第108話 ルシフェル様、御帰還(悪魔セエレ視点)

「おーい、クローセルはいるか?」

 あまり大きくない邸宅。ここは地獄で、ベリアル様配下のクローセルという侯爵が住まう。彼は勉学や研究を好み、たまに分厚くて小難しそうな本の配達がある。


「セエレ様、クローセル様はただいま人間の世界に召喚されております」

「また行ったか。まあいい、本の配達に来ただけだ。受け取りにサインを」

 顔を出したのは、召使いの小悪魔だった。渡されていないとの苦情を防ぐ為に、受け取りを書いてもらうことにしている。自分よりも上の悪魔が相手の場合は、本人が知らぬと言えば渡しましたでは通用しない。

 クローセルならともかく、これがもしベリアル様に関係ある品だとしたら、ハッキリとさせておかないと後々面倒になりかねない。特にあの方はなあ……。


 箱いっぱいの本を渡し、他に何か配達させてくれる人はいないかと考えていると、人間の世界から召喚がかかる。私の名前を口にした召喚、行く前に注意深く座標の周囲を探ってみると。

 やはりだ。ベリアル様だ!

 しかもどなたか、もうお一方いらっしゃるような……?

 召喚された先は、前回とは違う都会的な大きな町。人ごみから離れたところに喚ばれたが、活気にあふれた喧騒が耳に届いている。

 召喚主は薄紫の髪の女性で、白いローブを着ている。アメジスト色の瞳に、白い肌。ベリアル様の契約者でとんでもない魔法を使う、王の契約者に相応しいような、おっそろしい女だ。

  

「セエレ。皆に土産を買うのだけど、君が運んでくれるかな?」

 穏やかな声に銀の髪、透き通った空色の宝石よりも美しい瞳、優雅な所作。

 ルシフェル様!! まさかこの御方まで人間の世界に、しかも同じ場所にいらっしゃるとは……!

「はい! もちろんでございます、いくらでもご協力させて頂きます!!」

「任せるよ」

 柔らかく微笑む。とても悪魔とは思えない、何とも優し気な表情だ。


 しかしルシフェル様もお喚びしたのか……?

 この女、やはり地獄のそこらの貴族より油断ならん。気分を害さないようにしよう、私は戦闘能力は劣るからな……。

 私は王子、大公と同じような立場のもの。しかし能力を考慮されての特例なので、戦闘ではせいぜい侯爵か伯爵程度かな。戦闘能力主義の地獄ではあるが、私の輸送能力は高く評価されているぞ!


 高級店が並ぶ中で、ルシフェル様はまず靴屋に入られた。

 壁の棚に一足ずつキレイに展示しされた靴がズラッと並んでいて、その中のブーツコーナーに真っ直ぐに向かう。入り口も通路も広く、無駄なスペースがたくさんある。花瓶にたった一輪だけ花を飾ってみたり、こういうオシャレは理解出来ない。

 何足かを手に取って眺めるルシフェル様に、店員が笑顔で近付いてきた。

「試し履きをなさいますか?」

「いや、土産用だからね。そうだね、この棚のものを全てもらおうか」

 相好を崩して二段目をさす。……棚にあるのを、全部……?


「全て……ですか? こちらは見本でして、お色やサイズは……」

「……そうか。ベリアル、よろしくね」

「そなた、靴にサイズがあることを考えておらんであろう」

 ルシフェル様はベリアル様に向かって微笑まれると、サンダルを見に移動してしまった。何てマイペースなんだろうか……!

