第91話 ギルド長の依頼3 クローセル先生の契約者
「貴女……、ちょっと待って。紫の髪の人!」
長い廊下に女性の声が響いた。
追い掛けてくるのは、クローセルと契約した朱色のローブの女性だった。髪は黒に近いこげ茶色で、長い前髪を花模様のついたヘアピンで留めている。クローセルも一緒だ。
他の人達には先に行ってもらうようお願いして、この場には私とベリアルとエクヴァルだけが残った。
「私はクリスティン・ジャネス。クローセル様と契約したの。貴女は……」
「イリヤと申します。ベリアル殿の契約者です」
自己紹介をして、お互いにお辞儀をする。
「ここではちょっと良くないわね……、移動しましょ。どうせなら何か食べる?」
クリスティンは警備員が巡回しているのを見て、返事も聞かずにすぐさま歩き出した。
建物を出て少し進んだ先は、細い水路に沿って広葉樹が植樹されている道にぶつかっている。
あまり幅は広くなく、水路の向こうに公園がある落ち着いた雰囲気の通りだ。水路とは反対側にぽつんぽつんと何軒か店があり、そのうちの一軒、長い木の柵で仕切られた風雅な
「五人だけど、個室空いてる?」
「はい、すぐにご案内できます」
慣れた様子で店員の女性に声を掛けるクリスティン。女性はすぐに奥にある個室へと案内してくれた。
広い個室の中央に黄緑の爽やかな色のテーブルクロスが敷かれたテーブルがあり、椅子は十脚用意されている。壁にハンガーが掛かっていて、正面には絵画が飾ってあった。
クローセルはクリスティンの横に座り、こちらはクローセルの向かいにベリアル、それから私、エクヴァルの順で席に着く。
まずはメニューを開き、飲み物とケーキを頂くことにした。こんなお店のケーキならば、美味しいに違いない。ベリアルは昼間からお酒を注文してる。なんか地酒らしい。
「単刀直入に聞くわ。そのベリアル殿と呼んでる悪魔……、……王なの?」
「いかにも、我は地獄の王である」
腕を組んで座っているベリアルが、ニヤリと笑って挑戦的に答える。
「それを知ってどうするのだぞい、クリスティン」
「気になるんです、クローセル様! クローセル様は契約をする時に、閣下のお召しがない限りは私に力を貸してくださる、そう仰いました。この御方ですよね?」
クリスティンは勢いよく言い放ち、ベリアルへ顔を向けた。
さすがクローセル先生、ベリアルが最優先らしい。話しているうちに飲み物が届いたので、私はホットコーヒーに砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。
「地獄の王……! 初めて見ました。……握手してください!!!」
……んん? 握手?
彼女は頭を垂れてベリアルに両手を差し出した。ベリアルは意外そうに二、三度まばたきをして手を伸ばし、
「ひゃああ……、ありがとうございます! 私は召喚術師として、それなりの腕だとは思います! 我が国でも“爵位ある悪魔と契約を”というスローガンのもと切磋琢磨してきましたが、私が一番にクローセル様と契約がとれました! しかも知的な侯爵様……、もう嬉しくて
「は、はい!?」
勢いに押されて、上ずった声になってしまった。
「握手して下さい!!!」
……んんん? 本当に何、どういう展開??
嬉しそうに頬を染めて、私にまで両手を向けてくる。勢いに押されて握手をすると、なぜか瞳を潤ませている。
「……誰かに少し似ておるな、クローセル……」
「この
「私、こんなですか!? それよりその危険なスローガンは何ですか……? あまりお勧めできませんよ」
そんな簡単に爵位ある悪魔を喚ぼうなんて、軍事国家トランチネルに対抗する手段としてでも危険過ぎる。下手をすれば向こうから攻められる前に、召喚した存在に滅ぼされてしまう。
「これですね。我がノルサーヌス帝国は、魔法についてはフェン公国からガオケレナを輸入し、技術交流をして、更に国内でも推奨することによって、近年発展してきました。しかし召喚術の分野では依然として
あっけらかんとオレンジジュースを飲んでいる。どうも危機感の薄い人物のようだわ。
「あの……クローセル先生、この方は……」
「うむ。これでもやる気は一人前だ。教育し甲斐があるわい。久々に充実した毎日を過ごしておる」
クローセルは楽しそう。先生が向いているなあ。
ちょうど私のケーキと、皆でつまめるようにサンドウィッチとフライドポテトが届いた。芋はノルサーヌス帝国の特産品の一つなんだって。
ケーキはフルーツがふんだんに使われ、赤いいちごのソースが真っ白なお皿にオシャレな模様を描いていて、とても食べるのがもったいない程。
もちろん、すぐに食べますが。美味しい!
