第178話 一方、公爵邸では(メイドのロイネ視点)

 私はロイネ。

 森林国家サンパニルのバルバート侯爵家のお嬢様である、ロゼッタ・バルバート様の専属メイドです。私は子爵家の娘で、行儀見習いとしてこちらで奉公をさせて頂いております。バルバート侯爵は昔、ルフォントス皇国の侵略からこの国を守りきった英雄で、国王陛下の信任も篤く、軍の元帥に叙せられています。こんな立派な方の家に勤められて、とても誇らしいです。


 お嬢様にルフォントスの第二皇子が求婚してきたのは、本当に頭にきました。お嬢様は美人で努力家で、ご自身には厳しいのに他人に優しい素敵な方です。あんなおだてられて木に登りっぱなしのアホ皇子には、勿体ない方なのです!

 しかもそのドアホは、侵略したモルノ王国の第五王女にメロメロになって、よりにもよって、自ら求婚して来たお嬢様を捨てました。さらに暗殺を企てたり、本当のクズです。あんなヤツとお嬢様が結婚されなくて良かったとは思いますが、やっぱり頭にきます。


 命を狙われているというのは、ルフォントス皇国の宮殿に出入りしている商人が、リーク元を問わない約束で教えて下さいました。あの第二皇子のやり方に反対する、心ある方のようです。とはいえこのような重大な情報を知る立場の方です、第二皇子派に所属しているかも知れません。もし漏えいしたと知られたら、ただでは済まないはず。危険を冒してまで知らせて下さり、本当に感謝しています。


 私はお嬢様と護衛達と一緒に、山脈を越えて西側まで逃げることにしました。東側はルフォントスの影響が大きいですし、下手に隠れても引き渡されるからです。どの国に居ても、攻める口実を与えるだけになりかねません。暗殺にどんな手を使ってくるかも解りませんし、だからこそルフォントス皇国に隣接する、自国にもいられなかったのです。

 山脈の途中で刺客は襲撃してきました。退けて下さった方々は現在、ノルサーヌス帝国の魔法会議に参加しております。チェンカスラー王国で出会いましたが、エグドアルム王国の方だったようで、折よく訪れた使節団と相談して、私達の安全の為に尽力して下さいました。


 私とお嬢様は、チェンカスラー王国のアウグスト公爵という御方の邸宅にかくまわれております。こんな立派な方とも交友がある魔導師と出会ったなんて、ものすごく幸運な偶然です。公爵は気さくな方で、かなり広く立派な調度品に囲まれた豪華なお屋敷で、不自由なく生活させて頂いてます。

 その廊下を、お嬢様は速足であちこち歩いています。契約したベルフェゴールという悪魔も一緒に。

「は~。やっぱり動くと気持ちいいわ!」

「仕方がないとはいえ、狭い場所に押し込められるのはあまり気分が良くありません。体を動かすのも大事です」

「本当よね!」

 知的でクールな雰囲気の女性ですが、このお嬢様と意見が合ってしまうあたり、穏やかな人物ではないのでしょう……。

 すれ違うたびにメイドさんや使用人がお辞儀をしてくれていて、目的もなくウロウロしてしまうのが、本当に申し訳ないです。


「外に出られんからなあ。しかし同じ場所を歩き回っているだけで、飽きないか?」

 声をかけてきたのは、キメジェスという名の爵位のある悪魔です。同じく公爵邸にお世話になっている、ハンネスという魔導師と契約しています。彼は現在、書庫で本を読んで学んでいるようですね。真面目な人柄で、自分で決めた時間を毎日学問にあてています。

「もう、動きたくて仕方なかったんですの。でもよそ様のお宅を闊歩しているのも迷惑ですものね、何か室内で出来る運動はないかしら」

 少しは考えていたようです。良かった……


「そういえばロゼッタ。貴女は裏切った元婚約者を殴りたいと、言っていましたね。人を殴った経験はございまして?」

「ないけど?」

「ならば殴る練習をしましょう。拳の握り方から教えます」

「そんなのもありますの!? 教えて教えて!!」

 あああ……悪い方向へ流れてしまいました……。お願いベルフェゴールさん、お嬢様にそんな知識はいれないで下さい……!


 運動するための広い部屋に移動し、ベルフェゴールさんが拳の握り方を説明して下さっています。悪魔キメジェス様も面白がってついて来ました。

「小指から握るのです。親指は添える様に、指の中に入れてしまってはいけません。当てるのは人差し指と中指の付け根辺りの所です」

 本当に丁寧に教えてくれていて、その様子を見守るキメジェス様。

 お嬢様は殴る真似をしていますけど、素人目に見ても弱そうです……。

「これなら掌底で打った方が良くないか? 下手に拳を使った方が、怪我をするぞ」

「なるほど。そちらの方がよろしいですわね」

「しょうてい、ですの?」

 むしろ貴族のお嬢様がそんな事をするなと、止めて下さい……。


 今度はキメジェス様がお嬢様の前に来て、説明を始めました。

「掌底ってのは、掌のこの下の方で打つんだ。指をこう、熊手みたいにしてな。歩く時に手を振るだろう、その流れで下から振り子のように顎に向かって放てば、相手からバレにくい」

 ここを使うんだと、パンッと自分の手を打って示して下さいます。

「そうです、愚かな男と聞いていますわ。自然な動作で行えば、仕損じることはないでしょう。間合いが近くなりますから、敵意を悟られないようになさい」

「顎をうまく下から打てば、相手はのけ反るもんだ。頭ってのは重いからな、体もつられやすい。よっぽど戦い慣れてない限り、すぐに反撃なぞできんだろ。もちろん、近くに味方のいる時にしろよ」

「的確な助言を頂けて、とても心強いですわ!」

 お嬢様の的になりながら指導して下さるキメジェス様に、ベルフェゴールさんが感心しています。

「さすがねえ、ペオル。キメジェス様が誘導して下さるし、解りやすいですわ」

 契約者だからと、お嬢様だけペオルと呼ぶことを許されています。お二人は一緒に生活している間に、とても親しくなりました。

 この呼び方は、通常は上司である悪魔ルシフェル様だけがされるものだそうです。


「手と同じ側の足を出せば、その分前に行かれるし力ものせやすい。前から首を絞められた時なんかもな、半身になって片方の肩を前に出すんだ。そうすれば距離が近づくだろ、手を伸ばして相手の喉を突け」

 掌底で打つ練習から、何やら危険な護身術の講座になっています。ロゼッタお嬢さまは何度も頷きながら、真面目に稽古に励んでおります。

 バルバート侯爵夫人様、申し訳ありません。ご希望の大人しい方には、なれそうにありません……。

 

 お嬢様はその夜、いつも以上にたくさん夕食を召し上がりました。体を動かしてお腹が減ったそうです。これから毎日、格闘技の真似事をされるんでしょうか……。

 お願い、イリヤさん達! 早く戻って来てください!!


「……襲われるかも知れないんですよね。それよりも、プロテクションを使えた方がいいのではないでしょうか」

 ボソリと呟いたのは、魔導師ハンネス様です。さすが! 魔法の方がいいですね。

「なるほど、一理あります。それも良い事ですわね」

 頷くベルフェゴールさんと、キメジェス様。

「では明日は午前中は魔法、午後から俺達と今日の続きでどうだ」

「それでお願いしますわっ!」

「ほお、明日は私も見学しようかな」

 公爵様まで楽しそうに!

 今日の続きは、もういりません~!!

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