第96話 地獄の王(セビリノ視点)

 辿り着いた古城は丘の上にあり、かなり見通しが良い。掃除されておらず所々壊れていて、長らく使われていないのは一目瞭然だった。

 観音開きの大きな鉄の扉を開けると、そこにいたのは上品な真っ白いローブに月のような銀の髪、水色の透ける空の瞳を持つ青年。悪魔か天使かも解らないような、優雅で温厚そうな印象を受ける。

「ルシフェル様!?」

「やあ、人間の娘。ベリアルが名前を教えてしまってね」

 どうやら師がご存知の方のようだ。さすが我が師、顔が広くていらっしゃる。

 ベリアル殿が名を教えたことに加え、呼び捨てにしているところから、地獄の王であるのは疑いようがない。


 彼は穏やかな微笑をたたえたまま、自己紹介を始めた。

「私はルシフェル、ベリアルの友人というところかな。彼女だけ通すよう言われている。君達二人、少し私の相手をしてもらうよ。人間と戦うなど久しぶりだ。君達の力を見せてもらおう」


 魔力の上昇が感じられるが、どうも契約をしていないように見受けられる。魔導師長は召喚術には理解が浅いから、気付いていないのかも知れない。せっかくあの指輪を使ったというのに、信じられぬ失態だ。

 あれだけで支配するつもりでいたのか……? 呆れるな。

 だいたい起動に設定してある神の名前は、魔導師長が知るものでは無い筈。完全に力を引き出すことすら不可能だろう。あまりにも愚かすぎて、靴も履かずに登山をするようだ。


「二人とも、彼は本来、ベリアル殿以上のお力です。何とかするまで、生きていて!」

「は……?」

「はい!」

 師に役割を与えられるというのは、こころよい! ここで彼を引き留める……、必ずやり遂げねば!

 師匠はこちらを心配そうにしながらも、悪魔の横をすり抜けると振り向かずに走って行かれた。


「ところで君達は、彼女とはどのような関係かな?」

 そのまま戦闘に突入するのかと身構えたが、悪魔ルシフェルは微笑を崩さず質問をぶつけてきた。

「わ、私は護衛を務める、エクヴァル・クロアス・カールスロアと申します」

「弟子のセビリノ・オーサ・アーレンスです」

 珍しくエクヴァル殿がどもっている。この悪魔の真意を読み取れないのだろう。 

「弟子……魔導師だね。まずは君の魔法を披露してもらおう」

「……では、参ります」


 初手は……、雷撃にしよう。上手くいけば痺れも起こせる。

 私は腰に提げていた魔術用の柄の黒い短剣を取り出した。これは魔術の文字が刻まれ、杖のような効果を持つ。普段はあまり使わないのだが、今回の相手にはこれでも不足であろう。


「光よ激しく明滅して存在を示せ。響動どよめけ百雷、燃えあがる金の輝きよ! 霹靂閃電へきれきせんでんを我が掌に授けたまえ。鳴り渡り穿て、雷光! フェール・トンベ・ラ・フードル!」


