二章 エグドアルムへ里帰り

第109話 暗雲

 軍事国家トランチネルの召喚実験施設。

 日暮れ時の薄暗い室内はしんと静まり返り、斜めに差し込む陽光が長い影を作っていた。


 がらんとした実験室の一つに、二つの人影がある。

 一つは魔法円マジックサークルの中に立つひょろりとした壮年の男の召喚術師、そしてもう一つは座標に現れた青年。

 長くはない枯草色の髪に赤茶色の瞳が、真っ直ぐに相手をとらえている。見た目は十五歳前後に見え、女性的な容貌で背は高くない。刺繍の入った白いブラウスにズボン、宝石をあしらったショートブーツ。肩から水色のショールを掛けて、上品な貴族の子息のような衣装を身に着けていた。


「……僕を喚んだのは、お前か?」

「……貴方は……、地獄の王、で?」


 召喚術師がごくりと唾を飲む。緊張で冷たい汗が頬から顎へ流れ、石造りの床へぽたりと落ちる。

 震える手を握って抑えようとするが、自分よりも背の低い相手からの圧倒的な存在感からもたらされる魂を凍らすような恐怖で、小刻みな振動は止まらない。

「そうさ。退屈していたところだ。どんな遊びを提案してくれる?」

「ま、まずは、私を殺さないと誓えるか!?」

「……いいだろう。ただし生贄を用意しろ。僕がこの手で、心ゆくまでくびり殺せる量の……!」

 青年が口元を歪ませ、冷酷な笑みを浮かべる。

 召喚術師はたじろぎながらもここで恐れを見せてはならぬと、精いっぱいの虚勢を張って大仰しく返事をする。

「もちろん、好きなだけ殺させよう。むしろ、その為に喚んだのだ! 名は、名を教えてくれ……!」


「あはははっ! 殺させる為、ね。面白い!! ならば契約しよう! 僕の名は……」





□□□□□□□□□□□□(以下、エクヴァル視点)




 チェンカスラーでの賠償は済んだ。そして悪魔ルシフェル殿は地獄へと帰った。

 これで少しは落ち着いたかな。後はエグドアルムまで報告に戻らなきゃならないんだよね……。遠いから気が重いな。

 ワイバーンを貸してもらえたら、かなり早く済むんだが。地形を気にしなくていいし、なんせ山越えが楽になる!


 久々にレナントの冒険者ギルドで依頼ボードを眺めていると、見知った二人が入って来た。

「おや、セレスタン君、パーヴァリ君」

「おお! エクヴァル殿」

「久しいですね」

 セレスタンのヤツ、エクヴァル殿になってるな。最初は君だったのに。

 これは多分、前回会った時に私がエグドアルム王国の皇太子殿下の親衛隊所属で、側近だと教えたからだろう。あと彼を剣で負かせたしね。

 別に呼び捨てでなければ、君でもいいんだけど。


 Sランクの剣士セレスタン・ル・ナンと、Aランクのメイスを持った光属性を得意とする魔法使いパーヴァリ。彼らが悪い伯爵に騙されて、悪魔ベリアル殿と戦ってしまったのが縁で知り合った。

 私はその現場にはいなかったんだよ……!

 今でも悔やまれる。面白い魔法戦が繰り広げられたらしい。そしてベリアル殿の秘密が一つ明かされたようだった。いいなあ、いいなあ……!!!


「イリヤ嬢へのお礼は決まったのかい?」

 内心の苦悩が知られないよう、さり気なく問い掛けた。

「ああ、ちょうどアルラウネの大量討伐があったんだ。そこでその根っこ、アルルーナを手に入れたんで渡してきた。あとソーマ樹液が少し。とても喜んでもらえたよ」

「それは良かった」

 アルラウネは植物型のモンスター。緑色か茶色で人の形をしていて、蔦や魔法などで攻撃してくる。根っこであるアルルーナは薬の材料になるので、回復アイテムを作る人間はとても喜ぶ贈りものだ。

 しかし普通に世間話をしているだけでも、周りの視線が痛いな。さすがSランク、皆が羨望の眼差しだ。


「Sランクの冒険者が来てるんだって?」

 二階から降りてきたのは、この冒険者ギルドのギルド長。五十歳くらいの男性で、灰色の髪をオールバックにしている。

「……俺に何か?」

 セレスタンが答えると、ギルド長はこちらまでやってきた。

「ちょっと内密の話があるんだ、お仲間の方も一緒にこちらへ……」

 これは、私も仲間だと勘違いされているね。

 離れようとするが、セレスタン君が一緒に来るよう促す。他の冒険者達は、おいおいその気になるなよと言いたそうだ。まだ長くないとはいえ、このレナントを拠点にしているから、私がDランクなんてよく利用している人間は知っているからな。

「参りましょう、エクヴァル殿」

 パーヴァリ君にまで誘われてたので、仕方なく同行することにした。彼は関係ないと否定してくれると期待したんだが……、こういう時は面倒な依頼なのかな?


