四章 海の国と奴隷の国と
第131話 苦悩
「キースリング侯爵!やはり元帥皇帝は崩御されたようです」
「……そうか。凶悪な悪魔を残して、呑気なものだ……」
軍事国家トランチネルの南東に位置する土地。扉を開けて飛び込むように入ってきた薄汚れたコートを着た男が、執務机でペンを走らせる男に、頭を下げて報告をしている。侯爵はペンを机に置いて、大きなため息をついた。
「我が領への悪魔による被害は、現時点ではほぼ確認されておりません。どうやら北側に集中しているようですね」
執務机の脇に控える若い男が、赤い印が幾つも入った地図を確認しながら独り言のように呟く。そして塗り潰された丸い印を指でなぞる。塗りつぶされた町が壊滅的被害、丸く印をつけただけの場所が一部被害が確認された町。
「……完全に破壊された町が五つ。攻撃が確認された町が、十二。まだ増えるでしょうね……。そもそも確認すら出来ていないだけかも知れません」
「地獄の、王。本当にそんな恐ろしい存在を、召喚できてしまったのか……?」
「それは、確認のしようがありません。城に居た重臣たちは皆、殺されてしまったという事ですし」
領主である侯爵の言葉に、コートの男が答える。城での出来事に関しては、保護された下働きの者たちの話などしかなく、謁見の間で何が起こったのか、知る
悲惨な有り様を目にしてしまった者達は哀れなほどに怯えて、未だ眠れず食事も喉を通らない有り様だった。
そんな地獄をこの世に作り出した悪魔が、国内で暴れ続けている。
「……守備を固めますか?クーデターを起こす為に、軍備は整えてあります」
「……いや、刺激すると呼び水になりそうだ。民達に不要の外出を控えさせ、大きな施設に集まることもやめさせよう。人が集まる建物を狙って破壊したとも聞いている」
地図を持った若い男の提言に、領主は首を振った。疲労の色が濃く出ている。
「国民を守りたいが…、今は我が領の事を考えるだけで精いっぱいだ……」
両肘を机に付いて、指を組む。背を丸めてその手に額を当てた。視界を塞いでも、被害を知らせる赤い印が見える様で。
軍事国家トランチネルでは、各領主たちが対応に苦慮していた。
□□□□□□□(以下、とある冒険者の視点)
俺はBランク冒険者をしている。
冒険者ギルドへ朝イチで行って、特に急ぎの仕事がなければ町を適当に散歩して、朝食を気が向いた店で食べる。
ある日郊外のとある家で、明け方に訓練をする男を見つけた。
最初はこの町の守備兵かと思ったが、違うようだ。なぜなら冒険者ギルドでもDランクのランク章を付けた彼を、何度か見掛けたから。しかしおかしい。訓練している姿は、冒険者っぽくない。兵士崩れ……?
好奇心に負けて、今日は話しかけてみることにした。
「おはよう。朝から頑張るな」
「……おはよう。君はよく見掛けるね、この辺りに住んでいるのかな?」
向こうも俺を覚えていたみたいだ。
そしてこの視線、近くに住んでいない事は知っているだろう。何を探っているのかな?と、聞かれているな。目的があるわけじゃないし、率直に話した方が良さそうだ。
「違うんだけど、よく町を散歩しててね。Bランク冒険者だけど、なかなかAランクに上がれなくてさ……。しょげてたところだよ」
「ランクねえ。Dランクの私には、まだまだ遠い話だね」
男は近くにあった椅子に腰かけた。木のテーブルと、そこに丸太を縦半分に切って切り口を上にした二人掛けの椅子が、テーブルの両側に置かれている。椅子の下には足がしっかり作られていた。俺は反対側に、テーブルの外に足を組んで座った。
「あんたは毎日頑張ってんだろう、どんな目的で続けられんのか聞きたくてさ」
「目的、ね。稽古の目的って、強くなりたいとか状態維持とか、そんなものじゃないかな?」
「その先だよ。何で強くなりたいのかって事だよ」
はぐらかしてる風でもないんだが。男はおどけた表情で、少し考えているようだ。
「そだね。ドラゴンを退治に行かれるように、かな?」
「そりゃあ大した目標だな。」
また大きく出たな。Dランクでは、下級の竜でもまだパーティーに入れてもらえないだろう。Cランクからだ。俺はBランクだが、下級の竜の討伐に一度参加した事がある。大きくて皮膚が固く、厄介なものだった。今ならもっと、うまく戦えると思うんだが……。
