第97話 結末

 ベリアルの剣が、私を貫く。

 胸元から背へと抜けて、炎を吹き出している。周囲にも私達を取り囲むように火はあふれ、ボンボンとあちこちで燃えて激しい音を立てて爆発が続く。

 ……ように魔導師長からは見えているだろう。


「日のある所に影は存在する。影なるものは、我と一つにて二つなり。立ち上がりてかたどれ、時は其をとどめおかんとす。イリュージョン・シャドー」

 騒がしく盛る炎の合間に、魔法を唱えた。魔導師長には聞こえていないようでホッとした。


「な、っ……!? 生け捕りにしろと命じたではないか! 殺すとは……」

「仕方あるまい、あまりにも生意気なので手元が狂ったのだよ」

 クククッと、口角を上げて笑うベリアル。

 魔導師長は舌打ちして、所詮悪魔かと苦々しく呟いた。

「……仕方ない、とりあえずこっちに持って来い。息があるか、確かめる」

 命じながら差し出す手に、赤い瞳が冷たい視線を向ける。

「確かめる必要があるのかね?」

「当たり前だ!! 早くせんか!」

 れて大声を出す魔導師長に、ベリアルは笑みを深めた。


「……断る」

「何だと!? は、そうか……! 指輪に魔力が足りんのか。供給せんとならんか」

 魔導師長はぼやきながら指輪を嵌めた左手を肩の高さに上げて、横に出す。

「偉大なる神の……」

 そこで言葉が止まった。

 するりと指から指輪が抜けて、金属の感覚がなくなる。


 弾かれたようにこちらに顔を向けた魔導師長が私の姿を確認すると、驚愕の表情を浮かべた。目の前で指輪を、私の指に嵌め直す。

「き、貴様、そこに遺体があるはず!? なぜここに……? どうなっておる!!?」

「……幻影ですよ、気付きませんでしたか? イリュージョン・シャドーを唱えました」

 左手に嵌めた指輪を奪われないように、少しずつ後ろに下がって距離を取る。


「嘘だ……、確かに剣で刺された! アレが幻影の訳がない!」

「ええ、刺されるところまでは私です。そこで動揺されると思いまして。あの後、詠唱が聞こえないように、ベリアル殿が爆発を起こしてくださっていましたからね」

 まずは戦闘で焦れさせて判断力を鈍らせ、刺されたことによる心理的動揺を誘い、爆発と炎による目くらまし。これであざけると思った。

 成功して良かった。剣で刺されたフリをしながら詠唱するとは、考えないだろう。

「だ、だが……剣が、確かに、貫いた……」

 魔導師長はまだ状況が理解しきれず、ワナワナと震えている。


「召喚術について、もっと学ぶべきでしたね。身を守るという条項を入れれば、魔力で傷つけることはできなくなるのです。物理攻撃にも、大きな制限がかかりますし。あの剣はベリアル殿の魔力でできた、炎の剣。元から私に怪我などさせられません。魔導師長は、契約を破棄させなかったのですから」

 召喚の契約について詳しい人なら、支配したいのならばまずは契約を破棄させただろう。

 ただし、王にとって自ら結んだ契約を破棄するということは、かなり不本意らしい。指輪の力で本人の意に反して無理に実行させられるかというと、難しいかも知れない。


 そして私を契約者として守ってくれているのなら、その相手が私を殺すというのは通常有り得ない。

 さすがのベリアルも、貫いたと偽装するのは難しかったみたいだけど。なんせ触れたら消えちゃうから。いったん消失した剣を素早く胸の手前部分まで再構築し、後ろからは炎を吹き出して解らないようにしたのだ。

 さすがキングゥにペテン師と呼ばれただけある! 素早い騙し技ね!


「な、な、な……!?」

 魔導師長は愕然として言葉も出ない。

 それはそうだろう、指輪を失ったとなれば、もう悪魔の制御は不可能だ。悪魔の報復がどんなものかくらいは、流石に知っているだろう。

 狼狽ろうばいしつつも指輪を奪おうとこちらに迫ってきたが、ベリアルが前に立ちはだかって軽く炎を浴びせた。逃げるようにすぐさま下がり、足がもつれたのか尻餅をついている。


「テトラグラマトンに示される偉大なるお方、アナクタム・パスタム・パスパシム・ディオンシムの、大いなる御名において命ずる! 王たる者の指輪よ、効果を断ち切れ! 偽りの鎖を外し、支配より解き放ちたまえ!」


