第145話 兆し

 ビナールが私の家にやって来た。わざわざ秘書を連絡に寄越してくれて。


「実は、フェン公国に行きたいと思ってる。向こうからも話があってね」

 これは最悪のタイミングだ。そろそろ危険が迫ってそうだし。

 なぜかビナールはチラチラとセビリノを見ている。私が座るソファーの後ろに立つエクヴァルも、彼の視線を不自然に感じてるみたい。

「あまりお勧めできませんが……」

「そうだろうなあ。ところでイリヤさん。あの、セビリノ……様と仰る方は、イリヤさんのお弟子さんだそうで」

「はい」

 様だ。セビリノ様だ。宮廷魔導師って知ってるわけじゃないんだよね?


 彼はハーブティーを淹れてくれている。アンニカの方が、これは得意なのよね。

「商業ギルドで話を聞いて頂いたんだけど、少し事情が変わってね」

「と、申しますと?」

「フェン公国に、軍事国家トランチネルからの難民が押し寄せているそうだ。小さい国だから対処しきれないらしい。そこで、こちらにも受け入れてほしいと要請があってね」

 地獄の王が暴れているから、逃げて行ったのね。でも、次に狙われると思わるのが、そのフェン公国なんだけど……!


 要するに、ガオケレナの輸入や他のアイテムの輸出入に関する交渉と、難民の受け入れなんかの話し合いをしたいようだ。まずは食料や生活必需品の支援が欲しいみたい。そして、地獄の王に対する対策の相談。難民の受け入れに関しては国の上層部で会議中なので、すぐには結論が出せない。


「……時は来た、と言うところかね」

 ベリアルがやって来て、私の隣に足を組んで座った。

「それはどういう意味でしょう?」

「そろそろアレも動く頃合いであろう。ビナールとやら、そなたは行ってはならぬ。我らが参る」

 フェン公国に行くタイミングだと感じたのね。突然の提案だし、ビナール本人には行くなというので、相手は戸惑っている。


「しかし、打ち合わせもありますし、それは……」

「打ち合わせなど、そのエクヴァルに任せておけ。相手は地獄の王である、どのようになるかは解らぬ」

「王……!! では王が召喚されているので!? それでは皆さんも危険では!!?」

 さすがのビナールも、かなりの狼狽ぶりだ。対するベリアルは涼しい顔をしている。

 

「危険は承知の上よ。我はアレの監視を任されてしまっておる故な。これ以上は捨ておけぬ」

「ベリアル殿、貴方はもしや……」

 ごくり、と唾をのむ。その先を尋ねる事はなかった。


 パン、とエクヴァルが手を叩いて意識を変えてくれた。

「では、フェン公国との会議については、此度は私に任せて頂きます。後日改めて会談する約束も、取りつけましょう。悪魔の対策は、ベリアル殿とイリヤ嬢に。セビリノ君は、自分の仕事をしてね」

 エグドアルム王国の、ガオケレナの輸入の件も忘れるなよって事だろう。


 エクヴァルがビナールと打ち合わせをしてくれる。詳しい話は明日、彼の本店で国の人も来てするらしい。不足しているガオケレナに加え、難民問題もあるから。

 近日中に、フェン公国へ行くことになりそうだ。いつに決まってもいいように、心の準備をしておこう。



 台所で一息ついていると、今度は明るい男性の声でこんにちはと聞こえて来た。

「はい」

「久しぶりで~す、イリヤ先生! 師匠のお礼に来ました」

 防衛都市の筆頭魔導師、バラハだわ。ミスリル製の杖に黒い宝石を埋めて、黒いローブを着ている。

 海洋国家ドルジスで彼の師匠が使ったエリクサーの製作者が私だと、カステイスとイヴェットに聞いたのだろう。


「遠路はるばる御足労頂きまして、ありがとうございます」

「もうさ~、先生なんだから敬語なんてやめて、ガツンと喋ってよ」

 ガツンと喋る。どういう喋り方だろう。

 とりあえず中に入ってもらって、椅子をすすめる。

「別に先生じゃないですよ」

「大丈夫! あの薬は私の現在の先生の作ですって、師匠に伝えたらすごく感動してたから。問題ないよ」

 意外にも周りから固めてくるタイプ!