中級になると、更に強くなりブレスも使う。出来れば会いたくない敵だ。
「エクヴァル、お疲れさま。お客様かしら?飲み物を持って来たんだけど、朝食もご一緒されるの?」
家の中からトレイにグラスを乗せた女性が出てきた。薄紫の髪に、薄い黄緑色のワンピースを着ていて、肩から白いショールをかけている。なかなか可愛いし、気の良さそうな子だ。こんな女と暮らしてるのかよ、いいなあ!!そりゃ精も出るわ。
「ありがとう、イリヤ嬢。飲み物だけで十分だよ」
そう言ってトレイを受け取り、俺の前にも冷えたグラスを置いてくれた。彼女から直接欲しかったんだけど。
「ありがとう、頂きます」
「ごゆっくりどうぞ」
彼女にグラスを掲げて声をかけると、体をしっかりこちらに向け、指を揃えてゆっくりとお辞儀をして去って行った。こりゃ、単なるそこらの町娘じゃないわ。この男、護衛か。なるほど兵士っぽいわけだ。Dランクなんて腕じゃないんだろう。
「……何か言いたそうだね」
「竜を倒したいって、あの娘にいいところを見せたいんだろ?」
ニヤッと笑って見せると、先程まで飄々としていた男が憮然としている。
「こんなすぐ解るかなあ。どうも私、バレバレみたいなんだよねえ。本人以外には……」
「お前さ、あの娘を見る目だけやたら優しいんだよ。俺には敵か味方かって視線じゃないか」
「目かあ…!それは隠しきれない!」
気付いてなかったのか。そして敵か味方か、は否定しないんだな。彼女の為に、かなり警戒してるのかな。彼女は貴族の娘か何かなんだろうか?
男がテーブルに両肘をついて両手でこめかみのあたりを抑えていると、空から何か近づいてくるのが見えた。
紺のローブを着た男性。魔導師だ、飛行魔法が使えるレベルの…!
スイッとこの家の玄関の前に降りて来るのを、先ほどの女性が扉を開けて出迎える。
「師匠、御所望の薬草を採取してまいりました」
「朝からゴメンねセビリノ、後でも良かったのに」
「いえ、お役に立てたならば幸いです!」
ははーん、立派な魔導師なのか。それもあんなスゴそうな弟子のいる。その護衛か、この男も貴族か何かかも知れないな。
「まあさ、あんな立派な男が付いてるんじゃ、見込み薄いかも知れんけど。フラれても恋は恋!頑張れ!」
「どういうわけか皆、私がフラれる前提で話すんだけどなあ!上手くいくとは思えないけど、少しは可能性をくれないかな!?」
なんだか彼女の事になると、途端にひょうきんだな。
「あ、そうだ。フェン公国もビミョーらしいけど、ニジェストニアもヤバイから、近付かない方がいいぞ」
「ニジェストニア?奴隷を認めてる国だっていう?」
この近辺で奴隷を認めているのはもうこの国しかないから、有名なんだよな。でもそれも、終わりが近いのかも知れない。
「そうなんだけどさ、奴隷解放運動と国がぶつかってるんだ。ただでさえ奴隷なんかの事で周りに圧力をかけられてるってのに、このチェンカスラーにちょっかいをかけて失敗したのも知られたからさ、国民が国に不満を募らせてるってウワサ」
「ははあ、なるほど」
冒険者の中には物騒な地域に行って仕事を得ようとか、普段より高額な依頼を探す奴もいるけど、無駄な危険は冒さない方が賢明だ。貴人の護衛をしているなら、こういう危険地域の情報は必要な筈だよな。
「あとはえーと、今のトコ北は平穏。ただ、魔物が活発らしいから気を付けろよ」
「……どうして、わざわざ教えてくれるわけ?」
表情は変わらないんだけどさ、どうも不審に感じたみたいな。打ち解けてきたと思ったのに、
「お前はともかく、あんな可愛い子を危ない目に遭わせられないじゃん。薬草を採って来てもらったって事は、アイテム職人だろ?採取とか買い付けで遠出するかも知れないな、と思って」
「確かに自分で採取したがるね。ありがとう、気を付けるよ。そちらも困った事があったら、相談してくれ」
やっぱりアイテム職人なんだな。弟子の様子からして、かなり魔法も使える。恩を売って損はないぞ。必要そうな情報が入ったら、さりげなく話しに来よう。
「ああ、またな。ごちそーさん」
グラスに残っていたアイスティーを飲み干して、席を立つ。
今日は特に受けるような依頼もなかったし、俺もしっかり訓練するか。まず腹ごしらえだな!
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