第155話 婚約破棄令嬢と悪魔(ロゼッタ視点)
はあ、はあ、はあ……
「お嬢様、大丈夫ですか?」
移動していた馬車が、中央山脈の森の中で唐突に襲撃を受けた。護衛団は即座に応戦し、襲われた馬車から私を逃がしてくれて、私は三人の護衛の男性と、振り向かずに必死で走ったわ。
その三人も追って来た敵と交戦状態になり、いま一緒に逃げているのは、私の専属メイドのロイネと私、二人だけ。
「お嬢さんの足で逃げきれるわけないと思うけどねぇ、がんばるね」
ガザガサと落ち葉を踏み分ける音と、男の声がする。もう追い付かれてる!?
でもこの男は呼吸が乱れてないわ。待ち伏せされていたのね!
「さあ、地獄の犬ども。狩りの時間だ!」
オルトロスという名の、普通の大型犬くらいの大きさで、頭が二つある毛の黒い犬が五匹ほど木々の間から姿を現した。あの男は召喚術も使うの!? 召喚していた様子はなかったと思う。召喚してあって、山に放してあったのだろうか。もし普通の人が近くにいてこの犬の目に入ったなら、すぐに食い殺されるのに!
口を開いて真っ赤な舌を垂らし、五匹は一斉にこちらへ向かってくる。
「お嬢様、ここは私に……!」
メイドのロイネが私を庇う様に、立ちはだかった。彼女は魔法を多少使えるとはいえ、そんな猶予なんてもうなかったし、そもそも敵を倒せるほどではないわ。
「ロイネ……!」
貴女が犠牲になったって、もう私は助からないわ!
「早くお逃げに」
「やめて!! 私が目的なんでしょ、彼女は逃がしてあげて……!」
必死の懇願を、男は笑いながら聞いている。
「残念だねえ、こいつらはもう止められないのさ!」
「……地獄の犬に、人間の味を覚えさせるのは良くないね」
「……誰!?」
突然どこからともなく、若そうな男性の声がした。
思わず辺りを見ると、スッと葉の間の空から青年が降りてくる。
銀の髪、透き通る宝石のような水色の瞳、白いローブ姿に青いケープ。
「このような狩りは好ましくない。帰りなさい」
青年が私たちの前に立ち手を出して告げると、走っていたオルトロス達は立ち止まって、ゆっくり下がり始めた。
どうなっているの? なぜ契約者でなく、彼の言う事を聞くの?
「……まさか、この男は……、爵位ある悪魔!」
「ならば、君はどうするのかな?」
悪魔?この天使みたいな人が!?
召喚師の男に向けられているのは柔らかい笑顔だけど、むしろそれが怖い。
「いや、敵対するつもりはない! 撤退する、いいか女ども、国に戻ろうとなどするな! あの方が王になるため……」
男はそう言い残して、五匹の地獄の犬を連れて来た道を戻っていた。私は完全に姿が見えなくなったところで、やっと少し落ち着いた。
「あ、すみません……、ありがとうございました。助かりました」
「いや。女性を狩りの獲物にするなど、品がない」
ロイネもホッとしたみたいで、足が震えて座り込んでしまった。
「私、ロゼッタ・バルバートと申します。彼女はメイドのロイネです。宜しければ近くの町へ行く道はどちらか、お教えいただけますか?」
「すぐ先に整備された道がある。それを広い道を選んで進めば、問題なくふもとの町に出るはず」
男性が示した先はまだ木や草しか見えないけれど、ちゃんとした道があれば迷わないで済みそうね。折角助かったのに、遭難したんじゃ意味がないわ。
「君達は二人だけなのかな?」
「……護衛や他の者は、全て殺されたと思います。馬車を襲撃されて……」
「なるほど」
生きていたら、追いかけて来てくれるわよね……。とはいえ、この男性に頼るわけにもいかないわね。悪魔だというから何か交換する物や条件が必要だし、馬車の馬はやられてしまっているから、結局歩くしかないのは一緒だわ。
「とにかく、まずは二人で人のいる所を目指します。それから、助けを呼びますわ」
「人を呼ぶくらいならば、私がしよう。君達は町を目指して歩いていたまえ」
「なら一緒に……」
男性はすっと浮いて、空に消えて行った。そうだわ、飛べるのね。私ももっと飛行魔法を練習すれば良かった……! 文化や歴史、マナー、色々な勉強はさせられたけど、こんな時に役に立つ知識が全くないなんて……。
情けない気持ちで二人でただ、黙って歩いた。他に誰か、一人でも多く助かれば……。下に落ちている木の枝でスカートの裾がほつれたり、土や葉っぱなどで薄汚れたけど、気にならなかった。
説明された通りに整備された道に出て、カーブを描く下り坂を歩いていると、今度は空から男女が現れた。
「あの方達ね、セビリノ」
「そのようですな」
飛行魔法を使える魔法使いを、こんなすぐに寄越してくれるなんて。あの悪魔の青年は、どんな方だったのかしら?