 こちらの戸惑いなど気にせず、笑いながらバラハが箱を渡して来た。

「これ、お礼の品でっす」

「ありがとうございます、何かしら……」

 ふたを開けてみると、中に入っているのはソーマ樹液やモーリュなどの素材類! 状態もいいし、これは助かるわ。

「嬉しいっ! 頂いていいんですか?」

「うん、こっちも受け取ってね」


 薄い木の箱に入ったそれは……勲章?

 四角の中央に丸い宝石が埋め込んであり、十字にも見える様な、花弁のような模様が角に向かって三枚ずつ、縦長に描かれている。

「国に貢献した人に贈られるやつ。防衛に協力してもらったから。目立ちたくないだろうし、代わりに私が叙勲式に出ておいたから、安心して」

「叙勲式……!? いつの間にそんなことしてたんですか!?」

「ランヴァルトとね、お礼を考えてたんだ。アイツが上手く正体を誤魔化したまま、勲章が貰えるように手配してくれたよ。防衛都市は機密が多いからさ」

 別にそんなに無理してくれなくても良かったんだけど! 素材だけで十分だし。別に私は勲章を収集してるわけじゃないし。

 

「師匠、バラハ殿ですか?」

「あ、セビリノ。そうなの、勲章貰っちゃった」

「アーレンス様!」

 バラハは憧れのセビリノがやって来て、跳ねる様に姿勢を正した。セビリノは全くそちらを見ていないんだけど。

「さすが師匠です。ところで、バラハ殿に例の魔導師について、聞いてみては如何でしょうか?」

「あ、そうね。バラハ様、以前広域攻撃魔法で防衛都市を襲撃した魔導師を捕らえ、ちょうどルシフェル様がいらっしゃった時に、釈放されてましたよね」

 私が尋ねると、バラハは思い出したらしく眉を顰めた。


「……ああ、あのふざけたヤツ。覚えてるよ、扱いが大変だったんだ。文句が多いし、魔力が強いから下手に移動もさせられないし。どんな手で逃げるか解らないからさあ」

「彼は、ニジェストニアで危険な薬のレシピを販売していて、指名手配されているんです。行方について、御存知ありませんか?」


「いったん国に戻ったけど、確か今度はこっちに来て中央山脈を越えたらしいね。もうこの辺りにはいないよ」

 もしかして、指名手配されることも見当がついていたのかな? 逃げるようにいなくなったみたい。バラハ達は足取りを追ってたのね。

「で、どんな薬のレシピを売ったの?」


「……ゾンビパウダーです。解毒薬も一緒に」

「……うわあ、国際問題になるじゃないか。とんでもないヤローだね、ホントに!」

 どんな知識があるんだか解らない、追い出しちゃって良かったよ、と笑うバラハ。国にとって有害じゃ無ければいいみたい。地獄の王を見て恐怖を感じてたし、チェンカスラーには来ないよね。


 やっぱり足取りは追えそうにない。気になるけど仕方ないわね。

 確かに、会わないならその方がいいかな。

「あ、ところでイリヤ先生。上級以上のマナポーション類って売ってもらえない? 不足しててさ。現在フェン公国からのガオケレナの輸入が止まってるでしょ、他国から多少は来るけど、足りてなくて」

 マナポーション類。こちらも地獄の王と会うかも知れないんだし、ネクタルを作らないといけないから素材が足りなくなるし、今はちょっと無理だな。


「すみません、使うかも知れないんでお譲り出来ないんですよ」

「……なんか、ヤバイ戦いの予感!」

 さすがに鋭いな。話していいのかな? セビリノを見ると頷いてるから、いいみたい。バラハならいい加減だけど、お喋りじゃないしね。国防に関わる人だから、そろそろ知ってた方がいいのかも。


「ここだけの話ですけど、トランチネルの地獄の王が、フェン公国へ移動しそうなんです。私達もフェン公国に行く予定です。これが済めば、また輸入は通常に戻りますよ」

「ベリアル殿と関係してる? 先生、あんまり無茶しないで下さいよ」

「無茶はしませんよ、私は無鉄砲ではありませんから!」


 慎重に! 慎重にいくからね。

 バラハが帰ったあと、セビリノは何か言いたそうだったけど、聞かないことにした。

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