 掌から輝きを放って雷が生まれ、バチバチと弾ける音を立てながら悪魔ルシフェルに向かう。

 彼は全く避けることも防御を張ることもなく、片手を差し出してそれだけで受け止めた。激しい光が生まれて、視界が白くなる。

「ふむ。口切りにこの魔法を選んだ理由は?」

 しかし、微塵も効果を感じられない……。実力差がありすぎる。

 この悪魔は、やはり人間が相手をするような者ではない。


「はい、比較的攻撃力が高く、つ痺れる効果があるからです。そして貴殿からは光の属性を感じたので、神聖系で弱体化できるとは思えませぬ」

「えっ!? そんな悪魔、いるの?」

 エクヴァル殿が驚いている。私も初めてだが、間違いないと感じる。

「……鋭い男だ。よくぞ見抜いたものだね」

 やはりそうか……。光属性が弱点ではない悪魔など、戦いにくいことこの上ないな。神聖系を使えば、むしろ相手を強化していただろう。

「一つ、質問を宜しいでしょうか?」

「聞こう。問いたまえ」


「貴殿は、ほぼ指輪の支配を受けていないご様子。なぜ従っておられるのですか?」

「……っ、ふふふ……、冷静な判断だ。そうだね、私を従えられるほど、あの男は指輪を使いこなしてはいない」

 悪魔の瞳は冷酷な色彩を放っていた。穏やかなようでいて、壮絶な笑顔だ。

「ただ……獲物を狩る準備をしている、と言っておこうかな?」

「エクヴァル殿! 師が指輪を奪い返すまでの辛抱です、彼はそれ以上戦う気はないでしょう!」

「……了解した!!」


 ルシフェルはゆっくりとこちらに歩いてくる。何をするつもりなのか、全く読めない。光と闇の属性を持つ悪魔、実力は地獄の王クラス以上。契約も宣言もされていない状態とはいえ、生きていられる方が不思議だ。

 私の前にエクヴァル殿が立ちはだかる。何かあれば見殺しにされるだろうなと覚悟していた。そのくらいには冷淡な人間だとの噂だ。


 軽薄、コネで親衛隊に入った、女好き。

 そう揶揄される反面、彼と関わる者達は彼のことを、命知らずの危険な男、忠義一途で融通が利かない、敵と思えば一切情けをかけない冷酷な血の通わぬ人間だと表現する。ここまで人物像が真っ二つに分かれる者もいないだろう。

 激怒された時は、本当に身がすくむ思いだった……。

 しかし我が師を思ってのことでもある。意外と情に篤いようだ。さすが我が師、ずいぶん難解な人物を篭絡ろうらくされておられる! 人心掌握術にも長けていらっしゃった。感動的だ。


 輝くような美しい姿態の悪魔、ルシフェルが腕を持ち上げると、掌にナイフより少し長い棒状の物質が出現した。白く輝くそれは魔力で形成されており、刃がついている訳ではないが、彼の気分で切ることも打つことも出来るのではないだろうか。

 スイッと水の上を滑るように音も立てずに移動し、エクヴァル殿の前まで迫る。素早い動きだったが、彼は警戒をしながらも気負うようでもなく、決められた動作だったかのように剣を抜いて迷わず斬りかかった。

 かなり速い動きだが、ルシフェルは表情も変えぬままにエクヴァル殿の剣を防ぐ。切り下ろし、横なぎに振り、斜めに切り上げる。全てを棒で防ぎ、さらに何かを狙って前に出たエクヴァル殿の脇を、予想していたようにするりとすり抜けた。


 彼らの攻防を見ながら、私は闇属性の攻撃魔法の詠唱を始めた。私が得意な属性は、闇と土。悪魔は私に確かに視線を寄越した。


「戒めたる鎖を引き裂き、咆哮を上げよ。長き拘束より解き放たれし、残忍なる災厄。下顎は大地を擦って削ぎ、上顎は天まで届く、全てを呑みこむ大いなる獣、世界に混沌を生み出すものよ! 脈打つ甘き血を捧げる。目に怒りたる炎を宿し、獰猛なる牙にて喰らい尽くせ! ルーヴ・クロ・サン!」


 獣の牙で対象を引き裂く、防御魔法を突破しやすい危険な魔法。腕を肩の高さに上げ己の前で短剣の切っ先を下に向け、詠唱が終わると共に標的に真っ直ぐ刺すように向ける。

 しかしルシフェルは動かずに手を翳すだけ。ガキンと軽快な音がして獣の牙は弾かれ、闇はあっさりと霧散した。

「ふうん、珍しい魔法を見たよ。まだ使い手がいたんだね。私の番かな……?」

 ルシフェルの掌が私に向けられる。魔力が高まり、危険な香りがしてくる。


「神聖なる名を持つお方! いと高きアグラ、天より全てを見下ろす方よ、権威を示されよ。見えざる脅威より、我らを守護したるオーロラを与えまえ! マジー・デファンス!」

 防御魔法を張ったのを確かめてから、魔力により攻撃が繰り出される。とてつもない魔力が白銀の輝きを放ち押し寄せる。

 さすがに全ては防げない。防御魔法はバラリと崩れて、魔力が私に固まった風のように押し寄せ、軽い爆発を起こした。一応防御の護符は持っているが、衝撃で膝をつく。腹部に衝撃が走った。痛いが、骨が折れたりはしていないようだ。

