第107話 ルシフェル様のお散歩(ルシフェル様視点)
今日は私だけで、少し離れた見知らぬ町を歩いている。
地獄を一人で散策していると、大抵誰かが来てしまう。たまには知る者が隣にいないのも、気分が変わっていいものだ。ベリアルだったら邪魔なら吹き飛ばせばいいけど、他の者にそんなことをするわけにはいかないからね。
せっかくなので、海の近くまで足を伸ばした。サンダルを履いていたから、砂浜にもちょうど良い。暖かいとはいえまだ泳ぐような気温ではない。辺りには同じような散歩の者達がまばらにいるくらいで、寄せては返す波の音が低く響いていた。
海の奏でる心地いいさざめきと、白く泡立つ波から散る飛沫、水平線の向こうで漁をする船。
湿った海風に髪を遊ばせていたが、少しは町も見て回ろうかな。
あまり賑やかではない港町。商店がぽつんぽつんと点在し、小さな民宿が手書きの看板を出している。ここにも冒険者ギルドはあるが申し訳程度のもので、商業ギルドはなく、漁師の組合の集会場が船着き場の横に建てられていた。
人間の世界の仕組みというのも、興味深い。
海沿いの道路には露店が幾つか並んでいる。そこで、人が言い争いをしていた。
「おかしいわ! 彼女が計算できないからって、これでは高く取り過ぎよ。いくら何でも酷いんじゃない!?」
明るい茶の髪に茶色の目をして裾の短いローブを着た、魔法使いの娘が声を張り上げている。
「そうだね、感心しないな。君、他の店で買った方がいい。おまけをつけると余分に買わせて、そのおまけ分以上に高く取るんじゃ話にならないよ」
軽装で槍を持った、水色の短髪に青い瞳をした男も呆れたように続ける。
どうやら二人の前で困っている若い女性が、買い物をしていたようだ。店番は彼女に幾つか買えばおまけをつけると言って余分に買わせ、計算ができない者であるのをいいことに、表示よりも高く金額を払わせようとした。
「……邪魔しやがって! おい!!」
商店の男が叫ぶと、隣の屋台の男と、そのあたりにいた数人が集まってくる。
私は少し離れた場所で、成り行きを見守っていた。近くにいる露店の女性も、困ったように様子を見ていた。
「またあの人たち、揉めごとを……」
「……彼らは、よくあのような不正を働いているのかな?」
「はい……。お恥ずかしい話ですが、魚の買い付けや観光に来た人に、強引にものを売り付けるんです。この辺りには兵もマトモにいないから、私達が仲裁に入ったりすると、あとでひどい嫌がらせを受けて……」
なるほど、地元の善良な者達も困っているようだ。人間の問題だ、あの冒険者達が解決すれば良いのだけれど。
しかし事態はすぐに変化する。
どうやら召喚師がいたらしく、角が生えてどの人間よりも体が大きい、かなり逞しい悪魔を召喚した。よもや、この私の目の前で。
階級は、そう……デビルだね。最下層のデーモンの上の階級で、その中程のランクかな? 小悪魔と呼ばれる者達の中では、戦える方だろう。
「最低、こいつら……! どうする、リエト!??」
「二人でも戦えないことはないだろうけど、ここだと他の人に迷惑がかかる! ルチア、少し離れて……」
私は向かい合う彼らの前に、歩いて進んだ。
「え、ちょっと貴方……!? 危険よ、離れて!」
二人の前に出てきた私に、女性が心配して声を掛ける。
「引きなさい。全て見ていたよ」
悪魔に向かってそう言い放つと、彼は顔を青くして勢いよくその場に伏せた。
「お目汚し、失礼致しました! しかし契約があり……、その者達を倒さねばならぬのです……!」
……何やら、彼に分の悪い契約を押し付けられたようだな。それなりの召喚師だったのか。
「おい、なんで這い
「……誰にものを言っているのか、解らないようだね。宜しい、ではその契約を破棄させよう。構わないね?」
「それは助かりますが……!?」
実は契約を破棄することは、できる。契約した時以上の力であれば。
しかし通常は、他者の契約には関与できない。
だがそれも地獄の王であれば、自分の配下においては可能。そしてこの私は、サタン陛下から人間の世界においての権限を委ねられている。その為、サタン陛下の配下に当たる者であれば、誰の契約でも解除可能だ。
ただし王が自ら望んで契約したような場合は、さすがに私でも解除には至らない。そう、ベリアルの契約のような。
私は悪魔から契約書を受け取り、顔よりやや高いくらいに掲げ上げた。
「地獄の王ルシフェルが、皇帝サタン陛下に託されし権限において宣誓する。この不平等な契約を破棄し、全ては私が負う。愚かなる人間よ……、同胞を
羊皮紙の契約書が、端から溶けるように消えていく。強制的ではあるが契約が解除された。人間が持っている方にも、同じ現象が起きているだろう。
召喚した者には契約が無効になりつながりが途切れたと、ハッキリと理解できただろうね。今更になって
「……王ですって!?? 王が……その辺を歩いてたりって、あるの!?」
「少々、散歩をね。後は君達が片を付けたまえ」
にこりと笑って、彼らに後は任せた。あのデビルも復讐をしたいようだし、まさか敗北はないだろう。まさかの展開に慌てふためく連中をデビルが殴り、槍を持った男が逃げないようにと男達の横側に走った。
反対側は海だ、足をとられる砂浜には逃げないだろう。ふふ、そちらに行っても構わないけれどね。誰もいない場所なら、私も気兼ねがいらない。
冒険者の女、魔法使いが拘束の魔法の詠唱をする。
「
地面から太い蔦が何本も現れ、屈強な男達を捕らえる。
逃れた二、三人は、男が素早く槍の柄の側で叩いて転ばせ、縄で縛りあげた。割と手慣れているな。さすがに冒険者だ、盗賊などを捕らえたりしているのかな?