 二階に上がってすぐにある、応接室に入る。ファイルがたくさん並べられた棚があり、二つあるテーブルを挟んで向かい合う革張りのソファー、壁には金で縁を装飾された立派な額に入れられた国王夫妻の肖像画。

 座ると湯気の立つコーヒーが運ばれてきた。私の分もあるよ。

 我々が腰掛けると、ギルド長が低い声で話を始めた。

 

「実は少し前に、エグドアルムの魔導師長がこのチェンカスラーで悪魔召喚をして、古城を灰にしたという事件があったんだが……」

 ……あらら。思いっ切り当事者だった。

 慎重な面持ちで続けるギルド長。

「向こうの使者が謝罪と賠償をしてくれて、一応解決はした。しかし、もしかするとまだ気付かれていないだけで、他に悪魔召喚をしているんじゃないかと不安の声が上がってね。調査するよう、お触れがきたんだ」

 セレスタンとパーヴァリは、私に視線を寄越した。

 まあ、もう済んだし、いっか。


「……その件につきましては、心配はご無用です。魔導師長はもともと召喚術に明るい者ではなく、とある護符の力を過信して自滅したまで。護符の入手後は全て把握しておりますので、万が一もないでしょう」

 なにせ悪魔のベリアル殿が一緒だったからね。他にも悪魔を召喚していれば、隠しようがない。

 私が説明すると、ギルド長は不思議そうな顔をしてこちらを見る。

「……こちらは、その調査に来られたエグドアルムの親衛隊の方です。冒険者というのは、隠れ蓑ですよ」


 パーヴァリが紹介してくれた。私が説明をしたから、隠すことは不要と読み取ったんだな。彼は鋭いから話が楽だね。

「そ、そうだったのか!? いえ、そうでしたか! これは失礼、いや話が早くて助かります!」

「いったん帰国しますが、またここで冒険者稼業をしつつ滞在する予定ですので、ご用の際はお申し付けください。全て済んだので秘密にしなくてもいいんですが、これがクセになりましてね」

 Dランクだと、たまに絡まれるんだよ。楽しいね。

 国で私を知ってて絡む奴なんて、いないから。殿下のご威光があるし、陰口は叩いても直接はこないんだ。


 憂いがなくなったので、セレスタン達への用事もナシになった。

 一緒に下へ戻ると、様子が気になっていたのだろう、冒険者たちが壁際に立ってこちらを窺っている。

「俺たちも一度ワステントに帰って、師匠に報告してくる」

「ワステント共和国なら近くていいね。はあ、エグドアルムが遠すぎる……」

 セレスタンとパーヴァリは笑いながら去って行った。また来る、と言い残して。


 依頼ボードの続きを確認しに移動しようとすると、受付嬢が手招きをする。参ったな、デートのお誘いかな?

「あの、エクヴァル様……? あの方々はSランクとAランクでいらっしゃいますよ、失礼のないようになさらないと……」

「……はは、気を付けます」

 全然違った。心配されたらしい。

 Sランクは全冒険者の憧れだからなあ。



 家では早速イリヤ嬢が地下で薬を作っていた。

 幾つかは屋上に干してあり、アレシアにもお裾分けしたそうだ。アルルーナは解毒の効果を高めたり、熱を冷ましたり胃腸を整えたりする、粉薬になる。

 そろそろ帰ると言い出さないとならないな、とソファに沈んでいると、地下から足早に階段を上ってくる音がする。


「見て! フェンヒェルとランヨウの葉のしぼり汁に、アルルーナとシーサーペントの魔核を加えた、超強力な毒消しです!」

 小瓶を誇らしげに前へと突き出すイリヤ嬢。

 蛇系の魔物の魔核は強い毒消しになるらしいけど……。

 シーサーペントって、いつ倒して手に入れたんだ? 本当は討伐も好きなんじゃないのか……? 思い返せばどこで何が相手でもひるまないな、イリヤ嬢は。


 飛行魔法が使えると、海でも山でも好きに戦えていいなあ。やっぱり彼女、私より好戦的だよね。そんな女性、初めて見た。

 呆れるね、とても魅力的だ。

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