第148話 ルシフェル様、召喚(セビリノ視点)

 師匠たちが地獄の王パイモンと戦闘を繰り広げる中、私は見つかって阻止されぬように、こっそりと人目につかぬ森へ向かった。この距離が本当に苛立たしい。地獄の王との戦いなど、一秒が生死を分けるだろう。

 バアル殿がいらっしゃるのは、夕方から夜になるという話だった。とても間に合わぬ。まさかこんなにも早く、戦端が開かれるとは。しかし焦っていても仕損じるだけだ。私の役目に集中せねばならん。


 私の役目。それは地獄の王、ルシフェル様の召喚。

 このパイモンという王はベリアル殿を目の敵にしているが、ルシフェル様に対しては王の中でもとりわけ忠実であるのだとか。とにかく、バアル殿かルシフェル様に止めて頂くしかない。戦いが長引けば、いい結果を生むことはない。


 完全に見えぬ場所に座標を描き、ルシフェル様の召喚の儀を執り行う。

 銀色の光が溢れて、天使と見紛う神々しくも見目麗しい悪魔が姿を現した。


「ルシフェル様! 地獄の方は宜しいでしょか? 戦いが始まってしまいました。もはや一刻の猶予もございません」

「……天の監視の目もあるというのに、よもやベリアルと戦おうとは……。すぐに向かおう」

 ルシフェル様からはいつもの笑顔は失われて無表情でいらっしゃるが、抑えながらも立ち上る魔力が、怒りを表現しているようであった。

 地獄での戦闘は終息したようで、あとは部下に任せてあるとの話だ。飛行魔法で戻ると、何やら恐ろしい戦闘が繰り広げられていたような。師の防御は破られ、何か他の魔法を唱えておられる。防御ではない。アレは……?


数多あまたさんざめく散りばめられし天の宝玉、幽玄の夜闇に微睡まどろむ星座よ。悠久に相応しき掉尾ちょうびを飾れ。無常の風は生あるものを誘い、全ての灯火を消しゆく。時は等しく終わりを刻むものなり」


 中空ではベリアル殿と例の魔王、パイモンが戦っている。ベリアル殿の衣服は切り刻まれ、いつもの赤いマントも付けておられぬ。パイモンという地獄の王の方も服が切れたり焦げたりしていて、傷が多そうなのはベリアル殿だが、現時点で余裕がないように見受けられるのはパイモンの方であろう。


 二人は魔力の応酬をしていて、弾かれた烈風が木を薙ぎ倒し、赤黒い火が地面の草を燃やし、あちこちに果実のように紅にくゆる。時折フェン公国の兵たちの防御魔法にも激しい炎や刃よりも鋭い風が当たって、ガチンと小さな爆発が起こっていた。

 ベリアル殿の剣がパイモンに掠り、シャツが破けて煙が細く立つ。パイモンは圧縮して威力を強めた鋭利な風を幾つも向けるが、しゅるしゅるとベリアル殿の闇の前にしぼんで微風として流れた。


「なぜ効かない!!? ベリアルめ、うおおおぉぉ!!!」

「解らぬかね? 故にそなたは、未熟であるのだよ!」

 手に魔力を一気に集め、打撃とともに打ち込もうとするが、直線でベリアル殿の姿は消えて空を切る。直後、消えた筈の場所に現れ、パイモンの腹に闇の魔力の一撃をくらわせた。

「うぐっ……!? くそおお!」

「……小娘め、黙っておれば良いに何かしておるな」

 打たれた腹を押さえるパイモンから、ベリアル殿がスッと遠ざかった。師匠の詠唱が完成される。どのような魔法であるのか!?


「星よ墜ちよ、燃え尽きてその身、無に帰すまで。地に汝の証を刻み、荘厳なる天災となれ。壊滅せよ! メテオ!!」


 何も起きぬ……?

 訝しんでいると、青を讃える天から何かが降って来る。岩?

 そうだ、今確かに師はメテオと仰った。人には完成させられぬと言われている、メテオ系の魔法!? 師はいつの間にこのような詠唱を!?


「……あれは、私の呪法……。一度で写し取ったというのか……? あきれる才能だね」

 さすがのルシフェル様も、これには目を疑っている。一度見た地獄の王の呪法を写し取る。以前もやってのけたが、本当に我が師は才気煥発さいきかんぱつな御方だ!!

 そして私が、その一番弟子!


「あ、あの魔法は!? 女あああぁァ! なんと傲岸不遜な……! 許されない、こんな真似をして……!!」

 パイモンに当たり、とてつもない爆発が起きた。熱と爆風が大音響とともに押し寄せ、王の攻撃の余波になんとか耐えていた兵たちの防御魔法は、ついに破れた。師匠の防御魔法は切れていた状態であったが、近くに居たフェン公国のアルベルティナが防御を張り、岩の欠片などからも守られていた。

 師匠、御自身が巻き添えになるのは悪手ですよ……!