「仕方のない……、サイズは色々と揃えた方が良いであろう。色は……」

 しぶしぶといった風ではあるが、ベリアル様が交渉を始めた。サクサクと決まっていき、奥から慌てて店員が二人応援に駆けつけ、片っ端から包んでいった。


 ルシフェル様はというと、既にサンダルを試着されている。あの方にかかれば、地獄の王も小間使いみたいなものだな。ルシフェル様は何足か試された後、二足を選ばれたようだ。

「これと、これにしよう」

 決まった二足をベリアル様の契約者の女が店員に渡し、他のものと一緒にならないように分けてもらっている。

 まとめられた商品を私の空間に仕舞い、次の店へ。

 やはり高価な帽子やカバンを棚単位で購入し、満足して店を出る。この棚、で済むのだから選ぶのはとにかく早い。店員の包装が全く間に合わない。ルシフェル様の買い物は、見た目に似合わず豪快なのだな。サッパリと気持ちがいい。

 私の空間にはまだ余裕があるので、他に何でもお申し付け頂きたい!


「そろそろお昼になさいませんか? 店を予約しておきました」

 気が付いたら合流していた、紺色のローブの男がルシフェル様達に話し掛ける。人間だよな? なんだかルシフェル様の部下みたいにしているような?

「そうだね、少し座りたいところだ」

「ありがとう、セビリノ」

「師匠、雑事は全てこの私にお任せください!」

 なるほど、あの女の弟子か。ルシフェル様やベリアル様が王だと知っているのだろう。


 案内された店の内装はシンプルながら雰囲気が良く、個室から小さな池のある中庭が覗いている。

 料理は野菜中心で、しっかりと出汁のきいたスープもうまい。ルシフェル様のお好みに合わせた薄味だ。やるな、魔導師の男。

 ルシフェル様と同じテーブルに着くなど、二度とないかも知れない。しっかりと堪能しておこう。ルシフェル様のご尊顔を拝しながら頂くと、水すら美味だ。

 ……いや、普通に美味しいぞ、この水。

 レモンを絞ってあるのだな、さっぱりしている。人間のこういう細かな発想は感心する。帰ったらこれを使用人に教えよう。


「まだ何か買うつもりかね、そなた」

 食事を終えると、ベリアル様がルシフェル様に向けて質問を投げた。

「もちろん。食べるものも欲しいね。陛下には何が喜ばれるかな?」

「あの方は、ああ見えて意外と甘党である。しかし生クリームが苦手と仰っていた」

 サタン陛下が甘党。それは知らなかった。

 甘いものなど、口に入れそうにも見えない。献上品の参考になりそうだ。戻ったら我が主、アマイモン様に言上しよう。荷運びをしていると、思い掛けずこういう有力な情報を手に入れられるのだ。

 口数の少ない陛下の好みは、大体の者は知らぬだろう。


「では人間界の甘味など、買って行こうか」

「私が用意させておきましょうか?」

「任せよう。陛下の分は私が選ぶから、君は皆に渡す分を適当に用意してほしい。セエレ、君もあちらへ」

 魔導師の男がすかさず席を立った。よく気が利く。私もすぐに返事をした。

「はい! お任せください」

 この男は、あのベリアル様の契約者の女の弟子だったな。ならば女程の危険は無い筈。こちらの方が緊張しなくて済んでいい。

 ルシフェル様のお供をするなど勿体ない幸運だが、どうにも気疲れしていかん。しかもベリアル様もご一緒だ。あのお方は何を考えているか全っ然、解らん……。

 あのベリアル様と契約されているんだ、あの女もたおやかな印象でいて、食わせモノなのだろう。私は騙されんぞ。


 繁華街は午後になって人が増え、大通りに並んだ店舗を様々な年齢の人間が出入りしている。荷物を置いて、端にあるベンチに腰掛けている者もいる。荷物持ちの小悪魔や、小さな獣なども時折歩いている。足元にも気をつけねば。