 見えない糸が外れる様な、ちょっとした感覚があった。

 まずは指輪の拘束力を解除。既に薄くなっていたが、しっかりと切っておく。

「な、なんだそれは……!? その名は、一体?」

「やはりご存知ないようで。いにしえの儀式において使われた、神の名です。知る人がほとんど存在しないと考え、起動に設定しました。魔導師長は使いこなせていませんよ」

 真っ青になった魔導師長は、何故、そんなとぶつぶつと独り言を声に出す。

「……多少の拘束力はあったがな」

 最初は効果あったもんね。多分、魔力を限界まで供給し続けていれば、王でもそれなりに使役しえきしていかれたんじゃないかと思う。危険過ぎるけど……。


 逃げようと後ずさりする魔導師長を、ベリアルは追いかけるそぶりすら見せなかった。もっと危険な悪魔の逆鱗に触れたのだから、これ以上私達が何をする必要もないのだ。


「宵闇にさきんじて輝き、夜を導け。明星たるもの、私はルシフェル。星の運行よ、私に運命を委ねよ」


 入口付近からルシフェルの宣言が聞こえてくる。

 やらなくてもこんな男くらい、何人いようと倒せるのに……。これは、相当怒らせているわね!

 ん? さっきは契約してないけど、今度はしてる? セビリノとでも短期の契約を結んだかな?

「阿呆!!!」

 声を張り上げたベリアルに振り向いた私を、横抱きに抱えて即刻飛び始める。

「え、あの! 飛べますから!」

「悠長にしておるからだ! 巻き添えを喰らうぞ、間抜け娘!!!」

 珍しく焦ったベリアルの怒号が飛ぶ。


「ルシフェル殿を怒らせる愚者など、地獄にもおらんわ!! ああ見えて悪魔のうちで誰よりも、凄惨な報復をされるのだ! 少なくともここら一帯が破壊し尽くされるのは、目に見えておる。とにかく離れる!!!」

 部屋にゆっくりとした歩調で入ってくるルシフェルとすれ違う。いつもの笑顔をたたええつつも、目が冷酷にくらく輝く。

「……さあ見せてあげよう、地獄の王の力を。その薄汚れた魂の根源が、歓喜に凍るほどに……!」

 聞いたことがない程、ルシフェルの声色が冷たい……。

「来るな、来るなああァァ……!!!」

 魔導師長の叫ぶ声を背に、素早く外へ飛び出した。


「星よ墜ちよ。燃え尽きてその身、無に帰すまで。地に汝の証を刻み、荘厳なる天災となれ。壊滅せよ!」


 わずかに聞こえてくる……これがルシフェルの呪法!?

 これはもしや、文献に残っていた“人には得難えがたき呪文”、存在するとされていても、詠唱が解明されていない魔法である、闇属性のメテオ系!!?


 城から少し離れた空に、セビリノとワイバーンに乗ったエクヴァルがいた。

「師匠! お怪我はございませんか?」

 私は慌ててベリアルの腕から抜け出して、自分で飛行する。

「大丈夫。貴方達こそ平気? アレは、セビリノ殿が?」

「はい、さすがお分かりになりますね」

 やはりルシフェルと契約をしたのはセビリノだ。

 呪法を効果的に使う為に、契約を結んだのね。人間と契約していないと、地獄の王の力はこの世界ではかなり制限されてしまう。


「こちらは大丈夫だよ。君こそ抱えられて出てきたから、怪我をしたかと思った」

 二人とも私を心配してくれていたみたいで、安堵の表情を浮かべる。私も二人が無事で安心したわ。

「いきなりルシフェル様がいらしたから、なんか呆然としちゃって……。逃げ遅れそうになっちゃったの」

「相変わらず詰めの甘い、仕方のない小娘よ……」

 話しながら城から離れると、空から何か燃える物体が落ちてくるのが見えた。

 大きい岩のような、隕石。

 城に当たると轟音と共に大爆発が起こった。もくもくと濃い煙が幾筋も立ちのぼり、煙の下には赤い熱が激しく輝いて、城の付近は全く見えなくなる。かなり離れたのに、埃と風がここまで届いた。


 鼓膜をつきさす破壊音が収まって煙が去り、様子を確認すると。

 城は跡形もなく吹き飛び、巨大なクレーターが生まれていた。岩やレンガ、壁の欠片が広範囲に飛び散らかり、ものすごい有り様だ。周りの木々もだいぶ薙ぎ倒されて、凶暴な破壊の爪痕が残されていた……。

 その中心地だけえぐれてはおらず、不自然に残っている。

 ルシフェルと魔導師長がそこにいた。

 生かしてこの撃滅を目撃させたんだ。本当に怒ると残虐な人になるんだ……。


 この先の展開は見ずに、一足先に町へ帰った。魔導師長が殺されることだけは解っているし、どんなことが行われるのか、怖過ぎて知りたくない……。



 しばらくしてルシフェルも私の家に姿を現した。

「安心していいよ、もう二度と彼には会わないで済む。魂ごと消滅させたからね」

 幸せそうな微笑で口にするセリフじゃない……!

