第171話 その頃のルフォントス皇国(第一皇子視点)
自由国家スピノンから帰国した私、アデルベルト・アントン・デ・ゼーウを迎えたのは、弟で第二皇子であるシャーク・ショルス・デ・ゼーウの、敵意に満ちた眼差しだった。私が五体満足で何の後遺症もなく戻って来たことが、悔しいんだろう。
そしてロゼッタ・バルバート侯爵令嬢との婚約が破棄になっという、信じられない知らせがあった。アイツから言い出して申し込んだにしては、いい政治的判断に思えた縁談だったのに……、大丈夫なのか?
弟はモルノ王国の第五王女、エルネスタ・ダマートを妻に迎えるという。
しかし我々には好都合。父である皇帝陛下のお言葉は、“サンパニルの侯爵令嬢ロゼッタ・バルバートとの挙式後、戴冠式を行う”と言うものだった。結婚がご破算になったとあらば、皇位継承もいったん白紙にすべき。当然の主張だろう。
シャークは怒り狂っていたが、さすがに押し通させはしない。
それよりも、モルノ王国の現状はどうなっている? シャークや主要な人物は、引き揚げてしまっているようだ。悪い予感を感じ、私はすぐさまモルノ王国へ出向くことにした。
「殿下!! それではシャーク殿下の思うつぼですよ。ここは国に残ることをお勧めします。モルノ王国へは、殿下の叔父上であるマルセロ・デル・リオ公爵に行って頂きましょう」
「デル・リオ叔父上ならば確かだけど、ここは私が行く」
ヘイルト・バイエンスの主張も解る。彼は口は悪いけれど、そうとても悪いけれど、私を支え心から仕えてくれている。私の母の弟であるデル・リオ叔父上も卑怯な事は許せない、高潔な人柄だ。だが、母が違うし敵対関係にあるとは言っても、弟がしたこと。私自身の目で確かめたい。
「ああ……こうなると、殿下はもう私の言う事を聞かないんだから。気をつけて下さいよトーヘンボク、毒見をしてないものは口にしない! 危ない場所には行かない! 解りますね。自分の身分を忘れない!」
「はい……」
心配してくれるのは解るんだけど、ちょっとキツイし小言が多い。
「なにか!?」
「いや、何でもない……」
側近って、皇子の上の立場だった?
モルノ王国へは、ヘイルトも一緒に来てくれた。全員が馬に乗った私の警護隊と、治安維持の為に信頼のおけるペラルタ准将が指揮をする、統率の取れた旅団を連れて。かの国では我が国の兵による、略奪も行われているらしい。戦争の終結時に、サンパニルから参戦した高潔なバルバート元帥の軍は引き揚げている。そうじゃなくても婚約破棄があったから、残る理由はないだろうけど。むしろ自国の防御を固めているだろうな。娘の命まで狙われたとあっては、この先何が起こるか解らないと気を引き締めている事だろう。
弟はモルノ王国の現状に興味を持っていないし、侵攻したのは甘い汁を吸いたがる佞臣共だ。ストッパーはない状態だろう、このまま放置はできない。
急ぎモルノ王国入りし、統治軍の最高司令官に任じられた人物と会う。規律を正すように命じて、私が直接、准将と共に村などを回ると告げたら、慌てて止めて来た。やはり略奪を見逃しているな。ぺラルタ准将も感じ取ったらしく、すぐさま本陣を出て行った。
首都はさほどでもなかったが、地方に行くほど酷いのではないだろうか。広い国ではない、司令官からされた簡単な説明から、ぺラルタ准将が危険度が高いと思う場所に案内してもらう。兵たちは速やかについて来て、さすがによく訓練されている。
辿り着いた町では、まさに我がルフォントスの兵による蹂躙が行われていた。どこかの家からドアを蹴り開けて出てきたり、店を占領して騒いでいたり。道には血の跡が濃く滲んでいる。
見ると女性を掴み無理やり納屋に連れ込もうとしていて、止めようとしがみ付く男性を殴り倒した。そのうえ、無抵抗な男性に剣を振りあげる。泣きながらやめてと懇願する女性。
「やめ……」
私が何か言うよりも早く准将が馬を駆り、馬上から兵の首根っこを掴んで引き摺った。突然のことに、兵の振り上げていた剣は手から離れた。
「人道にもとり我が国の栄誉を汚すもの、もはや我が国の兵に非ず!! いっそ斬り捨てよ!!」
叫ぶなり誰も居ない場所に、引き摺った兵を放り投げる。
かなり憤っているようだ。准将は私が考えていたよりも、過激な人物だった……。
「おおー!!」
そして士気が高い。剣を抜いて掲げたぺラルタ准将に呼応し、すぐさま兵たちの暴虐を止めに走る。キレイに隊列を組んでサッと何組かに別れ、行動を開始した。
略奪しているような者達は、ほとんどが兵と言えないような、下っ端でごろつきのような連中だ。お零れに預かろうと、終戦後から参加している輩まで居る。突然の事態に驚き、あっという間に平定された。他国で我が国の兵を制圧する……。情けない気分だ。
幸いマトモな指揮官のいる町もあった。この調子でサクッと兵とも言えぬ暴漢どもを引き揚げさせ、幾つかの町を回った後だ。
ぺラルタ准将と別れ警護隊を連れて、私たちは森の中へ向かった。この辺りにヒルベルト・ファン・ピュッテン伯爵という、第二皇子派の主要人物の一人が向かったという情報を得たからだ。
こんな場所に何かあるのか? それとも誰かと会っていたのか、探っている事でもあるのか?
