第156話 草原にて(ルシフェル視点)
「さて。人間の事など私はあまり興味がある訳でもないのだが、どうにも腑に落ちないね」
「ルシフェル様は彼女たちが襲われた場面に居合わせ、助けに入られましたね。何かおかしな点が?」
ベリアルの契約者の護衛をする、紺の髪の剣士が私に尋ねる。
私は彼女達を見掛けた状況について思い出していた。
森を散策していた時のこと。静寂を破る悲鳴が私の耳に届いた。近づいてみれば、女性二人が走って何かから逃げていて、周りには地獄のものの気配がしている。
木々の間から姿を現したのは、双頭の地獄の犬、オルトロス。それが五頭ほど。
女性達はあれらと戦う力がないのだろう。既に諦めた様子にも見受けられたね。私が止めに入るとオルトロスは大人しく下がって行き、召喚術師もある程度を察して、戦わずして逃げて行った。
しかしその時に、余計な一言を落として。
「襲撃者が去り際に、あの方が王になる為だと、勝手に喋って行ったよ」
「それは、随分とお喋りな刺客ですな」
魔導師の男が訝しんだ。この男はベリアルの契約者の弟子らしいが、控えめで気の利く、なかなか使える人間。
「つまり、第一皇子派が犯人と思わせたいのですな。それで得をする者。……私の予想では、婚約者であった第二皇子派の者達でしょう。ロゼッタ・バルバート侯爵令嬢を殺害し、その罪を第一皇子に着せるつもりかも知れません」
紺の髪の剣士は、顎に手を当てて深く考えながら喋っている。
「皇帝陛下は、“ロゼッタ・バルバート侯爵令嬢との結婚式後に戴冠式を行う”と発令されたそうなので、捉えようによっては彼女との結婚が皇位を継ぐ条件、とも受け取れます。もしも婚約破棄に至った彼女と第一皇子が結婚することになれば、皇帝陛下の真意は図りかねますが、跡継ぎは第一皇子と主張する事ができるでしょう。彼女を殺せばその可能性が減る上、罪をかぶせて断罪できる。サンパニルにも彼女の仇を討ったと、恩を売ることが出来ます。真偽はともかく」
こちらの男はなかなか鋭く、良く情報を集めているね。
彼女、イリヤは有能な者を傍に置く。良い事だ。
「……ふむ、なるほど。ならばまた狙われるであろうな」
ベリアルは楽しそうだね。襲撃されるのを待っているのかな、彼は。
「諦めたように見せていたけれど、まだ油断は禁物だろう。せっかく助けた者が殺されるというのも、後味が悪い。注意してくれたまえ」
「はっ」
「勿論ですが、私はイリヤ嬢の護衛です。もしもの際は、彼女の安全を最優先にいたします」
魔導師の男と剣士の男は、頷いて私に答えた。一見軽そうな剣士の男は、実はかなり慎重に思考し、答えを選ぶ。
「確かにそうだね。あの令嬢の護衛の、生き残りでもいれば良いのだけれど」
儚い望みだろう。そしてもし生存者がいても、この二人に代われる戦力などないだろうね。
「敵など我が蹴散らしてくれるわ! あまり脆弱でなければ良いのだがな」
楽しそうに笑うベリアルだけど、君がてこずるような刺客を送れるわけなど、ないだろうに。
だいたい君は身を守ることを含めた契約を交わした契約者が居るだろう、全くすぐに遊び過ぎる。
さて、人間の事は人間に任せよう。
私は邪魔された森林浴の続きをしようかと考えたのだけれど、再び同じ場所に行くのもつまらないので、草原に行ってみることにした。ただ広いだけで建物も何もない草地なんて、地獄にはないからね。地面に立っても遮へい物がない景色も、いいだろう。
しばらく移動していると、反対側から天使の気配が近づいて来た。向こうも私の存在に気付いたのだろう、こちらに向かってくる。
ウェーブした腰まである長い金の髪、青い服にブーツ、上品な白い手袋。
「ルシフェル様……! お懐かしゅうございます」
「ガブリエル。召喚ではなさそうだ、啓示に降りたね」
四大天使の一人、神の使者として預言を伝達する為に地上へと降り立つ天使、ガブリエル。突き抜けるような青い瞳の女性だ。
彼女は私を嬉しそうに見ている。
