第94話 厭わしい召喚(ベリアル視点)

 忌まわしい男に付いて行き着いた先は、住む者のない古城であった。

 防衛都市より少し北東に広がる丘の上の森が途切れた場所にあり、チェンカスラー王国とワステント共和国が遠くまで見通せる。掃除されておらず所々壊れたその城に、老年の魔導師は勝手に入り、自らが主のように振る舞う。

 先に入った痕跡がある故、我らに会う前にこの場所を確認していて、根城にする心積もりでおったのであろう。

 イリヤとは先ほど通信が繋がった。どうやら無事に切り抜けたようである。あちらにはエクヴァルがおったからな、あやつは人間性はともかく腕は悪くない。我は口に出さずとも思考を言語化してイリヤに送ることができる故、この浮かれた魔導師には気付かれてはおらんだろう。

 鋭い者であれば魔力が流れていることくらいは、感知するであろうが。


「王……! まさか王を使役できる日がくるとは! あの生意気な下民の娘も、最後に私の役に立ったか。宮廷魔導師になろうなどと、分不相応な夢を見ずにいれば良かったものを!!」

 声を立てて笑いながら、軽く拭いただけのテーブルにワインとグラスを置き、一人で注いで飲んでいる。食料などの荷物をあらかじめ持ち込んでおったようだ。


「……そうだ、べリアル。他にも地獄の王の名を教えろ。せっかくだ、私も召喚をしてみよう。これがあれば危険などないからな!!」

 本気で思っておるなら、呑気な男である。完全に支配できるアイテムなど存在せぬ。例えそれが本物のソロモンの指輪であろうとも、効果時間という区切りはあるぞ。

 とはいえ、まだこの程度の単純な命令に逆らうことはできぬようだ。口惜しい…!!!

「………ルシフェル」

 絞り出すような声になる。何とも許しがたい! この我に対する態度ではない。

 ルシフェル殿を喚ばせたとあらば、あとで何を言われるか解らぬが……、致し方あるまい。


 男は座標軸を描き、召喚を開始する。しかしイリヤに比べなんと稚拙なことよ。

 これが魔導師長なのか……? だが指輪の効果と名を呼んだこともあり、ルシフェル殿が姿を現す。白い光が部屋に満ち満ちて、天の者でも現れたような輝きに照らされる。白いローブ姿の、整った顔立ちに一見すると柔和な表情をしている、微笑をたたえた悪魔。

「……ベリアル。これはどういうことだい……?」

 銀の髪が揺れ、水色の澄んだ瞳が冷たく光っていた。

 不機嫌だ。当たり前であるが、それにしてもかなり機嫌が悪い……。

「悪魔……? まるで天使のような。まあ良い、名と爵位を告げよ!!」

「…………」

 指輪をルシフェル殿に向け魔力を籠めながら、居丈高に指図した。

 そのなんとも無礼な様に、ルシフェル殿が我を一瞥する。早く名乗っておけ!!

「……ルシフェル。地獄の王に、何の用かな? 人間よ。」

「まだ用はない。待機しておれ、二人とも!」

 既に己が支配者にでもなったつもりであろうか。本来ならばここで契約まで結んでおかねばならぬのだが、有頂天で忘れているようである。無論、教えぬが。

 我らはこのいとわしい老年の魔導師の前から去り、廊下を歩いて別の部屋へ向かった。指輪の魔力を使えばすぐに呼び出せる故、男はあまり気にしておらぬようだ。後ろから大声が聞こえてくる。


「王が二人……! そして私がその二人を使い、世界を統べる王になる!!!」

 愚かな妄想が炸裂しているようであるな。まあ、楽しんでおくが良い。



「……ベリアル。私はここまで不愉快な召喚は初めてだよ。どういうつもりだい?」

「……悪かった! しかしアレはソロモンの指輪の模倣。魔力を籠められると、我にも逆らえぬのだよ」

 ルシフェル殿は疑わし気な目を我に向ける。

 適当な部屋の扉を開けてみると、天蓋付きのベッドやテーブル、椅子があり、誰かの私室だったことをうかがわせた。壁にかかった油絵は、部屋の主だった女性の肖像画であろうか。