「そ、そうですか……」

「久々に力を使った。飲み物を頂けるかな?」

 ソファーに腰掛けながら言うルシフェルに、すかさずセビリノが頭を下げる。

「もちろんです。温かいものが宜しいですか? 冷たいものになさいますか?」

「そうだね、では温かいものを」

 ソファーに座っているのは私とベリアル、向かい側にルシフェル。さすがにエクヴァルも、ここには混じりにくいらしい。留守番をしてもらっていたジークハルトには、だいたいの顛末てんまつを教えて、国への報告をお願いした。

 いくら何でも城と地形を破壊して、知らないフリはできない。


 エグドアルム王国の捕縛されたはずの魔導師長が、逃走して無人の古城で悪魔召喚をはかり、悪魔の怒りに触れて付近が壊滅。原因の悪魔は既に送還したことにした。

 そんなわけで、エグドアルムから謝罪と賠償金を支払う交渉を、エクヴァルとセビリノがするハメに。それも伝えてもらう。

 チェンカスラーは魔法アイテム職人が少ないみたいだし、エリクサーとか喜ばれそう。となると、物資というのもアリかも。


 ソファーで湯気の立つ紅茶を飲む、城を含む一帯を破壊し尽くした悪魔。

 どこからどう眺めても、そんなことをした後には見えない。やりそうにも思えない。流石、地獄の王……。

 セビリノとは一日ルシフェルに協力すれば、何でも与えるという内容の契約だという。ルシフェルに気に入られたのね。ソーマ樹液かガオケレナを貰いたいと意気込んでいる。


「それで、ルシフェル様はこれからどのようになさりますか?」

 帰るなら送還だけど、一日の契約にしたって言うし。

「せっかくだ、この機に少し人間界を見て回ろうかな。ここに泊まるから、天蓋付きのベッドを用意するように」

「天蓋付き……ですか?」

 それはどこで買えるの……?

「そなた、そのようなものはこの家にはないぞ」

 ベリアルが呆れるが、彼はここだけは譲れない点らしい。神妙に首を横に振る。

「寝台から壁が視界に入るのは好かない」

「……イリヤ嬢、公爵閣下に相談したら? 出入りの商人を紹介してもらおう」


 エクヴァルの助言を得て、慌ててベッドを用意した。

 公爵邸なら客室にあるらしいけど、誰かが使用した寝台はあまり使いたくないそうだ。王のワガママはとんでもないぞ。

 なんかこれ、帰る前からまた来るっていう意思表示な気もする。


 ともかく、これでようやく静かに暮らせる……かな?


 エクヴァルは用が済んだのに、まだここに滞在するらしい。

「もっと君を知りたい」

 そんなことを真顔で言うので、今度はどの魔法が見たいの、と尋ねた。とても微妙な表情をしていたけど、私の魔法を見ている時の目だと思ったんだけどな。親衛隊がこんなところにいていいのかな……。今、国はけっこう混乱してるんじゃないの?

 彼の場合は別に魂胆があったりするから、油断できないんだよね。


 セビリノもここにいたいと訴えているが、仕事をするよう説得した。おかしい、こういう人じゃなかったのに。

「魔導師は人ではなく、知に仕える者」

 と、のたまっている。とはいえそれと私の近くにいるのと、あまり関係ないんじゃないだろうか。

 今回の後始末とガオケレナの輸入先を探す仕事があるので、どっちにしてもまだこの辺りに残るのは確定だ。ガオケレナはエグドアルムのある北の方だと採れないから。


 ベリアルは今回不完全燃焼なので、また狩りがしたいと言っている。ルシフェルもいる間に、地獄の内情が解るような話が聞けないかなと、密かに楽しみにしている。

 あの間抜け娘発言は、大事な指輪をまんまと盗まれたからだそうだ。これは反論のしようがないぞ。


 現在私の家には、エグドアルムの宮廷魔導師と、皇太子殿下直属の親衛隊のうちの側近、それから地獄の王が二人いる。戦力過多だ……、なんだろう、国より攻め辛い家って。

 とりあえず回復アイテムでも作ろう。賢者の石の研究も、まだまだこれからだ。



  第一部・おわり

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