっくりと静養するよう説明している。精の付くものを食べて、失った血を取り戻さないと。


「良かった……ありがとうございました! あれ、この前のポーションの人?」

「はい。その節はお買い上げいただき、ありがとうございました」

 緊迫していて余裕がなかったから、いま私達に気付いたのね。兎人族の女性の耳がピョコンとはねた。

「おお、あのポーションをまた売ってくれ! アレは本当にいい品だった」

「申し訳ありません、今回は市に参加するわけではないので、手持ちがなくて」

 必要以外は全部卸してきちゃった。作るような余裕も場所もないしなあ。

「……私の品ではどうだろう」

 セビリノが余分に持っていた分を出して見せると、喜んで買い取ってもらえた。そうこうしている内に、開始宣言がなされていたらしく、市が既に始まっていた。彼らは治療院にある滋養の薬を買って、精の付く食べ物を探しに行くという。その間人狼族の男性は、ここのベッドで寝かせてもらえることになった。宿もまだ、これから探す所。

「レナントに住んでる職人さんなのね。そっちに行ってみたいなあ」

「おお、その内な。ありがとうよ、職人さん」

 虎人族の手はごつい人間みたいな手で、肉球はなかった。あったら武器が持てないか。残念。


 治療院には怪我をしたという年配の人がやって来て、初級の回復魔法を唱え和やかに会話をしている。棚には薬類が幾つか置いてあり、清潔な布と着替えも用意してあった。一番多いのはマナポーションだから、本人が使うんだろうな。お客が帰ってからお茶を出してくれたので、頂いて少し話をした。

「ここは僕一人でやっていて、午後にお手伝いの子がちょこっと来るんです。洗濯とか、薬草の処理とかしてもらって。簡単な薬しか作れないですけどね」

「魔法はどの程度まで?」

「中級の回復はさっき使った、一種類だけ使えます。ただ、魔力はあるんですが、どうも操作が苦手みたいで。有名なアーレンス様に、何かアドバイスを頂けたらなと思って……」

 頭を掻きながら、申し訳なさそうにセビリノに視線を向ける。確かに、自分一人だと行き詰まるよね。

「ふむ……。そうだな、確かに無駄に魔力が流れていた。正しい装備をする事を勧める。制御に優れた杖を買うべきだろう。後は属性をもっと意識すべきだ」

「ありがとうございます、気を付けます! 杖で補えそうなら、買い替えます」

 セビリノの助言に男性は屈託のない笑みを浮かべ、立ち去る私達を見送ってくれた。次お客もやって来たよ。


 さて、私達は市で買い物をしよう。お客がどんどんと増えてきている。チェンカスラーからの人達も、数人のグループで歩いていた。

 私達もいいものを見つけられるといいな。

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