「天にお戻り下さい、ルシフェル様! 輝ける貴方には、地獄よりも天の栄光こそがお似合いになられます」
「……地獄も悪くない。神の下に居るよりはね」
「ルシフェル様はあの友を気取る、邪悪なベリアルに騙されているんです! 皆、ルシフェル様の御戻りを心よりお待ちしております」
ガブリエルは必死に訴えてくる。
なんて高慢で煩わしい。
「……ベリアルは、地獄に落とされた私を配慮し、駆けつけてくれた友。地獄の者ならいざ知らず、君達に卑下されるのは非常に不愉快だ……!」
私の怒りを感じたガブリエルは、息を飲んで一歩下がった。
「も、申し訳ありません……、しかし……」
「忘れてはいないかな? 私と敵対したのは、他でもない君達だ。今更なかった事になど、奇跡が起きてもならないだろう。もしも私と共に在りたいのならば、地獄の住人となることだね。他に方法などないよ」
「……ルシフェル様」
彼女は弱々しく私の名を呼んだ。
「その名は今や、地獄の王の名。皇帝サタン陛下と共にある者の名と覚えなさい」
それだけ言い捨てて、彼女の脇をすり抜けて去った。ガブリエルはしばらくその場にとどまっていたようだが、諦めて天に戻って行った。召喚されたのでないなら、神の言葉を届ければ、あまりこの世界に滞在する猶予はないだろう。
風が爽やかに通り抜け、背の低い明るい萌黄色の草が大地を覆い尽くして、碧空との境目には白く輝く雲と、遠く並ぶ木々が色を落として主張している。
草原とは予想していた通り、なかなか気持ちのいい場所だ。
今回は色々と邪魔が入る滞在になっているけれど、ようやく落ち着いた気持ちになれる。午後の傾いた太陽は遮るものが無く、均等に注いでいる。
「……で、君はそこで何を待っているのかな?」
「散策のお邪魔かと思い、声をかける事を控えておりました」
少し離れた場所に、真っ白く裾の長いコートに身を包み、月光のようなプラチナの髪を三つ編みにした人物が立っていて、私が言葉をかけると恭しく礼をする。
「どうも色々な者に会う日だね」
「……ガブリエルが帰って行きましたね。私もルシフェル様にご挨拶など、させて頂きたく」
瞳は熟れた月のような赤。
草を踏み分け、ゆっくりと近づいて来る。
「君も召喚されていたとは。この辺りにいるのかな?」
「いえ、山脈を越えた先の国におります。少々戦乱などがあり、疲弊しておりますね」
「それは騒がしい事だ。君は争い事は好まないのだったね」
しかしそんな場所から私がここに居る事など、解るはずもないだろうに。何かこの付近に用事でもあって、来ていたのかな?
「さすがに人間の争いなど関知いたしませんが、私の領域を荒らす者には相応の罰を与えさせて頂きました。こちらに来たのは、ベリアル様が契約していらっしゃると、噂を聞いたので。まさかルシフェル様までいらっしゃるとは」
ベリアルはあちこち移動しているみたいだからね、何処かで耳に入ったのか。
「パイモンの件でね。近い内に地獄に戻る予定だよ」
「そうでしたか、あちらにいらっしゃるご予定がおありでしたら、私のサバトにお誘いさせて頂こうと思っていました。残念ですが仕方ありません」
すぐ隣にきて私の手を取ると、何故か跪いて手の甲に唇を付けた。
挨拶……?
「こういう挨拶は、されたことがないね」
「いつもは王の方々がお近くにおられ、お傍に寄る事が叶いませんでしたから」
立ち上がって満足そうに微笑み、ゆっくりと宙に浮く。
「失礼いたします」
すっと飛んで、空中で胸に手をあて、ゆっくりと礼を執っている。
相変わらず変わった女性だね。
もともとは女神だったのだけれど、地獄に来てからは男装をしている。似合いすぎて、彼と言っていいか彼女と呼ぶべきか、解らないな。
真っ白いコートが夕闇の迫る空に消えた。
日の暮れる時刻だ、私も戻るとしよう。
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