「お初にお目にかかります、イリヤと申します。この度は災難に遭われたそうで……」
「師匠、挨拶よりもまずは移動しましょう。追手がまだ隠れていないとも限りません」
薄紫の髪の女性はイリヤと言い、白いローブを着ている。師匠という事はこの紺のローブの男は弟子だろうけど、彼女より十歳は年上に見える。背も高いし、なんだか威圧感があった。
「お二方、どちらか馬に一人で乗れますか?」
「わ、私は乗れますけど……?」
馬なんて連れて来ていないのに。不思議に思いながら答えると、弟子の男は召喚の座標を用意しはじめた。召喚師でもあるのね。
「呼び声に応えたまえ。閉ざされたる異界の扉よ開け、虚空より現れ出でよ。至高の名において、姿を見せたまえ。いでよ、麒麟」
麒麟!? かなり珍しい瑞獣よね。馬に乗れるかって、まさか麒麟に騎乗するわけ?
鹿のような姿だけどもっと大きくて体が太く、顔は龍に似た感じで、牛のような
馬に乗れれば、麒麟も走らせられるものなのかしら……。
大人しそうな顔して、とんだムチャ振りね。麒麟の方が大きいし、跨るのも出来るかわからない。どうしようかと考えていたら、不意に上空を何かが横切ったようで、影が通り過ぎた。
「お、お嬢さま……、ワイバーンです」
ロイネが震えながら指さす。大きな翼を広げた飛龍、ワイバーンが空を旋回している。飛龍の中では弱い方だけど、倒すのは難しい。
「だ、大丈夫よ。確か渓谷なんかに住むのよ。木がたくさん密集してる場所では、滅多に下りてこないわ」
「ご心配には及びません、私のワイバーンです。今エクヴァルが乗っています。二人乗りできますから、もうお一方はワイバーンに乗って頂きます」
わたしのワイバーン。初めて聞く単語の組み合わせだわ……。ロイネはワイバーンに乗るの? 私、麒麟で良かった。物静かだし、理性的な聖獣らしいもの。
男性の手を借りて、なんとか麒麟に騎乗できた。高いけれど安定するし、これならば大丈夫ね。
ロイネは男性に抱えられて飛び、ワイバーンの背に降ろされていた。空中を優雅にゆっくりと飛ぶワイバーンを追いかけながら、音もなく麒麟が山を駆け抜ける。馬よりも振動が少なくて、早いわ。乗ってみると、とても快適よ!