「それで、召喚術の実践はまだ続けているんですか? 可憐なレディ」
「……は? か、可憐?? い、いえ。これ以上は危険なので、いったん中止です。クローセル様が召喚について希望者に教えてくださると請け負ってくださいましたので、まずは基礎の勉強をもう一度しっかりしよう、という流れになりました」
エクヴァルの軽口に頬を赤らめ、説明が終わるとオレンジジュースを一気に飲み干した。その様子を楽しげに眺めるエクヴァル。なんだかなあ。
「閣下……、ずいぶん軽薄そうな男を連れておりますな」
「色々と役に立つ男である。それにアレは、我が契約者の護衛よ」
「護衛が付くとは。うむうむ、イリヤも立派になったものだ」
クローセルがしみじみと頷いている。
うう……、宮廷を辞してこっちに移住したって、言いづらい雰囲気になってしまった……。
「ところでトランチネルの情報はどこから? やっぱり
「……ウチの諜報員は連絡が取れなくなってしまって。もう多分、殺されてます」
質問したエクヴァルの瞳が険しくなる。
「……亡命してくる人が増えたんです。それで、最近王宮の女官が来まして」
言い
「元帥皇帝にお茶を運んだ時、ちょうど苦言を呈している人がいたらしくて。その人が床に押し付けられてその場で首を
クリスティンはいったん言葉を区切って、息を吸い込んだ。
ゆっくりと言葉を続ける。
「彼女の、腕を切らせて……。その後は投獄され、やっとの思いで脱獄したそうです。命からがら逃げてきて、教えてくれました。殺された人が確かに、もう地獄の王の召喚は危険過ぎるからやめましょうと、懇願していたって」
召喚自体は魔力が漏れないようにした結界を張った特別な建物で実践されるので、今も実際に
元帥皇帝とは、軍事クーデターを起こして王と王家に連なる者を殺し、武力で玉座を奪ったトランチネルの軍の元帥が、自ら元帥皇帝と名乗ってそう呼ばせたのが始まり。それが受け継がれている。
「……ずいぶん物騒な話だね。典型的な恐怖政治だ」
「その人の腕は? エリクサーはありますか?」
「……ないことはないんだけど、貴族とかしか使えないの。元女中の亡命者には、こんな有力な情報をくれたのに、与えられないんです……」
悲し気に首を振るクリスティンに、赤い液体の入った小瓶をそっと渡した。
「これをお使いください」
「え、これ……」
「エリクサーです」
エクヴァルがピクリと反応した。ただ話を聞いていたから、
さすがに戸惑い、手を出せずにいるクリスティンに代わりクローセルが受け取って、瓶を揺らしてじっくりと眺めた。
「これはこれは、良いできではないか! 合格だぞい、イリヤ!!!」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
エグドアルムで研究して成功率や効能を高めたエリクサーを、作り方を指導してくれたクローセルに褒められたのはとても嬉しい! なんだか子供の頃に戻った気分。
「クローセル、念の為にそれは我がもたらしたことにでもしておけ」
「ははっ」
ベリアルの言葉に礼をしてから、クローセルはエリクサーをクリスティンの手に持たせた。なるほど、これなら問題ないね。
「己自身を知れ。水、植物、石、全てに力がある。先生のお言葉です。全ての力を引き出すよう、努力致しました」
「覚えておるのだな! 閣下に飛行魔法を覚えよと谷から放り投げられて大泣きしていた子供が、大きくなったものだの……」
頷きながら、しみじみと懐かしそうに呟くクローセル。
ああ、あったわそんなこと……。
ベリアルは子供の頃わりと優しくしてくれたんだけど、時々とんでもなかったんだよね。魔法で倒せと、下級の竜をけしかけたり。これは悪魔と人間の認識の違い、というヤツなんだろうか……。
「アレは酷かったですね……」
「阿呆。契約しておるのだ、助けるに決まっておろう。怖がる方がおかしいわ。そもそも、飛べば落ちぬ」
エクヴァルとクリスティンも、引きつった顏でベリアルに視線を向ける。絶対おかしいのは彼だ!
「あのあとイリヤが閣下とは口を利かないと、しばらく私にくっついておったろう。閣下はアレが、こたえられたようでな……」
「余計なことを話すでないわ!!!」
ちょっと機嫌が悪くなったベリアルだけど、お酒を追加して飲んでいるうちに、またいつもの調子に戻っていた。
クローセルからノルサーヌス帝国の美味しいお酒を教えてもらって、すっかり意気揚々としている。さすがご機嫌の取り方も慣れているわ。
しばらく話をしてから分かれた。
明日は魔法アイテム作製の施設を見学できるとか! どんな風にしてるのか、とても楽しみ。
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