第95話 対峙
ついに古城が見えた。
私とセビリノは飛行で、エクヴァルはワイバーンに乗っている。あの悪魔と天使を使役できるソロモンの指輪を模倣したもの、それさえ取り戻せたら。
そもそも私腹を肥やすことに一生懸命だった魔導師長は、魔法の腕でもアイテム作製でも、セビリノに敵わない。実はエリクサーを作れない、という噂もある。公爵という身分をかさに着て、他の人が作ったエリクサーを奪い、自分のものとして提出したという話だ。
不正なんてせずに、努力すれば良かったのに。
「強い気配が二つ……。これは召喚しているわ」
「……危険だが、行くしかないな。ベリアル殿は指輪を出し抜くと言ったんだね?」
確認するエクヴァルに、力強く頷く。もう迷わないと伝える為にも。
ベリアルを、地獄の王を、あんな男の言いなりになんてさせない!
「ええ。隙さえ作れたら、きっと何とかなるわ」
「師のお力があれば、必ず万事成功されるでしょう!」
……セビリノって、こういう楽観的なタイプじゃなかったと思うんだけどな……? 最近の彼は謎だ。
観音開きの大きな鉄の扉を開けると、人影が一つあった。そこにいたのは真っ白いローブに銀の髪、水色をした透ける空の瞳を持つ、若く麗しい悪魔。
穏やかに微笑む彼の名は。
「ルシフェル様!?」
「やあ、人間の娘。ベリアルが名前を教えてしまってね」
まさかルシフェルを強引に喚んでしまうなんて。これはもう、魔導師長は生きてはいられないわ……。
「……え? 知り合い?」
「知り合いというか……」
勝手に紹介するわけにもいかないので、ルシフェルに視線を投げた。いつもの感情の見えづらい、柔らかい笑顔で目を細める。
「私はルシフェル、ベリアルの友人というところかな。彼女だけ通すよう言われている。君達二人、少し私の相手をしてもらうよ。人間と戦うなど久しぶりだ。君達の力を見せてもらおう」
魔力が上がっていくのが解るが、これは契約をしていないようだ。忘れたのかな……? 悪魔を召喚して、使役したいのに契約をしないって、あるの?
しかし今は、余計な考えを巡らせている暇はない。こちらには好都合だし、良かった! それでいいか。
「二人とも、彼は本来、ベリアル殿以上のお力です。何とかするまで、生きていて!」
「は……?」
「はい!」
戸惑った声のエクヴァルと、なぜか元気いっぱいなセビリノの返事があった。
「ところで君達は彼女の何かな?」
「わ、私は護衛を務めるエクヴァル・クロアス・カールスロアと申します」
「弟子のセビリノ・オーサ・アーレンスにございます」
通り過ぎる私の横で、何故か自己紹介が開始される。指輪の魔力が完全ではないので、さすがにルシフェルを掌握できてはいないようだ。丁寧に接していれば、本気で殺しに来ることはないだろう。
「弟子……魔導師だね。まずは君の魔法を披露してもらおう」
微笑を浮かべて立ち、詠唱を待っている。
セビリノはどの魔法を使うのだろう。気になるけど、私は先に進まなきゃ!
ベリアルの魔力の気配を頼りに奥へと進んだ。広い廊下には、大きな丸い柱が幾つも建っている。色あせた装飾に、時々ひびが入っている壁。
廊下の突き当りに塗料のはげた大きな木の扉があり、薄汚れた絨毯がそこまで続いていた。両開きの扉は大きく、取っ手にも装飾が施されていて、金の飾りが輝きを失って放置された年月を感じさせる。
ここにいる筈。
「精霊の力、この符に宿れり。万能章よ、大いなる偉力を余すことなく発揮せよ」
たぶん私を、ベリアルと戦わせるつもりなんだろう。万能章を起動しておく。そしてこの護符が見られないように、服の下にした。
私のアイテムボックスは、魔導師長が指輪の効果に喜色の表情を浮かべた後、もう必要ないとばかりに地面に捨ててあったのを、ジークハルトが回収しておいてくれた。私はあの時余裕がなくて、アイテムボックスにまで気が回らなかった。
心ない人に拾われて、またアイテムを奪われなくて良かった……。
「……全くのお転婆よ」
部屋に入って開口一番に、ベリアルがそんなことを
「よし、ベリアル! その女を捕らえろ!!」
魔導師長が部屋の奥の方から、ベリアルの名前を告げて命令する。
言葉に合わせるようにベリアルの腕から火が噴き出し、手には真っ赤な炎の剣が顕現した。
しかし宣言も何もない。あれ?