 魔導師の男は数件ほど店を回り、焼き菓子やゼリー、やたらこじゃれたチョコレートなどを買い集めている。

 ほとんど迷いもしない。もっと考えなくていいのか!? ルシフェル様のご用だぞ? なんとも豪胆な男だ。とにかくどんどん決めて購入し、私の空間に入れた。

 別の店に入って、またもやたくさん購入した。店員に見送られて店から出ると、人々が何か騒いでいる。

「大変だ! 子供が召喚された獣に噛まれた!!」

 誰か薬を、回復の術をと大声で叫んでいて、火が付いたような子供の泣き声や、母親らしき女性の悲壮な悲鳴が響いている。

 私達が来た方向に人だかりがあるので、怪我人はそちらにいるんだろう。

「……失礼、様子を確認します」

 魔導師の男はこちらに頭を下げ、足早に人ごみに消えて行った。

 見ず知らずの者だろうに。わりと情にあついのだな。私も後から付いて行き、取り囲んでいる人々に紛れて見物をした。


 子供は男の子で、十歳くらいだろうか。

 地面には血の染みが水たまりのようになっていて、薬を使ったのであろう、瓶が二、三本転がっている。しかし効果の足りないものだったのだな。血は止まったものの、傷はまだ無残なほどの有り様だ。足が千切れそうになっている。

 これを魔法で治療するなら中級の回復で、しかもそれなりの腕がなければ完治はムリだな。

 契約しているであろう冒険者がひたすら謝り、口を血で汚した黒い大きな犬のような獣を必死に抑えている。あの手のものは血を見ると興奮するからなあ。

 威嚇するように吠えた口から覗く、赤く光る鋭い牙。


 魔導師の男は近寄り、子供の足の状態を確認する。

「……押さえておくように。回復魔法を唱える」

「あ、ありがとうございます魔導師様……!!」

 母親は涙ながらに紺のローブの男に頭を下げた。子供は痛い、助けてと、抱き締める母親にしがみ付いて泣きじゃくっている。

 男は両手を地につけて、魔法の詠唱を開始した。


「鮮やかに萌える木々の描く地図は色彩豊かなり、眼下広がる大地は潤い、豊穣の香りあふるる。こうべを垂れし稲穂は小金こがねに輝きたる。実りの季節よ、ダヒーの大枝を持ちて息吹きを注げ。山よ、生命の眼差しを向けたまえ。ベンディゲイド・テーレ」


 優しく淡い金の光が地面から放たれて母子を包み、子供の足の傷はキレイに消えていく。これは術師を中心点として円周を描くような範囲になる魔法だが、うまく子供に威力を集中させているではないか。土属性が得意なのだな。

 跡を全く残さないとは、なかなかの術師だな、この男!

 しかし光で更に興奮してしまったのか、獣は契約者を振り切って口を大きく開けて唸り声をあげ、魔導師の男に向かって駆けた。魔法ではとても間に合うまい。

 さすがに私が助けに入ろうとした時だった。

 ルシフェル様が犬型の獣の前にふわりと立ち塞がり、片手を向ける。

 獣は途端に足を止め、大人しくなった。強者が解るんだろうな。とりわけ地獄でも一、二を争う実力者だからな。


「なかなか見事な回復の術だった。それから召喚師。君は契約の力で止められないのなら、この契約を続けるべきではないね」

「すみません、本当にすみません……! 止めて頂き、ありがとうございます」

 契約した冒険者は平謝りだ。

 牙を持ち大型犬のような大きさをした獣を、両手で太い首にしがみ付いて抱き留め、背を撫でて宥めている。

 契約を解除までするかはともかく、だいぶ反省しているようだ。

 ただの獣とはいえ、抑制する力もないのに戦闘力のない人間に近付けるなど、一歩間違えれば大参事だからな。これからのことをじっくり考えるだろう。


 一波乱あったが、ルシフェル様はこのまま地獄へお戻りになる。

 ベリアル様の契約者の女が送還し、次は私だ。

 そういえばこの女の術だと、とてもすんなりと地獄と行き来できる。さすがにルシフェル様が召喚をお許しになるだけあるな。弟子の男ともども、気に入られているように見受けられた。

 ……逆らっちゃ危険リストに入れておこう。



★★★★★★★★★★★★


セエレは45話と46話にちょこっと出てきた、運送好きという設定の悪魔です。

実際(?)は頼まれれば盗品でも何でも運ぶというだけで、それが趣味というわけではありません。私の設定です(笑)。

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