「暁よ、空を焼け。天を血の朱に染めあげよ。私はルシフェル、光をもたらすもの。注げ、終焉たる雲間の閃耀せんよう


「ぬ? この物騒な光属性の宣言は、ルシフェル殿であるな。間に合ったか」

 ルシフェル様は私の横からフイと飛んで去り、二人の王の間に向かった。ベリアル殿に下がるよう手で制して命じ、水色の瞳を冷たく凍らせ、痛手を負ったパイモンを捉えた。


「ルシフェル様……? なぜこちらに」

 問い掛けようとしたパイモンの周りに光の輪が浮かび、狭まってきゅうと締め付ける。突然の事態に身じろぐが、光の輪はびくともせず更にきつく戒める。

「……パイモン……! よくもこの私の顏に泥を塗ってくれたね。帰還要請を無視し、それだけには飽きたらず、戦いを続けるとは」

「それは、契約が……」

「契約内容については、あとで審議しよう。そこではない」

 弁明をしようとする言葉を遮り、ルシフェル様はゆっくりとパイモンに近づいた。先ほどまで暴れていた地獄の王は、もはや顔色を失っている。


「ベリアルのその称号は、天との戦いに備えたもの……。それを契約者を盾に取るような真似をして、天の監視の目に晒すとは。皇帝陛下に申し開きようもない……!」

「も、申し訳ありません」

「申し訳のない事を、何故するのかな?」

 光の輪に捕らえられながら頭を下げるパイモンに対し、一切の慈悲も感じぬ声色で断罪を続ける。


 パイモンはもう言葉も出なくなっていた。

 傍若無人だった地獄の王パイモンの振る舞いの変化に、極限まで緊張していたフェン公国の兵士達が、顔を見合わせながらボソボソと話している声が聞こえる。


「……此度の失態! 許しがたい!!!」

「……っ!」

 ルシフェル様のいつにない怒号が飛ぶと、魔力の風が起きローブがはためいた。バチンとパイモンの体で光が弾け、彼は目を閉じて何かをやりすごすような仕草をした。

 とてつもない魔力を秘めた御方だ、ここで激昂されるとどんな事が起きるのか解らない。できれば続きは地獄でして頂きたいのだが。


「あの~、天の監視なら防いでありますけど……?」

 師匠が離れた場所から、ルシフェル様に声を掛けられた。

「……防ぐ? そんな簡単なものでは……」

 言いかけて気付いたようだ。実は戦闘が始まる前に、監視の目を防ぐ魔法を掛けておられたのだ。天の監視がされている事は報告されていただろうから、その目から反らされているとは思わなかったのだろう。


「雲よ、路を開け。光は天よりただ注ぐものなり」


 師匠が魔法の効果を終わらせるための詠唱を唱えると、変わらぬ天の、大気のような何かが動いた。

「まさか、人間である君が……」

「クローセル先生より、ベリアル閣下の称号の事、そしてそれは天との最終決戦に備えた重要機密であることは聞き及んでおります。天に知られるわけにはいきませんので、その時に備えた魔法を開発しておきました」


 なるほど! 師はこのような事態を想定し、自ら開発されていたのだな。さすが師匠、素晴らしい先見の明だ。私は師と共にある時間の分だけ、師の稀有な才能に触れられる!

 ルシフェル様もこれには感心し、頷いている。


 地獄の王パイモンは契約を終了させ、地獄に帰す。地獄で裁定を下してもらう事になった。あんなに意気軒昂いきけんこうだった パイモンは、すっかり畏縮して大人しく契約者の手で地獄へ戻った。

 契約者は既に憔悴していてやっと歩いているような様相だったので、私が代わりにと申し出たのだが、ルシフェル様はこの程度の始末はつけてもらうと、代わることを許されなかった。


 これで一件落着かと思った時だ。どうやらバアル殿らしい、とてつもない速さで飛んで来る魔力の塊があった。

 巨大な何かが地面に落ちたような衝撃と、振動や埃が起こった。


「ルシフェル様、遅れて申し訳ありません! 手間取っておりまして……。パイモンはどうされましたか?」

「バアル、ご苦労だったね。一足遅かったよ、パイモンは地獄に戻した。この後の話し合いがあるだろう、君も参加したまえ」

「ははっ!」

 跪いて礼をするバアル殿。


 この後はパイモンの契約者と、フェン公国の代表を交えた事態の説明などがあるようだ。我々も参加するのだろうな。師匠は落ち着かぬ様子で、どうしたら良いのか解っておられないようだ。

 それにしても、フェン公国の代表は地獄の王三人が同席する会議になるのか。我らはまだ多少慣れているが、なかなか気の張る会議だな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る