小さな村を二つ三つ通り過ぎて、辿り着いたのはしっかりとした門のある比較的大きな町だった。レナントという、チェンカスラー王国の交易路にある町。どうやら先ほどの悪魔が彼女に事情を説明してくれて、彼女達からこの町の守備隊に連絡してくれてあったみたい。山越えの道中で盗賊に襲われた、という話になっていた。
私はすんなりと通してもらえて、とりあえず彼女の家に案内された。守備隊長が帰ってきたら、事情を聞かれる。どこまで話していいのかしら……。
今は守備隊長が兵を連れて、森に生存者の確認に向かっている。国境を越えてから襲ってきたところを見ると、やはり向こうの国から来てるのよね。賊は山の向こう側に逃走しただろうけど、残党がいないか森の中の捜索もしないといけない。
ワイバーンに初めて乗ったロイネは、足はヨロヨロしてたけど高さに興奮していたわ。怖いけど楽しかった、ですって。すごいわね、私はムリよ……。
「改めて御礼申し上げます。私はロゼッタ・バルバート。森林国家サンパニルの、バルバート侯爵の娘です」
私の自己紹介を聞いたエクヴァルという男性は、弾かれたようにこちらを見て声を荒げた。
「……バルバート侯爵!? では貴方は、ルフォントス皇国の第二王子の婚約者では!?」
「よく、御存知で……」
どうせ詳しくは知られていないだろうと思って名乗ってしまったけど、軽率だったかしら。でも助けてくれた悪魔の様子や飛行魔法を使える事から、彼らはかなりの人物だわ。兵と違って報告の義務はないわけだし、相談する相手にちょうどいい気がするの。
ここに居るのは、先ほどのイリヤという女性と弟子の魔導師の男、この剣士の男性と女の子の小悪魔、そして二人の男性の美形悪魔。
「失礼、美しいお嬢様。良い縁談だと噂になっておりましたよ」
チェンカスラー王国でまで? ちょっと胡散臭い男ね。情報屋の類じゃないでしょうね。もしかして、彼女たちのお抱えの情報屋?
「……婚約は破棄です。殿下は、制圧したモルノ王国の第五王女を正妃になさるおつもりですわ」
「……それは……、考えられない事態だ。結婚式に引き続いて、戴冠式を行うという噂だった。つまり、サンパニルの令嬢と婚姻を結び、ガオケレナなどの主要輸出品目に関して影響力を持つことが、皇帝を継ぐ条件だと推測したのだが。その上バルバート侯爵は、武勇の
この男はやけに詳しいわね。助けてもらったけど、敵か味方か解らないわ。でも父上を褒められるのは、気持ちがいいわね。
「それはエグドアルムに関係があるのかね」
赤い悪魔が男性を見た。エグドアルム? 最北の魔法大国だわ。
「……ガオケレナの輸入を視野に入れておりまして、戦乱が収まるのを待っていたのですが……、やはり皇位継承争いが続きそうですね」
「まだ皇位争いが続くのですか? それがサンパニルの影響もあると?」
私は思わずエクヴァルという、この紺色の髪の男に訪ねた。結婚すれば皇位を継げると聞いていたわ……。さっきも彼が色々と推理してたけど、皇帝を支える伴侶として現皇帝の認める妻を先に得られた方が、という単純な話ではなかったの?
「私はそう思います。サンパニル側は正妃に決まっていた侯爵令嬢との婚約を破棄し、追っ手を掛ける様な真似をしたとなれば、この先諾々と従ってはないでしょう。そもそも、モルノ王国の第五王女とでは、皇妃としての価値が違いすぎる」
ルフォントス皇国は、そんなにサンパニルと親しくなりたかったのかしら。
「追っ手を掛けたのは違います……」
「……誰か解りますか?」
イリヤが気遣わしげな視線を送って来る。
「私は、正妃になれないなら婚約は不履行です、とこちらから申しました。元々そんなに好きになれない方でしたし。殿下は“可愛い彼女に出会った、妻は彼女しか考えられない。お前は国との繋がりの為に、仕方ないから後宮に入れて側室にしてやる”と仰ったんです。私にも、プライドがあります……!」
「……聞きしに勝る愚かな皇子のようですな……」
「全くです」
呆れる紺の髪の男に、頷く魔導師の男。本当にそうよね!
「最初にこんな素敵な女性と結婚したいと、断れない立場の私に公式に婚約を申し入れてきたのは、あちらでしたのに! しかも兄である第一皇子は、私と第二皇子が万一にも結ばれて皇位を継承されないよう、追っ手を仕掛けてきたのです……! 私はもう、ルフォントス皇国など関係なく生きたいのに!」
「お嬢様、落ち着いて下さい」
ロイネが背中を撫でてくれた。
私達を助けてくれた銀の髪の悪魔が席を立ち、スッとドアの方に向かう。
「男二人、それとベリアル。話し辛い事もあるだろう、女性だけにしてあげよう。私達は少し狭いが、二階でしばらく待とうか」
青年の悪魔は、気を使って二階に行ってくれたわ。いい悪魔だったのね。
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