第121話 アンニカちゃんがやって来た

 誰かが玄関の扉をノックして、私の名を呼んでいる。

 女の子の声だ。聞き覚えがある、控えめで高い声。

「イリヤさん、アンニカです。ノルサーヌス帝国へ一緒に行った……」

 急いで扉を開けると、リュックを背負って旅支度のアンニカがいた。

 茶色いローブにズボン姿で、ベージュよりの落ち着いたピンクの髪をした、王都に個人でお店を構える魔法アイテム職人。


「お久しぶりです。どこかへお出掛けで?」

「いえ、防衛都市から帰って来たところです。実は……」

「せっかくですから、おあがりください。お茶でも淹れますね」


 中へ招き入れて、居間のソファーに座ってもらった。彼女は暖かいお茶を冷ましながらゆっくり飲んで、一息ついてから話し始めた。

「突然訪ねてごめんなさい。……イリヤさん、セビリノ・オーサ・アーレンスって知ってますか?」

「ええ、知っています」

 今も家にいるし。


「有名ですものね。実は……彼の本が欲しくて、あたしも抽選に申し込んだんです。この辺で取り扱いがある一番近いお店は、防衛都市で。抽選結果を見に行ったんですけど、落ちちゃってて……」

 自分で確認に行かないといけないの? これは大変だ。それでその帰りなのね。落ち込んでいるように見えたのは、落選したからなのね。

「上級ポーションの基本的な作り方、という本なんです。イリヤさんは申し込みしました? 持ってたら、お金は払うんで見せてほしくて……」

「ごめんなさい、私は申し込んでいなくて。少々お待ちください」

 彼女が行くなら、護衛も雇わなくてはならなかったんだろうか。そこまでして欲しかった本の抽選に漏れてしまったなんて、残念だったろうな。

 それにしても、セビリノの本って人気なのね。


「セビリノー! ちょっといいかしら」

「は、師匠」

 呼ぶとすぐにセビリノが部屋から出て、階段を下りてきた。彼は二階に寝泊まりしている。

 今日はこちらでの仕事について、連絡を取っていると言っていた。何か頼まれたみたい。


「上級ポーションの基本的な作り方、っていう本を執筆したんでしょ? もし手元にあったら、その本が一冊欲しいの。私のお友達が、抽選で落ちちゃってね」

「なんと、師のご友人が。それは何とも一大事。確認用に一冊、私の手元にありますので、お譲りしましょう」

「良かったわ、ありがとう!」

「勿体ないお言葉! 師のお役に立てたなら、この上ない喜びにございます!」

 なんか芝居がかってるなあ……。

「あるそうです、アンニカさん!」

 振り向いて彼女を見ると、目を丸くして私とセビリノを凝視していた。口に手を当てて、恐る恐る彼を指さす。

「……今、セビリノって……、執筆したって、言いませんでした……!??」


「名乗り遅れました。私は師の、一番! 弟子であります、セビリノ・オーサ・アーレンスと申します。以後お見知りおきを」

 軽く頭を下げるセビリノ。

 なぜ一番を強調した。

「あ、あのアーレンス様が、イリヤさんのお弟子さん……???」

「うん……、なんかそう言ってるけど、気にしないで」

「師匠! 私は一番! 弟子であることは、譲りません!」

 だからどうしてまた、一番を強調するの。


「えと……? よ、よろしくお願いします」

 アンニカが困っちゃった……。セビリノも少しは状況を読んでほしい。

 彼は満足げに頷くと、本を取りに二階へ戻った。


「あ、あの……イリヤさん……。アーレンス様のお師匠様なんですか!?」

「その……ね、私は同僚だと思っているんだけど、彼がどういう訳か、ね」

 説明が難しい。ただでさえセビリノは有名人だから、どう言ったらいいものか。

「……それなら……、それなら」

 ぼそぼそと口の中で呟いたアンニカは、決心したように両手を強く握った。よほど衝撃だったのかな。セビリノがエグドアルムの宮廷魔導師って、知っているだろうし。

「どうしたんですか……?」


「あたしも弟子にしてください!」

 顔を赤らめて、必死で訴えてくる。

 弟子? せっかくお友達になれたのに!?

「では二番弟子ですね。妹弟子、というところでしょうか」

 セビリノが本を片手に降りてきた。ややこしい事態になったぞ。

 とりあえず皆でソファーに座って、彼女の話を聞くことにする。


「あたし、冒険者からアイテム職人になって。本なんかを見て学んだり、お店で雇ってもらって、職人さんのお手伝いをしたりもしました。でも正式に習ったのではなくて……。上級ポーションも一応は作れるんですけど、成功率を上げたいんです」

 どうやら彼女は基礎を多少学んだ程度で、あとはほとんど独学らしい。

 それでも腕が上がったけど、これより上に行くには師につくか、しっかりとした機関で学ぶしかないと考えていた。

 

「ノルサーヌス帝国との交流事業も、本当はあたしじゃなくて勤めていたお店の、店長さんが打診されてたんです。でも注文が立て込んで忙しかったから、あたしにお鉢が回ってきちゃって。お世話になったし断れなかったけど、そんなことを頼まれるような知識も実績もないから、かなり緊張しました」

「そのおかげで、お友達になれましたね」

 私が笑うと、緊張からか硬い表情をしていた彼女の表情が少し緩んだ。

「お願いします、少しでいいんでアイテム作りを教えてください!」


 うーん、これは断り辛いな。

 ただ、すぐにって訳にもいかないんだよね。やっぱり数日は、滞在してもらうことになる。

「まあ、そのくらいでしたら……。二階にもう一部屋余っているので、泊まって頂けますし」

 エクヴァルとセビリノが二階を使っている。一階は私達と、ルシフェル専用とお客さん用だしなあ。天蓋付ベッド、撤去したらきっと不味いよね。

「ご迷惑でなければ、しばらく泊まり込みたいです……っっ!」


 どうも必死に頼まれると弱いわ。

 アンニカはしばらく私の家に滞在して、回復アイテム作製を学ぶと張り切っている。セビリノもいるし、ちょうどいいか。セビリノに憧れてる人って多いみたいだし。

 でも指導、か。どうしたらいいかな。

「セビリノの時は確か、アイテムは最初にエリクサーを一緒に研究したのよね。やっぱりエリクサー?」

「……無理です……っ!」

 アンニカは言い切ってから、ハッとした表情で私を捉えた。


「そういえば……、同僚って……。も、もしかしてイリヤさんも、エグドアルムの宮廷魔導師様では……!!?」

「いえ、私は見習いだったんですけど、もう辞めているんで。今は外部顧問とかいう感じになってます」

 弟子になると言ってくれているんだから、ちゃんと告げた方がいいよね。秘密にしなくてもいいみたいだったし。

 ベリアルとエクヴァルは交流事業で一緒だったから、覚えているかな? お留守番をしていたエクヴァルの使い魔のリニは知らない筈だから、帰ってきたら紹介させてもらおう。


 アンニカは震えている。怖くないから!

「私も平民出身だから、気にしないでください。今まで通りにしていて大丈夫ですよ」

「すごい……、凄い方の弟子になることができました! あたしの人生、最大のチャンスであり幸運です!」


「……解るか!?? 師の弟子となれる栄誉が!」

「はいっ!」

 二人は大喜びで手に手を取り合っている。

 そこ、セビリノと気が合っちゃうの? なんだか不安になるなあ。

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