「さて、これで良し! 後はこの町の人に任せよう」
彼らを野放しにしていた大きな理由は、デビルとの契約があったことと、この人数に対し一気に対処できなかったからのようだね。一部始終を見ていた漁師の組合の者が役人を呼びに駆けた。
しっかり捕縛された彼らは、収容施設がある別の町へ移される。
聞けば、彼らを捕らえる為に応援を何度か国に要請していたが、なかなか人手を送ってもらえなかったようだ。冒険者二人はとても感謝され、組合の代表らしき男達と、契約を打ち切ったデビルの処遇を話し合っている。
「召喚術を出来る者がいないのですが、やはり犯罪者に送還させるのも不安がありますしね」
「ならば、私の知る者に任せても構わないよ」
私が提案すると、冒険者の女が戸惑いがちに口を開いた。
「あの……、一つ考えがあるんです。彼、この契約を破棄した悪魔ですけど。もしまだこちらの世界に残るなら、この港町の警備としての契約は出来ませんか? 冒険者を募集しているとは仰ってましたが、さすがにここに警備として住み込んでくれる人を探すのは難しいと思うんです」
「ああ、なるほど。この悪魔と契約して、今後は警備として残ってもらうんだね」
冒険者二人の話に、漁師組合の代表らしき者が、それはいいと頷く。
「……君はどうしたいかな? 君の意思を尊重しよう」
私が水を向けると、デビルは一瞬肩をビクリとさせた。
「その……、条件次第ですが、良いお話、かと……」
そうか、私が知り合いに送還させると発言してしまったから、遠慮しているのかな。タイミングが良くなかった。
「ならばその契約を、私が見届けよう。双方に不利益にならぬように」
警備をする見返りとして、金額的にはCランク冒険者程度、福利厚生として朝夕の食事と住まいを用意する。
漁師組合が賃金を払う為、継続的に無理なく払えるのはその程度らしいが、彼は満足している様子だ。これならば問題ないだろう。
契約を締結し、私はその場を後にすることにした。
「あの……、貴方はこれから、どうされるのでしょうか……?」
冒険者の男が尋ねてくる。まあそうだろうね、地獄の王が好き勝手に歩いていると思えば、不安にならない方がおかしい。
「心配には及ばない。少し観光をしたら帰るつもりだよ。先程も言った通り、術師にも心当たりがあるからね」
「そうですか……」
女の方は安心したように小さな息を吐いた。
「……そうだ、この辺りの特産品は何かな? 手土産が欲しいところだ」
辺りの露店や商店を見回すと、近くにいた露店の人間と漁師がこぞって勧めてくる。
「それでしたらこの赤い魚です、鯛といいます。あっさりしてクセになりますよ!」
「この大きな海老! 生でも焼いても、スープにしても美味しいんです」
「あとこの、菜の花のつぼみ。今が旬なんです、どうぞ!」
金貨を持っていたので支払いをしようとしたのだけれど、そんな大金を貰ってもおつりがないと拒否された。それだけではなく、悪魔の脅威が無くなった上、味方になってくれてとても助かるからと、どんどんと品物を渡される。
「……これは、どうすればいいのかな?」
両手に袋を幾つも抱えて冒険者二人に聞いてみると、彼らは笑っていた。
「皆さんの感謝の気持ちです、受け取られるのが宜しいかと」
「ならば頂こうか。ではね」
そのまま空中に浮かんだ私に、皆が手を振っている。
さて、思ったより遅くなってしまった。少し急げば、レナントには日が暮れる前には着くだろう。
★★★★★★★★★★★★
ウッカリしてました!リエトとルチアは、53話のドラゴンの鱗の依頼で出てます。
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