「……君、あの指輪の効果を確かめているだろう。それに私を使ったね?」

 さすがに鋭いわ。ルシフェル殿をあざむくことは、我にもできぬ。

「それもあるが……、いざという時にイリヤを殺さんで済ませるのは、そなたしかおらぬ。アレには来るなと申したが、多分来るのではないかね……」

「全く……、ソロモンの指輪よりも捉えられているね」

 ため息をついたが、雰囲気は穏やかになった。話くらいは通じそうである。

 埃をはたいて椅子に腰かける。ギシュッと鈍い音がした。


「魔力を込めて名を呼ばれると逆らえぬ程ではあったが、イリヤに使われた時ほどの強制力は感じられぬ。持続時間も短い故、実物よりも出し抜くのはよほど楽であるな」

「……君はあの契約者に、アレを使われたのかい? 使役するようには見えなかったが……、また悪さをしたね?」

「っ! いや、もう相談済みの、あの件である!!」

 もう説教は御免であるからな!

 慌てて答えると、ルシフェル殿は喉の奥で押し殺すように笑った。

「虚偽と詐術の貴公子が形無しだ」

「ぬぬ……」

 それは人間どもが勝手に作った、呼び名であるぞ。

 ルシフェル殿は部屋の中を一周りし、掃除さえされていればと呟いた。歩いた場所を記録するように、足跡がうっすらと残る。


「もっと魔力を籠めねば、些細な命令でも私を使役など不可能だけど、逆らえぬふりをしていればいいんだね? どの程度の命令に、どれほどの魔力が必要かを悟られない為に」

「……頼む。確実に、葬りたいのだ」

「ふふ……君に請われるのも悪くないものだ。しかし……」

 ここまで言って微笑が完全に消えた。凍てつくような瞳に憤怒が映し出されている。

「この私は、受けた屈辱は必ず晴らす。アレは私の獲物……。それは譲らない」


 あの愚かな魔導師は、虎の尾を踏んだ。最期の時は、息を潜めすぐ目の前で待ち構えている。

 ……我も巻き込まれぬようにせねば……。



 さて、やはりイリヤは来るようである。気配が近付いておる。相変わらずのお転婆であるな。

 この鈍い魔導師が気付いたのは、大分接近してからであった。そして指輪を使い、我らを呼び出す。実際には行かねばならぬほどの強制力を感じなかったが、今の所は服しておいた。さらに魔力を強められれば、命令に従わせることは可能であろう。

 やはり指輪を過信しておるな。


「どうやら奴らが来たようだ。ルシフェル!! 入口で奴らを迎え、イリヤだけ通せ。ベリアル、貴様はここにいるんだ。あの女の相手をさせてやろう!」

 ……知らんぞ、知らんからな。よもやルシフェル殿にそのような口を。いつもの笑顔が崩れそうであるぞ。

「……ではね、ベリアル。……また後で」

「う、うむ……」

 恐ろしいわ。鈍感も羨ましいものだな。何も解らぬのかね、この男は。

 静かにルシフェル殿が移動し、この部屋は我ら二人になった。

 謁見の間のようで、奥に椅子があり、背後の壁には旗が交差してかけてある。長い長方形の部屋で、椅子に続くように赤い絨毯が敷かれておる。手前の部屋はやたら広くなっていて、左右の部屋との間は柱が立つだけで壁で遮られておらず、なかなか広い印象を受けた。戦うのにはうってつけなような。


「……まさか逃れるとは、運のいい女だ。しかしわざわざ死にに来るとはな! ……そうだ、生け捕りにしろ! 貴様の前でボロボロに犯してやる!! 貴様は抱いたのだろう? あの女の味はどうだったんだ?」

 ……本物の下種である。

「あのような女に興味はない。好きにせい、我は悪魔ぞ。誰が誰と寝ようが、どうでも良いわ」

「ほう、そんなものか?」

 望むのであれば、相手が誰であろうと何人であろうと、全く構わぬ。

 ……ただ、契約者が貴様のような屑の手にかかるのは、許せぬがな……!

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