 思わず握っていた手を開いてしまい、持っていた黒い柄の短剣が地面に落ち、カランと転がった。


「…………」

 カン、と金属がぶつかる音がして、エクヴァル殿の剣が悪魔ルシフェルの棒に弾かれる。

「この状況で、機を逃がさず声も洩らさずに襲ってくる。なるほど、そういう男か……」

 悪魔ルシフェルの口元が笑っていて、先ほどよりも楽しそうな。素早く返して幾度も斬りつけるのを避け、ルシフェルは後ろに軽く跳んだ。いや跳ぶというより、滑るようにして一気に下がった。

 それをエクヴァル殿は上下動もほとんどなく、鳥のように軽やかに追いかける。

 私はこの隙にマナポーションで補給をしておいた。次の魔法を仕込んでおこう。


「望むは有明の月、満ちては欠ける美しき神秘。星を従える麗しき佳人よ、弓箭きゅうせんを携えて獲物を狩りに参りたまえ」


 追うエクヴァル殿に、ルシフェルが真横に棒を振った。

 彼はさらに低くなって躱し、足を狙って剣を右から左へ振る。悪魔は軽く跳んで避け、着地を狙って襲撃する剣を棒で押さえ、エクヴァル殿の心臓の付近にもう片手をかざした。

 攻撃自体は私の位置からでは視界に入らなかったが、白い光が二人の間に溢れ、エクヴァル殿は壁まで吹き飛ばされた。

 心配は後だ、まずはこちらの魔法を発動させる!


「地を行きしものも、空を滑りしものも、逃れられぬ汝の標的なり! 弓を引いてつがえよ、放て! アルク・フレッシュ・ティレ!!」

 

 無数の黒い矢がルシフェルに向かって飛んでいく。

 しかし彼がスッと右手を動かすと、全てがその場で止まり、落ちながら消えていく。こんなにも魔法の効果を感じないなど、初めてだ!

 これが、地獄の王!

 戦うべき相手ではないと言われているのは、全くもって確かだ。

 防ぎ終わると悪魔の視線が移った。攻撃に倒れた、エクヴァル殿が気になったようだ。

「……少し魔力を込め過ぎたか。生きているかな?」

 壁に叩きつけられ、地面に倒れた彼は、苦しそうに身を起こした。破れたジャケットの下から、黒い防具が覗いている。

いつぅ……、装備が間に合って助かったよ……」


「……待ちたまえ。君のその、胸当てはもしや」

 ルシフェルが防具に目を留めたまま、一歩近付いた。エクヴァル殿は悪戯っぽい笑顔で答える。 

「ええ、ティアマトの鱗です。ベリアル殿の縁で頂きまして」

「なるほど、魔力にも耐性があるわけだ」

 黒竜ティアマトの鱗……!

 そんな強力な希少素材を使った装備をしていたとは。しかも着けていると解らないほど、薄く加工してある。竜の鱗は重い物が多いが、あれだけの薄さなら負担にならないだろう。


「……うん、ここまでのようだね」

「では、師が……!?」

 ついに指輪の奪還に成功されたのか!?

「魔力が途切れたからね、そういうことだろう。私は行くけど、君達はすぐに脱出したまえ。そうだ魔導師の男。私と一日の契約をしておこう」

「なんと……! 光栄にございます!」

「私はルシフェル、地獄の王。君の名は何と言ったかな?」

「セビリノ・オーサ・アーレンスです」

 なんと……! 悪魔と契約をしたことすらない私が、一日の短期とはいえ地獄の王と契約できるとは。師匠!! 全て師のおかげです!

 やはり、我が師は至高の存在であらせられる!


 契約を交わした後、ルシフェルは奥へと進み、私達は助言に従い外へ出た。エクヴァル殿がワイバーンで、私は飛行魔法で浮かび上がり、少し離れて師匠達を待つ。脱出するようにわざわざ伝えるとは、一体どんな力を使うつもりなのか。

 とても興味深い。

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