炎の剣に至っては、一番弱い状態の朱色。宣言なしでも、もう少し力が出せるはずなんだけど。やる振りを見せるだけ、のような。そこまで支配できていないと、魔導師長は気付いていないようだ。王を見たことがないからだろうか?
指輪から送られる魔力が少ないように感じたので、どうやら供給が足りていないようだわ。
「荒野を彷徨う者を導く星よ、降り来たりませ。研ぎ澄まされた三日月の矛を持ち、我を脅かす悪意より、災いより、我を守り給え。プロテクション!」
まずは攻撃が来るだろうから防御、次は攻撃魔法。これでいく。
「さて、どの程度であるかな!」
ベリアルが走って来て剣で私のプロテクションの壁を斬りつけるが、弾かれる。その間に攻撃魔法の詠唱を開始。
「光よ激しく明滅して存在を示せ。
炎を浴びせ再び強く剣を振り下ろしたところで、プロテクションの防御は崩れ去った。
タイミングはバッチリだ。
「鳴り渡り穿て、雷光!フェール・トンベ・ラ・フードル!」
次の攻撃に移ろうとするベリアルに、手から発する雷撃を浴びせる。
「ぬぬっ! 詠唱が早いな……!」
バチバチと大きな音を立てて稲妻が目の前のベリアルに当たり、光が部屋の中を激しく照らした。ベリアルは至近距離から喰らった魔法の勢いもあってか、後ろに飛ぶように下がった。
「王ならば一撃で終わると思ったのだが……。あの女、よくも防御したものだ……っ」
魔導師長が忌々し気に呟いているのが耳に届く。
本気ならば一発で崩されただろうけど、ベリアルはまだ力を出していない状態だもの。
離れたベリアルの足元から火が走り、私に向かってくる。
十分引き付けてから躱すと、私がいた場所で爆発して激しい炎が噴き上がった。次は間髪を入れずに剣でくるはず。さすがに一緒に戦っていたから、少しはパターンが読める。
せーの!!!
見えないように炎を突っ切って飛び込んできたベリアルが、姿を現した瞬間に駆け出して脇を一気にすり抜ける。予想していなかったのか、それともわざとなのかは知らないが、炎の剣は宙を切った。すぐさま振り向き、私に向けて炎を放つ。解りやすく魔力が籠められているな。
背中に迫るのを待って勢いよく伏せて、炎を通り過ぎさせる。
「また避けた……!? どうなっとるんだ、あの女は! くそっ、憎らしい!!」
踵を付けたままつま先で地面を叩く。魔導師長は大分焦れているようだ。
通り過ぎた炎は地面に落ちて勢いを強め、私とベリアルを囲むように丸く伸びていき、生き物のようにうねる。
「頃合いであろう!!」
言葉と共に、ボンボンと炎が大きな音を立てて、あちこちで無秩序に弾けた。
「水よ我が手にて固まれ。氷の槍となりて、我が武器となれ。一路に向かいて標的を貫け! アイスランサー!」
水属性の魔法の中で、発動の早い攻撃魔法を唱える。氷の槍は燃え盛る火の壁に小さくなりながら標的を目指すが、さすがに地獄の王には届かない。
スッと上げられたベリアルの手のひらの前で、蒸気と水となり天と地に消える。
魔法を唱え終えた私の眼前に迫るベリアル。
赤い瞳に、私が映る。
後ろに一歩足を引いた私の胸を、手にした炎の剣が刺した。
「……これで終わりであるな」
背中で炎が噴き上がる。私は両手を、剣を持つ彼の右腕に添えた。
部屋を彩る
ゴウゴウと燃え盛る音だけが響いていた。
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