細心の注意を払って出来るだけ静かに進むと、小さな村を発見した。歪な低い木の柵に囲まれていて、入口の前には我が国の下級兵士の死体が多数、転がっている。古めかしい軽装は砕かれ武器は折れて、とても軍隊が駐留しているとは思えない山村で、誰がこの人数の兵を退けたのか。言いしれない恐れが足元から這い上がり、息を殺して門すらない村を見た。誰も外を歩いてはいない。
ピュッテン伯爵を追い、間違えて危険な場所に迷い込んだのだろうか。
「殿下、戻りましょう。この有り様では村は襲われてはいないでしょうし、伯爵が来た場所とも思えません」
ヘイルトがこっそりと私に耳打ちした。
危険なものが出てこないか、心配らしい。彼の顔色が僅かに青く、何か不穏なものの気配は感じているのかも知れない。
「……殿下。しかし君は、略奪軍の最高司令官ではないね。あの愚劣な男は帰ったようだし」
突如、さほど高くもなく、かと言って男性のものではないような声がどこからか響いた。辺りを見回していると、サッと木の枝から何かが飛んできて、私たちの目の前に立った。後ろで三つ編みにされた、長い金の毛の束が跳ねる。
「直答を許す。君は? 略奪に来た者達と同質には見えない」
真っ白い長いコートに身を包み、下に見える服も純白。陶器のような肌に、ストロベリームーンの赤い瞳が私を捕らえている。
整った顔立ちでスラッとした体形をしていて、姿を見ても男性とも女性とも判別がつかない。それは私の前にいる。
「この方は、ルフォントス皇国の第一皇子殿下です。戦争を推し進めた第二皇子の尻拭いに来ています」
私に代わり、ヘイルトが答えた。彼は頭を下げ、いつになく慎重になっている。この人物……、いや人ではない存在が兵たちを殺戮したのは間違いないだろう。
「……そう。私は最近この辺りを拠点としている者。美しい湖がひっそりと樹林の奥に佇んでいてね、汚されたくない。人間の争いには関心がないのだけれど、一方的な蹂躙は紳士ではない」
「我々は、その我が軍の暴走を止めにきました。この国を荒らすことはありません」
美しい緋色の瞳は、全く動かず私を捉えている。身が竦む。
何故だかこの傾城の前では、恐怖で頭の芯が痺れて考えがまとまらなくなる。足元が崩れそうだ。私は真っ直ぐに立っているんだろうか?
頬を伝う冷汗が地面にぽたりと落ち、相手の視線は我々全員を巡る。
「宜しい。信用できる者達のようだね。人間が私の魔力を浴びて嘘をつく事など、出来もしないだろう」
端正な笑みを浮かべ、すっと宙に浮いた。
「私はアスタロト、地獄の大公。その残骸は片づけておいてもらおうかな。では君達の活躍に期待させてもらおう」
地獄の大公……!? そんな恐ろしい悪魔がモルノ王国に居るなんて、知られていない! もう少しで我が国を滅ぼす所だったんではないか……!?
「殿下……参りましょう、長居は無用です」
立ち尽くしていた私に、ヘイルトが促した。木の太い幹に座ってこちらをまだ眺めている大公アスタロトは、踵を返した私たちに向けて、言い忘れた事があると言葉を落とした。
「君達が言う“伯爵”に当たる人物は、ここへは来ていない。それともし、君の弟が再びこの国に足を踏み入れるなら、私の弓の的になってもらう」
「それは御親切に、ありがとうございます」
ヘイルト、何その返事の早さ。教えてくれてありがとうと、後者は是非ともやってくれって意味だよね?
悪魔はクスリと笑ったような息をもらし、それ以降は何も言わなかった。
結局ピュッテン伯爵の足取りは掴めずじまいだ。
我々は統治軍のほとんどを引き上げさせ、ぺラルタ准将に後のことを任せて警護兵達と国への帰路に着いた。彼ならば私の意を汲み、統治ではなく復興に力を注いでくれるだろう。畜産や農業、林業が主力なこの国だ、荒らされた畑と壊された家の再建をしないと、たちいかなくなってしまう。怪我人の手当て、殺されてしまった人間の埋葬……。色々としなければならないことが、沢山ある。
今回はまだ早く止められたから被害が少ないが、弟のシャーク皇子が皇帝になれば、更なる暴虐を行うようになるだろう。絶対阻止しないとならない。
私は皇帝になる為に、力を尽くす。新たに決意した。
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